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レインハイトと魔法の門  作者: アマノリク
第三章 〜仮面を被りし者〜
37/64

ドラウプニル

「……それで、一体どんな事情で命を狙われていたんですか?」


 レインハイトは、豪奢な椅子に腰掛ける、白金の髪に宝石のような碧眼を持つ少女――アスガルド王国第一王女、アトレイシアに問いかけた。

 現在彼等がいる場所は、王都アイオリア最大にして最重要の建造物、王族の住まう王城にある一室であった。レインハイトとしては誠に恐縮なことに、ここはアトレイシアの私室であるらしい。


 現在に至るまでの経緯はこうだ。今から数十分前、見事王女の命を狙う襲撃者の二人を戦闘不能へ追いやったレインハイトは、アトレイシアに指示されたまま気絶した襲撃者二人をこの王城まで運び、その後、落ち着いて話をしたいと申し出た彼女によってこの部屋に招待されたというわけである。


「……私には、兄がいるんです。アスガルド王国第一王子、名を、クリストフ・シュバルツ・フォン・アスガルドと言います」


 何故急に兄の話などはじめたのだろうか、レインハイトは首を傾げたが、きっと何か関係のある話なのだろうと考え、黙って続きを待った。


「兄は王位継承権を持った正式な王子です。……本来であれば、兄の王位継承順位は私より高く、次なる王になるのは兄であったはずなのです」


「本来なら……?」


「はい。……この世界に魔法など存在しなければ、私と兄が争う必要などなかったのでしょう」


 アトレイシアは、自らの兄と自身の魔法力について、そして、王子派と王女派の確執についてまですべてを包み隠さずにレインハイトに話した。


「――アスガルド王国では、建国の時より血の継承を重要視してきました。故に、生まれた時から魔法力の低い兄をこのまま次期国王としてもよいのかという議論がなされ、王子派と王女派の戦いが始まったのです」


「……ちょっと待ってください、それじゃあ、さっきの刺客は……」


「ええ、恐らく兄が率いる王子派が差し向けた者たちでしょう」


 そう言って平然と肯定してみせたアトレイシアを、レインハイトは愕然とした表情で見つめることしかできなかった。直接ではないにしろ、実の兄が妹を殺そうとするなど、常人にはそう簡単に受け入れられるような沙汰ではない。


「近頃は命を狙われることはなかったので、私も油断していました。今日はオーレリアが護衛に付けない日だったというのに、安易に外出するべきではなかったのでしょう」


 アトレイシアの護衛を務めるオーレリアは、アトレイシアとは旧知の仲であり、女性の身でありながら王都内でも屈指の実力を持つ纏魔術師(てんまじゅつし)である。事実、彼女が護衛として側につくようになってからは王子派も無闇に手出しをしてくることはなくなり、以前に比べて平穏な生活を送ることができていた。


 しかし、不運にも本日は別の仕事が入ってしまっていたため、オーレリアはアトレイシアの護衛につくことができなかったのだ。そして、王女派でなければ知り得るはずのないその情報がどこかからか漏れてしまったことにより、王都で行われたパーティーに出席したアトレイシアは突如として襲撃者に襲われ、命からがら街中を駆けずり回っていたというわけである。


「レイン……あなたには一度ならず二度までも命を救っていただき、本当に感謝しております」


「やだなあ、そんな他人行儀な言い方しないでくださいよ。前にも言った気がしますけど、俺は当然のことをしたまでです」


 王女として真剣な表情で腰を折るアトレイシアに若干圧倒されつつ、レインハイトは大したことはしていないという風に手を振った。


「感謝の言葉くらいは素直に受け止めてください、でないと私の立つ瀬がありません」


 と、そんな風に絶世の美女に困った顔で上目遣いされては、それ以上意地を張り続けることもできまい。レインハイトは恥ずかしさを誤魔化すように左手の人差し指で頬を掻き、アトレイシアの感謝の言葉を受け取った。


「えーと、じゃあ……どういたしまして」


「ふふ……」


 満足そうに笑顔を浮かべるアトレイシアを直視してしまい、レインハイトは己の顔を更に赤くした。そして、それに比例して頬を掻く人差し指の速度も加速していき、


「え……?」


 ピシリ、と嫌な音が聞こえたかと思うと、次の瞬間には砕けた金属が床に衝突する虚しい音が響いた。レインハイトが慌てて左手を確認すると、親指にはめていた銀の指輪が見事に消失している。


「ぎゃあああ! 今日新調したばっかりの指輪があああ!」


 床に散らばる砕けた元指輪を眺め慌てふためくレインハイトは、何が起きたのか理解できず呆然とするアトレイシアそっちのけで、「くそう、やっぱり『加速(アクセル)』の二重展開は無茶だったか……」などとぶつくさぼやいている。


「……ど、どうされたのですか……?」


「す、すみません。どうやら先程の戦闘で無茶したせいで、触媒の一つが壊れてしまったようでして……」


 そう言って、レインハイトはアトレイシアに自身の左手の甲を見せた。確かに、腕と小指と中指の触媒は健在であるのだが、親指にはめていたものだけが消えている。どうやら、床に落ちた破片がそれだったようだ。


 先程の戦闘という言葉を聞き、思い当たる節があったアトレイシアは非常に興味がそそられ、パッと顔を上げた。


「もしかして、あの魔法を飲み込んでしまう不思議な魔法陣の……?」


 アトレイシアが絶体絶命の状況に陥った際、音もなく現れ、その身を救った青白い魔法陣。あれが現れた時、決まってレインハイトの嵌めている指輪が光り輝いていたのだ、きっと無関係ではあるまい。


「えーっと、それは違う指輪ですね。今壊れてしまったのはアイシャさんを治療した時に使ったものです」


「ああ、あのヘンテコな詠唱の……」


「へ、ヘンテコって……」


 肩を落とし、目に見えて落ち込むレインハイトに「ごめんなさい」と一言謝り、アトレイシアは右腕を治療してもらった時のことを思い出した。確かに、あの時に光っていたのは親指の指輪だったような気がする。


「結局、私を守ってくれたあの魔法はなんだったのですか? 通常の魔法もへ……独特な詠唱方で起動していましたし、よく考えてみれば、刻印魔法が繰り返し使用できているようにも見えました。レインの魔法は、普通の魔道師の使うものとはどれも違っているような気がします」


「う……それは……えーと……」


 アトレイシアにキラキラとした目で迫られ、レインハイトは必死に目を逸らしながら考える。正直に説明すると自身の“異質な魔力”についての説明も避けては通れないため、嘘はつかないまでも、うまく誤魔化す必要があった。


「く、詳しくは機密情報の漏洩になりかねないので説明できないのですが……」


「はい、誓約書に抵触しない範囲の説明で構いませんので」


 国の機密である魔本が蔵書された禁書庫で得た知識は、決して他人に漏らしてはならない。その件を持ちだしてなんとか回避しようとするレインハイトだったが、こうも純真無垢な瞳を向けられると罪悪感で胸が傷んだ。実際のところ、先の戦闘で使用した魔法には、隠さねばならない機密など含まれてはいないのだ。


「では……まず、壊れてしまった親指の触媒に記憶させておいたのは、魔法の高速展開を行うために開発した、『速記魔法(ショート・スペル)』というものです」


「しょーと、すぺる……?」


「はい。……機密情報のため詳しくは言えませんが、わかりやすく説明すると、ルーン詠唱のようにより早く魔法を発動させるための技術です」


 詳しくは、《魔法の門(マジック・ゲート)》内部に保存してある「刻印魔法陣」を即座に『複写(コピー)』・『転写(ペースト)』することにより、本来であれば連続使用が不可能な刻印魔法を繰り返し展開することができるようになるというレインハイト考案のシステムだ。


 無論、ただ単に展開速度だけを突き詰める方法であれば、魔法の世界では既に無詠唱魔法(サイレント・スペル)という素晴らしい技術が確立されている。習得には手間が掛かるものの、一度覚えてしまえば詠唱も無しに魔法を発動できるのだ。単純な速度だけを見れば、極短い単語であれど詠唱を必要とする速記魔法(ショート・スペル)よりも速い魔法発動方法である。


 しかし、詠唱という補助を使用せず魔法を発動させる無詠唱魔法(サイレント・スペル)は、通常の詠唱魔法に比べてかなりの集中力を要求されるという難点も持っている。己の脳裏に焼き付くほどまでに繰り返し詠唱魔法を唱え、通常時の何倍にも意識を研ぎ澄ませることで初めて行使できる高等技術なのだ。


 その一方、レインハイトが使用している速記魔法(ショート・スペル)という方法は、同じく彼が考案した《魔法の門(マジック・ゲート)》という『理から外れた魔力』を使用した術式の補助により、刻印魔法の『複写(コピー)』と『転写(ペースト)』という作業を術者に変わって“自動的に”行うことができるため、無詠唱魔法(サイレント・スペル)に比べ、術者の負担が少ない状態で魔法を発動することができるのである。


「それはすごいですね、是非とも詳細を教えていただきたいところです」


 椅子から立ち上がり、ずんずんと距離を詰めてくるアトレイシアから同じ長さの距離を取りつつ、レインハイトは「き、機密ですから……」と苦しい言い訳を貫いた。

 こうなるのを避けるため、レインハイトはオルスにのみ自身の秘密を教えてあるのだ。


「そうですか……。では、そのショートなんとかというのは置いておいて、あの魔法を飲み込んでしまう不思議な魔法陣について教えて下さい」


 一瞬だけしゅんとうなだれたアトレイシアだったが、すぐに顔を上げ、更にレインハイトに詰め寄った。


「ああ、『異次元空間(ディメンション・ゲート)』のことですか? えーと……うっ」


 レインハイトは新たな言い訳を考えながらアトレイシアから距離を取ろうとしたが、とうとう壁まで追い詰められてしまい、逃げ出すことは叶わぬ状況だ。


「わくわく」


「そ、そんな期待に満ちた目を向けられても……」


 結局のところ、アトレイシアが言っていた通り、レインハイトが使用している魔法は全て『理から外れた魔力』無しでは実現し得ない、通常の魔法とは異なるものである。そのため、レインハイトはアトレイシアに疑問を抱かれぬよう慎重に言葉を選ばなければならないのだ。


「ちょ、距離が近いです。……えーと、あの魔法は無属性魔法の一種、空間魔法を使用した防御用の術式なんです。異次元の空間につながる門を一時的に開き、魔法や飛び道具を空間内に飲み込んでしまうというわけです」


 ほとんど密着と言っていいほどに美少女に迫られて動揺したのか、術式の原理を正直に白状してしまうレインハイト。女性独特の仄かに甘い香りが鼻をくすぐり、顔が赤くなる。


「空間魔法……? 聞いたことがありませんね。ですが、どういった原理の魔法であったのかはなんとなく理解はできました」


「まあ、一般的な自然魔法とは違って、無属性魔法はマイナーなものが多いですからね」


 仕方のない事です、と説明する傍ら、アトレイシアが空間魔法を知らないことに心中でほっと胸を撫で下ろすレインハイト。もしも彼女が無属性魔法に精通などしていようものなら、空間魔法が未だ『魔法化』の完了していない未完成な術式である事を指摘され、余計な言い訳を考えねばならないところであった。


「あの……ものすごく気になるのですが、その空間魔法で飲み込んでしまった魔法やナイフは、一体どこに行ってしまったのですか?」


 確かに、「飲み込む」という表現をしてしまっている以上、虚空へと消えた魔法やナイフが存在ごと消滅してしまったわけではないことは明白であり、ならば、「それは何処に?」という疑問が生まれるのは至極当然である。


「……ひ、秘密です」


 うまい言い訳が思いつかず、非常に苦しい言い逃れをするレインハイト。まさか、『世界の干渉抵抗力』を無視して未だ存在し続ける異次元空間のどこかに保管されているだろうなどと正直に教える訳にもいくまい。


「そうですか……残念です……」


 そう言って心底悲しげに目を伏せるアトレイシアを眺め、レインハイトは大きな罪悪感がナイフとなって自身の胸に突き刺さるのを感じた。


「ごめんなさい、困らせてしまいましたね。大切な指輪が壊れてしまったのだって、私の事情に巻き込んだせいですのに……配慮が足りませんでした」


 自分が興奮してレインハイトを問い詰めていたことにようやく気づいたのだろう。アトレイシアはハッとして頭を下げ、沈痛な面持ちで謝罪を繰り返した。どうやら、その態度が余計にレインハイトの胸をえぐっていることに気付いていないようだ。


「そんなこと、アイシャさんが気にする必要ないですよ。壊れた指輪だって、単価が金貨一枚にも満たない安物ですし。……それに、例え高級品だったとしても、アイシャさんの命に変えられるはずもないじゃないですか。ですから、どうか顔を上げてください」


「レイン……ありがとうございます」


 自分の命に変えられるはずもない。その言葉にひどく感動したアトレイシアは、目を潤ませながらもう一度頭を下げた。しかし、今度は謝罪のためではなく、感謝を表すためのものである。


 レインハイトもそれを理解しているのだろう、今回は顔を上げさせようとはせず、困ったように苦笑を浮かべるだけにとどめていた。


「……そうだわ……、レイン、少し待っていてください」


「へ? あ、はい」


 ようやく顔を上げたかと思えば、何かを思い出したのか、アトレイシアは小走りで部屋の隅へと向かって行った。突然の展開についていけず、レインハイトは、木製の棚をがさごそと漁るアトレイシアを呆然と見つめることしかできない。


「お待たせしました。指輪の代わりになるかはわかりませんが……レイン、これをあなたに差し上げます」


 数十秒ほどで元の位置に戻ってきたアトレイシアは、手にしていた正方形の箱のようなものをレインハイトに差し出した。金属で作られた十センチ四方ほどのその箱は、すべての面に余すことなく精緻な装飾が施されており、見るからに高級感が溢れ出ている。


「何ですか、これ」


 反射的に受け取ってしまったが、中身が何であれ、レインハイトのような小市民にはあまりに似つかわしくない物体であることだけは確かであった。


「あなたに差し上げます。どうぞ、開けてみてください」


「わ、わかりました……」


 指示に従い、取り落としてしまわないよう慎重に箱を開けると、中には美しい黄金の腕輪がしまわれていた。女性の装飾品にしては少し幅広で、レインハイトが装着している触媒用の腕輪と同じようなフォルムである。


「うわぁ……ものすごい値打ちのありそうな腕輪ですね」


「そうですね……恐らく、値段などつけられないような逸品でしょう」


「……え?」


 後半がうまく聞き取れず、僅かに耳を寄せるレインハイト。


「その腕輪は、アスガルド王家に代々伝わる家宝――『宝具(レガリア)』の一つ、《黄金の円環(ドラウプニル)》です」


「……はい?」


 寄せた耳に入ってきたアトレイシアのとんでもない言葉を聞き、きっと自分の聞き間違いだろうと、レインハイトは冷や汗を垂らしながら今一度聞き返した。飛び出してきた固有名詞はどちらも聞き覚えのないものだが、「王家に伝わる家宝」という言葉だけでも、その凄まじさは充分に窺い知れるというものだ。


「すみません、私としたことが……、『宝具(レガリア)』というのは、王権を証明する希少価値の高い魔道具のことを指す言葉です」


「それはそれはどうもご丁寧に……じゃなくて! どうしてそんなものを気安く持ちだして、あまつさえ俺みたいな人間に渡そうとしてるんですか!」


 気でも狂ったんですか、とレインハイトはアトレイシアに詰め寄るが、美しい王女は少しも動じた風はなく、むしろ、「なぜレインはそんなに焦っているのですか」とでも言わんばかりに首を傾げていた。


「《黄金の円環(ドラウプニル)》は、その時代に存在する王族の中で最も魔法力が高いものに託されてきた魔道具なのです。なので、今は私に所有権があります。……それとも、レインには必要ありませんか……?」


「ほしいですけど! 喉から手が出るくらいほしいですけど!」


 銀という耐久性の低い触媒を使用しているレインハイトにとって、銀よりも魔力と相性のいい金製の触媒は非常に魅力的であり、それはもうタダでくれると言われればすぐに飛びつきたいような代物である。しかし、現在手の中にある腕輪は王家に伝わる『宝具(レガリア)』とやらなのだ。物怖じしてしまうのも無理は無いことだろう。


「なら良いではありませんか。どうぞ受け取ってください」


「いやいやいや……まあ、金製の腕輪なら仕事をしてお金を貯めたらなんとか手が届きそうな気もしますし、ここは遠慮しておこうかと……」


 確かに金は銀よりも価値が高く値段も張るが、しかし、白金(プラチナ)よりは希少価値が低い金属であり、王都にも少量なら出回っているはずなのだ。


「金製? いえ、その腕輪は金製ではありませんよ」


 しかし、どこからどう見ても金で作られているように見える腕輪を眺め、アトレイシアはそんなことを言い出した。


「へ? ……じゃあ何で出来てるっていうんですか?」


 もしかしたら、表面が金でコーティングされた別の金属なのだろうか、とレインハイトは軽い気持ちで問いを返したが、しかし、次にアトレイシアから返された返答は、その予想の遥か上を行くとんでもないものであった。


「見た目は金と似ているためそう思われるのも仕方ないのですが、その透き通った金色の腕輪は、灰輝鉱(ミスリル)よりも希少価値の高い、『金剛鉱(アダマンタイト)』という魔鉱石で作られたもので、どれほどの魔力を込めても決して壊れることはないと言い伝えられています。……レインを軽んじているわけではないですが、恐らく、普通に働いても一生手に届かない程の価値があるのではないでしょうか」


「……ふぁっ!? ……あ」


 今度こそ完全に理解を超えた情報を突き付けられたレインハイトは、驚きのあまり素っ頓狂な声を上げると、その手に持っていたモノを床に落とした。

 次の瞬間、豪奢な部屋に乾いた音が鳴り響き、真っ二つになった箱を眺めるレインハイトの世界はたっぷりと数秒間停止した。


「……わぁああああああっ! 壊れた! 弁償! 借金! 破産! 死刑!」


「お、落ち着いてください! 箱は壊れてしまいましたが、中身は無事ですよ!」


 涙目になりながら半狂乱で叫ぶレインハイトの両肩を掴み、アトレイシアは床に落ちた黄金の腕輪を指差した。彼女の言う通り本体には傷一つなく、部屋の照明を反射して美しく輝いている。確かに、よく見てみれば通常の金とは違い、薄く透き通った不思議な材質であった。


「よ、よかった……じゃあ……死刑にはなりませんか……?」


「なりません。安心してください」


「はああああ……」


 盛大なため息とともに、力なく床に膝をつくレインハイト。今の一瞬で数年ばかり寿命が縮まった思いであった。


金剛鉱(アダマンタイト)かあ……そんなすごいもの、本気でタダでくれるつもりだったんですか? 確かにほしいですけど……本当は、代わりに何か要求するつもりだったんじゃ……」


「あら、バレてしまいましたか?」


 いつぞやと同じように、アトレイシアは悪巧みがバレてしまった幼い少女のように、無邪気に微笑んだ。しかし、それもつかの間、すぐにその笑みを引っ込めると、今度は少し悄然とした憂い顔に変化した。


「ですが……それはもうやめることにしました。命を救ってもらったというのに、それ以上をレインに求めるのは強欲が過ぎるというものです」


 そう言って残念そうに俯くアトレイシアを見て、レインハイトは、彼女が自分に何を頼もうとしたのかなんとなくわかってしまった。


「アイシャさん――」


 だから、レインハイトは俯くアトレイシアに声をかけ、上がった顔を真っ直ぐに見つめると、


「僕はあの時よりも強くなりましたから、もう誰にも負けません。……ですから、なにか困ってる事があるのなら、遠慮なく頼ってくれていいんですよ?」


 アトレイシアと初めて出会ったあの日。結果的に生き残れたとはいえ、レインハイトはあの憎き赤髪の殺し屋、ヴィンセントに《血の十字架(ブラッド・クロス)》という力を奪われ、家族であるシエルを傷つけられ、守りたかったアトレイシアを殺されかけた。レインハイトの過ごしたこの一年半は、あの日に味わった理不尽を振り払うためだけに費やされたと言っても過言ではない。


 全ては、自分と周囲の大切な人たちを守るため。それを果たすために、レインハイトは力を求め、そして、『魔法の門』という強力な武器を手に入れたのだ。その力を、アトレイシアという大切な人のために振るえるというのなら、喜んで協力しようと思えた。


「でも……」


 それでもと、関係のない人間を巻き込まんとする心優しい王女の心を動かすため、レインハイトは足元に転がったままの《黄金の円環(ドラウプニル)》を拾い上げ、逡巡する少女の目の前につきつけた。


「もうこの腕輪は受け取ってしまいました。……今ここで何も言わなかったら、大切な家宝を俺みたいな小物に無償で提供してしまうことになっちゃいますよ」


 先程まで宝具(レガリア)を前に尻込みしていたレインハイトだったが、思い悩むアトレイシアを見てそんなことなど気にならなくなったのか、もうこれは自分のものであると示すように黄金の腕輪を自らの左手首に着け、代わりに今まで嵌めていた銀の腕輪を取り外した。


 それを見て焦ったわけではないだろうが、アトレイシアは観念したかのように一度息をつくと、おずおずと言葉を発し始めた。


「私は……私たち王女派は今、窮地に陥っています。ここまま時が経てば、私はいずれ王子派の手によって命を絶たれることになるでしょう。一度は諦めたこの命ですが、私を支持してくれる民のためにも、こんな私を支えてくれる王女派のみんなのためにも、……二度にわたって命を救ってくれたレインのためにも、私はここで終わるわけにはいきません。……ですから――」


 アトレイシアはそこで一度言葉を切り、不安げな瞳でレインハイトを見つめ、言った。



「――レイン、私の騎士になってくれませんか?」



 波乱の、幕開けだった。



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