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レインハイトと魔法の門  作者: アマノリク
第二章 〜理から外れし者〜
36/64

救世主再臨

 それから数分間、身も心も傷ついて満身創痍になりながらも、少女は一度も膝をつくことなく走り続けていた。


「……? ……誰か来る」


 その時、現在位置から数十メイル先の曲がり角から一つの人影が現れた。

 もしや先回りされたのではないか。少女はその場で一時停止し、相手の出方を窺った。周囲に身を隠せるような場所はなく、少女にはその場でただ立ちすくむ以外の選択肢はない。


 全身が緊張で硬直し、背筋には嫌な汗が湧き上がる。脳内では、もしも人影が襲いかかってきた場合にどう行動すべきかという会議が開かれ、様々な案が浮かんでは消えていく。


 しかし、少女がいくら睨みつけたところで人影に変化はなく、結局、数秒が経過しても一定の速度で歩いてくるだけであった。


「……ふぅ」


 どうやら早とちりだったようだ。きっと裏路地を使って近道をしようとする一般市民なのだろう。緊張が途切れた少女は大きく息をつくと、深呼吸を数回して息と気持ちを整え、再び走りだした。あともう少しだけ頑張れば、表通りはすぐそこである。


 あの襲撃者たちはあくまで自分の暗殺にこだわっているため、たとえ姿を見られたとて無闇に一般市民を殺すような真似はしないはずだ。きっとすれ違っても問題はないだろう。


 それに、残念ながら今は自分の命を守ることだけで精一杯なのだ。直接引き返すよう説得するような時間は残されていまい。


「あっ……」


 と、前方からくる人影とすれ違うかという瞬間。カクン、と少女の脚から力が抜け、体勢が崩れた。本人は一切気が付かなかったようだが、とうとう肉体が限界を迎えたのだ。


「うわっ」


 急に少女が倒れそうになったのに驚き、ごく近くにいた人影は反射的にその体を支えに入った。その際に人影から漏れ出た声は、十代前半の少年が発するような若々しいもので、きっとその容姿もそれに伴うような風貌であるだろうということが窺える。


「あの、大丈夫ですか……?」


「ごめんなさい……大丈夫です」


 気遣わしげな声が頭上から降ってくるが、少女は顔を上げる事はせず、素顔を見られぬよう俯いて返答をした。少女はこの街では広く顔が知れ渡っている人間であるため、安易に素顔を晒すような真似は極力避けているのだ。


「かなり消耗しているように見えますが、本当に大丈夫ですか? ……お腹が空いてるなら、少しくらいなら用意できますけど」


「いえ、私は大丈夫ですから、お構いなく」


 やけに親切な少年だなと内心で少し感心しつつ、少女はやんわりとその申し出を断った。確かに自分は現在精神的にも肉体的にもかなり消耗しており、お腹だって空いているが、今はそんなことに構っている場合ではないのだ。


「いや、そんなこと言ったって現にふらふらじゃ……」


 言いかけて、少年はふと自分の左手に妙な感触を感じ、そちらに目を移した。赤黒い粘性のある液体がべっとりと付着したそれは、先程まで少女の右肩の辺りを支えていた手で……、


「……血……? ……おい! あんた怪我してるじゃないか!」


 少女の右腕にある刀傷を認め、少年は血相を変えて少女に詰め寄った。傷はかなり深く、素人目にもろくに手当していないことがすぐに判断できる。止血すらしていないことから見て、まだ斬られてからさほど時間が経っていないのだろう。


「これは……いえ、あなたには関係のないことです。私になんか構わずに、早く行ってください」


「そんなわけにいくか! ちょっと待ってろ……治癒魔法はあんまり得意じゃないけど、何もしないよりはマシだろ」


「ちょっと、傷の手当ぐらい自分でできます。でも私は今急いでて……」


「うるせぇ、黙ってそこに座れ」


「うるっ……!? ……あの、いいから離して……」


 今はこんな所で足を止めている余裕はないのだが、抵抗しようとしても少女より背丈の低い少年の力は存外強く、体力が落ちた今では到底逃れることはできなかった。仕方なく少女はその場で膝を折り、地面に座り込む。


「動くなよ……『呼出(コール)』――Recovery(リカバリー)−02」


 何ですかそのヘンテコな詠唱は、と少女は突っ込もうとしたのだが、しかし、それよりも先に変化が起きた。


 右肩の傷口に当てられている少年の左手、その親指に装着している銀色の触媒が淡く輝きを放ったかと思うと、次の瞬間には治癒魔法のものだと思われる魔法陣が瞬く間に構築された。詠唱らしい詠唱もしていないというのに、恐るべき展開速度である。


「えっ……? ……今、何を……」


「中級の治癒魔法。専門じゃないから術式の規模に比べて効果は薄いけど、止血と応急処置の代わりくらいにはなるはずだ」


「そういうことを聞いてるのではなくて! ……というか、普通に会話していますけど、魔法の制御はしなくてもいいのですか……?」


 基本的に一度放ったらそれで終わりという攻撃魔法とは違い、治癒魔法は傷の治療が完了するまで継続的に制御し続けなくてはならず、場合によっては世界の干渉抵抗力によって術式が消滅することもあるため、常に集中していなければならない厄介な魔法なのだ。


 それ故に治癒魔法は比較的難度が高い魔法とされているのだが、しかし、この少年は特に術の制御に追われている風もなく、平然と会話を成立させている。自然魔法よりも治癒魔法が得意だと自負する少女にさえ、さすがにこのような芸当を披露することは不可能であった。


 ただ、それを実際に間近で見ている少女としては、この少年が驚異的な処理能力で魔法を制御しつつ会話を同時並行的に成立させているとはとても思えなかった。そのようなすさまじい技術を扱える魔道師など滅多に存在しないだろうし、それがこのような少年に可能だとはどうしても信じることができないのである。


 もはや余裕とも取れるその様は、まるで魔法の制御自体を“何か別のもの”にすべて任せ切ってしまっているかのようなある種の安定感さえ感じさせてくる。無論、そんなものは実現することのできぬ絵空事なのだろうが。


「ああ……もともと俺は制御が苦手なんで」


「苦手って……現にこうしてきちんと術を制御できているではないですか」


 少女は呆れながら自身の右肩で回転する魔法陣を眺め、既に痛みがかなり引いてきていることに気づいた。確かに中級の治癒魔法にしては回復速度が遅い気がするが、誤差の範囲に収まる程度の違いでしかないだろう。


「まあ、できてるといえばできてるんですけど……。いや、そんなことより、痛みは引いてきましたか? 見たところ血はもう止まったようですが」


「え? ああはい、もう大丈夫です。……その……治療していただき、ありがとうございました。では、私は先を急ぐ身ですので、この辺りで失礼させていただきます」


 そうだ、こんなところで悠長にはしていられない。自らが置かれた状況を思い出した少女はやや乱雑に少年にお礼と別れを告げ、その場を後にしようとした。しかし、


「……離してください」


 横をすり抜けて走りだそうとした瞬間、何故か少年に左手を掴まれたのだった。


「それは無理です」


「なっ!? どうして……」


 何故だ、と問おうとしたところで、少女は少年が何を欲しているのかを察した。要するに、見返りを要求しているのだ。


 考えてみれば当然だろう。あれほどの治癒魔法の使い手なのだ、タダで処置をしてもらうなどという虫のいい話が通るはずもない。


「わかりました。今は持ち合わせがないので、謝礼をお求めでしたら後日王城にいらして……」


 と、少女はそこまで言いかけて、そう言えばこの少年の顔を一度も確認していなかったなと気付いた。謝礼をするのに相手の顔が分からないなどという事態に陥らないためにも、人相くらいは記憶しておかねばなるまい。


 しかし、少年の顔を確認しようと目を上げた少女の耳には、想像とは完全に真逆の言葉が降ってきた。


「は? いや、謝礼なんていらないですよ。俺が勝手にやったことですし」


 少年は至極当然とばかりにそう言い放ち、ぽかんとした表情で見上げてくる少女から少し恥ずかしそうに目を逸らしながら、困ったように後頭部を片手で掻きつつ、続けて言った。


「……ただ、自分でもどうしてかわからないんですが、あなたを見てると何故か放っておけない気分になってしまうんです」


 まあ、余計なお世話かも知れないですけど、と頬を掻きながら照れ隠しする黒髪の少年の横顔を見つめながら、少女は信じられないものを見たかのように口を手で覆い、震える声でつぶやいた。


「嘘……レイン……」


 かつて自分の命を救ってくれた少年が、もう一度会いたいと幾度も求め叫んだ想い人が、何故か今、目の前に立っていた。


 特徴的な黒髪に赤黒い瞳、中性的な顔立ちに、男性にしては低い背丈と華奢な体つき。その姿は一年以上前に出会った時とあまり変わっておらず、何度も胸で思い描いたそれを見間違えるはずもない。


 今、自分の眼の前に居るこの少年は、正真正銘、レインハイトだ。


「え? どうして俺の名前を――」


 唐突に名乗ってもいない自身の名が少女の口から呟かれたことに驚き、レインハイトがそのフードの奥に隠された少女の素顔を覗き込もうとした瞬間、


「我が契約に従い、炎の精霊よ、燃え滾る業火を撃ち放て――『火球(ファイヤー・ボール)』!」


 それを遮るかのように、突如として虚空から業火の球が放たれた。


「レイン! 逃げてッ!」


 自分でも驚くほど、その時の少女の体は軽やかに動いた。

 少女は、まるで事前にそうすることを決めていたかのように掴まれていたレインハイトの手を振りほどくと、すさまじい速度で迫ってくる魔法の直線上に移動し、全身を使って彼をかばうように火球の前に立ちはだかった。


(ああ……この最後なら……納得できる……)


 空気を燃やし、その形を不規則に歪めながら迫り来る死の炎を真っ直ぐに見つめ、少女はどこか満たされたような気分でその時を待った。


 命を張って自分を救ってくれた少年に、今度はこちらの命を使って恩返しをする。絶望を抱いたまま死ぬ運命に比べたら、なんて幸せな最後なのだろう。この命は無駄にはならず、彼の中で永遠に生き続けるのだ。


 一度たりとも同じ形を取らず、絶えず変形する炎の球、その奥には、勝ち誇った笑みを浮かべる魔道師の姿。先程自分の演技に騙されたためか、その隣に立つ傭兵の男は憤怒の瞳でこちらを睨んでいる。


 何もかもがスローになった世界で、少女の胸に溢れてきたのは、ただひたすらに“満足感”ばかりであった。自分の死に場所はここなのだと、全身の細胞が未だかつてないほどに沸き立ち、目前の死を受け入れている。


 恐怖がないわけでもなく、未練がないわけでもない。できることなら、もう一度あの少年と顔を合わせ、他愛のない話をしてみたいと思う自分がいるのも確かだ。だが、自分の命が彼の命をつなぐために使われるというのなら、この死は納得ができた。


 もう火球はかなり近くにまで迫ってきている。距離は約十メイル程だろうか。恐らくは、あと一秒もかからぬうちに直撃するだろう。願わくば、受け止めきれなかった余波がレインハイトに降りかからなければよいのだが。



(……? 何が……)



 しかし、次の瞬間。正面で火球を睨む少女の眼前で、極々僅かな変調が起きた。それは、全てが引き伸ばされた世界を見ることができている少女にしか捉えることのできぬ現象であり、まさしく神秘であった。


(どうして……? 目の前に……魔法陣が展開されていく……)


 ゆっくりと、一定の速度で徐々に構築されていく青白い光の線は、やがて複雑な魔法陣を成し、より強く瞬いた。死に瀕しスローとなった今の視覚がなければ、きっと認識することすら不可能な展開速度であろう。まるで人間業ではない、まさに神の所業とでも言うべき現象であった。


 だが、異変はそれだけでとどまることはない。少女を燃やし、焼き、蹂躙するはずであった火球がその青い魔法陣に接触した瞬間、まるで最初から存在していなかったのではないかと感じられるほどに、痕跡すら残さずあっさりと青白い魔法陣に“飲み込まれて”しまったのだ。


 最強の攻撃魔法であるはずの『自然魔法』をいとも容易く無効化してしまったこの魔法は、いったい誰の手によって行使されたものなのだろうか。もしや、本当にこの世界に神というものが存在して、自分に手を貸してくれたとでも言うのか。少女は胸中で居るとも知れぬ神に問いかけるが、当然返事などあるはずもない。


 そして、混乱する少女に取り合うことはなく、世界は再び通常の速度を取り戻した。


「おいおい……人に向かっていきなり魔法をぶっ放すとは、とんだご挨拶じゃないか。一体どういう了見なんだ、あんたら」


 少女が気付いた時には、背後にいる自分を守るように左腕をかざし、知らぬうちに自身の前に踊り出たレインハイトの姿が目の前にあった。


 そして、少女は気付く。レインハイトの左手に嵌められた三つの指輪のうち、中指と小指の二つが光り輝いていることに。


「レイン……」


 かつてと同じく、直接向けられているわけでもないのにビリビリと肌を刺激する強い殺気を放つ黒髪の少年の姿を見つめ、今の魔法は彼が使用したものなのだろうと、少女は直感的に理解した。


「……どういうことだ? 魔法が……消えた……?」


「何だ、あのチビは。ガキのくせにすげえ殺気を放ちやがる」


 今起こった現象を理解できなかったのだろう。襲撃者の二人はそろって困惑の表情を浮かべ、唐突に現れた少年を警戒して身構えた。


「どういうつもりだって聞いてんだろうが。さっさと答えろ、事と次第によっちゃ俺も“手”を出すぜ」


 対し、レインハイトはあくまで怜悧に、冷徹に静かな怒りを放つ。年若い少年のものであるはずなのに、その声には、聞く者に本能的な恐怖を感じさせる威圧感のようなものが含まれていた。


「……私達の狙いは君の後ろにいる人物だ。君に危害を加えるつもりはなかった、すまない」


 そう言うと、意外にも魔法を放った張本人である魔道師の男は謝罪してみせた。


「ふーん……ったく、俺はつくづく殺し屋に狙われる人に縁があるみたいだな……」


「……なにか言ったか?」


「いや、こっちの話」


 ゆっくりと歩み寄ってくる魔道師の男に適当に返答し、レインハイトは背後にいる少女に視線を向けた。何故か気まずそうに俯いているのだが、何かあったのだろうか。


「では、そいつをこちらに渡してもらおうか」


「……なあ、この人はいったい何をしたんだ? 命を狙われるからにはそれなりの理由があるんだろ?」


「それを君が知ってどうする? 所詮、行きずりの相手だろう」


「駄目だ、俺が納得できない限り、この人を引き渡すつもりはない」


 そのレインハイトの堂々とした聞き分けの無さに、魔道師の男は面倒臭そうに顔を顰めた。


「おいクソガキ、さっきから黙って聞いてりゃふざけたことを……」


「待て。……いい、理由を話そう」


 レインハイトの態度が気に入らなかったのか、剣を持った男が一歩踏み出したが、魔道師の男がそれを止めた。恐らく、未だ未知数なレインハイトの実力を警戒しているのだろう。距離を十メイル以上は取っていることから見て、魔道師の男はかなり注意深い人物らしい。


「その女は私の所属する組織から貴重な魔道書を盗んだため、暗殺の指令が下されたのだ。これでご納得いただけたかな?」


「なるほど、魔道書を奪い返したところで、それを読んで得た知識が消えるわけじゃない。だから情報の流出を防ぐために殺すってわけか。確かに、筋は通ってるな」


 魔道師の男の説明に、納得したかのような反応を返すレインハイト。

 しかし、それは違う、私はそんなことをした覚えはない、と焦った少女が身の潔白を主張しようとしたその時、


「――だけど、それ嘘だろ」


 何もかも見通していると言わんばかりに、レインハイトから底冷えするような冷たい声が放たれた。


「……い、いったい何を根拠に――」


「ほらやっぱり。……呼吸、脈拍、発汗量、脳波、放出される魔力。どれも動揺を示してる。おまけに視線まで泳いでるし……あんた、嘘つくの下手だね」


 レインハイトは、自身の左手首にある腕輪から出力されている光る板のようなものを眺め、続けて、


「図星か? ……まあ、これはまだ試作段階の術式だし、対象に直接触れてもいないから多少の誤差はあると思うけど」


 と狼狽える魔道師の男に淡々と告げた。


 気になった少女が背後から覗き込んでみると、腕輪から放たれている光る板にはいくつもの数値や波線などが表示されており、それぞれが個別に変動し続けていた。どのような原理で測定しているのかはさっぱり分からないが、どうやらこれらが魔道師の男の脈拍や脳波とやらを示しているらしい。光る小指の指輪が関係しているのだろうか。


「えっと……そっちのあんたはあんまり驚いてないみたいだな。……判断が難しいが、『やっぱりか』って納得してる感じか? その様子だと、本当の理由は聞かされてないみたいだ」


 今度は傭兵に目を向け、レインハイトは観測結果から推測した自らの所見を告げた。


「……ほお、すげえなお前。他人の考えてることが分かんのかよ?」


「正確性に少し難があるけど、だいたいそんな感じかな」


 激しい動揺のせいで返答することができない魔道師の男とは反対に、傭兵の男はあっけらかんとした調子で声を返した。その返答からは、暗にレインハイトの予想を肯定していることが窺える。


「ま、待て! 確かに俺は嘘をついたが、その女に罪があるのも事実だ!」


 自分にとって良くない流れだと察したのだろう。魔道師の男は少し大きな声で強引に会話に割り込んだ。


「へえ……参考までに聞かせてもらうけど、その罪ってのはどんなものなんだ?」


「その女は我々に……いや、この国にとって邪魔な人間なのだ。つまり、その女は存在そのものが罪であり、速やかに排除しなければ――」


「わかった、もういい。もう……黙れ」


 低い声と同時、レインハイトから爆発的な殺気が放たれた。襲撃者の二人は揃って口をつぐみ、即座に武器を取って身構える。


「何故だ? 私は真実を述べただろう」


「ああ、あんたが本気でこの人の存在そのものが罪だって言ってるのは分かった」


 解析された肉体の情報から見ても、魔道師の男が嘘をついていないことは明らかだった。故に、レインハイトは男の発言を肯定する。


「なら――」


「――だから俺の返事はこうだ。……この人は絶対に、お前らなんかには渡さない」


 その上で、レインハイトは言い放った。


 存在自体が罪。そんな馬鹿げた理由で一人の少女が殺されることなど、到底看過できるはずもない。


 当然だ。そのような理不尽を払いのけるために、彼は強さを求めたのだから。


「……まあ、どちらにせよ口封じの為に殺すつもりだったのだ。この国の未来の為に、貴様等二人には死んでもらうとしよう」


「俺は国だのなんだのには興味はねえが、これが仕事なんでな。……悪く思うなよ」


 これで完全に交渉は決裂だ。魔道師と傭兵はそれぞれ杖と剣を構え、戦闘態勢に入る。


 二対一である上に、後ろに守らなければならない人間がいる以上、レインハイトのほうが圧倒的に不利な状況だ。しかし、当の本人には恐怖も不安も一切存在せず、ただ静かな怒りが燃えているだけであった。


「……その前に一つ聞いておくが」


「あ?」


 身体中から魔力を滾らせつつ、レインハイトは最後の問いかけを行う。



「お前ら、死ぬ覚悟はできてるんだろうな?」



 ゾクリと、それを問われているわけでもないのに、背後で傍観していた少女の全身が粟立った。


 襲撃者たちの返答を待たず、赤さを増した両の瞳に殺意を宿した鬼が、己の前に立ちはだかる二人の人間に向かって悠々と一歩を踏み出す。そして、それが開戦の合図となった。


「『炎槍(フレイム・ランス)』!」


 次の瞬間、口元を歪めた魔道師の男の手によって、レインハイトの眼前に突如として火炎の槍が発現した。


 肉体を強化することができる纏魔術師にすら回避が困難な、詠唱を必要としない魔道師最速の魔法。恐らく、これがあの魔道師の隠し球というやつなのだろう。


無詠唱魔法(サイレント・スペル)!? レイン!」


 驚愕に目を見開いた少女は、自分を守るように背中を向け、その場を微動だにしない少年の名を叫んだ。彼は凄まじい纏魔術の使い手だったはずだが、後ろに自分がいるせいで、回避という選択肢を取ることができないのだ。


 この短時間でレインハイトという少年の性質を理解し、これ以上ない瞬間にその急所を的確に突くような攻撃を行う。あの男は、間違いなく優れた魔道師であると言えるだろう。


 しかし、最後の最後まで迷惑をかけてしまったと、少女が後悔を抱きつつ目を閉じようとした、次の瞬間、



「『異次元空間(ディメンション・ゲート)』」



 レインハイトの声とともに、またしてもあの青白い光が、少女の目の先で踊り、輝いた。


 無詠唱魔法(サイレント・スペル)すら凌駕するほどの圧倒的速度で描かれた魔法陣は、燃え盛る炎の槍とレインハイトを遮る正確な位置に立ちはだかり、突き進む火炎をまるごと飲み込んだ。


 まるで、意思を持った魔法陣が自ら主人の危機を救ったかのようだ。今一度己の前で繰り広げられた奇跡を目にした少女は、呆然とした思考の中で、ふとそんな感想を抱いた。


「チッ! 厄介な術を使いやがって!」


 忌々しそうに叫んだ傭兵は、自らの懐から取り出したナイフを素早く投擲した。狙いはレインハイトではなく、その後ろにいる少女の首だ。

 しかし、風を切り、少女の喉元をかっ食らおうと迫るナイフは、疾風のごとく再び現れた青白い光にあえなく飲み込まれ、魔法陣の消失とともに世界から完全に姿を消した。


 その結末を半ば確信していた少女は、先程のように焦燥して声を上げることもなく、ただ淑やかに手を組み、レインハイトの姿を信頼の眼で見つめ続けていた。そこに言葉は必要なく、一度まぶたを閉じれば、あの小さくて大きな背中に自分の想いが届いたような気さえしてくる。


「クソッ! 魔法じゃなくても関係ないのか!? 反則だろ! ……おい! てめえもなんかやれよ!」


 ナイフによる物理的な攻撃さえ通じなかったことに焦る傭兵は、呆けたまま立ちすくむ魔道師の男に苛立ちをぶつけた。


「わ、わかっている! ……いったいなんなんだ、あの魔法陣は……ッ!」


 そんな襲撃者たちを尻目に、レインハイトは首を回して背後の少女に目を向け、フードの奥から覗く碧眼を射抜いた。自然、少女もそれに気づき、無言のまま言葉を待つ。


「……アイシャさん――」


 レインハイトの口から自分の名が飛び出してきたことに、少女は不思議と驚きを感じなかった。ただ、やはり自分の想いは伝わっていたのだという確信を得たことで、その美しい瞳には暖かな涙が伝う。


 安心させようとしたのか、そんな少女に向けて一瞬だけ笑みを見せたレインハイトは、再び前を向き、


「――俺を信じて、待っていてください」


 端的に、しかし力強くそう告げた。


「はい……っ!」


 数秒と待たず返ってきた返答に今一度笑みを浮かべ、レインハイトは襲撃者たちに目を向けた。眼前には、彼等が放ったであろう炎の槍とナイフが迫る。

 だが、その襲い来る脅威に対し、レインハイトが回避や防御を考える必要はない。


 何故なら、そこは既に『観測法陣(オブザーバー)』の“領域内”なのだから。


「…………」


 目を瞑り、攻撃の回避を放棄したレインハイトへと炎の槍と鉄の刃が肉薄する。あと数瞬経てば、彼の胸にはナイフが突き立ち、業火によって全身が焼き焦がされることだろう。

 しかし、少年の目の前の現実は、決してその結末をたどることはなかった。


 まるで世界からその身を守護されているかのように、魔法だろうと、物質だろうと、レインハイトに害をなすものは全て彗星のごとく現れる魔法陣に吸い込まれ、彼に到達することができないまま空間から姿を消した。


「クソッ……! お前、魔道師なんだろ!? ありゃいったい何がどうなってやがんだ!」


「わかるものか! ……あり得ない……俺は夢でも見ているのか……?」


 二度目の攻撃すらも無効化されてしまった襲撃者たちは、正面に立つレインハイトを呆然と眺めることしかできなかった。


「『呼出(コール)』――Assist(アシスト)−01――」


 少女を治療する際にも使用した独特な詠唱によって、レインハイトの親指の触媒が光を放ち、彼の足元には重なり合う二つの白い魔法陣が現れた。


「――『二重加速(ダブル・アクセル)』」


 一つの魔法陣が術者を強引に加速し、もう一つの魔法陣が術者の慣性を増減させる。

 そして、次の瞬間、襲撃者たちの前からレインハイトの姿が消えた。


「なッ!? 消え……!?」


「どこに――」


 直後、動揺で頭の回らなくなった男たちの耳に、どこからともなく少年の声が届いた。


「後ろだ」


 それと同時、横に並んでいた襲撃者たちの後頭部に、背後に回ったレインハイトの腕が迫った。両の手のひらでそれぞれ等速回転する二つの紫色の魔法陣は、対象から魔力を奪う『吸魔(ドレイン)』のものだ。


「ぐ……畜生……」


「……力……が……」


 急激に魔力が吸い上げられたことにより襲撃者たちの全身から力が抜けていき、立っていることすらままならず、前のめりにバランスを崩す。


「とりあえず、床でも舐めて反省しろ」


 そこへ、追い打ちを掛けるようにレインハイトが体重を掛け、彼等の顔面を容赦なく硬質な地面へと叩きつけた。ろくに抵抗もできず、ゴシャ、という痛々しい音を発し、二人はそれきりぴくりとも動かなくなる。


「ふぅ……もう安心していいですよ、アイシャさん」


 そう言って柔らかな笑みを浮かべる少年に、感極まった少女は全力で駆け、その胸に飛び込んだ。


「会いたかった! レインっ!」



 こうして、絶体絶命だと思われた少女の逃走劇は、彼女が偶然出くわしたたった一人の少年の手によってあっさりと覆され、無事一件落着となったのだった。

これにて第二章は終了になります。いかがでしたでしょうか?

よろしければ、しおりや感想、評価をつけていただけると嬉しいです。

それでは、引き続き第三章をお楽しみください。

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