本当の動機
◇
レインハイトの運が良かったというべきか、それとも彼等に運がなかったというべきか、どうやら魔法は全員に命中したらしい。
『麻痺』は下級魔法だが、しかし、レインハイトの強力な魔法力に底上げされたためか、その威力は、どう見てもその範疇には収まらないような甚大なものであった。
レインハイトは、痺れによってびくんびくんと不規則に体を揺らす親衛隊の面々の顔をしゃがみこんで確認しながら歩き、今回起きた事件の黒幕であるコルローネを探した。
その際、いつ彼等の痺れが解けて動き出すかわからないため、地面に転がる会員達から『吸魔』で魔力を奪っておくことも忘れない。こうしておけば、仮に体が動かせるようになったとしても、背後から魔法を放たれるようなことは起こらないだろう。
「見つけた」
一番奥の方に倒れこんでいるコルローネを発見し、レインハイトは会員達の魔力を奪いながらそちらに向かっていった。
「……くそっ! ……あれだけ綿密に計画を進めてきたのに、まさか負けるだなんて……!」
レインハイトが側にたどり着くなり、地面に仰向けに倒れながら、コルローネは悔しげにそう漏らした。
倒れている会員達はそのほとんどが電撃のショックで気絶してしまっていたが、彼の意識ははっきりしているようだ。
あのふくよかな腹周りの脂肪が電撃を防御したのだろうか、などとレインハイトの心中には失礼極まりない思いがよぎったが、空気を読んだのか、それを口にすることはなかった。
「……ってか、纏魔術が使える上に強力な魔法力まであるのは反則だろ……あんな芸当、『八脚』レベルの魔道師でもなかなかできないだろうに」
レインハイトに負けたのがよほど悔しいのか、コルローネは恨み言を吐き続けた。「あんな芸当」とは、恐らくレインハイトが、たった一人で彼等全員が放った魔法に耐え切る魔法を生み出した事を指しているのだろう。
「今更そんな態度を取っても許しませんよ」
それを命乞いとでも取ったのか、レインハイトは冷たい目でコルローネを見下ろした。
「別にそんなつもりはねえよ! ……ったく、いちいち癇に障る奴だな!」
やはり身動きがとれないのだろう。コルローネは今にも起き上がって殴りかからんまでに喚いたが、その四肢は本人の意志に反し、動こうとはしない。
雷属性の魔法は構築するのも制御するのも難しいとされるが、それ故に、使用することができた際に生まれる効果も、それ相応に大きかったというところか。
「ふむ、ではあなたは何も反省していないということですか?」
「ああ、してないね! 元を正せば“僕ら”の逆鱗に触れたのはそっちだ! むしろこっちが謝ってもらいたいくらいさ!」
レインハイトの問いに対し、開き直ったコルローネはいけしゃあしゃあとそんなことを言い出した。
「何を言い出すかと思えば……」
話にならない。レインハイトは喚き散らすコルローネを眺め、静かに嘆息する。
やはり対話での解決は諦めようと考え、レインハイトはコルローネに更に近付いた。
「まあ、それはいいや。……そんなことより、あなたはどうすれば思い知ってくれるんですかね? この前みたく足を砕いたくらいじゃわかってくれないんでしょうし……はぁ……面倒だなあ……」
そもそも、コルローネは自分に足を砕かれた恨みの復讐の為にこうして襲ってきたのだ。あの時のように中途半端に痛めつけただけでは、さらなる復讐の火種を悪戯に作り出す羽目になるだろう。
いったいどうしたものかと悩むレインハイトは、組んだ自身の左腕を右手の人差指で苛立ったように叩き始めた。
そう、レインハイトはコルローネが復讐に至った“本当の動機”を知らないのだ。
「ちょっ、え!? い、いままた足を砕くって言ったか!? ……そ、そりゃあ不意打ちで奇襲されて苛立つのはわかるけど……てっきりこのまま解放される展開かと……いや、でもそれは都合が良すぎか……」
そのため、だんだんと尻すぼみになりながら悄然としていくコルローネに、レインハイトはどこか肩透かしを食らった気分になった。当のコルローネと言えば、レインハイトに隠そうともせず恐怖の表情を浮かべ、顔面から脂汗を滴らせている。
レインハイトとしては、「僕は何をされようと貴様への復讐を諦めないぞ!」くらいの返答を予想していたのだが、これが演技でもない限り、彼にもうその気はなさそうだ。
「……もう一度聞きますけど、あなたはどうすれば“あの時の右足の恨み”を忘れてくれるんですか? ……とりあえず、右足の次は右手あたりがいいでしょうか?」
理由は分からないが、コルローネが意気消沈気味なのであればこちらにとって都合がいい。今のうちに畳み掛けようと考えたレインハイトは、容赦なく投げ出されたコルローネの右手を踏みつけ、ぐりぐりと体重をかけながら捻った。
「ぎいぃッ!? み、右足の恨み!? いやいや、いやいやいや! ぼっ、僕はもうその件は気にしてない! 痛い痛い! 反省してます! 反省してますからやめてください!」
当然のことながら、体が痺れていたとしても痛覚は無くならない。コルローネは自身の右手に走る激痛にあっさりと屈し、先程までの強硬な態度を崩した。
しかし、コルローネの熱心な復讐心が本当に「右足の恨み」から来ているものではないと知らないレインハイトには、当然彼のその言葉は浅慮な偽りであると判断された。
「なら何で俺に危害を加えたんだ。俺は右足の件以外であんたに何かをした覚えはないぞ。……すぐにバレる嘘をつくな」
ここまで追い詰められたというのに平然と嘘をつくコルローネに苛立ちを募らせたレインハイトは、不機嫌そうに吐き捨てると、コルローネの右手を踏みつける自身の足にじわじわと力を加えていった。
「ぐぎぃッ!? う、嘘じゃない! 本当だ! は、早く足をどけてくれ! 俺の右手がひき肉になっちまうよ!」
「本当に往生際が悪いな……いい加減にしないと左手も踏み潰すぞ」
まさしく豚のように必死の形相で懇願するコルローネを見下ろすレインハイトから返った声は、やはり冷たいままであった。
「……うぐっ……ううぅう……」
そんなやりとりを数回繰り返しているうちに、いつしか地面に転がるコルローネの顔面は、彼自身が流した涙と鼻水と脂汗でぐちゃぐちゃになっていた。今年十六歳になる少年の、これ以上ないマジ泣きである。
レインハイトに踏みつけられていた右手は血だらけで痛々しいが、形はあまり変形してはいなかった。恐らく骨も無事だろう。もっとも、それは運が良かったとかそういうわけではなく、レインハイトがそのように加減をしていたというだけの話なのだが。
冷静になって考えてみると、ここまで意地を張らずとも、復讐の理由は「右足の恨み」から来たものかというレインハイトの問いかけに異を唱えず、もう二度とこんな真似はしないと謝り倒せばこんな羽目にはならなかったはずなのだ。
しかしコルローネは、単にその発想に至らなかったのか、それとも、『ヴァルキュリア親衛隊』の会長としての誇りからか、何度となく繰り返されたその問いに対し、動機を偽ることを拒絶し続けた。
「……うっ……うっ……嘘じゃ……ないんだよぉ……信じてくれよぉ……」
そして性懲りもなく、見るに耐えない悲痛な表情を浮かべたコルローネは嗚咽混じりの声を上げ、自分の言葉は嘘偽りのない真実であると、断罪人であるレインハイトに必死に訴えかける。
「はぁ……じゃあいったいなんなんですか? ……右足の恨みではないのなら、どうして俺を奇襲するような真似をしたんです?」
コルローネのあまりの強情っぷりにようやく聞く耳を持ったレインハイトは、泣きじゃくる彼に若干優し目に問いかけた。態度が軟化したのは、コルローネに同情したわけではなく、単純に彼のマジ泣きに引いただけである。
「……おっ……おま……お前が……お、オーレリア様と……親しそうにしてたから……」
「は? もう少し大きい声でお願いします」
ぼそぼそと呟くコルローネを威圧するように、レインハイトは右足で軽く地面を蹴った。見れば分かる通り彼の精神は既にズタボロだが、レインハイトに容赦する気はないらしい。
「お、お前がっ! オーレリア様に馴れ馴れしくしてたから……むっ、ムカついて懲らしめてやりたくなったんだよぉっ! そ、それの何が悪いっていうんだっ!」
また右手を踏んでやろうか、というレインハイトのサインは正しく伝わったらしく、コルローネは大きな涙声でまくしたてた。
「今度はうるせえ……って、はい? 俺はオーレリアさんに馴れ馴れしくした覚えはないですよ」
大声を出したコルローネに反射的に文句を返したレインハイトは、彼が口にした言葉の意味が理解できず、仕方なく聞き返した。
「ぼ、僕にはこんな態度をとっておいて、自分はそうやってしらばっくれるつもりか!? ……か、隠しても無駄だぞ! 僕はあの時、お前がオーレリア様に付きまとっているのをこの目で見たんだからな!」
ようやく体が動かせるようになったのか、コルローネは左手の人差し指をびしりとレインハイトに突き付け、糾弾するように言った。
「……何を勘違いしているのか知りませんが、たぶんそれ、あなたの誤解ですよ。俺はオーレリアさんと会ったのはあの時が初めてでしたから」
レインハイトは「そもそも、あの時の俺はアイシャ……王女様にお礼と別れの挨拶をしに駆けつけただけですし」と付け加えた。
「な、なんでお前なんかが王女様にお近づきになれるんだ! 僕はそんなでたらめには騙されないぞ!」
「……まあそれに関してはそう思うのは仕方ないと思いますが……と言うかそもそも、どうして俺がオーレリアさんと話していたというだけであなたが怒るんですか?」
疑心暗鬼に陥っているコルローネに対し、レインハイトは理解できないといった風に首を傾げ尋ねる。
「そ、それは……! ……ぼ、僕が……オーレリア様のことを……す、すす……すき――」
「…………」
またも尻すぼみに聞き取りづらく小さな声を出すコルローネのもじもじした態度に苛つき、レインハイトは無言で地面を蹴る。
「ひっ! ……ぼ、僕は! オーレリア様のファンなんだ……彼女のことが好きなんだよ! ……だ、だから、僕ですら一度も話したことのないオーレリア様と話をしていたお前に嫉妬して、こうして復讐したんだっ!」
半ばやけくそ気味に叫んだコルローネは、無言で見下ろすレインハイトの視線から逃れるように目を伏せ、続けた。
「……今冷静になって考えてみればお前に当たるのはおかしかったし、反省もしてる。……動機もこうして正直に白状したんだ……もういいだろ……?」
自分から襲撃を仕掛けておいてこの態度はないだろう。コルローネは自身の発言を第三者の目線で聞きながらそう思ったが、しかし、それを改めようとはしなかった。この僅かな時間で、彼はそれほどまでに肉体的にも精神的にも参っていたのだ。
まあ、大人げなく集団で襲撃したにも関わらずたった一人の相手に返り討ちに会い、この歳にもなって本気で泣かされた上に、何故かオーレリアへの愛を強引に叫ばされる羽目になったのだ。気が滅入ってしまうのもしかたがないことなのかも知れない。
「……そうですね……倒れてる連中を痛めつけるのも面倒ですし、今後二度と俺と俺の周囲の人間に危害を加えないと誓っていただければ、この場は穏便に済ませてあげてもいいですよ」
もう既に穏便の範疇を超えている気がするが、レインハイトにとってはこれでもまだ譲歩した方である。もしもコルローネの復讐の動機が嫉妬ではなく右足の怨恨であった場合は、もう少し彼を痛めつけていたに違いない。
「も、もちろんだ。このコルローネ、愛するオーレリア様にかけて、決してそんなことはしないと誓おう」
「その言葉が信用に足るかどうかは俺には判断しかねますが……まあいいでしょう」
と、なんとか事態が収集したかに思えたその時、レインハイトは僅かな喧騒がこちらに向かって近づいてきているのを察知した。
レインハイトがそちらの方向に目を移すと、十数人の学院生たちが広場に向かって歩いてきているところであった。恐らく、食休みでもしに来たのだろう。
談笑しながら進んできた学院の生徒たちは、程なくして地面に倒れるユリウスや親衛隊の会員達の姿を発見すると、驚愕とともに目を見開き、慌てて駆け寄ってきた。まあ、こんな現場を見て素通りできるような人間はそうそういまい。この反応は当然である。
生徒たちは、その中で唯一倒れることなく二本の足で立っているレインハイトの姿を認めると、十メイルほどの距離を開けて足を止め、瞬く間に人の壁を形成した。
無論、生徒たちがそのまま無言で大人しく見守っているはずはなく、それぞれが勝手気ままに口を開き、ざわざわと騒ぎ始めた。
このまま彼等が騒ぎ立て続ければ、以前のような人だかりなど一瞬で出来上がってしまうに違いない。学院に通う若い少年少女達は、こういった「事件」が大好きなのだ。
レインハイトとしては、その生徒たちの中に「またアイツか」などというどこか納得した表情を浮かべる者達がいたのが気に食わなかったが、冷静に考えて見れば、今回は巻き込まれただけとはいえ、前回の『決闘事件』に引き続きこんな事件を巻き起こし悪目立ちしているのは事実である。こうしてトラブルメーカーとして認識されてしまうのも無理はないのかもしれなかった。
しかし、だからといってこの状況をただ静観しているわけにもいかないだろう。形だけではあるが、レインハイトはシエルの使用人なのだ。彼等に良からぬ印象を抱かれた場合、それがシエルの学院生活に影響しないとも限らない。
「このままだと騒ぎが大きくなりそうなので、俺はこの辺りで失礼します」
「……お、おう……僕たちは放置か……」
思ったならすぐ行動だ。レインハイトは戸惑うコルローネを華麗に無視し、なるべく目立たないように現場からの脱出を試みる。
と、その寸前。そろそろと歩き出そうとしたレインハイトの視界に、食堂の方から駆けてくる生徒会長、エリナ・フォン・アルハートの姿が写った。
「……遅かったか……」
こうなったらもう逃亡はかなうまい。レインハイトは肩を落とし、力なく呟いた。
向こう側も即座にレインハイトの姿を確認したらしく、エリナの走るスピードがわずかに上昇した。現場の雰囲気から事件性を感知したのか、レインハイトに向けるその表情は険しい。
また面倒なことにならなければいいが、とレインハイトは隠そうともせず大きくため息をついた。




