コルローネの暗躍
◇ ◇ ◇
それから数日後。
真っ黒な遮光カーテンで外からの光を排除した薄闇の室内に、何やら神妙な面持ちをしたコルローネが椅子に腰掛けていた。彼は机に肘をつくようにして手を組み、静かに俯いている。
コの字を描くように配置された机の、ちょうど中心のあたりの床に置いてある小さなロウソクだけが部屋で唯一の光源であるため、目が慣れていないうちは判別しづらいが、どうやらこの室内に居るのはコルローネだけではないらしい。彼を中心として広がる十脚ほどの椅子によく目を凝らしてみれば、コルローネと同じ魔法学院の制服を着た生徒達の姿があった。
そのどこからどう見ても怪しげで不気味な集団は、自分たちのリーダーであるコルローネに視線を向け、彼が口を開くのをただ黙って待っていた。それからしばらく無音の時間が過ぎたが、誰一人として私語をしたり物音を立てたりするものはいない。意外にも、統率のとれた集団であるようだ。
やがて顔を上げたコルローネは、左から右へと首を回し室内にいる生徒全員の姿を確認すると、ようやくその重い口を開き、言葉を紡ぎだした。
「……全員集まっているようだな」
問いかけに対する返事はない。生徒達は全員が示し合わせたかのように沈黙を保っている。
しかし、だからといって、彼等がコルローネを侮っているなどということは一切なかった。むしろ、コルローネは彼等全員から尊敬と信頼を獲得しており、彼もまた、彼等を心から信用していた。
彼等はただ待っていただけなのだ。主導者たるコルローネが、今日こうして自分たちを招集した理由を語り出すのを。
「今日こうして皆を集めた理由は他でもない。先日の合同訓練の際、我々にとって最も許しがたい事件が発生したためだ。もう既に詳細を知っている者も居るかもしれないが、全員の理解を一致させるため、一度僕から皆に説明しておこうと思う」
その後、コルローネの主観的解釈が多分に含まれた説明が始まると、怪しげな集団はざわざわと小さく音を発し始めた。最初こそ音は極小さなものでしか無かったが、説明が進んでいくに連れ、辺りのざわめきは次第に大きくなっていく。
やがて説明が終わった頃には、先ほどまで静寂が支配していた室内は一変し、無秩序な喧騒に包まれていた。
「我々の女神の一人であるオーレリア様を困らせたばかりか、いやらしい目付きでしつこく言い寄っていただと? 使用人風情が……断じて許せん!」
と、誰かが大きな声を上げれば、
「全くその通りだ! コルローネ会長! もちろんこのまま黙っているつもりではありませんよね!?」
と、呼応するように他の誰かが更に大きな声を上げる。
「皆、静粛に!」
流石にこのままでは収集がつかなくなると考えたのか、コルローネの隣に座っていた一人の生徒がそう声をかけると、室内はまたしても水を打ったような静けさに包まれた。声をかけたのは副会長のようなポジションの生徒なのだろう。
静まり返った室内の生徒達を無言で見回したコルローネは、小さく息を吸い、真の通った凛々しい声を発した。
「君たちの想いはよく伝わった。無論、僕もこのままで済ませるつもりはない……が、しかし、敵はあまりにも強大だ。……そこで、少々情けない話だが、皆にも協力を頼みたいのだ」
申し訳無さそうに俯くコルローネに対し、すかさず室内の生徒達から賛同と励ましの声が上がりだした。
「もちろんです会長!」
「我々にとっても許せない事態です。当然、協力させていただきます!」
「むしろ、こちらから協力を願い出たいところですよ!」
連鎖的に立ち上がり頼もしい声をかけてくる会員達を見つめ、コルローネは静かに応えた。
「お前たち……すまない……感謝する」
感激のあまり右手で目頭を押さえながらそう呟いたコルローネは、周囲の生徒達が心配そうに見守る中、芝居がかった動作で手を顔から外すと、勢い良く斜め下に振り払い、室内全体を振動させるような雄々しい声を上げた。
「これより、我ら『ヴァルキュリア親衛隊』は、禁止事項に抵触した忌々しき罪人レインハイトに天罰を下すべく、『異端者襲撃計画』を開始する!」
無論、そのコルローネの宣言に異論を挟むものは、誰一人として存在しなかった。
本人のあずかり知らぬところで、『異端者襲撃計画』と言う名のレインハイト襲撃計画は、密やかに始動をはじめたのだった。
◇
女性纏魔術師部隊『ヴァルキュリア』のファンであるアイオリア魔法学院の生徒達で構成された、『ヴァルキュリア』を陰ながら支援する事を目的とした非営利団体――『ヴァルキュリア親衛隊』。その団体の会長であるコルローネが「異端者襲撃計画」とやらの開始を声高らかに宣言した翌日。
「はぁ……会員の皆には見栄張って作戦を開始するなんて言ったけど、さて、これからどうしたものか……」
昨日とは一転し困り果てた様子のコルローネは、本日何度目かの大きなため息をつき、力なくそう呟いた。
『異端者襲撃計画』。美しい女性纏魔術師達で構成された部隊『ヴァルキュリア』の隊長、オーレリアに手を出した憎きレインハイトにお灸を据えるべく、その『ヴァルキュリア』のファンである生徒達を集めて結成した『ヴァルキュリア親衛隊』で開始された一大プロジェクトだ。
創立以来初となるこの会員全てを巻き込んだ今回の作戦は、『ヴァルキュリア』を守護する事を目的として組織された『ヴァルキュリア親衛隊』の存在意義に深く関係していることもあり、絶対に失敗が許されないものである。当然だが、会長であるコルローネにかかる重圧は大きい。
まだ具体的な内容や日取りは決まっていないとはいえ、言い出した本人ということもあり、昨日の今日にもかかわらず、コルローネは精神的にかなり追い詰められていた。元々プレッシャーに弱い体質というのもその原因の一つかもしれない。
「おいコル、何をそんなに深刻そうな顔してるんだ? 脳天気なお前らしくないじゃないか」
と、そんな風にコルローネが大きな重圧がもたらす若干の腹痛に苛まれていたその時、ちょんと肩を小突かれるのと同時に、不意に横から親しげな声が投げかけられた。
考え事に夢中になっていたコルローネが驚きつつも声がした方向へ目を向けると、そこには、どこか軽い印象を受ける茶髪の美青年――友人であるクリードが立っていた。
因みに、「コル」というのはコルローネの愛称である。
「やあ、クリード。……いや、“例の会”でちょっとした問題が発生しちゃってさ……」
本当に困った、と肩を落とすコルローネ。無論、“例の会”というのは『ヴァルキュリア親衛隊』のことだ。
「ああ……お前が会長やってるなんちゃら親衛隊とか言う気持ち悪い集団か」
流石に友人なだけあってそこら辺の事情は理解しているのか、クリードは得心がいったという風に頷いた。
「気持ち悪いとは失礼な。……それと、なんちゃら親衛隊じゃなくて『ヴァルキュリア親衛隊』ね」
「別に呼び名なんてどうだっていいだろ。そもそも、俺はその『ヴァルキュリア』って部隊のこと知らねえし」
ま、興味も無いがな、と付け足し、小さく息を吐くクリード。
女好きのクリードがこんな態度をとるのは違和感があるかもしれないが、彼が『ヴァルキュリア』に食いつかない理由は単純である。先日強引にシエルやソフィアに絡んだことから察せられるように、彼は自分より年下の少女が好みなのだ。
「『ヴァルキュリア』の良さを知らないなんて……クリード、君、人生の八割は損してるよ」
「へいへい。その台詞はもう聞き飽きたぜ。つーか、八割はちと吹かしすぎだろ」
「いやいや、むしろ足りないくらいさ。僕を形成する要素の九割以上はオーレリア様への愛でできていると言っても過言ではないからね」
ふっ、と格好つけた笑いを漏らしたコルローネは、自分の言動の気持ち悪さに友人が引いているとは気付いていないらしく、自信に溢れた眩しい笑顔を浮かべていた。
クリードは以前からコルローネのこの困った一面の事を知っていはいたが、既知の事実とはいえ、やはり何度目の当たりにしても気持ち悪いものは気持ち悪いのだ。
「いや過言だろ。やっぱ気持ち悪いなお前」
それを隠さずこうして相手に直接はっきりと言ってしまうところは、彼の美点であり、欠点でもあるのかもしれない。
「ふん、自分だってロリコンのくせに……まあ、いずれ『本物の愛』を知ればクリードにも理解できるさ。……あ、そうだ」
そう言いつつクリードの肩に手を置いたコルローネは、そこで、ふといいアイデアを思いついた。
現在コルローネが推し進めている『異端者襲撃計画』には、既に一つの問題が発生していた。計画を進めるにあたって最も基本的な材料の一つ、「人手」が不足しているのだ。
『ヴァルキュリア親衛隊』の会員は、会長であるコルローネを含めて十人である。いくら優秀な魔道師を倒せるほどの実力があるレインハイトが相手とはいえ、ターゲットが彼一人ならば、それだけの人数でも充分に作戦を決行できるようにも思えるかも知れない。
が、しかし、それはただ数が多いというだけであり、個人の力という点に目を向けてみると、レインハイトという使用人を相手にするには、一対十という数的有利だけでは安心しきれない、無視できないほどの大きな実力差があるのだ。
未だ底の知れないレインハイトという少年の力を正確に推し量ることができていないため、多少の過大評価をしてしまっている感は否めないが、過小評価をし過ぎて失敗するよりはましだろう。
それに、そもそもにおいて、『ヴァルキュリア親衛隊』は、あまり魔法の力がない集団なのである。なにせ、不意打ちをしたにもかかわらず簡単に返り討ちにあったコルローネが、親衛隊で一番の実力者というくらいなのだ。その現状を鑑みてみれば、十人全員でも敵わない可能性があるというのも理解できない話ではない。
そういった事情もあったため、先刻のコルローネは、如何な作戦でこの実力差を埋めるべきかと悩んでいたわけだが、目の前にいる友人クリードと話している内に、はたと気付いたのだ。
何も『ヴァルキュリア親衛隊』の会員だけで事態を解決する必要はない、と。
「どうした? 何か言いかけてなかったか?」
訝しげに尋ねてくるクリードへ、コルローネはどこか含みのある笑みを向けた。
「クリード、実はお願いがあるんだ」
「……嫌な予感しかしないが、まあ、聞くだけ聞いてやるよ」
警戒の色を浮かばせるクリードに、コルローネは手短に状況の説明を始めた。
「……そんな理由でアイツに奇襲をするってのか……お前、命知らずだな」
説明を聞き終えたクリードは、開口一番に重々しくそう呟いた。やはり、彼にとってレインハイトという少年との事件は苦い思い出なのだろう。
「そんな理由だって? 聞き捨てならないな。この件は僕ら親衛隊にとっては最重要かつ最優先事項なのさ。一度や二度返り討ちにあったからって簡単に諦めるわけにはいかないんだよ」
しかし、コルローネにもコルローネなりの引けない事情があるのだ。たとえ一対一では敵わない相手だとしても、そんなものは計画を諦める理由にはならなかった。
「……そうか……で、さっき言ってたお願いってのは何なんだ? 実際にヤツと戦った感想でも聞きたいのか? それとも、魔法の練習に付き合って欲しいとかか?」
そんな友人の並々ならぬ気迫を感じ取ったのか、クリードは先程よりも少しだけ積極的な返答を返した。
しかし、コルローネの次の言葉を聞いた彼は、今度こそその顔を引き攣らせることとなる。
「クリード、君に僕らの『異端者襲撃計画』に参加してもらいたいんだ」
◇
――絶対に嫌だ!
数分前にありがたく頂戴した友人からの全力拒否を思い返し、とぼとぼと肩を落としながら歩いていたコルローネは、一度足を止め、その場で大きくため息をついた。
「……はぁ……盛大に断られてしまった……」
あの拒絶の仕方はかなり気合が入っていた。こちらが何を言ったところで絶対に了承はしてくれないだろうと一発で判断できるくらいに。
友人の頼みなんだから、ちょっとくらい悩んでくれてもいいじゃないか、とは思うものの、しつこくせがんで嫌われてしまうという最悪の事態だけは避けたいところだった。クリードはコルローネにとって数少ない大切な友人なのだ。
と言うわけで、コルローネは復讐よりもクリードとの友情を取って仕方なく引き下がったわけだが、その結果、美しい友情に傷が付かなかったかわりに、『異端者襲撃計画』の人手不足問題は振り出しに戻ることとなった。
クリードの他に頼れそうな友人は居まいか、とコルローネは自分の交友関係を洗い直してみたが、残念ながらクリード程の使い手に心当たりはなかった。クリードはそれ程に優秀な魔道師なのである。
無論、元々友人の数が少ないという悲しい事実も大きな理由ではあったが、それに関しては極力考えないことにした。コルローネにだって目を背けたい現実の一つや二つは存在するのだ。
(……頼みの綱だったクリードには突っぱねられたし、もう助っ人作戦は諦めるか? ……でも、それじゃあ会員達の負担を増やすことになっちゃうしなあ……)
最悪、助っ人作戦は諦めるにしてもせめて何か代案くらいは考えておこう、とコルローネは食堂に向かいがてらあれやこれやと思案を繰り返した。
現在時刻は正午を少し過ぎたところだ。本日も滞り無く、アイオリア魔法学院は昼休みを迎えていた。
総数約一〇〇〇人にもなる学院の全生徒を収容する巨大な学生寮の一階にある食堂は、朝、昼、夜問わず、食事の際にほとんどの在校生が利用する施設である。学院内で最も人口が密集する場所と言えば、間違いなくここだろう。
その中でも特にこの昼食の時間帯は食堂が最も混雑する瞬間であるため、食堂内は半ば不規則に波打つ人海の様相を呈していた。
全く、少し出遅れただけですぐこれだ、と食堂に辿り着いたコルローネは内心で毒づき、昼食の順番待ちをする長蛇の列の末端へと向かった。遅れたのは百パーセント考え事をしていた自分のせいなので、これは完全にコルローネの自業自得である。
遅々として進まない列に苛つきつつ、ツイてないなあなどと小さくぼやくコルローネ。待ち時間はすることが無いため、自然と既に着席して昼食を取っている生徒たちへと視線が向かう。どうやら今日のメインは魔牛のソテーのようだ。
鼻腔を刺激する肉の匂いに危うくよだれを垂らしそうになったコルローネだったが、口から唾液が漏れ出る寸前に辛うじて理性を取り戻し、料理から目を逸らすことで何とかその危機を脱した。
放っておくとまたすぐに顔を出す空腹感を紛らわせるため、食べ物をなるべく視界に移さないようにあちこちに視線を彷徨わせていると、やがて、列からほど近い位置に座っていた目立つ人物へと視線が吸い寄せられた。
「エリナ様、お茶をお持ちしました。ご一緒してもよろしいでしょうか?」
「あら、ありがとうユリウス。ええ、どうぞ」
アイオリア魔法学院の生徒会長、エリナ・フォン・アルハートだ。これだけの人間がひしめく空間であっても、そのカリスマ性と眩しい美貌は霞むことはない。
因みに、彼女に断って同じテーブルに座った茶髪の少年は、エリナの『付き人』であるユリウス・フォン・フォーブレイである。かの『決闘事件』において、彗星の如く現れた謎の使用人レインハイトに顔面を殴られた噂の生徒だ。
ユリウスもエリナと同じく容姿が整っている部類の人間であり、エリナ程ではないにしろ、この雑多な空間においてもそれなりに浮く程度の端麗さを備えていた。
イケメンは死すべし、と友人であるクリードにも日頃から散々吐いている毒素を含んだ定型句を小さく呟き、舌打ちとともに視線を外そうとしたコルローネだったが、その時、ふと彼女等を囲む生徒たちの微妙な空気を感じ取り、訝しげに首を傾げた。
生徒会長であるエリナはもちろん、その付き人であるユリウスも学院内では知らぬ人間は居ないだろうというほどの有名人であり、周囲から注目を集めるのは当たり前といえば当たり前なのだが、しかし、彼女等に向けられている羨望や尊敬の眼差しに混ざって、少数ではあるがどこか珍しい物を見るような好奇の視線が存在していたのだ。
はて、一体何故だろう……と数秒考えたコルローネは、すぐにその理由に合点がいった。
(そうか……奴の“被害者”は僕とクリードだけじゃなかったんだ……!)
そう、『決闘事件』で使用人レインハイトに苦汁をなめさせられた人間は、他にもう二人居たのである。
コルローネは『決闘事件』が起こる直前、食堂にてレインハイトに足を踏み砕かれ一番最初に脱落したため、その後のレインハイトとクリードの戦いや、更にその後に起こったエリナやユリウスとの一悶着のことを直接見ていない。
故にその事実に気付くのが少し遅れたのだが、今思えば、学院内の噂やクリードから聞いた話で度々あの二人の名が上がっていたではないか。
大勢の生徒たちが見ている中で魔法を無効化されたエリナ・フォン・アルハート。そして、尊敬する人間の目の前で顔面を殴られ、恥をかかされたユリウス・フォン・フォーブレイ。
自分のように仕返しを目論むほどの憎悪を抱えているのかは分からないが、少なくとも多少は恨んでいるに違いない。
新たな助っ人候補の出現に上機嫌になったコルローネは、頭の片隅で計画を練りつつ、久しぶりに楽しい気分でその日の昼食を終えた。
それから一週間後。唐突にやる気を出し始めたコルローネに突き動かされる形で急激に作業が進み、ついに、『ヴァルキュリア親衛隊』による『異端者襲撃計画』は、本日正午に決行されることとなった。
 




