表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
レインハイトと魔法の門  作者: アマノリク
第二章 〜理から外れし者〜
26/64

波乱の兆し

   ◇ ◇ ◇



「絶対に許さないぞ……レインハイト……!」


 校舎の影に体を隠し、壁から顔だけを飛び出させるという体勢で前方の様子を盗み見していた少し横幅の広い少年は、寮へと歩き出した黒髪の使用人――レインハイトを睨みつけ、忌々しげにそう呟いた。


 少年の名はコルローネ。身長は一六八センチメイルで、体重は八八キログロムという少々ふくよかな男の子だ。


 何を隠そう、彼は先日に起こった決闘騒ぎの関係者であり、その正体は、食堂でレインハイトに足を引っ掛けようとし、逆に踏み砕かれてしまった「小太りの少年」その人である。


 そして現在、コルローネは激怒していた。無論、怒りの矛先はレインハイトである。


 しかしその怒りは、先日の一件でレインハイトに足を踏み砕かれたことに対してのものではなかった。その件に関しては、彼は一応自分にも非があったと認めており、怪我を負わされたことに対しては多少の恨みはあるものの、特に強い禍根(かこん)があるというわけではなかった。それに、クリードにも「あいつにはもう関わらない方がいい」と強く言われている。


 そもそも、仮にコルローネがレインハイトに対して強い恨みを持っていたところで、自分よりも遥かに優秀な魔道師であるクリードに勝利してしまったおかしな使用人に報復しようなどと考えられるはずもなかった。食堂での一件以来、一対一の正面戦闘では恐らくどんな状況であっても自分に勝ち目はないだろうということを、理性的にも本能的にも“理解させられて”しまっているのだ。


 だが、そうした経験により敵わないと理解しているのにもかかわらず、コルローネは、今すぐにでもレインハイトに勝負を挑みたい気分であった。右足の怪我に対する恨みなど比べ物にならないほどの怒りが、現在の彼の意識を支配していた。


 では、コルローネは一体何故レインハイトにそれほどの怒りを感じているのだろうか。


(あのチビ野郎……身の程も知らずオーレリア様に言い寄りやがって……!)


 コルローネの怒りの原因は、先程レインハイトとオーレリアがしていたやりとりに集約されていた。


 簡単に言ってしまえば、このコルローネという少年は、『ヴァルキュリア』の、それもその隊長であるオーレリアのファンなのである。


 要するに、先程レインハイトが仲睦まじ気にオーレリアと談笑しているように見えたため、彼女の熱烈なファンであるコルローネは、レインハイトに激しく嫉妬しているのだ。


 もちろん、実際にはそんな事実は一切ない。そもそも、レインハイトはオーレリアとは今日が初対面であるため、彼女と仲が良いはずがないのだ。


 むしろ、オーレリアの方は不自然なほどにアトレイシアと仲が良さげなレインハイトを危険人物として警戒しており、好きか嫌いかと聞かれれば、彼女は恐らく「嫌い」の方を選ぶだろう。無論、これはオーレリアの心中に秘められた思いであり、彼女以外にそれを知るものは今のところ存在しない訳だが。


 つまり、このコルローネの嫉妬は完全な的はずれであり、情報源を己の主観のみに頼った証拠の一切ないはた迷惑な八つ当たりであるのだが、しかし、頭に血が上り完全に暴走してしまった彼が、そんな些細な事に気付くはずもなかった。


(ちょっと強くて顔がいいからって調子に乗りやがって……! 今に見てろよクソチビ野郎! 僕を怒らせたらどうなるか、その身を持って味わいやがれ……!)


 周囲から向けられる奇異の視線など、復讐の権化と化した(視野狭窄に陥っているとも言う)今の彼にはそよ風に等しかった。打倒レインハイトを目標に、コルローネは頭の中でいくつもの作戦を練り上げ、ぶつぶつと独り言を漏らしながら静かに寮へと歩みを進めていった。



   ◇ ◇ ◇



 合同訓練で疲れ果ててしまったのか、ぐったりと床に倒れ伏して寝てしまっていたシエルをベットへ運んでやり、レインハイトは備え付けの椅子に深々と座り込んだ。


 椅子の前の机には、既に一人分の食事が用意されていた。恐らくシエルが食堂に寄って用意してくれたのだろう。ベッドで眠りこけているお嬢様に感謝しつつ、レインハイトは静かに夕飯を頂いた。


 外はもうすっかり暗くなっており、窓から空を見れば、雲間から美しい星々が顔を出し、それぞれがその存在を主張するかのように強い光を放っていた。


「しっかし……結局最後まで消えなかったな、これ……」


 シエルを起こさないよう声を抑えつつ、拍子抜けしたかのように呟いたレインハイトは、未だ己の左手を中心にして回転を続けている『吸魔(ドレイン)』の魔法陣を胡乱げに眺めた。


 魔法陣は現在進行形で効力を発揮中であると言わんばかりに元気に発光を続けており、未だ衰える気配はない。ランプ代わりになって寮に戻ってくる最中には多少便利ではあったが、なんとも釈然としない感じである。


 空打ちの状態であるとはいえ魔法は作動しており、少量ではあるが魔力を消費している感覚もあった。しかし見て分かる通り、四時間以上ぶっ続けで発動しているのにもかかわらず、『吸魔(ドレイン)』の魔法陣はこうして今なお健在である。


(……どうして魔法陣が消えないんだ? ……何かやり方が間違っているのか?)


 もっとも、あれやこれやと考えたところで、魔法の長時間発動がこうして可能である(四時間連続の発動が「長時間」と認められないのなら話は別だが)時点で、既にこの実験の根幹に関わる部分に決定的な矛盾が生じてしまっているため、あまり意味がない気もするが。


(そもそも、あの本の記述が間違っていた可能性もあるしな……)


 まだまだわからないことが多すぎる。一刻も早く禁書庫に入って色々と調べる必要がありそうだ。素早く夕食を平らげたレインハイトは、椅子とセットになっている備え付けの机から一枚の紙を取り出し、羽ペンを使用して何やらメモを書き始めた。


 文字を書けるような良質な紙はレインハイトのような貧乏人からすれば多少値の張るものだとはいえ、ここは貴族御用達の魔法学院である。一部屋につき何百枚……というわけにはいかないようだが、備え付けの机の引き出しには大体十枚ほどの紙が用意されていた。


 この部屋の主はシエルであるため、一応形式上では使用人であるレインハイトが勝手に使用してもよいのだろうかという疑問は残ったが、「どうせシエルは紙にメモ書きなんてしないだろう」と早々にその可能性を切り捨て、レインハイトは黙々と文字を書き進めていった。


 それから数十分後、『調査リスト』と題したメモを書き終えたレインハイトは、満足気に息を吐き、紙を二つ折りにして元の引き出しに戻した。


 散らかした机の上を片付け終えると、レインハイトは椅子から腰を浮かせ、静かにシエルの反対側からベッドに潜り込んだ。集中して文字を書いたことによって適度な疲労感が得られたため、今日はもう寝てしまうことにしたようだ。


 冷静になって考えてみると、年頃の男女がひとつのベッドで寝るというのはいかがなものなのか、と思わないでもないが、幸いなことに(本人は絶対に幸いなことだとは認めないだろうが)、レインハイトは背が小さいため、備え付けのベッドは二人が寝転がっても充分な広さを持っていた。故に、よほど寝相が悪くない限り、滅多に接触することはないのだ。


 まあ、それでもシエルが「レインと一緒に寝るのはいや」と言うのであれば、レインハイトは大人しく床で寝ることにしようと考えていたのだが、しかし、今のところはそういったことも言っては来ない。恐らく、優しい彼女は今後もそんなことは言わないだろう。


 しかし、いつまでも彼女に甘えっぱなしというわけにもいくまい。今はこんな状況だが、いつか自分の寝床くらいは自分で用意しようと決意し、レインハイトは静かに目を閉じた。



   ◇



 時は過ぎ、六の月。レインハイトがアトレイシアの助勢によって禁書庫に出入りできるようになってから、既に一月以上の時間が経過していた。


 当然、日中は暇で仕方のないレインハイトは連日のように禁書庫に入り浸って魔法の研究を行っており、そのあまりに熱心な引き篭もりっぷりは、書庫内での彼の監視役を任されたアリアやその他の教師達が軽くノイローゼを起こしてしまいそうなほどだ。レインハイトとは違い教師という業務もこなしているしている彼等には、まさしく拷問の如き日々だっただろう。


 しかし、その甲斐(?)あってか、魔法についての調査の進捗状況は上々と言えた。その証拠に、レインハイトが一月ほど前にしたためた『調査リスト』というタイトルのメモ書きは研究の進行とともに着実に量を増して行き、今では数十枚にも及ぶレポートもどきにまで昇華している。


 因みに、部屋に備え付けてあった紙だけでは到底枚数が足りなかったが、レインハイトの勉強熱心さにいたく感心したらしく、アリアが気前よく追加の紙を手配してくれていた。彼女も教師という職業を通して魔法を研究する魔道師であるため、どこかシンパシーを感じたのかもしれない。


「さてと、今日も頑張りますか……」


 そして、本日もいつもと同じく食堂で朝食を済ませ、シエルを学院に送り出し、レポートもどきに簡単に目を通したり文章を書き足したりなどといった簡単な仕事を終えると、レインハイトは部屋に鍵をかけ、学院の職員室へと向かって行った。


 レインハイトが禁書庫を利用するためには、必ず、最低一人の監視が必要である。


 この学院の禁書庫には国家機密である魔本が数多く蔵書されており、万が一外部に何らかの情報が流出してしまっては洒落にならないため、いくら王女の頼みとはいえど、レインハイトを一人で自由にしておくわけにはいかないのだ。


 無論、その他にも様々な制約や条件があり、その例の一つに、レインハイトは禁書庫を利用する以前に、「私は決して禁書庫で得た情報を何人にも漏らしません」というような内容の誓約書を血印付きで書かされている。


 もっとも、本人はその程度で済む事態であれば誓約書でも何でも書いてやろうと考えており、あまり気にはしていないようだが。


「……ん……?」


 そんな時の事である。さて今日は何について調べようかとうきうきしながら校舎へと移り、いざ職員室へと向かっていたその途中。レインハイトは、ふと、背後から視線を感じた。


 それだけならば特に問題はない。彼は一月ほど前の件で悪目立ちしてしまっているため、周囲から視線を向けられること事態は別段珍しいことではなかった。ちょうど一限目終了後の休み時間ということもあり、廊下には生徒の姿もそれなりにある。


 しかし、今回自分に向けられている視線は、どうやらそういった類のものではないようだ。背後から僅かに感じられる気配からは、普段から向けられ慣れている鬱陶しいだけで敵意のない好奇の視線とは違い、明確な悪意と敵意を感じる。


 こうして殺気を垂れ流しにしてしまっている時点で大した相手ではないのはほぼ確定だが、一応念のため、レインハイトはそれに気付かないふりをし、歩行を再開した。無論その理由は、視線の主がこれからどういった行動を取ってくるのかを確認するためである。


 こちらに敵意を向けているということは、相手は自分に何らかの恨みを持っているということになる。そして、自分が恨まれるようなことをした心当たりは、一月ほど前の始業日に引き起こした決闘事件以外には何一つ思い当たらない。


 さすれば、容疑者は三人に絞られてくる。事件の日にボコボコに叩きのめした三年生のクリードか、もしくは、その相棒だと思われる小太りの少年か、はたまた、生徒会長であるエリナの付き人ユリウスかのどれかであろう。あれほど痛い目に遭ったというのに、まだこうして直接こちらに敵意を向けることができるとは大したものだ。


 そんな風に若干の呆れと感心を抱きつつ廊下を歩いていたレインハイトは、次の瞬間、自分に向けられていた敵意が膨れ上がるのとともに、背後から不自然な魔力のゆらぎを感じた。


 不自然な魔力の変化、それはすなわち、魔法による世界の改変が行われたということにほかならない。視線の主が、レインハイトに向けて魔法を放ったのだ。ゆらぎはその予備動作のようなものである。


 当然ながら、普通の魔道師にそんな微細な魔力の動きを察知することはできない。これは、特別魔力に敏感なレインハイトだからこそ感じることができる変化なのだ。


 流石に校舎内で大規模な魔法を使うわけにはいかなかったのか、それとも、単なるいたずらのつもりだったのか。どちらなのかは分からないが、放たれた魔法の改変の規模は、極小さなものであった。恐らく下級魔法だろう。


 無言のままそう判断したレインハイトは、素早く一八〇度回転すると、自分に向けて放たれた魔法に対し、手を振り払うような動作で放纏式体術『魔衝波(ましょうは)』をぶつけた。


 改変が行われる以前の魔法の核たる魔力の情報体に対し、外部から別の魔力を衝突させることにより、発動直前の魔法は力を失い、霧散する。


 これは、レインハイトが一月前のエリナとのいざこざの際に編み出した、魔法に対する彼オリジナルの対抗策であった。


 相手の魔法をうまく打ち消せたのを確認すると、レインハイトは、何事かと視線を向けてくる周囲の生徒達を無視し、素早く魔法が放たれた方向へと走りだした。


 魔力の反応があった場所までは少し距離があるが、きっと今頃、魔法を放った犯人は魔法が発動しなかったことに困惑していることだろう。今ならば、逃げられる前に捕らえられるかもしれない。


 廊下を傷つけてしまう恐れがあるため脚力強化術である『疾風(しっぷう)』を使う訳にはいかないが、普段から魔法に頼りきりの一般的な魔道師とは違い、レインハイトは己の肉体を行使することに重きを置く纏魔術師として鍛錬を積んできている。当然、純粋な脚力だけでもかなりの速度を出すことが可能なのだ。


 魔法が使えるからって物陰から攻撃なんて卑怯な真似しやがって、と鬼気迫る表情のレインハイトは、犯人が身を潜めていると思われる数十メイルほど先の曲がり角を目指し直線の廊下を一気に駆け抜けた。



 一方、レインハイトに背後から魔法を放った犯人――小太りの少年ことコルローネは、廊下の壁に背を預けるような体勢で、訝しげに首をひねっていた。


 決闘事件の際に自分に恨みを持った、という予想は外れていたものの、レインハイトが先程出した答えは、奇しくも、正鵠を射ていたのだ。


 コルローネは、レインハイトが予想した通り、己が放った魔法が効果を示さなかったことに疑問を抱いていた。


 レインハイトが迫ってきているというのに些か悠長なことをしているが、それも仕方のない事だろう。何故なら、魔法を放った数秒後には既に壁に身を隠していたため、彼はターゲットが自分に近づいてきていることに気付いていないのである。


 まさか、居場所を悟られないようわざわざ他の生徒達の姿があるこの時間帯を選び、更に念のため長めに距離を離して攻撃したというのに、自分の放った魔法から僅かな魔力を辿られ、努力むなしく気配を察知されてしまったとは想像すらしていなかったのだ。


 コルローネはうつむきがちに自らの顎先に手を当て、黙考した。自分の使用した風属性の下級魔法『空撃(エア・ショット)』は完璧に発動していたはずだ。魔法陣が正常に現れていたことから、それはまず間違いない。では、一体何故効果が現れなかったのだろうか。彼はそこまで考えた後、何かに思い至ったのか、ハッと目を見開いた。


(……もしかして、奴に魔法を消されたのか……?)


 確か、現在学院内で広まっているレインハイトにまつわる噂の一つに、「生徒会長の魔法を一瞬で無効化した」というものがあったはずだ。コルローネはその噂を信じていなかったが、しかし、もし彼が本当に魔法を消すことができるのならば、今起こった現象に説明がつくのも確かである。


 完璧な奇襲であったはずなのに、何故レインハイトがそれに気付いたのかという疑問は残ったが、その直後、コルローネは、すぐに先日食堂で起こった事件のことを思い出した。あの時も、レインハイトは死角からの攻撃を軽々と躱し、反撃してみせたではないか。


 コルローネは悟った。背後からの不意打ちを安々と察知することも、それを容易く無効化することも、あの忌々しい使用人には可能なのだ、と。


「……化け物め……!」


 気付けばコルローネの口中からは、自然とそんな言葉が漏れ出ていた。

 しかし、彼はまだ理解しきれていなかったのだ。自分が相手にした人物の、本当の力量を。


「誰が化け物なんですか?」


「ヒィッ!?」


 唐突に耳に飛び込んできたその求めてもいない独り言への返答に、コルローネは危うく心臓が停止してしまったのではないかと錯覚するほどの衝撃を受けた。


 激しい動悸を感じつつも、コルローネは声がした方向へ目を向けた。もう既にこの時点で嫌な予感しかしないのだが、このまま目を瞑って現実逃避を決め込むわけにもいくまい。心中に諦念の波が押し寄せてくるのを感じながらも恐る恐る首を回していくと、やはりというべきか、そこには予想した通り、一見無邪気そうに見える黒髪の少年の姿があった。


「レインハイト……」


「あれ? 僕の名前を知っているんですか?」


 苦々しく顔を顰めたコルローネの態度を気にも掛けず、レインハイトは慇懃な態度で彼に問うた。その言葉遣いは一応年上に対しての配慮があるようにも感じられるが、それと同時に、どこか威圧的な雰囲気も内包していた。故に、返すコルローネの言葉が若干震えてしまったのは、仕方のないことだったのかもしれない。


「……そ、そりゃあ有名人だからな。むしろ、この学院にはお前を知らないやつのほうが少ないんじゃないか?」


「……はぁ……そう言えばそうでしたね」


 周囲から有名人という認識をされているのが気に喰わないのか、嫌そうに顔を顰めため息をつくレインハイト。げんなりとしたままコルローネに目を向けると、彼は続けて口を開いた。


「……ところであなたは……ああ、思い出しました。確か食堂でチャラ男先輩と一緒にいた……えーと……」


「コルローネだ」


 レインハイトの言葉を受け継ぎ、コルローネは自らの名をレインハイトに告げた。


「コルローネ先輩、怪我の具合はどうですか?」


 決闘事件の際に踏み砕いたコルローネの右足を見つめ、レインハイトは少し気遣うような声でそう尋ねた。もちろん単純に彼を心配する気持ちもあったが、後遺症でもあったら寝覚めが悪い、というのが本音であることは言うまでもない。


「怪我……? ……ああ、右足はもう完治したよ。念のため医務室の先生に見せに行ったけど、特に問題はないとさ」


「そうですか。……良かった、加減しておいて」


 レインハイトが何かものすごく恐ろしいことをぼそりと呟いた気がしたが、ツッコんではいけないと叫ぶ己の内の本能的な何かに従い、コルローネは聞こえなかったふりを押し通した。


「ところで話は変わりますが……コルローネ先輩、先程いきなり背後から何者かに魔法を撃たれたんですけど、何か知りませんか?」


 やはり用件はそれか……、と渋面を浮かべるコルローネは心中で舌打ちした。

 迂闊に口を開いてボロを出しては不味いと考えたコルローネは、頭で何度か台詞を復唱し、慎重に、そして違和感を持たれないようできるだけ自然に答えた。


「何だと? 校舎内で奇襲を仕掛けるとは、とんだ不届き者が居たものだな」


「……ええ。犯人は悪戯か嫌がらせくらいのつもりだったんでしょうが、やられるこちらとしてはたまったもんじゃありませんよ」


 迫真の演技のお陰か、レインハイトがコルローネの白々しい態度に違和感を覚えたような様子はない。若干の安堵感を覚えつつ、コルローネは「全くその通りだ」と適当に相槌を打っておいた。


 しかし、このまましのぎ切れるか、とコルローネが淡い期待を抱いた直後、黒髪の使用人はどこか寒気のする笑みを浮かべ近付き、戸惑うコルローネに囁いた。


「……今回だけは大目に見ます。ですが、次にまた同じようなことをしてきたら、その時は容赦しません。……この前みたく右足だけで済むと思うなよ」


 あまりの恐怖に絶句するコルローネに目を合わせると、レインハイトは先程までの笑みを引っ込め、やわらかな笑顔を向けた。


「――と、もし先輩が犯人を見つけたら、そう警告しておいてください」


「…………」


 無言のままものすごい勢いでこくこくと頷くコルローネの反応に満足したのか、レインハイトはコルローネから一歩距離を離した。


「では、用事があるので僕はこの辺りで失礼します。先輩も急いだほうがいいですよ」


 一体何のことだ、と青ざめた顔のコルローネが問おうとした時には、既にレインハイトはこちらに背を向けて歩き出したところであった。


 仕方なく開きかけた口を閉じたコルローネは、廊下の壁に背中を付け、ずるずると力なくその場に座り込んだ。唐突に凄まじい緊張感から開放されたせいか、腰が抜けてしまったのだ。


 やはり最初から犯人が自分であることはレインハイトにバレていたのだろう。必死になって白々しい演技をしてみせたところなど、彼にはさぞや滑稽に見えたに違いない。コルローネは落胆と憂鬱がないまぜになったため息をつき、一人静かにうなだれた。


(それにしても、「急いだほうがいい」ってのは一体どういう意味だったんだ……?)


 尻餅をついたままコルローネが首を傾げていると、校舎内に二時限目の授業開始を告げる鐘の音が木霊した。無論、魔法学院の生徒であるコルローネがその音の意味するところを知らぬはずはない。


 恐らくレインハイトは、もうすぐ授業が始まるから急げと言っていたのだろう。ようやく忠告の意味を悟ったコルローネは、げんなりと大きなため息をついた。


 先刻抜かしてしまった腰は、主の命令に逆らい全く動こうとはしない。コルローネは大きく息を吸い、膨らんだ己の腹に力を込め、叫んだ。


「ちくしょー!」


 その後、当然のごとくコルローネは二時限目の授業に遅刻し、担当の教師にこっぴどく叱られたという。


 今回で二度目となるレインハイト対コルローネの対決は、一度目の決闘事件に引き続き、コルローネの完全敗北と言う形で幕を下ろした。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ