王女再び
◇
「……午前中に運んだ岩も全部その方法で埋めちゃえばよかったんじゃ……」
驚きと呆れが半分づつといった表情で呟いたレインハイトの眼前には、縦横二十センチほどの石が、エリナの放った魔法によって液状化した地面にゆっくりと埋まっていくという光景が広がっていた。
広大な範囲の石運びをしている内に時は過ぎ、現在の時刻は午後一時半である。午前中の作業を終え、それぞれ別れて昼食を取ったあと、エリナの言いつけを律儀に守り、レインハイトはまたこうして校庭に足を運んだというわけだ。
因みに、午前中に一度別れた際、エリナは約束通りレインハイトの服の汚れを綺麗に落とす魔法をかけてくれていた。
「それができたらわざわざ君に手伝って欲しいなんて言わないわ。これくらいの小さいサイズの石だからこの方法を使えるの。そもそも私はそんなに土属性の魔法が得意じゃないし……それに、あんまり大きな規模の魔法を使うと疲れるのよ」
本来、集中が途切れる可能性があるため魔法を使用中の魔道師に声をかけるというのはあまり褒められた行為ではないのだが、レインハイトのその行動に苛立つ様子もなく、エリナは平然とした表情で魔法と会話の両立を成功させていた。
彼女が使用したのは、先程レインハイトが大岩を運ぶ際に使用した魔法と全く同じ『粘土』である。しかしその規模は先刻とは違い、今回は石の周囲の土を柔らかくするだけではなく、地面にめり込んだ石の底にある土の水分量をも増やし、液状となった地中に石全体を埋め込んでしまうという画期的かつ効率的な方法で除去していた。
この方法を用いれば、レインハイトがわざわざ石を運び出す必要はなくなるのはもちろん、直接地中に石を埋め込んでしまうため時間効率も良く、後から穴を埋める作業も行わなくて済むのだ。
「はあ……一体いつになったら終わるんですか? っていうかそもそもこれは何のためにしている作業なんです?」
エリナの指示の下、既に十個ほどの大岩を運び出しそれなりの疲労感を覚えていたレインハイトは、終わりの見えないその作業に対して不安と憤りを覚えていた。
「あれ? レインハイトくんは聞いてないの?」
「何をですか」
そういった理由があったため、エリナに問い返すその声に若干の怒気が入り混じってしまったのはしかたのないことだろう。
レインハイトの苛立ちを敏感に感じ取ったエリナは、少し申し訳無さそうに苦笑を浮かべ、説明を始めた。
「私も詳しくは知らないんだけど、今日の三時頃から開催する予定の王立魔道師団との合同魔法訓練に、どうやら王女様が見学しに来るらしいの」
「へえ、やっぱり軍と訓練とかするんですね。訓練なのに王女様が見に来るってのもすごいなあ。……でも、それが石の除去と何の関係が? そこら中に石が転がっていると訓練に支障をきたすからとかですか?」
現在における魔法の主な用途は「軍事力」である。自然、魔法学院を卒業した生徒の多くは、自国の軍に所属することとなる。
使用できる者の割合が全体の半分にも満たないため、現在では、魔法は日常的な技術としては成立していないのだ。
そういった背景があるため、魔法学院とその国の軍は密接に関係していることが多く、合同訓練や入軍体験などといった行事を頻繁に行う傾向にあるのだ。
「そっちじゃなくて、重要なのは王女様の訪問の方よ。美しいお姫様が石に躓いて転んだりしたら大変だから、訪問までに何とかしろって姉さんに無茶言われてね」
「まあ確かにそこら中に大きな石が散乱してて危ないといえば危ないですが……それでもし王女様が怪我でもしたら、学院の管理不行き届きってことになるんですかね」
「恐らくそういうことなんでしょうね。そう言えばさっき姉さんが、普段は適当な学院長が珍しくびくびくしてたって言っていたわ」
「流石に王女様を無下に扱うことはできないということですか。教師側に身内がいるというのは、そういった情報が手に入りやすくて便利ですね」
「ええ、でもいいことばかりじゃないわよ? 気安く仕事を押し付けられることも多くてね……現に今回もこうして名誉ある雑用を命ぜられてるわけだし」
違いない、とレインハイトが肩を竦めたのを見届けると、エリナは返すように微笑を浮かべ、次なる石に魔法をかけ始めた。
地面に埋まっていた比較的大きな岩のほとんどは既にレインハイトが午前中に運び出してあるため、エリナは残っている微妙な大きさの石の数々を先程の効率的な方法で埋めていく。その動作は素早く流麗であり、彼女の洗練された魔道師としての技量が窺えた。
「これ、本当に三時までに全部片付けられるんですかね? あと一時間と少ししかありませんけど」
少々手持ち無沙汰なレインハイトは、足先を使って器用に石を埋めているエリナに問いかけた。その際、陽の光を照り返し、動かす度にスカートとソックスの隙間からチラチラと眩しい光を放つエリナの太腿を無意識の内に凝視してしまい、素早く、かつ気取られないようさり気なく視線を横へと逸らす。
「どうかしらね……ほんと、どこの誰がこんなに散らかしたんだか……まあ、間に合わなかったら他に人を寄越さなかった姉さんのせいにしてやるわ。明らかに人手不足だもの」
「確かに、これを全部一人でやれっていうのは少し無茶な要求ですね」
「ええ、本当にレインハイトくんが手伝ってくれて助かったわ」
「……別に自主的に手伝ったわけじゃないんですが」
凝視していたのがバレたのか、スカートの端を少し持ち上げたエリナに挑発するような笑みを向けられ、レインハイトは少しバツが悪そうに呟いた。しかし、徐々に顕になっていくみずみずしい太腿に向けた視線は離すことができず、逸らしては見、逸らしては見を繰り返している。
「フフッ、レインハイトくんも男の子ね。……そう言えば、噂の王女様はものすごく美人らしいわよ? 君も見学に来たらどう?」
可愛らしく小首を傾げ、エリナはスカートを摘んでいた手を離す。
エリナのその子供扱いにいい加減嫌気が差してきたが、これでまた何か反応を返しては無駄に相手を喜ばせるだけである。これ以上いいように遊ばれてたまるものか、とレインハイトはすまし顔を決め込んだ。
「そうですね。別に王女様が見たいとかそういうわけではないですが、合同訓練というのには興味があります」
「またまたー、本当は気になってるくせにい」
つんつん、と石を埋め終えたエリナが人差し指でレインハイトの頬をつつく。
うぜえ……、とレインハイトは心底鬱陶しく思いながらも、せめてもの抵抗を試みようとエリナを無視した。
「おっと、こんなことしてる場合じゃなかったわね。ささ、次の石を運ぶわよ」
「そうですね……ここまできたら最後まで付き合いますよ」
その直後、元気よく歩みを進めるエリナと力無く肩を落としたまま歩き出したレインハイトは、ほぼ同時に、前方の校門から自分たちに向かって駆けてくる人影を発見した。
「レイーン!」
右手を振りながら走ってくるその人物は、とてつもなく美しい少女であった。
陽光を取り込んで透き通った輝きを放つ金髪に、冴え渡るようなサファイアを思わせる碧眼。その少し下に位置する豊かな双丘は、走るという行為で生じた運動エネルギーにより上下に激しく揺れ動き、ドレスの下からであるのにもかかわらず、そのすさまじい存在感を存分に主張していた。
彼女のドレスは先日に着ていた豪奢なものよりはいくらか落ち着いており、動きやすそうだ。だからといって走り易いなんてことはないだろうが。
「……君のこと呼んでるわよ」
「え、ええ……」
レインハイトだけでなく、女性であるエリナまでもがその躍動する二つの丘を凝視してしまっていた。エリナは美少女のそれと自分のものを見比べ、「私のより大きい……」と呆然とした顔で呟いている。
「はあ……はあ……」
「こんにちは、アイシャさん」
息を切らし自分の元へ辿り着いた美少女――アトレイシアに対し、レインハイトは朗らかな笑みを浮かべ、そう声をかけた。
「こんにちは、レイン。うふふ、また会えましたね」
そう嬉しそうに言うこのアトレイシアという少女は、数日前、魔法学院に入学するために王都に向かっていた途中で偶然出くわし、レインハイトとシエルが命を助けた人物である。
その際、アトレイシアが殺し屋に命を狙われていたことから、彼女はかなりの権力者なのではないかとレインハイトは睨んでいた。
「今日は何をしに魔法学院へ? ……まさか、シエルと僕にわざわざ会いに来た……とかですか?」
そんなアトレイシアがこうして自分の前に現れたのだ。再会できて嬉しいとは思いつつも、レインハイトは恐縮せざるを得なかった。
「ええ、そうですよ。必ずお礼をしに伺いますと言ったでしょう、もうお忘れですか? ……まあ、ここにきた理由の全てがそれというわけではないですが」
運動により僅かに上気した頬をほころばせ、アトレイシアは心からの笑みを浮かべた。
業務上しかたのないことではあるが、常日頃から感情と切り離された事務的な笑顔を浮かべてきた彼女にとって、こうして偽りのない笑顔を向けられる相手はかなり限られている。つまり、レインハイトに向けたこの眩しい笑顔は、そういった事情を持つ彼女の、心からの信頼の証なのだ。
「ごほごほ」
その時、蚊帳の外だったエリナが、疎外感に耐えかねたのか、右の握りこぶしを口元に当て、わざとらしく咳払いをした。
「あら、すみません」
ようやくエリナの存在を認めたのだろう。アトレイシアは驚きにより開いた口元を上品に手で覆うと、ぺこりと小さく頭を下げる。
何気ないひとつひとつの動作全てに気品が感じられ、アトレイシアを見つめるレインハイトは静かに衝撃を受けていた。
「いえ、こちらこそ。……私はこの学院の生徒会長を務めさせて頂いているエリナ・フォン・アルハートと言うものです。こちらにはどういったご用件で?」
アイオリア魔法学院は、原則関係者以外立ち入り禁止の施設である。校舎内ではないとはいえ、知人に会いに来ただけの者であれば放置しておくわけにもいくまい。エリナは失礼と取られぬよう、慎重に質問を投げかけた。
「あなたが生徒会長さんでしたか。私はアトレイシアと申します。本日行われる予定の合同訓練の関係者なのですが、クローバー学院長はいらっしゃいますか?」
「そうでしたか。失礼致しました。係りの者に伝えてきますので、少々お待ちください」
合同訓練のことを知っているのならば関係者であると判断して問題ないだろう。エリナは丁寧に対応すると、突然の真面目な雰囲気に困惑しているレインハイトを放置し、そそくさと校舎の方へ歩き出す。
「アトレイシア……? ってことは、もしかして……」
レインハイトとアトレイシアに聞き取れないように小声で呟き、エリナは職員室を目指して校舎に入っていった。
「僕のことは放置ですか……酷いなあ、エリナさん……」
「そう言えば、レインはここで何をしていたのですか?」
期せずしてレインハイトと二人きりとなったことにより少々上機嫌なアトレイシアは、会話をつなげようと言葉を発した。
「ええとですね……何でも、今日ここで行われる合同訓練を見学しに王女様が来るらしいんですよ。それで、その王女様がつまずいて転んだりしたら大変なので、この辺りに散乱していた石を運び出してたんです。……本当はエリナさんが一人でやる予定の仕事だったんですけど、何故か成り行きで手伝わされることになってしまって」
「……それは大変でしたね……私のために苦労をお掛けして申し訳ございません」
「えっ?」
「あっ! いえ、何でもありません!」
そう言えば、彼にはまだ己が王女だとは告げていなかったのだった。考えもせず無意識にしてしまった己の返事に焦り、アトレイシアは顔の前でぶんぶんと激しく両手を振る。
よく聞こえなかったのか、それとも意味を理解できなかったのか、どちらなのかは分からないが、幸いレインハイトはそれ以上アトレイシアの発言を追求することはなかった。
しかし、そのせいでどこか微妙な空気が流れ、話題をなくした二人はお互いに俯き、黙りこんでしまった。
実際にはそれほど長い静寂ではなかったのだが、後ろめたい気持ちのあるアトレイシアにとっては、その一分一秒がとてつもなく長く、まるで音という概念が世界から消えてしまったかのような悲しい時間に感じられた。
「レイン……あのですね……私、実は……」
しばらく悩んだ末、アトレイシアは己の身分をレインハイトに明かすことにした。隠していたところでいずれ知られてしまうことならば、せめて自分の口から伝えておきたいと考えたのだ。
もし彼が自分のことを王女だと知ったら、一体どんな反応をするのだろうか。もうアイシャという愛称では呼んではくれなくなってしまうのだろうか。押しつぶされそうな不安を感じつつ、アトレイシアは意を決して口を開いた。
「……実は、この国の王女というのは、わた――」
「アトレイシア様あああ――!」
次の瞬間、まるで図っていたかのようなタイミングで、真実を語りかけたアトレイシアに被せるように大声が降り注いだ。
声がした方を見れば、カチャカチャと金属がこすれ合うような音を発しながら、ものすごい勢いで二人に向かってくる人影が一つ。超人的な移動速度から見て、恐らく纏魔術師だろう。
「アトレイシア様! 護衛である私を置いて勝手に行動されては困ります! というか一体いつの間に……」
到着するなりかなり焦った様子でアトレイシアにそう声をかけたその人物は、額の部分を保護するヘッドガードを付け、二の腕から指先までを覆うアームカバーに、その上から肘と手全体の腕部を守る金属製のガントレットを装着し、胸部にはプレートメイル、脚にはこれまた金属製のグリーブという、物々しくも美しい格好をした女性であった。
背中のあたりまである眩い金髪は薄く桃色がかった光を放っており、彼女の凛々しい水色の瞳と調和し、神秘的な雰囲気を醸し出していた。
そして、何よりも目を引くのは、金髪が踊る彼女の背中に担がれた、約一五〇センチメイル程もある黄金の大剣である。先端部分が菱型を描くような形で重く作られているらしく、振り回せばかなりの遠心力がかかり、すさまじい威力を発揮することだろう。
あれほどの大剣を担いで走り回っても息切れ一つしていないところから見て、彼女の纏魔術の実力は相当なものであるに違いない。
その綺麗ではあるがどこかトゲがあるという女騎士然とした佇まいに、レインハイトは先日ソフィーナが話していた『ヴァルキュリア』という女性纏魔術師のみで構成された部隊の話を思い出していた。
「オーレリア、元はといえばあなたが武器屋に夢中になって私から目を離したのが悪いのではなくて? あれほど急いでいると伝えましたのに、私を無視して延々と武器ばかり眺めて……」
「うっ……それは……」
オーレリアと呼ばれた女騎士はアトレイシアのその反駁によっていとも簡単に勢いをなくし、目を逸らした。
「……ま、まあ私にも非があったのは認めましょう。……しかし、アトレイシア様はなぜあんなにもお急ぎになっていたのですか? 合同訓練の予定時刻にはまだ早すぎると思うのですが。……よくよく考えてみれば、以前から全く興味を示されていなかった合同訓練を急に見学したいなどと申されたのも不自然ですね。……今日はいったいどうされたというのですか」
しかし、その力ないオーレリアの言葉により、今度はアトレイシアが困り顔となった。
「ええっと……わ、私も最近になってようやく魔法学院に興味が出てきたというか……」
「何だか怪しいですね。……まさかとは思いますが、不純な動機が含まれているなんてことはありませんよね?」
「ふ、不純!? ば、馬鹿なことを言うものではないわ! 至って健全な理由です!」
王女に対しての物言いとしてはオーレリアのそれは些か礼儀に欠けているように感じられるが、アトレイシアはそれを咎めるつもりはなかった。なぜなら、彼女はアトレイシアにとってただの護衛などではなく、心から信頼する臣下であるからだ。
こう見えて、この二人は仲がいいのである。
「そうですか。それならば失礼致しました。……ところで、先程から気になっていたのですが、その少年は誰です? 学院の生徒ではなさそうですが……」
珍しく動揺した様子を見せたアトレイシアを若干訝しげに見つめつつ、オーレリアは口を挟まずに大人しくしていたレインハイトへと注意を向けた。
「先日の例の件で私の命を救ってくれたレインハイトという少年です。挨拶なさい、オーレリア」
「……本当にこんなに小さな少年が護衛の騎士団を壊滅させた殺し屋を退けたのですか? ……人は見かけによりませんね……」
驚愕で目を見開いたオーレリアはそこで一旦言葉を区切り、
「アトレイシア様の騎士を務める、オーレリア・フォン・エデルディアだ。アトレイシア様を救ってくれたこと、私からも深く感謝する」
「いえ、当然のことをしたまでです」
金属がこすれ合う音を出しながら頭を下げたオーレリアに対し、レインハイトは少し不機嫌そうな声でそう応えた。無論、その態度の正体は「小さな少年」という表現をしたオーレリアに対する苛立ちである。
そうとは知らぬオーレリアは、難しい年頃なのか、と的はずれな感想を抱きつつ、アトレイシアに向き直った。
「……アトレイシア様、これからどうするおつもりですか。先程も言いましたが、まだ予定の時刻には余裕がありすぎる気がするのですが」
現在時刻は午後二時少し前である。合同訓練が開始される午後三時まで、まだ一時間ほどの時間が余っていた。
「つきましては、一度商店街の方に戻って武器屋に……」
「それ、ただあなたが武器を見たいというだけでしょう」
しかし、オーレリアのその目論見は、アトレイシアの冷静なツッコミによってあえなく却下されることとなった。
「まったく……私は時間までレインとお話しているから、行くなら一人で行って来なさい」
「いえ、私は護衛ですので、そういう訳には……って、レイン? ……アトレイシア様は随分とその少年と仲がよろしいのですね」
「えっ? ……な、仲がいいだなんて、そんな……」
頬を赤らめたアトレイシアは、ちらりとレインハイトを一瞥した。
その仕草はどう見ても恋する乙女のそれなのだが、まさかアスガルド一美しいと言われているアトレイシアが三つ以上は年下であろうこのぱっとしない小さな少年に恋心を抱くはずはないだろうと考え、オーレリアはすぐさまその可能性を切り捨てた。
因みに、実際にはレインハイトとアトレイシアの年齢差は二歳差である。
「ところで、いつまでこうして立ち話をしているつもりなのですか? そうだ、教員にでも話をつけて、学院に入れてもらいましょう」
「それなら、先程生徒会長が先生を呼びに行ったので、そろそろ戻ってくると思いますよ」
「む、そうか」
と、レインハイトがオーレリアに説明を終えると、タイミングよく校舎の扉が開かれた。同じ藍色の髪を持つ二人の美女が並んでこちらに歩いてくる。
「噂をすれば、ちょうど戻ってきたようですね」
言うまでもなく、アリアとエリナである。
「お待たせいたしました。私は職員のアリア・フォン・アルハートという者です。客室までご案内いたします」
事務的とは感じさせないごく自然な笑みを向けたアリアは、踵を返し、来た道を引き返した。それにエリナ、アトレイシア、オーレリア、そして、無関係ではあるが何となくレインハイトも続いて校舎に入っていった。
辿り着いた客室の扉を開き、アリアはアトレイシアに頭を下げた。
「こちらの部屋をご自由にお使いください。エリナを部屋の外に付かせておきますので、何か御用があれば彼女にお願い致します。では、急ぎ合同訓練の準備を進めてまいりますので、申し訳ございませんが、もうしばらくお待ちください」
「ありがとうございます。合同訓練の件については私が早く来すぎてしまっただけですので、そんなに急ぐ必要はありませんよ? まだ魔道師団の方たちも到着しておりませんし、予定通り余裕を持って進めてください」
「お心遣い感謝いたします。……それでは、私はこれで。……エリナ、失礼のないようにね」
最後にエリナに向けて微笑を向けた後、アリアは合同訓練の準備に向かっていった。
「ふう……オーレリア、お茶を淹れてちょうだい。走ったせいでのどが渇いてしまったわ」
「はい、ただいま」
そんなやり取りをしながら客室に入っていくアトレイシアとオーレリアを眺め、騎士というか主人とメイドみたいだな、という感想を抱くレインハイト。
「ねえねえ、レインハイトくん」
「……何ですか?」
二人が室内に入っていったのを確認し、エリナがレインハイトの耳元へ口を近づけた。
「君、王女様とどういう関係なの? 愛称で呼び合うだなんて、とてもただの知り合いだとは思えないんだけど」
「はい? 王女様? 一体何の話ですか?」
エリナが何を考えているのか読めないレインハイトは訝しげな視線を向ける。
「とぼけたって無駄よ? あれだけ仲良さそうなのを見せつけられた後なんだから。私も最初はまさか一国の王女が護衛も連れず一人で来るはずがないと思ったんだけど、あの隠し切れない高貴さはまさしく王女って感じよね」
「いや、だから僕は王女様なんて知りませんって。……ん? 愛称で呼び合う……? も、もしかして、アイシャさんが……アスガルド王国の王女様なんですか……?」
「ええっ!? まさか今まで知らずに話してたの? あなた……色んな意味で本当に大物ね……」
「いや、褒められてる気が全然しないんですけど……」
エリナの愕然とした視線を受け止めつつ、力無く嘆息するレインハイト。
確かに、アトレイシアがこの国の王女であったとすれば、騎士たちを自ら跪かせたりしたことや、アリアの対応がやけに丁寧だったことに簡単に説明がつく。
身分が高い人物であろうことは以前から予測していたことだが、まさか王女であるなどとは想像だにしなかった。アイシャなどと気安く呼んでしまったことで不敬罪にでも問われたらどうしよう、と静かに震えるレインハイト。
その時、ガチャリと音を立て、客室の扉が静かに開かれた。
「あら、バレちゃった……?」
扉から小さく顔を出し、アトレイシアが可愛らしく小首を傾げる。
「げ、アイシャさん……い、今の話、聞いてたんですか……?」
性懲りもなく王女をアイシャと呼ぶレインハイト。恐らく本人は焦りでそんなことにまで気を使う余裕が無いのだろう。
それを聞いたアトレイシアは嬉しそうに頬を緩ませ、頷いた。
「ええ、盗み聞きするつもりはなかったのですが、あなた達にお茶をご一緒しませんかと声をかけようとしたら、ちょうど扉越しに話が聞こえてしまって……」
「……で、本当に王女様なんですか……?」
「さて、どうかしら?」
「…………」
何故はぐらかす……とアトレイシアを胡乱げに見つめるレインハイト。
「王女様って、意外とお茶目さんなんですね」
言った後、「しまった! つい失礼なことを!」と口元に両手を重ねるエリナ。
しかし、アトレイシアは気にした風もなく、平然とエリナに応じた。
「あら、私は王女である前に、齢十五の少女なのですよ?」
ふふ、と楽しそうに笑うアトレイシア。
「お、同い年……だと……?」
年齢を知って驚愕したのか、エリナは信じられないといった風に呟いた。主に視線がアトレイシアの胸部に集中しているように見えるのは気のせいだろうか。
その直後、唐突に鐘の音が校内にこだました。
「……今のは何の音なのかしら?」
「授業の終了を知らせる鐘の音です。この後には合同訓練があるので、今日の授業はこれで最後になります」
エリナの返答を聞いたアトレイシアは、何かを思いついたのか、ぽんと軽く両の手のひらを打ち合わせた。
「そうだわ。レイン、シエルさんをここに呼んできてくれないかしら? どうしても二人にこの前のお礼がしたいの」
「ええ? いいですよ、そんなの」
レインハイトはそうやんわりと遠慮の姿勢を見せたのだが、対するアトレイシアは少し頬をふくらませ、レインハイトの頬をつついた。
「どうしてもと言ったでしょう! せめて感謝の気持くらいは直接伝えないと私の気が済まないの」
レインハイトは優しくアトレイシアの手を払い、観念したように呟く。
「抗議しながらつつかないでください。……わかりました。すぐに呼んできます」
シエルは恐らく合同訓練の準備のため一度寮に戻っているだろう、とエリナに告げられたレインハイトは彼女に一言礼を言い、寮へ向かって小走りで駆けていった。
「……何故かしら……レインを見ていると少し苛めたくなってしまうのは……」
「あ、それすごく分かります!」
走り去るレインハイトの背中を眺めぽつりと吐き出したアトレイシアの呟きに、エリナは激しく食いついた。
「うふふ、エリナさん……といったかしら? 気が合いますね」
「はい! 光栄です!」
その後妙なところで意気投合した彼女たちは、お茶を淹れ終えたオーレリアが呆れ返って止めに入るまで、飽きもせず延々と自分たちの性癖について赤裸々なトークを繰り広げ続けたらしい。




