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レインハイトと魔法の門  作者: アマノリク
第二章 〜理から外れし者〜
22/64

「干渉抵抗力」と「制御魔法」

    ◇


 数分間歩き続け、レインハイトとエリナがたどり着いたのは、王立アイオリア魔法学院の出入口である金属製の扉であった。彼等の背後には魔法学院の大きな校舎が(そび)えている。どうやら生徒会長は校舎外に用があるらしい。


 既にレインハイトとエリナの二人は校舎の外に出ており、そこから広がる魔法学院の広大な敷地の最奥、彼等の現在位置から直線距離数百メイルはあろうかという場所に位置する大きな校門を見据えていた。


「ここで一体何をしようって言うんです?」


「今から説明するわ」


 そう言うと、エリナは真っ直ぐ校門に向かって歩き始めた。

 一体何をやらされるのだろうか、と不安になりつつ、レインハイトはエリナの後ろに付いて行く。

 やがてエリナが立ち止まったのは、縦五〇センチ、横四〇センチ、高さ五〇センチ程度の大きな岩石の前であった。ごつごつとした岩は地面に深くめり込んでおり、多少の衝撃にはびくともしないだろうということが見て取れる。


 この岩を的にして魔法の練習でもするのだろうか。しかし、それでは自分が呼ばれた理由がわからない。

 レインハイトが首を捻っていると、エリナが平坦な口調で呟いた。


「この石ころをどかすわよ」


「……そうですか。じゃ、頑張ってください」


 それでは、とレインハイトは半回転し、校舎の方へ左足を踏み出した。


「何しれっと帰ろうとしてんの!? 君も手伝うに決まってるでしょうが!」


 当然の如く、彼を帰らせまいとエリナは食って掛かる。


「はい? ……誰ですか、本人の許可無くそんなことを勝手に決めた人は。今すぐここに連れてきてください、説教してやります」


「私よ! っていうかレインハイトくんもさっき手伝うって言ったでしょ!?」


 いや言ってねえよ、ちょっと遡って確認し直して来い、とレインハイトは胸中で呟き、眼前の岩石を見た。

 幾日もの時間をかけ地面と硬く結びついた岩石は、纏魔(てんま)を使用したところでとても一人では持ち上げられるとは思えない存在感を放っていた。まず、地面から掘り出すまでが一苦労だろう。


 どの程度の体積が地中に埋まっているのかは正確に測ることはできないが、地上に露出している分の質量だけでも相当な重量を誇っているだろうということが容易に理解できる。

 そもそも、可能か不可能かという以前に、レインハイトはこんな重そうなものを持ち上げるという行為に挑戦したくはなかった。単純で地味な作業の上、絶対に疲れるからだ。


 こんな仕事を率先してやりたがるような奴は、この人の話を聞かない自分勝手な少女を「エリナ様」などと言って崇めているユリウスのような変態だけだろう。

 もちろん、そんなことを仮にも年上であるエリナに素直に言う訳にはいかないため、レインハイトは控えめな後輩のような雰囲気を纏いつつ、生徒会長に進言した。


「あの……こんな風に地面に埋まってたら纏魔を使っても持ち上げられませんよ」


 お力になれなくて本当に申し訳ないです、と大げさに肩を落とすレインハイト。

 しかし、彼女の口からはレインハイトが予想した「なら仕方ないわね」という返答は返ってこなかった。

 遠回しな拒絶とも取れるレインハイトのその申し出に、エリナはあっけらかんとした明るい声で答える。


「ええ、もちろん貴方一人で持ち上げられるとは思ってないわ。もしそんなことができるなら、私は今すぐに纏魔術を必死に習得しようとするでしょうね」


「……纏魔は一朝一夕で身に付くような簡単なものではないらしいですよ」


 その纏魔を軽視しているようなエリナの発言に、レインハイトは不貞腐れたように小さく反抗した。

 こういった態度がエリナの嗜虐心を刺激しているのだが、レインハイトにその自覚は全く無いようだ。


「ふふ、別にレインハイトくんを挑発してる訳じゃないのよ? ま、見てなさい」


 得意げな笑みを浮かべたエリナは、懐から直径三十センチメイル程度の白金(プラチナ)でできた杖を取り出した。取っ手の部分には革が張ってあり、見るからに高級そうだ。

 魔力と相性のいい金属製の武器は、魔法を使用する際の媒介として多くの魔道師に好まれている。金属の種類によって性能の差が大きく出るが、どれも流された魔力を増幅したり、より魔力の操作速度を上げたりするなどといった効果を持っている。


 様々な種類のある金属の中で、白金(プラチナ)は金の上位に位置するかなり高価な金属である。因みに、白金(プラチナ)の上位金属は灰輝鉱(ミスリル)という鉱石であり、こちらは通常の金属よりも何倍も高価な「魔鉱石」と呼ばれる種類の金属であるが、しかし、より強く魔法を強化する貴重な「魔鉱石」は生産量が少なく、おいそれと手に入れることが可能な品物ではない。


 そういった理由から、国の軍隊に所属していない一般の魔道師でも所持できる金属という括りの中では、白金(プラチナ)は最上級に位置する金属だと言っても差し支えない。

 従って、エリナの持つ白金(プラチナ)製の杖は、文句のつけどころがない程の最高級品であると言えるだろう。


 図書館で得た知識により金属にもある程度詳しくなったレインハイトは、貴族は金持ちでいいなあと思う反面、結局のところ魔法の使えない自分には貴族であろうとなかろうと金属製の媒介は必要無いではないか、という複雑な心境でエリナの杖を眺めていた。


 レインハイトは白金と銀の見分けができるわけではないが、どちらにせよ、彼にとって金属製の杖は高級品なのだ。

 無論、レインハイトがそんなことを考えていることなど知る由もないエリナは、優雅に右手の杖を振ると、透き通った美しい声で魔法の詠唱を始めた。


「オセル・ラーグ・ニイド・アンスール――『粘土(クレイ)』!」


 学院で第三位の実力を持つエリナは、ルーン詠唱と呼ばれる高度な詠唱法を使用し、通常よりも短い時間で魔法を作り上げていく。やがて出現した茶色く光る魔法陣は、地面にめり込んだ岩石に向けたエリナの杖を中心として等速回転し、世界の情報を改変し始めた。


 次の瞬間、魔法の効果により、先程までは硬質であった岩石の周囲数センチほどの地面が、みるみるうちにドロドロとした柔らかい状態へと変化した。地面の水分量が改変され、液状に変わったのだ。今ならばあの大岩を簡単に傾けることができそうである。


「通常よりも水分量を多くしておいたわ。これで地面を掘る必要はなくなったわね」


「便利だなあ……魔法……」


 淡々と告げるエリナに僅かな尊敬の念を抱きつつ、レインハイトは呆然と呟いた。


「さ、早くどかしちゃいましょう。急がないと魔法の効力が切れちゃうわ」


 魔法は様々な情報を幅広く改変できる存在ではあるが、もちろん、かと言って何でも思い通りになる万能の力というわけではない。物理法則をある程度無視できるとは言っても、そこにはやはり制限が存在するのだ。

 その制限の中でも最も大きな存在の一つ、古くから「この世界に元から備わっているもの」とされてきた力、ミリスタシアの魔道師達からは「世界の干渉抵抗力」と呼ばれているものがある。


「世界の干渉抵抗力」とは、この世界が持つ「魔法による世界の情報(イデア)の改変」に対する抵抗力のことで、魔法により影響を受けた情報を、世界が勝手に元の状態へと修正する力のことを言う。

 しかし、だからといって、この力は魔法によって改変された全ての情報を片っ端から修正するわけではない。修正される情報には明確な区分があるのだ。


 例えば、ある魔道師が魔法により世界の情報を改変し、火を生成したとする。この火は、やがて世界から「異物」であると判断され、「世界の干渉抵抗力」により情報の修正を受け、現実から消えることになる。しかし、その魔法により生成された火によって加熱された物質などの情報は、世界から「正常な作用」であると判断されるため、情報の修正を受けないのだ。


 つまり、魔法により物理法則を無視し強引に生成された「奇跡」そのものはいずれ「世界の干渉抵抗力」により修正されてしまうのだが、その「奇跡」により影響を受けた様々な情報に関しては、その限りではないのだ。


 肉体を再生させる治癒魔法が「世界の干渉抵抗力」の影響を受けないのもこのためである。それはすなわち、魔法により傷つけられた肉体も「世界の干渉抵抗力」の影響を受けないということを意味するのだが。


 わかりやすく例えれば、喉が渇いたからと言って魔法により生成した水を飲んでも、それが体内で吸収される前に「世界の干渉抵抗力」によって修正され、消えてしまうのである。

 厳密に言えば魔法によって生成された水は「水のように見える何か」であり、自然界に存在する水とは全く異質なものである。そのため、そもそも「世界の干渉抵抗力」が存在しなかったとしても体に水分として吸収されることはないのだが、これはたとえ話であるためその点は考慮しないものとする。


 しかし、魔道師には非常に厄介な存在である「世界の干渉抵抗力」だが、仮にこの力が世界に存在しなければ、魔法が世界中のあらゆる元素や物質のバランスを崩壊させ、最終的には世界そのものを滅ぼしかねないのだ。そういった点から見てみれば、「世界の干渉抵抗力」は魔法の存在するこの世界に無くてはならない力だと言える。


 因みに、「干渉抵抗力」は人間や魔物を含めたありとあらゆる動物にも存在し、己の肉体内に危害を加えるような改変を拒絶する力を持っている。この「生体干渉抵抗力」と呼ばれる抵抗力はかなり強いものであり、体内を直接攻撃する魔法などは即座に弾くため、対象の体液を直接蒸発させたりなどというような魔法を使うことはできないのだ。


 少々話が逸れたが、今回エリナが使用した『粘土(クレイ)』という土属性と水属性の混合魔法は、地中に魔法で生成した水を含ませ土の情報を改変し、粘土を生成するというものである。この際に生成した水分のほとんどは魔法により強引に作り出されたものであるため、いずれ「世界の干渉抵抗力」に異物であると判断され、消えてしまうのだ。それ故に、エリナは「早くどかしちゃいましょう」とレインハイトに指示を出したのである。


「でも……この状態で岩を持ち上げたら、僕の服が汚れると思うんですが……」


 レインハイトの眼前に存在する岩石の周囲の地面は、エリナが先程放った魔法の効果により泥水と化している、当然これを持ち上げれば、地中に埋まっていた岩石の下部に付着した泥水が、レインハイトが今現在着用している服――長耳族の村から王都アイオリアへ出発する際にシエルの兄であるロイから譲り受けた(お下がりとも言う)貴重な服である――にべっとりとした汚れを生成するだろうということは想像に難くない。


 彼は既に、王都に向かう途中でやむを得ず行った自称殺し屋ことヴィンセントとの戦闘と、三日前のチャラ男ことクリードとの決闘の際にその内の二着をボロ布へと変化させてしまっている。これ以上尊敬するロイの衣服を冒涜するような行為を犯すのは流石のレインハイトでも心が痛むため、そのような事態はできれば避けたいところであった。


「何よそれくらい、いちいち細かい子ね。汚れくらい私が取ってあげるわ。もちろん魔法でだけど」


 平然とそう言ってのけたエリナからは、「その程度の魔法なら簡単に扱うことができるのよ」というような確固たる自負心が伺えた。どうやらレインハイトの懸念は心配無用な事態であったらしい。


「……ほんと、魔法って反則だよな……」


 若干辟易したように呟くと、腕まくりをしたレインハイトは腰を落とし、大岩の両脇に腕を回した。全身に魔力を行き渡らせ、肉体を全体的に強化する基本技、練纏式体術『(てん)』を行う。

 練纏(れんてん)が正常に作動しているのを確認すると、エリナの言葉を信じ、レインハイトは両手を泥水の中へと突っ込んだ。地中の深さは約二〇センチメイル程ろうか。


 そして、肘が浸かる辺りまで腕を入れると、手探りで大岩の底を探り当て、両手をしっかりと岩に引っ掛けた。後は力の限り持ち上げるのみだ。


「ぐっ……重いな……」


 大岩はその見た目を裏切らず、ずしりというすさまじい存在感をレインハイトの両腕に伝えた。腕だけの力ではとても持ち上がりそうにない。レインハイトは腰を入れ、全身の筋肉を使用して岩石に力を加えた。

 すると、先程はびくともしなかった岩が僅かに持ち上がった。一度動かしてしまえば後は簡単である。レインハイトは勢いを殺さないよう素早く魔力を練り上げ、纏魔によって強化された膂力(りょりょく)により一気に大岩を持ち上げた。


「……よいしょっと」


「うそ……まさか本当に一人で持ち上げるられるなんて……」


 体積から計算するに、恐らく重さ三百キロ以上はあるであろう大岩だ。エリナが驚くのも無理は無い。

 彼女は正直なところ、レインハイトにあまり期待していなかったのだ。当然あの大岩を彼一人で持ち上げられるとは考えておらず、自分が魔法で補助をしてやり、学院の上位成績者八名にのみ名乗ることを許された称号――『八脚(はっきゃく)』の実力をあの生意気な少年の目に刻みつけてやろうなどとと思っていたのであった。


 纏魔を使えるとはいえ、レインハイトの外見は身長が一六〇センチメイルにも満たない華奢な子供である。そんな少年が己の体重の何倍もの重量を誇る岩石を持ち上げたのだ。状況を何も知らぬ者が見れば、何か仕掛けがあるのではないかと疑わずにはいられない異様な光景であった。


「あの……驚いているところ悪いんですが、これ、どこに運べばいいんですか?」


 しかし、レインハイトにそんな認識は存在しないらしく、無表情とも言えるような平然とした面持ちでエリナに指示を仰ぐ。

 彼は、纏魔術師であればこの程度のことは誰にでも可能なことであると思っているのだ。


「あ、ごめんなさい。えっと……あの校舎脇の辺りに置いてきてくれる?」


 エリナが指し示したのは、現在レインハイトが立っている位置から三十メイル以上は離れた場所であった。三日前に決闘を行った広場の端の辺りだ。


「……遠くないですか」


「今度何かお礼するから、お願い!」


「……服の汚れ落としも忘れないで下さいよ」


 小さくため息を付き、レインハイトは魔力を練り上げ、脚部に流し込んだ。脚力を強化する練纏式体術『疾風(しっぷう)』である。無論、全身を強化する『(てん)』を解除すれば大岩を持てなくなるため、両方の併用だ。複数の纏魔術を同時に使用するというのはかなりの技量が要求されるのだが、レインハイトは事も無げに二つの技を安定させている。


 しかし、これは剣術の師匠でありシエルの父でもあるエリドに「自分が長年の鍛錬により積み上げてきた研鑽(けんさん)は一体何だったのだろうか」と思わせるほどの優れた魔力操作技術を持つレインハイトだからこそ可能な芸当なのである。生まれついてから何十年間にも渡って魔力を操ってきた纏魔術師にさえ、複数の纏魔術の併用はそうそう成功し得ない難しい技術なのだ。畢竟(ひっきょう)、使いこなせる者の数は恐ろしく少ない。


「あの大岩を持って走れるの……? ……私も今度から真面目に纏魔術の授業に取り組もうかしら……」


 纏魔により素早く岩を運ぶレインハイトの姿を唖然とした表情で見送りつつ、エリナはそう漏らした。レインハイトが見せた纏魔術は、今まで彼女がその目で見てきた誰のものよりも優れたものであり、感嘆に値する性能を発揮していたからである。


 レインハイトは以前から己に「自然魔法」の適正がないことを嘆いているが、しかし、彼の持つ正確無比な魔力操作技術は、纏魔術師だけに限らず、魔法を扱う魔道師であっても喉から手が出るほどに渇望するであろう凄まじい才能なのだ。


 派手さが目立つ「魔法」と比べ、「纏魔術(てんまじゅつ)」は“基本的には”目に見える形で術者の技量を示すことが難しい地味な技術であるが、しかし、そこにはやはり魔法と同じように“優劣”というものが存在する。当然の事だが、同じ技であっても使用する術者によってその性能には差が生まれるのだ。差が出る理由には諸説あるが、基本的には、練り上げる魔力の量や質、流麗な魔力操作などにより決定すると言われている。


 従って、繊細な魔力感知と正確な魔力操作により無駄なく纏魔を行えるレインハイトには、「纏魔術」という技術をより極限の状態にまで引き上げることが可能なのだ。


 長耳族の村という人口の少ない場所で過ごしていたことに加え、身近な纏魔術師がエリドとロイの二人のみであり、レインハイトはこれまで己の天禀(てんびん)を他の纏魔術師と比較する機会があまりなかった。村には他にも多数の纏魔術師が存在したのだが、彼等は纏魔を習得したばかりの、いわば「見習い纏魔術師」であったため、師匠であるエリドがレインハイトと戦わせるのは危険だと判断し、彼等との戦闘を禁じてきたのだ。レインハイトはその処置を己の未熟さが招いたものであると勘違いしていたが、実際はその真逆であった。


 そういった経緯があったためか、彼は己の持つ「魔力感知」と「魔力操作」の技術をあまり大したものではないと受け止めている節がある。『天狗になられては困る』と考えたエリドが、鍛錬の際に彼をあまり褒めてこなかったというのも影響しているのだろう。

 良くも悪くも、レインハイトは己の才能に無自覚過ぎるのだ。


「ったく……人使い荒いなあ……」


 エリナに聞こえないように悪態をつきながら大岩を抱えたまま走るレインハイトは、僅か数十秒で目的地である校舎脇に到着した。


 ゆっくりと地面に大岩を転がし、短く息をつく。先刻の予想通り、岩肌に密着した服は既に泥まみれである。本当に魔法でこの汚れを落とせるのだろうか。レインハイトはかなり不安になったが、ああ見えてもエリナは一応魔法学院で上から三番目の実力を持っているのだ、今は彼女の言葉を信じる他無い。


「レインハイトくーん! まだそれだけじゃ終わりじゃないからねー! 終わったら帰って来てー! ダッシュでねー!」


 その狙い澄ましたかのようなタイミングでかけられた大声に一瞬思考が読まれたのかと思いびくっと肩を震わせたが、どうやらそれは杞憂であったようだ。

 レインハイトは申し訳程度に服の泥を手で払うと、取り澄ました態度でエリナの元へと駆けた。


「何で俺がこんな雑用紛いの仕事……」


「はいはい、ごちゃごちゃ言わないの」


 エリナはレインハイトの文句を一蹴し、右手に持った白金の杖を振った。すると、そこから三メイルほど離れた場所にある砂山から、先程レインハイトが運び出した大岩の四分の一程の大きさの砂の球が浮かび上がった。重さに換算すれば五〇キロ程度だろうか。


 レインハイトは空中に浮かぶ球体の砂の周囲から魔力を感じた。言うまでもなく、エリナのものだ。


「それって『制御魔法(せいぎょまほう)』ですか?」


「ええ、そうよ。……流石に重たいわね」


『制御魔法』とは、普段、魔道師達が放った魔法の操作を行う際などに無意識の内に行っている『制御』を利用し、物体などを操る『無属性魔法』の一つである。魔術の時代から存在していたとされる古い魔法であり、そこには詠唱も魔法陣も必要が無い。


 つまり、術者が念じるだけで物体を動かすことができるのだ。更に言えば『無属性魔法』であるため当然、火、水、風、土といった各種『属性(エレメント)』の適性も必要無く、魔力を持っている者ならば誰もが扱うことができるとされる魔法の一つである。


 誰もが扱うことができるとされる魔法の一つである。


(はあ……どうして俺は『制御魔法』すら使えないのだろうか……)


 レインハイトは忘れかけていた苦い体験を思い出し、顔を顰めた。

 当然のことながら、そんな素晴らしい魔法の存在を知ったレインハイトがそれを試そうとしないわけもなく、彼は図書館でそれを知ったその日の内に『制御魔法』の実践を試みた。


 しかし、成功を確信しつつ制御を行ったレインハイトに待っていたものは、手のひらから僅か数センチ浮かび上がっただけで床に転がり落ちた制御の対象である小石と、期待を裏切られたことにより己の心奥(しんおう)から生まれた海よりも深い絶望であった。

 その後、何かの間違いに違いないとレインハイトは小賢しくも小石から砂粒へと対象を変更したのだが、結局のところ、最後まで満足に制御が成功することはなかった。


 重さ一グロムにも満たない小さな物体でさえ自由に動かすことが叶わなかったのだ。言い訳のしようがない。自分は「自然魔法」が使えないだけにとどまらず、魔道師ですら無い普通の人間にまで扱うことのできるとされる「制御魔法」使う資質すら持っていなかったのだ。


 僅かとはいえ物体を動かすことに成功した分「自然魔法」よりも望みはあるが、それも微々たるものだろう。なにせ、レインハイトが最初に試した小石くらいのものなら、一般人であっても自身の半径数一〇センチメイル程度の範囲内であれば自在に操ることができるらしいからだ。手に触れている状態のものしか制御できないレインハイトとは、正に雲泥の差である。


 これほどまでにことごとく魔法を扱うことができないのだ。これは才能云々ではなく、「魔法」という存在そのものから嫌われているとしか思えなかった。現状、唯一扱うことのできる『吸魔(ドレイン)』だけがレインハイトの心の支えである。


「……ふう」


「……さっきの岩もその『制御魔法』で運べばよかったんじゃないですか?」


 嵌り込んでいた石を運び出したことによりぽっかりと空いてしまっていた地面のくぼみに制御魔法によって運んできた砂の塊を流し込んだエリナに対し、レインハイトはそう問うた。


「そんなの無理に決まってるでしょ!? あんな大岩を制御できるような魔道師なんて、私見たことも聞いたこともないわよ? まあ、制御魔法は地味だからそんなに好んで使う魔道師は居ないってだけで、絶対にとは言い切れないんだけど。

 ……それにこの魔法、地味な上にあまり重いものは運べないし、常に集中しないといけないから疲れるのよ。……っていうか、レインハイトくんだって制御くらい使ったことがあるんだろうし、そんなこと聞かなくてもわかってるでしょう?」


 彼のその問いに対し、エリナは疲労により浮き出た額の汗を拭うと、少し苛立ったような声を上げた。その声音のせいだろうか。流し込んだ土を地面に(なら)すために足踏みもしている動作が怒りのあまり地団駄を踏んでいるようにも見える。


 彼女がいったい何をしているのかというと、魔法で強引に土を生み出しても「世界の干渉抵抗力」によってすぐに元の状態に戻されてしまうため、こうして現実に存在する土を流し込むというごくごく普通の方法によって、地面に空いた穴を塞いでいるのである。


 エリナは苛立つのと同時に、少しの困惑を覚えていた。あれほどの纏魔術を扱える程に魔力を持っているのだから、当然『制御魔法』くらい使ったことがあるだろう。

 ならば「制御」がそのような万能な魔法でないことは問わなくてもわかっているはずだ、それなのに、何故この少年はそんな問いをぶつけてくるのだだろうか。もしかして、自分を馬鹿にしているのだろうか。エリナは胸中でそんな思いを巡らせた。


 まさか『八脚』である自分を唸らせるほど見事な纏魔術を扱えるレインハイトが、特に特別な技術が必要無い「制御」程度の魔法を満足に使えないなどとは考えもしなかったのだ。


「へえ、物体を意のままに操れると言っても、そんなに便利なものじゃないんですね。……っていうか、当たり前のように使える前提で話されてますけど、僕は制御魔法使えないですよ」


「はあ!? 制御が使えない? 冗談でしょ!?」


 そんな馬鹿な話があるものか。エリナは到底その事実を信じることはできなかった。


「本当に冗談だったらいいんですけどね……」


 しかし、悲しそうにそう呟いたレインハイトからは、自分をからかおうとしているような気配は感じられない。まさか、冗談ではなく本気で言っているのだろうか。


「……制御魔法を使うコツとかって無いんですか? 一応本を読んだので知識はあるつもりなんですが、何度挑戦しても石ころ一つ自由に動かすことができないんですよ」


「魔法陣を展開する行程が必要な魔法でもあるまいし、コツなんか無いわよ。……っていうか、その様子だと、本当に制御を使えないみたいね……。はあ……レインハイトくんって本当に不思議な子だわ……」


「そ、そうですか……」


 詠唱や魔法陣が必要無いことに加え、制御魔法には、自然魔法のような「級」の区別すら存在しないのだ。


 制御する対象の重量や大きさの大小によって規模の違いはあるが、小石程度の重量の物体を数秒間浮かせるくらいのものであれば、魔道師でない一般人にも扱えるほど簡単な魔法なのである。つまり、本当にレインハイトが小石ですら満足に制御できないとすれば、その原因は、生まれ持った魔力保有量が恐ろしく少ないか、魔力を扱うセンスがそこらの一般人にも劣るほど壊滅的な状態であるのかのどちらかということになる。


 しかし、とエリナは自身の挙げたその2つの原因に疑問符を浮かべる。なぜなら、正確に測ったわけではないが、レインハイトの魔力保有量はかなりのものであるはずだからだ。先程、彼が纏魔術を使用している際の凄まじい魔力の脈動を実際に自分の肌で感じたのだから間違いない。

 加えて、彼の魔力操作のセンスに関しては考察する必要すらないだろう。纏魔術を自在に使いこなせている時点で、レインハイトは一般人より遥かに優れた魔力操作技術を持っているといえる。


 それほどの魔力量と操作技術を持ち得ているというのに、制御が使えないなどという事態は本当に起こり得ることなのだろうか。エリナは胡乱げな目をレインハイトに向けたが、彼の小柄な体躯を見下ろし、はたと気づく。

 最強である自然魔法を使う魔道師を素手で倒してみせた彼に対し、自分はどこか的はずれな幻想を抱いていたのかもしれない、と。


 彼は三日前、その凄まじい纏魔術の才能と実力を、自分や周囲の生徒達の目の前で実際に示してみせた。その凄まじい力を見せつけられ、自分は勘違いしてしまっていたのだろう。彼には不可能なことなど何もなく、その気になれば『八脚』である自分すらねじ伏せることができるほどの力を持っているのではないのかと。


 要するに、自分は先日の一件から、あの時の彼の雰囲気に呑まれてしまっていたのだ。こうして冷静に考えてみれば、このレインハイトという少年は至って普通の人間である。当然、できないことくらいあるだろう。


「いくら才能がないと言っても、せめて無属性魔法くらいは使えたら良かったのにな……」


「ふふ、そんなに魔法を使いたいの?」


 と、レインハイトの底を知ったことにより少しの安堵感を覚えたエリナは、隣で悲嘆にくれるレインハイトに明るい声をかけた。なんとも現金な少女である。


「そりゃあもちろん。魔法を使える魔道師達が羨ましいです」


 そんなエリナの態度を咎めること無くそこまで言い終えたレインハイトは、ふと思い出した疑問を彼女にぶつけることとした。


「……そう言えば、この学院に魔道書とか魔術書って蔵書されてないんですか? ここ最近ずっと図書館で探しているんですが、一向に見つからないんですよ」


 己の主人であるシエルがこの王立アイオリア魔法学院入学してからほぼ毎日、レインハイトは足繁く学院に併設されている図書館に通いつめていた。無論その理由は、ここ人大陸における力の象徴である魔法の知識を身につけるとともに、あわよくば何らかの魔法を習得してしまおうというものである。


 しかし、レインハイトは毎回図書館内をくまなく探しているのだが、魔法や魔力などについて浅く書かれた本はあっても、魔法を発動させるための詠唱や魔法陣などが詳しく記載されている魔道書や、魔法の元となった魔術について書かれた魔術書といった類の本が一向に見つからないのだ。


「もちろん、ここはアスガルド王国が誇る魔法学院なわけだし、当然そういった類の本も蔵書はされているわ。でも、いくら図書館を探しても見つからないと思うわよ」


「何処か別の場所にでも保管されているんですか?」


「ええ、その通りよ。図書館の地下にあるっていう禁書庫に行かないと、そういった本を見ることはできないの。まあ、偽物を掴まされても構わないって言うなら、王都の市場で探すって手もないわけじゃないけれど」


 魔法はその国の力と直結するほど重要な技術である。故に、魔法を軍事力として扱う国は他国への魔法の流出を嫌い、情報を秘匿する傾向がある。魔法学院が禁書庫に魔道書や魔術書といった「魔本(まほん)」を保管するというのは、そういった理由があるための処置なのだろう。


「じゃあ……どうすればその禁書庫に入ることができるんですか?」


 本が学院にあるなら話は早い、誰も禁書庫に入れないなんてことはないはずだ。学院の生徒会長なら何か方法を知っているだろう。

 レインハイトは安易にそう考え彼女に問うたのだが、しかし、


「うーん……入るのは難しいと思うわ」


 と、エリナは己のおとがいに手を当て、難色を示した。


「どうしてです?」


 やはり学院の生徒でない自分には難しいものなのだろうか。レインハイトはそう不安に思いつつ、エリナの答えを待った。


「君が何のために魔道書を探してるのかは知らないけど、国や魔道師にとって、魔本はすっごく貴重で大切なものなの。学院の生徒はおろか、生徒会長の私にだって禁書庫に入ることはできないのよ。まあ、魔道師系の貴族なら一家に一冊くらいは魔道書があると思うけど、それだって家宝みたいな大切なものだし、滅多にお目にかかれるものではないわ。希少価値だってすごく高いのよ?」


 どうやら魔本というものは自分が想像していたよりも遥かに価値の高いものだったらしい。

 こうして、先ほどまでレインハイトが抱いていた希望は、エリナによって容易く打ち砕かれた。


「そうなんですか……別に何かに悪用したいわけじゃなくて、ただ自分の知的好奇心を満たしたいだけなんですがね」


「ま、潔く諦めたほうが懸命ね。……ほらほら、次の石運ぶわよ。時間がないんだから」


 当然そんな言葉にエリナが取り合うはずもなく、レインハイトのぼやきを軽くあしらうと、彼女は次なる岩を探しに足早に歩き出してしまった。

 藍色の髪を揺らしながら前を歩く生徒会長の背中を追いかけつつ、レインハイトは、自分はまたしても魔法から拒絶されてしまったようだ、と静かに肩を落とした。



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