一躍有名人
章が変わったこともあり、ここから少し説明が多くなります。ご容赦ください。
黒髪の使用人レインハイトと、王立アイオリア魔法学院の三年生、「チャラ男」ことクリードとの間に起こった決闘事件(厳密には決闘ではなく喧嘩の範疇である)から三日後。時刻は午前十時頃。
なんとなく、予てから行ってきた魔法の勉強とは別に、この世界の歴史などについての知識を付けようと考えたレインハイトは、図書館で一人、黙々と本を読んでいた。ページを捲る右手の動きは滑らかだ。
それもそのはず。クリードの放った風属性の自然魔法『空槌』の直撃により折れたと思われていた彼の右腕は、既に完全に治っているのだ。
レインハイトはこの右腕の怪我を、特別な処置などは一切せず、己の自然治癒の力だけに頼ったなんとも原始的な方法で治してみせた。しかも、完治に要した時間は三日ではなく、たった数時間である。
明らかに異常な自然治癒力なのだが、思ったよりも大したことはなかったのか、とレインハイトは特に気にすることも、疑問に思うこともなかった。
何故なら、既に治ってしまった怪我について考える暇など、ここ数日の彼には存在しなかったためである。
レインハイトは現在、単なるしがない使用人から一転、学院内で最も脚光を浴びる時の人となっていた。
その理由の全ては、彼が三日前に引き起こした大事件に集約される。
レインハイトは、己に決闘を申し込んできた三年生であるクリードを負傷しつつも退けただけでなく、魔法学院の教師であるアリア・フォン・アルハートの妹であり、学院内で第三位の実力を持つ選ばれし『八脚』であり、三年生にして魔法学院の現生徒会長を務めるエリナ・フォン・アルハートの魔法を二度に渡って無効化し、更には『八脚』である彼女の付き人であるユリウス・フォーブレイの顔面を殴りつけるというすさまじい事件を巻き起こした。
そして、その現場に居合わせた傍観者達の手によってレインハイトという使用人の存在は学院中に知れ渡り、現在では彼が学院内に姿を現す度に、学院中の生徒達がどこからともなく集合し、ざわざわとやかましく騒ぎ立てるのだ。
レインハイトが事件の翌日に図書館に出向いた時など、有名人たる黒髪の使用人の姿をひと目見ようと、広い図書室が悲鳴を上げるほど大量の生徒達が押しかけたくらいである。普段は閑散としていた図書館が一気に人口密度を上げるその様は、一年間ほど長耳族の村という田舎で過ごしてきたレインハイトに軽いトラウマを植えつけるほどの凄絶な光景であった。
流石にこのままでは不味いと考えたレインハイトは、今回のように授業中という時間を狙い、密かに図書館を訪れているのである。
とはいえ、有名人になってしまったとはいっても、学院の生徒達がレインハイトに対して取ってきた行動はといえば、彼を遠巻きから眺めつつ、ひそひそと囁き声を上げるという些細なことだけであった。
その雑音と視線がとてもうざったいという間接的かつ精神的被害を除けば、不意に魔法を放たれたり、罵詈雑言を浴びせられたりなどという直接的な害は特に被ってはいない。
普通、こういった事態に陥った場合、彼等が噂に飽きるまで、あまり意識せず無視して放っておくのがセオリーなのだろう。当然、レインハイトも初日はそう努めようと努力はしていた。
しかし、わざとなのか偶然なのかは分からないが、彼等、彼女等から時折漏れ聞こえてくる大きめの囁き声が、どうしても、気になって仕方がないのだ。
レインハイトの耳に聞こえてくる声は、特に女生徒の比率が高かった。どうして女性というのはあんなに噂好きで、しかもわざわざ周囲に聞こえるように声を大きくして喋るのだろうか。
ある女生徒はこんなことを言っていた。
「俺様の前にひれ伏せ、クソ貴族……!」
声真似のつもりか、若干声が低い。
それに次ぐ、きゃー! という取り巻きの女生徒達の黄色い声。
そんなこと言ってねえよ! と突っ込みたくなったのだが、相手にしてはダメだと即座に思い直し、その時のレインハイトは寸でのところで己の衝動を抑え切った。
しかし、まだまだこんなものではないのだ。他にも様々なバリエーションがあった。
ある女生徒はこんなことを言っていた。
「そんな腰の抜けた剣、俺様にとっちゃあ玩具も同然だぜ……!」
またしても声が低めだ。そして何故かレインハイトの一人称が「俺様」で統一されている。
もちろんその後に、きゃー! という黄色い声はきちんとセットで付いてきた。
だから言ってねえよ! と、やはり胸中で突っ込むレインハイト。
その他にも、
「『八脚』? 知らねえな。……謝罪に身分なんか関係ねえ。腰の角度は最低でも三十度だ。でなきゃ俺様は認めないぜ」
おい、なぜ俺の心の声が読まれているんだ!?
更に、
「今日から俺様が『八脚』だ!」
これに至っては掠ってもいねえ!
などなど、そんな突っ込みを校舎を移動する度にしていれば、それは疲れもするだろう。
視線を向けてくる生徒達に害意があまりなく、逆に好意的(?)なのは意外ではあったが、力がモノを言う世界だからこそ、勝者には寛容なのかもしれない。
少し話が逸れてしまったが、こんなことが二日間も続けて行われてきたため、流石にうんざりしてきたレインハイトは、こうして周囲の目に気を配り、身を隠しているのであった。
(一体いつになったら解放されるのだろうか……)
大きめのため息を付き、レインハイトはぺらぺらと本のページを捲る。
いかん、こんな気持ちでは本に集中できない。ぶんぶんと頭を左右に振ったレインハイトは、気合を入れなおし、本に書かれている文字に集中した。今日は歴史の勉強をしに来たのだ。
思えば、村にいた時には力をつけることだけで精一杯であり、今までろくに勉強をしてこなかった。シエルは学院の授業を受けることができるから問題ないだろうが、自分はそうもいかないだろう。
こうして学べる機会があるなら学んでおくべきだ。レインハイトはそう考え、自分が生きているこの『ミリスタシア』という世界についての勉強をすることにしたのだ。
結果から言えば、その選択は間違っていなかったと言えるだろう。二日間にわたって蓄積され続けたストレスによる気の迷いだったのかもしれないが、今回の自分の気まぐれのお陰で、レインハイトはいくつかの重要な情報を知り得ることができたのだ。
この世界は、大きく分けて二つの大陸でできている。その名も、「人大陸」と「魔大陸」。
現在レインハイトの住んでいるこのアスガルド王国は、その内の人大陸の方に属している。
人族が支配する大陸のことを人大陸、魔族と呼ばれる種族が支配する大陸のことを魔大陸と呼ぶらしい。
今から約一六〇年前、人族と魔族間で大きな戦争――「人魔大戦」が行われていた。
当時、強力な身体強化術――「纏魔術」を使用する魔族に押されていた人族は、ついに古より伝わる強大なる力「魔術」を応用した技術、「魔法」の実戦投入に成功する。
「魔法」とは、本来何十、何百もの人間が集まり、幾年もの時間をかけて初めて引き起こすことのできる強大な奇跡である「魔術」を、術者一人のみで発動できるようより威力を小規模に、そして、その場で即座に奇跡を起こせるよう、効果が発動するまでの時間をより短く調整したものであった。
人族の魔法部隊はその圧倒的な力で「纏魔術」を使用する魔族をなぎ払い、戦線各所で猛威をふるったという。
「魔法」の活躍により、やがて人族は魔族を押し返し、「人魔大戦」に勝利する。
戦争に勝利した人族は魔族を人大陸から排斥し、人大陸と魔大陸の境目に壁を築き、常に見張りを配置するようにしたらしい。人魔大戦の終結から約一六〇年が経った現在においても、依然としてそれは続いているのだそうだ。
その後、人族は「魔法」を持って「人魔大戦」を終結させた事を記念し、その年から「魔導歴」という暦を採用したらしい。
そう、その人魔大戦の際に使われていた「魔法」こそが現在の「自然魔法」の原型であり、驚くべきことに、「纏魔」とは元々魔族の使っていた術だったのだ。
「魔法の方が纏魔術よりも優れている」という魔道師の考え方も、この歴史に照らして考えてみれば、案外すんなりと理解できる。自分達が開発し、人魔大戦で人族を勝利に導いた「魔法」こそが王道であり、敵である魔族が使用していた「纏魔術」は邪道だと言いたいのだろう。
いや、貴族だけではない。アスガルド王国内はもちろん、人族の支配下にある「人大陸」全土にそういった考えが深く根付いているのだ。
それを裏付ける証拠のような話もある。これはシエルやソフィーナから聞いた話だが、主に自然魔法を使用するこの国の魔道師達は、あまり纏魔を使おうとしないらしい。特に、貴族の出身の魔道師となるとそれが顕著なのだそうだ。
きっと幼い頃から「纏魔は野蛮な者達の使う術だ」というようなことを言われて育っているのだろう。もっとも、中には「纏魔も使えたほうがいい」と考える者もいるらしいが。
無論、「優れた魔道師を育成する」という目的のもと設立された魔法学院では、強力な身体強化術である纏魔の授業も存在する。しかし、「魔法」と「纏魔術」の優劣をはっきりつけてしまった「人魔大戦」という歴史的背景が存在するため、あまり積極的に授業に取り組む生徒はいないらしいのだ。
もちろん、生徒達は成績が落ちないようほどほどには取り組むのだが、しかし、その程度の覚悟では当然纏魔が使えるようになるはずもなく、学院の教師たちは毎年その現状に頭を抱えているのだそうだ。
時には王立騎士団の纏魔術師を学院に呼んで直接指導をしてもらったりするらしいが、やはり、あまり目覚ましい効果は得られなかったらしい。それほど「人魔大戦」という魔法と纏魔術の優劣を決定付けた歴史が、この国の魔道師たちの心の奥底に根強く残っているのだ。
最近ではそれの対策として、アイオリア内で王立騎士団や王立魔道師団に所属する女性の纏魔術師を集め、纏魔術を主に使用して戦う女性のみが所属する「ヴァルキュリア」という部隊を編成したらしい。部隊員には見目麗しい女性たちが多く、それによって国内の纏魔術に対する印象の改善を目論んでいるのだとか。
民衆の男性達の支持ならそれでも得られるかも知れないが、果たしてその程度で「魔法」を至高とする魔道師の支持を得られるかどうか……などとソフィーナは持論を述べていたが、話がその辺りに移ってからレインハイトは耳を閉ざし、自分の世界に入り込んでしまっていたため、その後の彼女の話は闇の中である。
つまり、今回レインハイトが図書館で得ることのできた重要な情報とは、この国の多くの魔道師達が纏魔を使用しないという事実のことであった。
もちろん、その情報はソフィーナやシエルから以前から聞いていたことではあったのだが、今回こうして図書館で実際にミリスタシアの歴史を調べてみるまで、どこかでそれを否定する自分がいたのだ。
その理由は単純にして明快である。なぜなら「纏魔術」は強力な技術だからだ。その利便性や破壊力は、纏魔の使用者であるレインハイトが一番良く理解していることであった。長耳族の村でエリドに纏魔の稽古をつけて貰う以前と今とでは、自分の実力は桁違いに跳ね上がっていると確信できる。それほどまでに、纏魔術は強力な力なのである。
そんな優れた技術を、この国の魔道師達が“好き嫌い”というただそれだけの理由で使用しないなど、俄には信じ難い情報であったのだ。しかし、こうして自ら歴史を紐解いてみれば、一応自分が納得できる理由がすぐに見つかったではないか。
単なる好き嫌いという理由は些か合理的とはいえない考えではあったが、しかし恐らく、それは自分が自然魔法を使えないからこその感覚なのだろう。自分にも自然魔法が使えれば、あるいはそういった考え方になっていたかもしれないのだ。と、レインハイトはすぐに己の疑問を取るに足らない感情であると判断した。現在の彼にとって、それは些細な問題に過ぎなかったからだ。
今回大切なのはそんなくだらない魔道師の考え方ではない。最も重要なのは、彼等が纏魔を使いたがらないという事実と、その信憑性の高さだ。
魔道師は纏魔を使わない。その事実が己の体に浸透していくのと同時に、レインハイトは僅かに気分が高揚するのを感じた。
魔道師が魔法しか使わないのであれば、三日前に行った決闘のように、自分にも魔道師に勝てる可能性があるのではないだろうか。……いや、自分には「魔力を感知できる」という能力と、即座に魔道師を無力化できる『吸魔』がある。纏魔の使えない魔道師が相手ならば、無傷で勝利することすら可能だろう。
――己が考えていたよりも遥かに早く、自分は「最強」をこの手に掴むことができるのかもしれない。
この世界において「絶対的な力」を象徴する魔道師達の、更に上に君臨する人間。必殺の魔法を軽々と躱し、戦場を駆け抜ける纏魔術師。そんな想像が脳裏によぎり、『魔道歴』というタイトルの本を静かに閉じたレインハイトの全身を、歓喜の震えが駆け抜けた。
そうだ、「自然魔法」など使えなくとも、彼等に勝てないと決まったわけではない。現に自分は、既に二度もこの学院の魔道師に勝利しているではないか。
思えば一対一の戦闘において、自分が魔道師に敗北したことは一度もなかった。むしろ自分は、エリドやロイという纏魔使いに数多くの敗北を味わわされているのだ。
間違いない。冷静に考えてみれば、彼等のような纏魔術師との戦いの方が、自然魔法を使う魔道師たちとの戦いよりも遥かに苦戦していたではないか。
そうと決まれば話は早い。これからはより確実に魔道師を無力化できるよう、纏魔の鍛錬に勤しんでいこう。そうすれば、いずれ己の周囲に振りかかる理不尽を振り払えるようになるに違いない。
この世界で最も強いとされる魔道師を黙らせることができるようになれば、それはすなわち、己が「最強」であることの証明である。
それが“大きな間違い”であったことに、この時のレインハイトは欠片も気づくことはできなかった。
「よし……こうしちゃいられない。特訓だ……!」
珍しく興奮した様子でそんな独り言を呟くと、レインハイトは机に散らかした本を元あった場所へと戻すため、席を立った。
現在は学院の授業が始まってから数十分といったところであり、まだまだ図書館で静かに調べ物をすることは可能であったが、レインハイトはいてもたってもいられず、本を仕舞い終えると、己の座っていた椅子を元に戻し、小走りで図書館を後にした。




