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レインハイトと魔法の門  作者: アマノリク
第一章 〜呼び覚まされた異分子〜
19/64

お騒がせな使用人

 顔面を殴り脳を揺らそうか、(うなじ)を強く叩いて気絶させようかとレインハイトが悩んでいると、静まり返った場の空気を切り裂くように、凛とした女性の声が響いた。


「ウィン・ソーン・ユル・アンスール――『空撃(エア・ショット)』!」


 ルーン詠唱だ。魔法の詠唱をより短縮するために編み出された詠唱法であり、通常の詠唱よりも難度は高いと本には記載されていたはずだ。

 レインハイトは頭の片隅で即座に判断すると、頭に群がる羽虫を払うかのように、己に向けて放たれ、今まさに世界の改変を行おうとする目には見えない魔力の塊を、纏魔(てんま)により集めた魔力を左腕から放出し、振り払った。


 魔法の核とも言えるその魔力の情報体は、突如発生した別方向からの魔力の流れによって盛大にかき乱され、本来変化するはずであった「魔法」という形を取ることができず、辺りに霧散した。


 練纏系技(れんてんけいぎ)と対を成す放纏系技(ほうてんけいぎ)の一つ、放纏式体術『魔衝波(ましょうは)』。その本来の使い方は、魔法を詠唱中の魔道師に直接魔力の衝撃波をぶつけ、魔法の構築を阻害するというものだ。

 しかし、レインハイトは通常の『魔衝波』の使用方法には則らず、その類まれな知覚能力で魔法の核を見つけ出し、そこに直接技を放ったのだ。


 本来先手を取らなければあまり意味を成さない技だが、彼のように正確な魔力感知能力があればこういった使い方もできるのだ。『空撃(エア・ショット)』のように対象の極近くで改変を行うような魔法にしか使えないものではあるが、後出しで魔法を無効化できるというのはかなりの強みだろう。


 これは使える、と即席で行った『魔衝波』による魔法の妨害に手応えを感じたレインハイトは、早急にこの技を完璧に体得せねばと胸に刻みつつ、無粋にも男同士の決闘に水を差した女生徒の方を見遣った。


 そこに立っていたのは、レインハイトよりも少し大人びた印象を受ける少女であった。

 年は十五、六辺りだろう。肩のあたりまである藍色の髪は額を避けて左右に分けられており、その下にある少女の整った顔立ちが良く見て取れた。その表情は、レインハイトが行った魔法の無効化に動揺したのか、驚愕で彩られている。

 学院の制服にその身を包んだ少女のスカートの色は赤い。その色は、白金(プラチナ)の杖を構え目を見開いているその少女が、レインハイトの眼前で力無く膝を付くクリードと同じ三年生であるということを示していた。


「……誰ですか?」


 レインハイトがそう問いかけたが、彼を警戒しているのか、少女は返答を返そうとはしない。

 このタイミングでしゃしゃり出てきたこの少女は、一体どんな事情があって決闘に首を突っ込んだのだろうか。

 僅か数秒で一つの答えに至ったレインハイトは、その予想をそのまま口にした。


「……あー、もしかしてこのチャラい人の彼女さんですか? ……まあ気持ちは分からないでもないんですが、これは男同士の決闘なんで――」


「違うわよ!」


 我慢しきれなかったのか、レインハイトが言い終える前に割り込む形で大きめの声を発した少女は、僅かに頬を赤く染め、レインハイトを睨んだ。


「はぁ……じゃあ何なんですか」


 レインハイトは左手で頭の後ろを掻きながら、面倒臭そうに大きく息を吐いた。


「何って……勝負はもうついているはずでしょう? それなのに君がその男子生徒に過剰に攻撃を加えようとしたから、驚いて止めただけよ」


 私には正当な理由があるのです、とでも言わんばかりに平然とそんな台詞を発した少女に微かな違和感と苛立ちを覚えたレインハイトは、少々呆れたような表情を作り出すと、フンと鼻を鳴らした。


「ったく……何を言い出すかと思えば……」


 やれやれ、と(かぶり)を振り、意志の強そうな凛々しい少女を睨み見る。

 美しい藍色の髪は、ゆるやかに流れた風により僅かに舞い上げられ、ゆらゆらと揺れている。その様を視界に移した時、レインハイトは、はて、と少々首をひねった。この少女を見ていると、微かな違和感……というより、既視感のような感覚を覚えるのだ。


 しかし、今はそんなことに気を取られている場合ではない。何故自分がそんな感情を抱いたのかは少々気がかりではあるが、一旦その感覚は頭の隅に追いやり、レインハイトは再び口を開いた。


「あなたが何をもって勝負ありだと判断したのかは知りませんが、こっちは事前に勝敗の条件を決めてから決闘を始めたんです。そして現在、まだその条件は達成されていません。もちろん、両者共にね」


 口を止めて少女を見れば、何も言い返すことができないのか、僅かに口を開こうとしては閉じるという動作を繰り返している。怒り狂っていたように見えるレインハイトに論理的な返答を返されるとは思っていなかったのだろうか。


 本来、魔力枯渇による戦闘不能はそう起こることではない。なぜなら、魔道師同士の決闘では、ほぼ一撃で勝敗が決するからである。一対一の戦闘で魔力の限り魔法を撃ち尽くすなど、普通は起こりえないことなのだ。そういった点から考えてみれば、先程レインハイトの使用した魔力を吸収する魔法はイレギュラーとも言える術だろう。


 クリードが魔力枯渇したように見えると言っても、この場において『吸魔(ドレイン)』の存在を知っているのはレインハイトのみだ。つまり、藍色の髪の少女には、レインハイトに腕を掴まれ唐突に地面にへたり込んだクリードの状態を、魔力枯渇による戦闘不能だと確信を持って判断することはできないのだ。


 恐らくこの少女は、無抵抗のクリードが殴られそうになるのを見ていられなくなり、衝動的に手を出してしまったのだろう。己の正義感に突き動かされ、頭で考える前に体が動いてしまったという感じだろうか。

 まるでアトレイシアを救うために駆けたときの自分のようだと思いつつ、まあどうでもいいか、とレインハイトは更に続けた。


「それとも、学院の生徒であるチャラ男先輩は特別だから、学院の生徒ではない僕は一方的に攻撃を受けたとしても大人しく引き下がれとでも言うつもりですか?」


「う……それは……」


 レインハイトの口上にまくしたてられ、おろおろと狼狽(うろた)える少女。その様子を眺め何故か少々の罪悪感が芽生えてきたレインハイトは、僅かに厳しい表情を崩し、ため息をついた。


「別に殺そうってわけじゃないんです。ただちょっと殴って気絶させるだけなので……まあ、大人しくそこで見ていてください」


 そう言って少女に背を向けたレインハイトは、またもクリードの意識を刈り取るために魔力を拳に込め始めた。しかし、少女はまだ納得ができないらしい。


「そ、そうは行かないわ! 私には学院の生徒を守る義務が……ってちょっと! やめなさいってば!」


 少女のやかましい制止の声が聞こえるが、これ以上取り合う必要はないと判断し、レインハイトは黙殺した。

 だが、魔力を込めた左腕を振り上げ、膝を付くクリードの(うなじ)を照準し、振り下ろそうとした、その時、


「ああもう! やめなさいって言ってるでしょ!? ウィン・ソーン・ユル・アンスール――『空撃(エア・ショット)』!」


 またしても、見事なルーン詠唱により素早く生成された魔法がレインハイトに向けて放たれた。しかし、放たれた魔法は魔法として形を成す前に、先程と同じようにレインハイトの左手によってかき消される。


「何なんだよさっきから! 大人しくしてろってのが理解できないのか!?」


 流石に二度目の妨害には我慢しきれず、レインハイトは魔法を放った少女を睨み、声を荒らげた。それに呼応するかのように、顔を赤くした少女は悔しそうに顔を歪め、喚く。


「それはこっちの台詞よ! どうして二回も私の魔法を消すのよ! そんなことしたら君に当たらないじゃないの!」


「アホか! 何で大人しく食らわなきゃならないんだ! 普通抵抗するだろ!」


「じゃあせめて避けなさいよ! そんな風に消されたら私が魔法を失敗したみたいに見えるじゃない! っていうか何なのよそのおかしな技は!」


「ふざけんな! 知るか!」


 あまりにも勝手な少女の物言いに、レインハイトは唖然とせずにはいられなかった。何故こうも執拗に絡んでくるのだろうか。

 唐突に始まった激しい口喧嘩に戸惑ったのか、周囲の生徒達はしんと静まり返っている。

 決闘を見物に来た彼らからすれば、レインハイトとクリードの決闘の邪魔をするこの少女の存在は面白くないものであり、野次(やじ)やブーイングが起きてもおかしくはないはずだ。

 しかし、そういった声を上げるものは誰一人としておらず、時間の経過とともにようやく発生した音は、藍色の髪を持つ少女とレインハイトに向けられた僅かなざわめきだけである。


 なぜ誰も文句を言わないのか、何か見落としでもあるのだろうか。レインハイトは自らのおとがいをさすり、首をひねった。

 別のことに思考を集中していたせいだろうか、唐突に動き出した何者かの腕が、実際にレインハイトの足首を掴むまで、彼はその存在に気づくことができなかった。未だ決闘が決着していない現在において、それは致命的な油断であったと言えるだろう。


 しかし、何事かと身構え足元を見下ろしたレインハイトの目に映ったのは、勝利にしがみつく男の執念ではなく、ただ恐怖に震える少年の姿であった。その顔には、既に勝敗などにこだわるような気概は一切感じられない。よく目を凝らしてみれば、レインハイトを掴む右腕でさえ小刻みに震えているではないか。

 クリードに危害を加える気がないことを察し、レインハイトは彼が口を開くのをただ待ち続けた。


「……俺の……負けだ……もう許してくれ」


 しばらくしてクリードから発せられたその声は、難病を患った病人のように(かす)れ、震えていた。唇は青紫色であり、具合が悪そうだ。魔力枯渇の影響だろうか。

 許してくれとは人聞きの悪い言い方だな、とレインハイトは眉を顰めた。これは対等な勝負であり、レインハイトは魔法の直撃、クリードは魔力枯渇と両者痛み分けのような状態である。勝敗こそクリードが降参したためレインハイトの勝利となったが、これでは一方的な暴力のように聞こえるではないか。

 何となく腑に落ちないレインハイトであったが、疲れたように大きくため息を付くだけにとどめた。


「はぁ……では、今後ソフィーナさんとシエルにはちょっかいを出さないと誓っていただけますか? もちろん、彼女らに危害を加えることも認めません。報復をするなら僕に直接してください。いいですね?」


「わ、わかった。間違っても仕返しなんかしねえよ。……しつこく絡んで悪かった」


 魔力が枯渇していても思考能力は正常のままなのか、クリードはレインハイトが早口で出した条件を聞くと、すんなりと首肯を返し、謝罪までしてみせた。

 レインハイトとしてはまだ納得のいかない点(主に自分だけが物理的な魔法を食らったことに対して)もあるが、とりあえずこの件はこれで決着という形で収めることとした。


「謝罪なら彼女達に言っておいてください。……では、これで決着ということにしましょう」


 そう言い終えると当時に、レインハイトはクリードに左手を差し出した。クリードは暫くその手をぽかんと見つめていたが、数秒後、ようやく膝を付く自分を引き起こすために差し出されたものだと理解し、素直にその手を取った。


「あ、ありがとな……それじゃあ」


 礼を言い、レインハイトの手につられよろよろと起き上がったクリードは、青い顔をしたまま歩き出すと、見物人たちに紛れ込んでいたシエルとソフィーナの前に立ち止まり、頭を下げた。早速レインハイトの言った事を遂行する気だったらしい。

 しばらくしてから顔を上げたクリードは、彼女達と少し言葉を交わすと、そのままどこかに歩いて行ってしまった。午後の授業にでも向かったのだろう。その様子を見届けたレインハイトは、己もシエルとソフィーナの元へと向かおうと歩き出した。


「ま、待ちなさい!」


 しかし、そこでまたしてもレインハイトを静止する声が掛かる。


「え? ……まだ何かあるの……?」


 面倒くさい、という感情を隠す気もなく声の方向に目を向けたレインハイトは、自分に杖を向けている藍色の髪の少女を視界に収め、盛大なため息をついた。

 決闘が決着したことにより自動的にこの場は解散するものかと思っていたのだが、クリードが去った現在でも、多くのギャラリーがその場に残っていた。自分とこの少女のやり取りを見届けるつもりなのだろうか。


 見世物じゃないんだけど……とげんなりしつつ、レインハイトは周囲を見渡した。自分に向けられる少なくはない量の視線にいい加減陰鬱な気分になってきたのだが、こちらに向かって颯爽と歩いてくる藍色の髪の少女には、そんなレインハイトの気持ちを忖度(そんたく)する気はさらさら無いようだ。


 そして、少女の背後から約一メイルほどの距離を空け、ぴたりと追随する男子生徒の姿があった。

 艶のある明るい茶髪の少年は、少女の背後からレインハイトに向けて鋭い眼光を放っている。顔立ちは少し幼いが、その表情の奥には荒れ狂う傲慢さのようなものが感じ取れた。恐ろしく自尊心の高そうなその態度は、貴族の典型とも言えるだろう。左の腰には真剣を帯びており、どこか物々しい雰囲気を漂わせていた。


 自分と同じような使用人だろうか。しかし、その少年は学院指定の制服に身を包んでおり、どこからどう見ても学院の生徒である。付けているネクタイの色は緑、すなわち二年生だ。少女の後に付いてくることから察して何らかの関係者であることは間違いなさそうだが……、とレインハイトが少年に訝しげに目を向けていると、それに気付いた少年がより一層表情を険しくさせ、刺すような視線を返してきた。


「うおぉ……めちゃくちゃ帰りたい……」


 と、思わずレインハイトの口から情けない声が漏れ出る。

 眼前に迫る二人組は既にレインハイトとの距離を僅か五メイル程度にまで詰めており、周囲には円形に集まったギャラリーの壁がある。今更逃げ出すという選択を取ることはできないだろう。


 まだどこかに退路があるはずだ、と往生際悪くきょろきょろとしていたレインハイトであったが、先頭を歩く少女がレインハイトとの距離を約一メイルほどまで詰めたところでようやく諦め、本日最大のため息をついた。


「えーと、何でしょうか?」


 怒らせると先ほどのように容赦なく魔法が飛んでこないとも言い切れないため、できるだけ刺激しないようにしよう、と己の心に誓い、レインハイトは少女に尋ねた。

 意外にも、問われた少女は張り詰めた表情を崩し、柔らかな人好きのする笑顔を浮かべ、口を開いた。


「きみ、名前は?」


 先ほどの口喧嘩のときとは打って変わり、少女は落ち着いているようだ。

 しかし、その後ろに居る少年の方は未だ表情が硬い。眉間に皺を寄せ、親の(かたき)とばかりにレインハイトを睨み据えている。少年を怒らせるようなことをした覚えは全くなかったが、こちらも腰に真剣を帯びているため、下手に刺激しないほうが良いだろう。


「使用人のレインハイトという者です。……あなたは?」


「エリナ・フォン・アルハートよ」


「そうですか……って、アルハート……? もしかして、アリア先生の妹さんとかでしょうか?」


「ええ、そうよ」


 柔和な笑顔を浮かべたエリナは首を縦に振り、肯定した。

 なるほど、先程感じた違和感の正体はこれだったのだ、とレインハイトは納得した。

 髪の色は同じだし、よく見れば顔立ちも似ている。記憶の中のアリアの姿と、目の前のエリナが重なって見えたのだ。それによる既視感であったのだろう。


「それで、そのアリア先生の妹さんが僕に何か用……っと、その前に……先程からエリナさんの後ろに居る方はどちら様でしょうか?」


 レインハイトは未だに表情を緩めない少年に目線を向け、エリナに紹介を促した。すると、それを聞いた少年は一歩前に踏み出し、エリナが紹介するよりも早く、それを遮るかのように口を開いた。


「エリナ様の付き人、ユリウス・フォン・フォーブレイだ」


「……付き人ですか……使用人とは違うんですか?」


 少年の様付けに若干引きつつ、レインハイトは問うた。しかし、その問いは逆鱗であったのか、ユリウスは怒りに顔を歪めると、不愉快そうに吐き捨てた。


「使用人如きと一緒にしないでいただきたい! 私は『スレイプニル』第三位であられるエリナ様の誉れある付き人である! そのような無礼な言動は謹んでもらおう!」


「へ、へぇー。すごいっすね……」


 レインハイトにはユリウスの言う「第三位」や「付き人」の意味が理解できず、彼が何に対して怒りだしたのか全くわからなかったのだが、唐突に怒りつつも誇らしげに弁舌をふるいだしたユリウスの迫力に気圧され、無意識にそんなつぶやきを漏らしてしまっていた。


「ユリウス、そのような言い方をするものではないわ。レインハイトくんは『八脚(はっきゃく)』の制度を知らないのよ。……えっと、『八脚』というのは順位のようなもので――」


 と、求めてもいないのに唐突に始まったエリナという少女の解説によると、この魔法学院には『八脚(はっきゃく)』と呼ばれる生徒達がおり、それは一年に一度行われる『魔法技能測定』という検査の上位成績者八名に与えられる称号らしい。何故八名なのかは、この魔法学院の別名でもある神馬『スレイプニル』が八本脚の馬であったということに起因しているようだ。


 エリナが明言したわけではないが、恐らく「第三位」というのは、彼女がその『魔法技能測定』とやらで上から三番目の実力を示したということなのだろう。『八脚』の中の「第三位」という訳だ。


 そして、その八脚にのみ特別に与えられるいくつかの権限の一つが、学院の生徒を側近として指名する『付き人』という制度なのだそうだ。八脚の補佐を基本的な役割としているらしいが、説明を聞く限りでは「師匠と弟子の関係」という表現が最もしっくり来るだろう。


 厳密には権限というより年々行われてきた慣例のようなものらしく、生徒間だけで勝手に行っているのを学院側が黙認しているというのが現状のようだ。『八脚』を特別な存在に見せることにより他の生徒達を刺激し、やる気を出させることが目的なんだとか。


 しかし、そんな説明をされたところでレインハイトには全く関係の無い話であり、だからなんなのだ、と首を傾げずにはいられなかった。

『八脚』とやらがすごいのはわかったのだが、それが自分と何の関係があるのだろうか。よもや「栄誉ある八脚に背いたため罰を下す」などという事ではあるまい。実力主義の世界だとはいえ、流石にそんなに馬鹿げた話は無いと思いたいところである。




「し、しかし! それを差し引いてもこの者は少々無礼が過ぎます!」


 と、説明を終えたエリナに対し、尚も食って掛かるユリウス。


「この少年は使用人よ。何も知らない者に礼を尽くせというのは横暴だわ」


「エリナ様の事を知らないのだとしても、とても貴族階級への口の利き方とは思えません!」


「でも、背丈から察するに、この子はまだ十一かそこらなんじゃないかしら? 私はそんな幼い子供にまで礼節を求めるつもりはないのよ。……っていうか、そもそも学院の生徒でいる間は貴族かどうかは関係ないと思うんだけど」


 もう十三歳だよ。身長が低くて悪かったなちくしょう、と胸中で悪態をつくレインハイト。


「あの……そろそろ僕を拘束する理由を教えて頂きたいのですが」


 未だに目的の見えない少女と少年のやり取りに嫌気が差してきたレインハイトは、半ば強引に二人の会話に割り込んだ。ほんとにもう用事が無いなら帰っていいでしょうか、と不機嫌そうな表情を作ることも忘れずに、レインハイトはエリナとユリウスを睨む。


「あ、ごめんなさい。確かに肝心な事を言い忘れていたわね」


 そう言いつつエリナは居住まいを正すと、レインハイトの方を向き再び口を開いた。


「今回の騒ぎについて、あなたに事情を聞きたいの。……まず最初に、どうして使用人であるあなたが三年生と決闘をすることになったの?」


「……食堂で食事をしていたら、チャラ男先輩ともう一人の三年生が僕の主人とその友人に絡んできたんですよ。その時主人達がとても嫌がっていたので、僕は先輩方にやめてくれと言ったんです。そうしたらチャラ男先輩が「使用人如きが」ってそこのユリウスさんと同じように怒りだして、決闘しろって……僕はそれに応じただけです」


 答える義務があるんですか、という言葉をぐっと堪え、レインハイトはしぶしぶ事情を説明した。その際、経緯を自分に都合よく改変をすることも忘れない。

 仕掛けてきたのはあちら側だとはいえ、決定的な行動を先にとったのは自分である。そこを追求されるのは少し分が悪いと考えたレインハイトは、改変の中にさり気なくユリウスへの当てこすりを交えることにより、そちらの方に意識を持って行かせるという姑息な技法を用いた。


「…………」


 案の定、それを聞いたユリウスはレインハイトをきつく睨み、ゆっくりと腰の真剣に手を添えた。流石に剣を抜くつもりは無いだろうが、多少頭にきているのは間違いないだろう。

 それに、これは開き直りかも知れないが、いくら事情を改変したとはいえ、レインハイトは嘘を言っている訳ではない。


 そして幸運なことに、あの三年生二人組の内では恐らく主導権を握っているであろうクリードは、決闘に敗北したことであれほど意気消沈していたのだ。ここでレインハイトが多少都合の良い言い訳をしたところで、あちら側が何か言って来るという可能性は低いだろう。

 まだ他に問題があるとすれば、その場に居合わせた生徒に事情を聞かれることだろうか。もしそんなことをされれば、自分が先に三年生の足を踏んでしまったことが浮き彫りになるかもしれない。


 しかし、仮にそうなったとしても、あの状態のクリードらが抗議してくることはやはり考えにくい。小太りの少年の方もあまり度胸がないタイプに見えたし、問題ないだろう。

 それでも万が一彼らが難癖をつけてきた場合、最悪クリードか小太りの少年を脅迫……いや、話し合えばどうとでもなる。

 そんな風にレインハイトが腹黒い算段をつけていると、考え込むようにおとがいに手を当て俯いていたエリナが静かに口を開いた。


「……そう。では、その三年生達には後ほど話を聞くとして……あなたの主人というのはどこに居るの?」


「はあ? 何でそんなことあなたに教えなきゃならないんで――」


 その時、シャリンという金属が擦れ合う音を立て、ユリウスが腰から真剣を引き抜いた。

 恐らく、それはただの牽制のつもりだったのだろう。エリナを(なみ)するようなレインハイトの発言に我慢しきれず、その感情に流されるように剣を抜いてしまったのだ。

 事実、ユリウスにはレインハイトに斬りかかるつもりなどはなく、その剣の切っ先を向けることによってレインハイトの口を止め、発言を改めさせようという意志しか存在していなかった。運良く三年生に勝利し、調子に乗っている使用人にお灸を据えてやろうとしたのだ。


 結局のところ、彼は理解していなかったのだろう。真剣を相手に向けるという行為の本当の意味を。その行為を受けたレインハイトがどういった行動を取るのかということを。


 エリナに目を向けていたレインハイトだったが、当然、ユリウスが剣を抜き放つのを見逃すことはなかった。

 レインハイトは現在、ストレスが溜まっていた。ヴィンセントに力を奪われ、本来なら避けられるはずだった魔法が直撃するという事態に陥り、更にはその仕返しを突然現れたエリナという少女に邪魔され、今度はユリウスという少年に剣を向けられそうになっている。以前の彼であれば、既に三回以上は激昂していてもおかしくない程の精神的負荷である。

 とは言え、村で過ごした一年間でレインハイトは肉体的にも精神的にも成長しているため、危害を加えてくる他人に怒りを感じることはあっても、以前のように簡単に決壊することはない。


 しかし、ものには限度というものがある。いくら成長したとはいえ、レインハイトは、安易に真剣を抜き放ち、剣の切っ先を自分に向けるというユリウスのあまりに軽率すぎるその行為を許すつもりにはなれなかった。


 その直後、己の奥底から烈火の如く溢れる怒りを感じつつ、襲い来る剣の軌道から逃れるように素早く身を低く屈め、レインハイトはユリウスに向かって一歩踏み出した。

 驚愕の表情を浮かべるユリウスの片手剣を掻い潜ると、その剣を握る右手に向けて、レインハイトは左手による鋭い裏拳を放った。


「ぐッ!」


 拳に魔力を纏い、その破壊力を飛躍的に上昇させる練纏式体術(れんてんしきたいじゅつ)、『(けん)』による衝撃は、剣を握るユリウスの右手を容易く砕き、真剣ごと左方向に振り払った。持ち主の手を離れた片手剣は風切り音を立てながら勢い良く飛んで行き、三メイル以上離れた地面に転がる。


 無論、この程度でレインハイトの攻撃が終わるはずもない。


 右腕を伸ばした格好のまま呆けているユリウスへ更に一歩踏み込むと、レインハイトは自分よりも少し高い位置にあるユリウスの顔面へと左手を伸ばし、乱暴に掴んだ。

 そして、ユリウスの顔へ手が触れた瞬間、その左手には即座に構築された紫色の魔法陣が現れ、等速回転を始める。


「『吸魔(ドレイン)』」


「う……あ……」


 無詠唱で発動した魔法は、先刻と同じように、魔道師の命とも言える魔力を凄まじい勢いで対象から吸い上げた。

 魔力切れを起こした魔道師・纏魔術師は、その時点で一般人と何ら変わりのない存在へと成り下がる。


 顔面を蒼白にさせたユリウスは、レインハイトの左手を振り払うという抵抗すらできず、その場に棒立ちしていた。ユリウスがクリードのように膝を付かないのは、彼の意地というわけではない。レインハイトが吸い上げる魔力の量を加減したからである。


 その理由は、当然――


「――歯ァ食いしばれ、クソ貴族」


 ユリウスにとどめを刺すためである。


 レインハイトは左手を振りかぶり、纏魔を行わず、己の腕力のみで拳を放った。

 風を切り、ユリウスの右頬に吸い込まれるように振りぬかれた左拳は、直撃の瞬間、レインハイトに鈍い感触を与えた。


「がはッ!」


 バキッ。という音を発し、右側からの衝撃に逆らわず、ユリウスは左側へと吹き飛んだ。

 バランスを崩したユリウスは地面に尻餅をつき、殴られた右頬に左手を当て、茫然自失といった表情でレインハイトを見上げていた。貴族の出というくらいだ、今まで顔面を殴られたことなど一度もないのかもしれない。


 まあ、そんなことは知ったことではない。レインハイトは即座にその思考を切り捨てると、己の怒りを気取られないよう、自分を見上げるユリウスに向かって淡々と吐き捨てた。


「真剣を相手に向けるってのはな、殺し合いをするって意味だ。お前は今、俺に殺されても文句が言えないようなことをやったんだ。……命取られなかっただけ幸運だと思え、お坊ちゃん」


 間髪入れず、レインハイトは後ろに振り返り、心情の窺い知れない表情でこちらを見つめるエリナに視線を合わせた。


「あんたも、『八脚(はっきゃく)』? って言うやつなんだろ? だったら、付き人とやらの教育はちゃんとしておけよ。……この際だからはっきり言わせてもらうけど、こんな心構えのやつに真剣なんて、過ぎた玩具(おもちゃ)だと思うぜ」


「……そうね。今のはユリウスが悪かったわ。ごめんなさい」


 意外にも、レインハイトから非難を受けたエリナは目を伏せ、僅かにだが頭を垂れた。

 地面にへたり込んだユリウスは、それを信じられないものを見るかのような表情で呆然と眺めている。その胸中に渦巻くのは、自分の軽率な行動でエリナに頭を下げさせてしまったことに対しての衝撃か、はたまた、『八脚』である彼女が使用人ごときに頭を下げるなどという無様な行為を、周囲に多くの生徒が集まっているこの場で実行したことに対する驚愕か。


 どちらにせよ、今にも泡を吹いて倒れそうな様子でエリナを見つめるユリウスを見れば、彼女のその行為が、ユリウスにそれほどの衝撃を与えるような異様な事態であったということが容易に窺える。

 彼からしてみれば、己の主人が、レインハイトという何の力も持たない使用人ごときに屈したかのように見えたのだろう。


 しかし、それはエリナという少女の立場を深く理解しているユリウスだからこそ感じ取ることのできた異常事態であり、そんな事情など露ほども知りもしないレインハイトからすれば、その彼女の謝罪の仕方はあまり納得の行くものではなかった。

 むしろ、現在のレインハイトは、「それで謝罪のつもりか……? もっとちゃんと頭を下げやがれ。腰の角度は最低でも三十度だ」などという憎まれ口が喉から漏れ出そうになり、それを懸命に抑え込まねばならないという作業に追われ、何故自分が言いたいことも言えずに我慢しなければならないのだ……、と一人で勝手に苛立ちを募らせていた。


「……それじゃあ、俺はもう行きますね。あなた方も急がないと次の授業に遅れるんじゃないですか?」


 口は災いの元だ、余計なことは言うべきじゃない、と何とか己の悪意に打ち勝ったレインハイトは、強引に作り出した外見上は平然としているように見える表情でエリナにそう告げると、その場で百八十度回転し、シエルとソフィーナの元へと歩みを進めた。

 流石に今度は邪魔をされること無く、レインハイトは己の主人の元へと辿り着くことができた。


 当然、エリナに自分の主人がシエルかソフィーナのどちらかだとバレてしまう事になるだろうが、どうせ調べればすぐに分かることだ。この状況で必死に隠す意味はあまりない。


「レイン! 大丈夫なの!?」


 レインハイトが辿り着くや否や、不安からか表情を曇らせたシエルが心配そうに問うた。


「大丈夫だ。……あー疲れた」


 と、肩を落としながらため息をつくレインハイト。その際、肩を動かした事により負傷した右腕に走った鋭い痛みに顔を顰めた。


「ソフィーナさん? どうかしましたか……?」


「…………」


 シエルの隣にいるソフィーナは、そう尋ねたレインハイトを動揺しているような瞳で見つめていた。決定的な素振りはまだ見せていないが、どこか狼狽(うろた)えているようにも見える。


「レインハイトさんは……あのエリナという三年生が誰なのか知っていますの……?」


 というソフィーナの問いに、レインハイトは頭上にクエスチョンマークを浮かべつつ、答えた。


「へ? あ、はい。『八脚(はっきゃく)』とか言うすごい人なんでしょう?」


 ソフィーナもこの場に居合わせていたのだから、先程のエリナと自分の問答は聞こえていたはずである。それなのに何故わざわざそんなことを自分に問うのだろうか、とレインハイトは首を傾げた。


「いえ、それはそうなのですが……それ以前に、彼女はこの王立アイオリア魔法学院において、もっと大きな肩書きを持っているのですわ」


「……と、言いますと?」


 そのレインハイトの問いに、ソフィーナは凛とした声を返した。


「彼女は……アルハート先輩は、このアイオリア魔法学院の生徒を統べる生徒会長なのですわ」


「……えっ?」




 その後、『今年度の新入生の使用人が、三年の魔道師と『八脚』の付き人、そして、選ばれし『八脚(はっきゃく)』でもあり、学院で教師を務めるアリア・フォン・アルハートの実の妹でもあり、王立アイオリア魔法学院の現生徒会長でもあるエリナ・フォン・アルハートを退けた』と言う凄まじいビッグニュースが学院の全生徒に知れ渡るまで、さして時間はかからなかったそうだ。



第一章はこれにて終了になります。ここまでお付き合いくださった皆様、本当に有難うございました。

よろしければ、この後に続く第二章もお付き合いいただければ幸いです。

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