トラブル発生
「こんな時間までどこに行ってたの?」
部屋に戻ったレインハイトは、夕食を準備するシエルに出迎えられた。
「図書館にちょっとな。そっちはどうだった? 楽しかったか?」
「うん、ソフィーちゃんが色々教えてくれたの」
今回は特に機嫌が悪くなったりはしていないようだ。レインハイトは静かに安堵した。
「ふうん、流石学年代表様ってところか? そう言えばシエル、お前昼はちゃんと食ったのか?」
「うん、ちょっと遅目になったけどちゃんと食べたよ。……あ、そうだ! この寮の一階に食堂があるんだけどね、ここの学生なら学生証見せるだけで食べられるんだってさ! 明日からレインも一緒に食堂でご飯食べようよ」
「それは別にいいけどさ、俺は学生証持ってないんだけど……」
まさかシエルは自分が生徒ではないということを失念してるのではないだろうか。レインハイトは不安になったが、当のシエルは、「心配ない」といった風にレインハイトに笑顔を向けていた。
「大丈夫! 私の使用人だって紹介すれば、一人分までは無料にしてくれるんだって! すごいよね!」
「それは太っ腹だな……では、是非その方向でお願い致します、シエルお嬢様」
「うふふ、ご主人様に任せなさい!」
シエルとレインハイトは二人でふざけながら会話し、その日の夕食は楽しく終わった。
翌日。いつのものようにシエルより早く起床したレインハイトは、手早く朝食の準備を始めた。今回の食事で持ってきた食料は大体処理できそうだ。
準備を終えると、レインハイトは部屋を出て水溜に向かった。
ソフィーナが浄化した水は、魔道師の腕や環境にもよるらしいが、あの一回の魔法で大体三日間ほどは清潔を保てるらしい。ソフィーナに得意気にそう説明されたレインハイトは「魔法すげえ」と思わず零さずにはいられなかった。自然魔法を使える魔道師が羨ましい限りである。
レインハイトが角を曲がると、水溜には先客がいた。
「あら、レインハイトさん。おはようございます」
「おはようございます、お早いですね」
顔を洗い終えた様子のソフィーナは、持参した布で濡れた顔を拭いているところだった。
「ええ、今日から待ちに待った魔法学院の授業が始まりますから、早めに起きて気合を入れているんですの。ああ、待ち遠しいですわ」
うっとりと頬を染め両手を組むソフィーナ。授業に対する不安が一切感じられない。よほど自分の魔法の腕に自信があるのだろう。
アイオリア魔法学院は、今日から新学期に入る。入学式はもう終わったらしいのだが、授業の開始にはぎりぎり間に合ったようだ。シエルも一安心である。
「あの、ソフィーナさん。余裕があったらでいいので、シエルのことを少し気にかけてやってくれませんか? あいつ、こっちに来たばかりで知り合いとかいないですし、不安だと思うんです。いつも俺がついていてやるわけにも行きませんしね。……あ、もちろん無理にとは言いませんが」
シエルは人見知りだ。村でも一番仲が良かったのは側にいたレインハイトだった。人付き合いが苦手なのだろう、恐らく経験値が足りてないのだ。
シエルの成績についてはレインハイトはあまり心配していないのだが、そちらの面は些か不安が拭えない状態であった。友達作りというのは最初が肝心なのである。ここで今一人になってしまうと、今後ずっとそのまま一人ぼっちという可能性も出てくるのだ。そんなことになれば目も当てられない。
何故レインハイトがそんなことを知っているかといえば、彼は初めて長耳族の村に足を踏み入れた際、恐らく最悪であろう第一印象を村人達に持たれるという失態をやらかしている。結局、それ以降約一年間、レインハイトにはシエル以外の同年代の友達ができることはなかった。
当時のレインハイトは特に友達がほしいと願っていたわけではないため、それはそれで問題はなかったのだが、いかんせんここは魔法学院である。年齢の若い少年少女達が多数集まり、魔法を学ぶ学校なのだ。集団生活を余儀なくされるこの場において、常に孤独というのは精神的にきついのではないのだろうか。
そういう事情もあり、できることであればシエルには自力で友人を作ってもらいたい……が、彼女の性格的に、自分から友達を作ることには向いてないと思われる。やはり現実問題、手助けは必要だろう。
その点、ソフィーナはこの入学初期の時点で、一学年代表という素晴らしい地位に付いている。きっと知名度もそれなりにあるに違いない。シエルのことを任せるにはこれ以上ない適任である。
「もちろんですわ、お任せください。ふふ、レインハイトさんは心配性なんですのね」
「ありがとうございます。まあ、シエルは大切なお嬢様ですから」
ソフィーナに了承してもらえたことに安堵し、レインハイトは水溜で顔を洗った。
使用人が授業に付いていってはいけないという決まりはないらしいが、最初からレインハイトが付きっきりというのはシエルにとって良くないことだろうし、近寄りがたい印象を持たれるに違いない。
やはり初日はソフィーナに任せるのが最善だろう、そしてできればそのまま友だちを作ってもらいたい。胸中でそんなことを考えつつ、レインハイトは濡れた顔を乾かし部屋に戻った。
シエルはまだぐっすり寝ていた。使用人がこんなに気を揉んでいるというのに、当の本人は気楽なものだ。
初日から授業に遅れる訳にはいかないし、そろそろ起こしたほうがいいだろう。
レインハイトはシエルから毛布を引き剥がした。
「シエルー、起きろー」
「うーん……さーむーいー」
抵抗むなしく毛布を剥ぎ取られたシエルは、しぶしぶといった表情で起き上がった。眠そうに目元を手で擦っている。
「……おはよ」
「おはよう。今日から授業だぞ、顔洗って来い」
「……はーい」
寝起きでうまく言うことを聞かない体を動かし、シエルは水溜まで向かった。浄化された水を両手で掬い、冷水で顔を洗う。
冷気による刺激で眠気は一瞬で消え失せた。「よし」と気合を入れ、シエルは部屋に戻る。
今日から授業が始まる、他のみんなから遅れないように、精一杯頑張らないと。そう意気込み、シエルはしっかりと力が出せるよう朝食をとった。
「食べたら制服に着替えろよー」
「うん」
アリアに渡された魔法学院の制服は、着替えやすいようレインハイトの手によってベッドに置かれていた。一応一度試着はしたのだが、新品同然である。
「じゃあ、着替えるからレインは外で待ってて」
「はいよ」
着替え始めたシエルを残し、レインハイトは部屋から出た。そこで、ちょうどこちらに向かってきた様子のソフィーナと目が合う。シエルと同じ学院指定の制服に身を包んでおり、気品を感じる佇まいだ。
「せっかくですのでシエルさんと一緒に登校しようかと思ったのですが……どうされたのですか?」
「わざわざありがとうございます。シエルは今着替え中なので、すみませんがもう少し待ってもらってもいいですか?」
「そうでしたの。まだ時間は余裕がありますから、お気になさらなくても大丈夫ですわ」
レインハイトとソフィーナが暫く会話していると、部屋の扉が控えめに開かれた。そこから制服姿のシエルが顔を覗かせる。
「あ……ソフィーちゃん、おはよう」
「まあ、シエルさん、とっても可愛らしいですわ」
「本当だ、よく似合ってるじゃん」
制服を着たシエルは、恥ずかしそうにもじもじと外に出てきた。シエルの美しい白髪が白いブラウスの上に羽織った濃紺のセーターによく映えており、なかなか様になっている。
「あ、ありがとう……」
二人に褒められたことにより頬を染めたシエルは、部屋に鍵をかけ、ソフィーナに並んだ。可愛らしい女生徒が二人並んでいると、それだけで場の雰囲気が華やかになる。
「それではシエルさん。参りましょうか」
「うん。あ、レイン。お昼になったら食堂に集合ね」
「了解。二人共、行ってらっしゃい」
仲良く階段を降りていく二人を見送ったあと、レインハイトは今日も朝から図書館へ足を運んだ。
授業が始まった所為か、館内に人影は全くなかった。その貸切状態に少し興奮しつつ、レインハイトはいくつか本を手に取り、昨日と同じテーブルに腰掛けた。既に常連気取りである。
昼の時間を忘れないように気を付けながら、着々と魔法に関する本を読み進めていくレインハイト。一冊読み進める毎に何かしらの収穫があり、調査は順調と言えた。
六冊ほど本を読み終えたところで、校内に鐘の音が木霊した。ちょうど昼食の時間になったようだ。レインハイトは取り出した本を本棚に戻し、寮の食堂に向かった。
「うわあ……」
数分後。食堂に着いたレインハイトは、その雑多さに圧倒されていた。何が雑多かといえば、人である。男女が入り交じっているというのはもちろん、シエルのような長耳族や、獣のような耳を持つしっぽの生えた生徒もいる。獣人族という類の人間だ。
当然の如く通常の人族が一番多いのだが、大量の生徒が所狭しと蠢くその様は、軽い目眩さえ起こしそうなほどの異様な光景だ。
魔物の主を倒してシエルの村に初めて立ち入った際も、レインハイトはこのように辺り一面人に囲まれたことがあったのだが、それの比ではないほどの人の量がそこにはあった。
今すぐに図書館へ引き返したいという衝動を必死で抑えつけ、レインハイトはきょろきょろと辺りを見渡した。食堂で待ち合わせるという選択は完全に悪手である。次からは違う場所で落ち合うことにしようと心に深く誓い、シエルを探す。
幸いなことに、彼女を発見するのにはさして時間はかからなかった。
レインハイトは食堂の端で自分と同じように生徒の多さに圧倒されている少女を視界に捉えた。ここは彼女の目立つ白髪に感謝するべきだろう。
生徒にぶつからないように気を付け、レインハイトはシエルの元へ向かった。
「あ、レイン。遅いよー」
「まさかこんなことになっているとは……少し頭が痛くなってきた」
「……とりあえず、並ぼう?」
「お、おう……」
視界を埋め尽くす生徒達と食堂内に響く喧騒に飲まれた二人は、かろうじて食事待ちの長い列に並ぶことに成功した。
アイオリア魔法学院は基本六年制である。一学年毎の人数はそれほど多いというわけではないのだが、それが六つも一気に集うとかなりの量となる。その数、約一〇〇〇人。現在食堂に集っているのはその中の約八割程度と言ったところか。
もちろん、それほどの人数を補ってなお余りあるほどの収容数を誇る学院の食堂であるため、座る席を心配する必要はない。生徒全員がゆとりを持って食事をとるスペースはある。食事の方も予約制であり、事前に必要な数を申請するため足りなくなるということもない。
しかし、チャイムと同時に一気に生徒が押し寄せるこのタイミングだけは、どうしてもこのような軽いパニック状態になってしまうのだ。
食事の受け渡し係をいくつかに分けて配置するという形で学院側もなんとか対策を取ってはいるのだが、やはりそれだけでは人手不足の感が否めない。
結局、シエルとレインハイトは五分以上待たされ、ようやく配膳係に辿り着いた。
シエルは制服の懐から手のひら程の大きさの青い金属板のようなものを取り出すと、それを係の人間に提示した。前にいた生徒達も同じようなものを掲示していたことから察するに、どうやら学生証のようなものらしい。
「確認致しました。一年生のシエル・フェアリードさんですね。こちらから食事をどうぞ。使用人様の分もお持ちください」
配膳係の女性は目の前に提示された学生証を確認し、そう簡潔に伝えた。
「はい、ありがとうございます」
配膳係に丁寧に礼を言ったシエルは、食事の乗った金属製のトレイを持って列を離れる。
レインハイトもシエルに続いてトレイを受け取り、シエルの後を追った。
「シエルさん、レインハイトさん、こちらですわ」
二人が空いてる席を探そうと視線を彷徨わせていると、不意に横から声が掛けられた。そちらを見なくとも、そのお嬢様然とした特徴的なしゃべり方から声の主がソフィーナであることはすぐに分かる。
「ありがとう、ソフィーちゃん」
シエルは礼を言うと、テーブルの端に座り手招きしているソフィーナの元に向かっていった。二人のために席を取っておいてくれたのだろう。
レインハイトもソフィーナに会釈で感謝の意思を伝え、シエルに続いた。シエルがソフィーナの対面に座り、レインハイトがシエルの隣に座ると言う形だ。
「まさかこんなに混んでいるとは思わなかったですよ」
「そうですわね……見たところ全学年の多くの生徒がここに集結しているようですわ」
「学年の違いってわかるんですか?」
何か見分ける方法でもあるのだろうか。年齢的に上だろうと判断することはできるが、細かい学年の違いまではわからない。レインハイトが尋ねると、ソフィーナは得意そうに笑みを浮かべ、昂然と胸を張り説明を始めた。
「スカートやスラックス、ネクタイの色で判別できますのよ。今年入学した私達一年生は青、二年生は緑、三年生は赤、四年生は白、五年生は黒、六年生は黄という具合ですの。学生証の色もそれに対応した色ですわ。因みに、この色はローテーションしますので、来年の一年生の学年色は黄色ということになりますわね」
「すごいなあ、ソフィーちゃんはなんでも知ってるね!」
シエルが尊敬の眼差しでソフィーナを見つめる。
「うふふ、学年代表として当然の知識ですわ」
シエルとソフィーナのスカートは青を基調としたチェック柄だ、先程シエルが提示した学生証も青いものであった。言われて周りを見回してみれば、確かに色の違うスカートやネクタイを身に付けた生徒が多く見受けられる。無論、女生徒がスカート、男子生徒がスラックスとネクタイという組み合わせだ。
レインハイトが座っている食堂の手前辺りには、青色の学年色をもつ一年生が多く集まっていた。学年ごとの席順が決まっているのか、そういった不文律があるのだろう。奥へ行くほど学年が上がっていく仕組みのようだ。
上手くできているなと感心しつつ、レインハイトは食事を取り始めた。無償でスープとパンにありつけるなんて、シエルに感謝しなければならないな、と少々興奮しながらスープを口に運ぶ。
「うまい……!」
口内に広がる熱と旨味をゆっくりと嚥下し、呟く。何の変哲もないただのスープなのだが、最近は保存食ばかり口にしていたせいか、レインハイトはその美味しさに軽く涙が出そうになるほどの幸福感に包まれた。
学院には貴族が多く在籍するため、料理の味にも多少こだわっているのだろう。タダ飯というのもその美味しさに拍車をかけているのかもしれない。
「うん……美味しいね……」
レインハイトが隣を見ると、シエルが目尻を指で拭っていた。どうやら我慢しきれなかったようだ。
旅中に食べ物がなくてひもじい思いをしたわけではなかったが、連日同じような保存食ばかり口にしていれば気も滅入るというものだ。最終日は殺し屋との戦闘もあり、生きた心地がしなかったことも影響しているのかもしれない。
「そ、そんなに感激するほどの味ですの……?」
無論、そんな彼等の事情など知らぬソフィーナからすれば、二人がただのスープに夢中になっているその様は異様な光景であった。
釣られてソフィーナもスープを口に運んでみるが、当然、目を瞠るほどの味ではない。ならば何故と考えたところで二人が感動した理由はわからず、彼女はただ困惑することしかできなかった。
「そう言えば、シエルとソフィーナさんはクラス分けはどうなったんですか?」
スープから意識を戻したレインハイトは、所在なさげなソフィーナに問うた。
「私とシエルさんは運良く一緒の組でしたわ。風のエレメントのクラスですわね」
「うん、ソフィーちゃんと一緒のクラスになれてよかったあ」
アイオリア魔法学院のクラス分けは四つ。火、水、風、土、とそれぞれ四大元素の属性に対応している。こういったところからも、この国ではいかに自然魔法に重点が置かれているかとういうことが見て取れる。
因みにこちらも見分けが可能であり、シエルとソフィーナの胸には風のエレメントを象る緑色のバッジが輝いている。
「私もシエルさんが一緒のクラスで嬉しいですわ」
シエルとソフィーナの二人は顔を見合わせ、仲良さそうに微笑み合っている。
その様子を眺めたレインハイトは、少し肩の荷が下りたように感じた。ここまでお膳立てをしてやったのだ、きっかけさえ掴めばシエルはスムーズに友達をつくることができるだろう。何かあればソフィーナが面倒を見てくれるだろうし、当面は心配する必要はなさそうだ。
「ところで、シエルの他に友達はできなかったんですか? 他にも友達が居るなら僕に構わず一緒に食事してもいいんですよ? 僕は部屋で食べるので」
「今日は初日でしたので、あまり他の方々と話す時間が取れなかったんですの。ですからレインハイトさんはお気になさらなくても良いのですわ」
どうやら気が早すぎたようだ。少々残念に思ったが顔には出さず、レインハイトは食事を再開した。
しかし、その僅か数秒後、
「お嬢さん達、ここ、空いてる?」
レインハイトが声のした方を振り向くと、そこには笑みを浮かべた男の二人組が立っていた。一学年のクラスメイトかと期待したのだが、シエルとソフィーナは訝しげな視線をその人物たちに向けている。残念ながら知り合いではなさそうだ。
よく見てみれば、その男たちのネクタイの色は赤である。つまり、この二人組は三年生ということだ。三年生が一年生に何の用だろうか。
「君、一学年代表のソフィーナ・フォン・ミリシアスさんでしょ? 僕達も風のクラスなんだ。同じ風として、君にお近づきになりたくてさ。良かったら昼食をご一緒させてもらえないかな?」
沈黙したまま反応しないシエルとソフィーナに少したじろぎつつ、声をかけてきた方の男が優しげな笑みを浮かべ、そう付け加えた。
これはいわゆる「ナンパ」というやつではなかろうか。レインハイトは男二人がソフィーナに話しかけている様を傍観し、考察した。
声をかけてきた方の男はそれなりに顔は整っており、話し方も流暢だ。その様子からは、何となく軽そうな印象を受ける。もう片方は少し小太りな少年で、軽い男(レインハイトは「チャラ男先輩」と名付けた)の後ろで笑顔を浮かべながら、黙って様子を見守っている。
「申し訳ございません。私、今日は友人たちと昼食を取ることに致しましたの。先輩方とのお食事はまた次の機会にお願いいたしますわ」
「俺達はお友達と一緒でも全然構わないよ。だから一緒に食べようよ。そっちのエルフのお嬢さんも一緒にね」
ソフィーナが困り顔で断っているのだが、チャラ男は諦めようとしない。男はシエルを見つめながら笑みを浮かべ、半ば強引にソフィーナの隣に座った。小太りの少年はそれに合わせるようにレインハイトの隣に腰掛ける。
「それにしても君、可愛いねー。でも君みたいな子、入学式の時見かけたかな……? 結構気合入れて見てたから見落とすはず無いんだけど……」
チャラ男はシエルを眺め、訝しげに首をひねった。
今回入学したすべての女生徒の顔を把握しているかのようなチャラ男の口ぶりに若干引きつつ、レインハイトは沈黙を維持した。面倒くさそうなので関わりたくないのだ。
「私は……入学式の後に転入してきたので……」
シエルが人見知りを発動させ、俯きながらも答えた。目線でレインハイトに救助の要請をしているのだが、レインハイトは無視を決め込んでいる。
「なるほど、おかしいと思ったんだよ。君みたいなかわいい子を俺が見逃すはずがないってね」
「は、はあ……」
そんな台詞をよく恥ずかしげもなく言えたものだ。レインハイトが呆れていると、シエルが頬をひきつらせながら返事をした。ソフィーナも相変わらずの困り顔だ。
少々苛立ってきたが、ここで自分が何か口出しをするのも変だと思いとどまり、レインハイトは黙々と食事を続けた。
「ところで、君の隣に居るその少年は誰なのかな? ……見たところ学院の生徒じゃないみたいだけど……」
言外に「邪魔だ」と言っているのがありありと感じられるその視線に不快感を覚えたレインハイトは、チャラ男を睨みつけつつ、食事が乗ったトレイを持ち席を立った。これを理由にさっさと退場してしまおうと考えたのである。
「それじゃあ、使用人の僕はお邪魔みたいなので……」
ソフィーナとシエルから縋るような視線が投げ掛けられたが、使用人であるレインハイトにはどうしようもない問題だ。
それに、このままここに居続ければ、チャラ男への苛立ちのあまりまた何かをやらかしてしまうかもしれない。他の感情はまだどうにかなるのだが、何故か怒りの感情の制御が突出して苦手なのだ。
昼休みの時間はまだ始まったばかりだが、きっと二人ならうまく切り抜けるだろうと希望的観測をし、小太りの少年の横を通り過ぎようとした瞬間、その少年がレインハイトの通り道に右足を投げ出した。レインハイトに足を引っかけて転ばせようという腹づもりだろう。
見れば、もう一人の男も口端を吊り上げ、下卑た笑みを浮かべている。生意気な使用人に恥をかかせてやろうとでも思っているのかもしれない。
しかし、不意を突いたはずのその男の行為は、レインハイトにすべて筒抜けであった。男達が何かを企んでいたのは把握していたし、足を突き出してきたのは気配で察知できたのだ。
こちらから退いてやろうとしたというのに、わざわざ仕掛けてくるとは馬鹿な奴らだ。レインハイトは胸中で呟き、不適な笑みを浮かべた。
取り敢えず、己の進路に突き出されたこの太い足を避けなければ。レインハイトまず横方向への回避を考えたが、しかし、急に無理な体勢で避ければせっかくのスープがこぼれてしまうかもしれない、と即座に思いとどまった。
困ったな、という数瞬の停滞の直後、思考を終えたレインハイトは、突き出された小太りの少年の足を、躊躇なく練纏により強化された脚力で踏み抜いた。
「ぎゃああぁあああ!」
みしみしと悲鳴を上げる足の感触に少し遅れて、少年の絶叫が食堂に鳴り響く。騒然とする周囲を他所に、レインハイトは寒気がするほどの冷ややかな声を放った。
「危ないじゃないですか、そんなところに足を出しちゃあ……危うく転んじゃうところでしたよ……お、スープは無事みたいだ、よかったよかった」
「あああ……痛い……痛い痛い痛い!」
「うるさいなあ……」
あまりの騒がしさに眉を顰め、レインハイトは小太りの少年から足を退けた。その直後、血相を変えたチャラ男が蹲る小太りの少年に駆け寄る。
「……嘘だろ……骨が砕けてやがる……」
小太りの少年の足に手を当てたチャラ男は、その衝撃の威力に戦慄していた。
レインハイトはもちろん手加減をしており、治癒魔法で安全に治せる程度の損傷しか与えていないのだが、慌てふためくチャラ男にはそんなことに気が回るほどの余裕はなさそうだ。
以前は加害者に手心を加えることなど一切考えることはなかったレインハイトだが、ヴィンセントとの一件で心境の変化でもあったのだろう、抑えようのない感情のうねりが己を支配しようとも、少しは相手を気にかける余裕があるようだった。
「これに懲りたらその二人から手を引くことですね。それでは、僕は部屋に戻るので」
嘆息しつつ、レインハイトは歩き出した。
「……待てよ」
チャラ男は怒りに震える声を発し、その場から去ろうとしたレインハイトを呼び止め、肩を掴んだ。
「……何ですか?」
「使用人の分際で……許せねえ。俺と決闘しろ!」
仕掛けてきたのは自分たちのくせに、何故怒っているのだろうか。レインハイトは訳が分からず、首を傾げる。
「はあ? あなた達が最初に仕掛けてきたんでしょう? ……まさか反撃されないとでも思っていたんですか? それで仕返しを受けたらわめき散らすなんて……三年のあなたたちがこの程度とは、この魔法学院も大したことはないのでしょうね」
そのレインハイトの発言に、チャラ男はもちろん、周囲のギャラリーもむっとレインハイトを睨んだ。
レインハイトは「今のは失言だったな」と反省し、苛立った気を落ち着かせるため大きく息をついた。少し冷静さを欠いていたらしい。席に座るソフィーナとシエルが心配そうに様子を窺っている。
「なら、今からお前に俺の実力がどの程度か教えてやるよ。まさか、そこまで大口叩いて逃げはしないだろうな?」
このまま問答を繰り返したところでこの男は納得しないだろう。レインハイトは再び嘆息し、小さく頷いた。トレイをテーブルに置き、食堂の出口に向かって歩き出す。
「分かりました。では、場所を変えましょうか」
「上等だ!」
チャラ男は意気揚々とレインハイトを追い越し、先頭を歩き出した。まだ学院に来たばかりで右も左も分からないレインハイトからすれば良い案内役である。やけに自信ありげなのが気になるが、おおよそ「不意を突かれなければ勝てる」などと思っているのだろう。
確かに、魔法は距離の開いた戦闘では無類の戦闘力を誇るといえる。詠唱の時間さえ稼いでしまえば、あとは必殺の一撃を敵に向かって放つだけで勝敗がつくのだ。世界で魔法が重宝されるのは、単純に強いからである。
しかし、魔力の流れを読み取り、魔法が発生する場所を特定できるレインハイトが相手をするとなれば、話は変わってくる。実際、レインハイトは魔法を主体として戦うヴィンセントとの一対一の対決において、百戦錬磨の殺し屋である彼を一度退けているのだ。もしあの時ティツィーの邪魔が入らなければ、油断をしていたヴィンセントは再起不能になるほどの深手を負っていただろう。
一対一の戦闘という条件は付くが、その条件さえ用意できれば、自然魔法の使えないレインハイトにも勝機は十分に出てくるのだ。
レインハイトとチャラ男は数十人の面白半分なギャラリーを引き連れ、食堂を後にした。




