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レインハイトと魔法の門  作者: アマノリク
第一章 〜呼び覚まされた異分子〜
12/64

理不尽な再会

 やれやれ、これで一件落着か……とレインハイトが胸を撫で下ろしたその時。ヴィンセントが何かを思い出したかのように口を開いた。


「……そういやお前、前にも見たことがある気がするんだが……気のせいか?」


 レインハイトに対しての問いなのだが、その問いの意味を理解できず呆けているレインハイトに代わり、ティツィーが答えた。


「まさか今更気づいたんですか? ……レインハイトですよ。ほら、姫様の……」


「ん? レインハイト……? ……あー、あーあー居たなそんな奴! やっと思い出したぜ。ふっ、俺の記憶力も案外捨てたもんじゃねえな。……ん? でも、こいつの髪の色、前とは違う気がするんだが……」


「ええ、以前は明るい亜麻色の髪でしたね。私もそのせいで最初のうちは気づけませんでした」


「お前……そんなことよく覚えてんな……」


「私の記憶力がいいのではありません。貴方が色々なことをすぐに忘れすぎなのです」


 と、当事者を置き去りにする形で話は展開されていく。


(……何だ……? こいつらは一体何の話をしている……? まさか記憶を無くす前の知り合いか?)


 レインハイトは二人の顔をまじまじと見つめてみたが、残念ながら記憶が呼び起こされる様子はなく、当惑した。


「お前居なくなったのっていつだったっけか? 二年くらい前だったか? あん時は姫様がすげー荒れて大変だったんだぜ。終いには城ごと村が崩壊しちまったしな」


 二年前。居なくなった。姫様。重要そうなワードの数々だが、何も思い出せない。


「あの……姫様って誰ですか? ……と言うかお二人のことも思い出せないんですけど、実は僕記憶が――」


 このまま一人で悩んでいても仕方ないだろう。そう思い、レインハイトは気軽に言葉を発してしまった。

 今思い返してみれば、どうかしていたのかも知れない。彼らが自らを知る者ということだけで舞い上がってしまっていたのだ。


 その時、レインハイトは失念していた。彼らがたった今まで何十人もの人間を殺していた、殺し屋だという事実を。


「……あ?」


 次の瞬間。ヴィンセントの雰囲気が突如としてがらりと変わった。手首を切り落とされた時でさえ全く動じなかった男が、何故かいとも簡単に激昂し、殺気を周囲にまき散らしている。異様な光景だった。


「おいおいレインハイトくんよォ……俺はそういう笑えねえ冗談は好きじゃねえんだよ。つかお前、そんなこと言う奴だったっけ……?」


 まるで今までの戦闘がお遊びだったかのように、その男は強大な力を放出した。魔力という目には見えない圧力が、レインハイトを押しつぶさんと襲いかかる。

 レインハイトにはヴィンセントが怒り出した理由がかわからなかった。冗談だ何だと言われたところで、思い出せないものは仕方ないだろう。


「だから記憶が無いんですよ……そうだ、僕のこと知ってるなら、なんでもいいので教えてくれませんか?」


 しかし、ヴィンセントにそんな理屈は通らなかった。


「……気に入らねえ……」


 ヴィンセントの放つ魔力に殺気が入り混じり、渦を巻いた。レインハイトは未だに困惑しており、その場に棒立ちしている。


「くっ……やめなさいヴィンセント! ……『空撃(エア・ショット)』! ……この石頭……レインハイト! 逃げて下さい!」


 ティツィーが容赦なくヴィンセントに魔法を放ったが、何らかの方法で全身を鋼鉄のように硬くできるのか、全く動じない。

 こうなったらこの男は止まらない。殺そうと思えば止められないことはないが、そんなことをする訳にはいかないだろう。ティツィーは歯噛みしつつ、レインハイトに向かってゆっくりと歩むヴィンセントを眺めることしかできなかった。


「俺の事を覚えてねえのはまだいい……俺も今の今までテメェのことなんざ忘れてたしな。……だがあいつは……アリスはお前のことを……やっぱり許せねえ」


 何か嫌なことを思い出したかのように、ヴィンセントはアリスと言う名を苦々しく呟き、怒りを抑えきれずレインハイトに向かって拳を振り上げた。

 アリスという名前を聞いた時、レインハイトは頭痛を感じた。記憶が戻ったわけではないが、その名前には何となく聞き覚えがあるように感じる。

 しかし、今はそんなことに思いを巡らせている暇はない。逃げ遅れたレインハイトは衝撃に備え、形成した剣を盾のように構えた。


「とりあえず、一発殴らせろ……!」


「ぐっ!?」


 放たれた拳は、レインハイトの作り出した鋼より硬い剣をいとも容易く砕き、その持ち主たるレインハイトを襲った。

 ゴン! という鈍い音とともに鋭い衝撃を感じたレインハイトは、気付いた時には宙を舞っていた。

 腹部から尋常ではない痛みを感じるが、自分に一体何が起こったのか全くわからなかった。

 レインハイトはそのまま人形のように着地すると、激しく地面を転がった。内蔵に傷がついているのではないかと感じるほどの激痛に苛まれ、呼吸すらできない。

 ただヴィンセントに全力で殴られただけなのだが、レインハイトにはそれを知覚することすらできなかった。


「まさか全力で……? そんなことをしたら……」


 凄まじい勢いで地面を転がるレインハイトを眺め、ティツィーは呆然と呟いた。そんなことをすればレインハイトが死んでしまう。剣でガードしていたようだが、大した違いはないだろう。

 ヴィンセントの拳はそれのみで純粋な凶器に成りうる。全身を鋼鉄のように硬化させる事のできる彼の特殊な能力は主に防御技術として使っているものだが、もちろん己の拳を硬化させ、敵を攻撃することも可能だ。


 練纏式体術『(けん)』により強化された鋼鉄の拳は、いとも簡単に敵の剣を砕き、鎧を貫通する。そこら中に転がっている騎士の死体のほとんどは、その方法で殺されたものだった。

 ヴィンセントの得意技は魔法ではなく、纏魔と硬化の組み合わせを使用した近接戦闘だったのだ。


「あん? 全力で殴ったはずなんだがな……血も出てねえじゃねえか」


 仰向けで地面に転がるレインハイトを見やり、ヴィンセントは訝しげに呟いた。


練纏(れんてん)でも使って咄嗟に防御したのか? ……いや、あのガキ程度の練度の低い纏魔の防御力じゃ防ぎきれねえはずだ。貫通させるつもりだったんだが……一体何が……?)


 ヴィンセントはレインハイトに歩み寄り、その体躯を見下ろした。


「ぐ……」


 苦しそうに呻くレインハイトの周りには、うっすらと赤黒い霧が漂っていた。何かを生成しようとしているわけではないのだが、勝手に出てきているのだ。

 それを見たヴィンセントは得心したかのか、薄く笑った。


「なるほどな……無傷じゃねえところを見ると正常には作動してなさそうだが、《血の十字架(ブラッド・クロス)》か。……姫様はよほどお前にご執心だったらしい」


 ようやく少し体が動くようになったため、痛む体にムチを打ち、レインハイトは口を開いた。


「……何を……言っている……?」


 レインハイトは《血の十字架》のことなど知らなかった。故に、ヴィンセントの言葉が理解できない。

 しかし、ヴィンセントはそれに取り合うこと無く言葉を続けた。


「ってことはそいつを使って虚空から武器を生成してたのか? ……だがわからねえな、《血の十字架》は防御専門の魔道具……そんな効果はないはずだ」


 そこでようやくレインハイトは悟った。

 この男に何を言っても無駄なのだろう。きっと記憶が無いということも信じていないか、端からレインハイトの言葉になど取り合う気がないのだ。

 理不尽だ。この男は、こちらの事情など気にする素振りもなく、ただ自らの感情のみに従い、行動している。そこには、レインハイトにどういった事情があるのか、どういった気持ちなのかと忖度する意思が一切存在していない。このような横暴がまかり通っているという事実に、レインハイトは絶望した。


 それを成し得ているのは、このヴィンセントという男の絶対的な力だ。強いというただそれだけの単純な要素が、理不尽だと叫ぶ声を寄せ付けない。

 レインハイトはその事実が何よりも恐ろしかった。

 きっと自分を生かすも殺すもこの男の尺度によって決まるのだろう。生殺与奪の権を握られるというのは、こうも恐ろしいものなのか。自分を見下ろすヴィンセントを眺め、レインハイトは震えた。


「……そんな顔すんなよ。まあ最初は殺すつもりで殴ったが……こうして生きてるわけだし、俺は一発殴ったから気が済んだ、別に殺しゃしねえよ」


 困ったような顔をしながらしゃがみこんだヴィンセントの言葉を聞き、レインハイトはほっと胸をなでおろした。どうやら殺されることはないらしい。

 しかし、ヴィンセントの言葉はそれで終わりではなかった。


「だが、そいつは返してもらうぜ? それは元々“俺達側”の所有物だ。記憶を無くしたお前に拒否権はねえ」


「は? ……返すって何を……」


 ヴィンセントは右手の指を全てまっすぐに伸ばし、鋭く硬質化させた。


「すぐ済むさ。大人しくしてな」


 そして、服についたゴミを取ってやる、というような気軽さで、その右手をレインハイトの腹部に突き入れた。


「があァァああああああああああ!?」


 硬化したヴィンセントの右手はいとも簡単にレインハイトの腹部を突き破り、体内に侵入した。空いた穴からはおびただしい量の鮮血が舞う。

 強烈な激痛が全身を駆け抜け、レインハイトは何も考えることができなくなった。


「ヴィンセント!? 一体何を……?」


 その光景を後ろで見ていたティツィーが声を荒らげた。どうやらこの行動はヴィンセントの独断らしい。


「どいつもこいつもうっせえなァ……別に殺さねえって言ってるだろうが」


 苛立ちを隠そうともせず、ヴィンセントはレインハイトの体内を強引にかき回した。腕を動かす度に傷口からは血が飛び出し、レインハイトが横たわる地面に流れていった。


「貴方は馬鹿ですか! そんなことをすれば出血多量で死んでしまいます!」


 淡々と腕を動かすヴィンセントに対し、ティツィーは目に見えて動揺していた。どくどくと血を流すレインハイトを眺め、顔を青くしている。

 ヴィンセントは一瞬だけティツィーに目を向けると、すぐに視線を元に戻し、口を開いた。


「馬鹿はどっちだティツィー。《血の十字架(ブラッド・クロス)》が作動するってことは、こいつはもう只の人間じゃねえってことだ。何でそうなったかはわからねえがな。……まあ十中八九、アリスの奴が何かしたんだろ」


「《血の十字架》が……? なるほど、それで先程はヴィンセントの攻撃に耐えられたんですね。……では、髪色の変化もその影響で……ということでしょうか? ……しかし、本当に姫様が……?」


 得心がいった、という風に顎に手をやり、ティツィーは神妙そうな面持ちでレインハイトを見つめた。しかし、その表情には未だ疑念の色が濃く、僅かな動揺さえ窺える。


「それはわからねえ。だが、少なくともこの程度ではこいつは死なねえってのは確かだ。……お、あったぞ。……チッ、完全に血管と結合してやがる。正常に作動してなかったのはこのせいだったのか……こりゃ魔法で強引に引き剥がすしかなさそうだ。――血の継承者たる我が命に従い、彼の者の力を奪い給え――『吸魔(ドレイン)』」


 ヴィンセントがそう唱えた瞬間。彼の右手の前に紫色に輝く魔法陣が現れ、レインハイトの周囲に漂う赤黒い霧が吸い寄せられるようにその魔法陣に集中した。

 魔法陣に集められた霧は徐々に結晶のようなものになっていき、やがてそれは黒い十字架へと姿を変えた。


「よし、摘出完了だな……お?」


 その次の瞬間、ヴィンセントの顔面に向かって矢が放たれた。状況を見守っていたシエルがこらえ切れず撃ったものだ。しかし、ヴィンセントは瞬時に真横に飛び退り、矢を回避した。

 魔法の加護により高速で放たれたはずの矢でさえこいつには通用しないのか。背筋に冷たい汗が流れるのを感じ、シエルは歯噛みした。


「……ったく危ねえな。魔道具が壊れたらどうすん――」


「――『氷雨(アイシクル・レイン)』!」


 美しい声とともに放たれた魔法は、氷属性の中級魔法。アスガルド王国の王女、アトレイシアが放ったものであった。

 空気中の水分や二酸化炭素、魔法によって作られた水を集め、それを急速冷凍し、氷を発現させ、鋭く冷たい雨を降らす氷の魔法。

 氷を扱う魔法は水属性の上位派生であり、熱量を司る火属性の適性も必要であるため通常の水魔法よりも難度が高く、使いこなすには相当な技術が必要である。


「ぐあッ!」


 ヴィンセントは素早く全身を硬化させ、衝撃を緩和した。

 だが、放たれたのは中級魔法である。その威力は高い。少なくはない量の氷の刃がヴィンセントに襲いかかり、体にはいくつか傷を付けていた。

 不意打ちのようなものだったとはいえ、硬化を持ってしても防ぎきることができない魔法を受けたヴィンセントは、その屈辱からか、アトレイシアを強く睨み据えた。


「クソ……テメェ中級なんて使えたのか」


「はあぁああ!」


 間髪入れず、叫び声を上げながら、シエルが風の加護を受けた矢を放つ。


「……チッ」


 ヴィンセントは素早く横に飛び、それを躱した。どうやら硬化は連続では使えないようだ。

 その隙にアトレイシアが倒れたレインハイトに駆け寄り、治癒魔法をかけ始めた。


「……何なんだお前ら、俺とやる気か? ……上等だ」


 漆黒の十字架を服に仕舞いこみ、ヴィンセントが構えを取った。周囲に殺気が漂う。

 レインハイトはその光景を眺め、腹部の痛みすら忘れるほどの強烈な胸の疼痛(とうつう)を感じた。


 自分のせいで、シエルと、自分が助けようとした女性を巻き込む事になってしまったのだ。理屈や理論が通じない、力だけが全てを支配する理不尽へと。

 レインハイトはその事実に、己が殺されると感じた時より、更に強烈な恐怖が全身を駆け抜けるのを感じた。腹の風穴とは関係なく全身の血が急激に引いていき、背筋には寒気が走る。

 力という理不尽に対して何の抵抗もできない己の無力に、自らの心が氷のように冷たくなっていく。無力とはこんなにも罪を感じるものなのか。

 レインハイトは自分を庇うように立つシエルと、必死の形相で治癒魔法をかけ続けるアトレイシアを力無く交互に見つめた。


「気の強い女は嫌いじゃねえ……」


 ヴィンセントがシエルに向かい、悠々と歩みを進めた。

 既に詠唱を終え、風の加護を受けた矢を構えていたシエルは、迷いなくヴィンセントの眉間に向けて魔法を撃ち込んだ。

 しかし、僅か数メイルという距離で放たれたにも関わらず、ヴィンセントは何と片手で矢を掴み取った。「つまらない」と言った風に嘆息し、掴んだ矢を地面に捨てる。


「だから効かねーって言ってんだろ」


「ぐ……うっ」


 ヴィンセントは、その場に立ち尽くし震えるシエルの首に右手を伸ばし、無造作に掴むと、強引にその体を持ち上げた。シエルの両足は地面を離れ、虚空を彷徨う。


「うーん……悪くはねえが、ちと若いな。あんまりうまくなさそうだ」


 品定めするかのようにシエルを眺め、不満そうに首をひねるヴィンセント。


「……レインに手を出したら……許さない……」


 首を絞められているシエルは、そう苦しげに呻いた。その目には悲嘆の色はなく、ヴィンセントをきつく睨み据えている。

 気に入らねえ、とヴィンセントはシエルの目を睨み据え、忌々しげに呟いた。気の強い女は好きだと言っても、ここまでしても折れない心というのは面白いものではなかった。涙で顔を濡らし命乞いでもするようであればそそられるのだが、この少女からはそんな気分は微塵も感じられない。

 ヴィンセントは手首から先のない左腕を小さく引くと、鋭くシエルの腹部を打ち据えた。


「うぐっ! ……かは……」


 左腕が突き刺さった腹部を支点とし、凄まじい衝撃を受けたシエルの肉体がくの字に折れ曲がる。

 シエルの体から発したみしみしという悲鳴だけが、やけに鮮明にレインハイトの耳に届いた。

 壊れた人形のように折れ曲がったシエルの肉体を視界に収めたレインハイトの両目からは涙が溢れ出し、彼の行き場のない無念と共に、地面へと流れ、静かに吸い込まれて行った。

 ヴィンセントが掴んだ手を離すと、シエルは抵抗なく地面に倒れ込んだ。


「ごほっ……」


 吐瀉物を地面に撒き散らしたシエルは、焦点の合っていない虚ろな目を暫く動かし続け、ようやく倒れるレインハイトを見つけると、安心したかのように微笑を浮かべた。

 その動作で残った力を全て使い果たしたかのように、シエルはゆっくりと瞼を閉じると、そのまま静かに意識を手放した。


 レインハイトはその一部始終を、深い絶望に苛まれながら視界に捉えていた。こうなったのは全て自分が弱いせいだ。理不尽に抗えないのは、己に力がないからだ。

 何故こうも自分は無力なのだ。レインハイトは己の弱さを恨んだ。その胸中には、自分がまだ子供であり、暴力に抗えないのは仕方のない事だ、という思いは一切なかった。

 シエルをその場に放置し、自分の横で必死に治療を行う女性に近づくヴィンセントを眺め、レインハイトは己の心に暗い炎が灯るのを感じた。


(こいつは……俺の知り合いなんかじゃない。……敵だ。この男は俺の世界を理不尽に破壊する害敵だ。俺はこいつを……絶対に許さない……!)


 レインハイトの怨念など歯牙にもかけず、ヴィンセントは治療を続けるアトレイシアに手を伸ばした。

 治癒魔法の行使には尋常ではない集中力が必要なため、アトレイシアはそちらに気を配る余裕はなかった。

 本来ならばもっと回復のスピードが早いはずなのだが、この少年にはなぜか治癒魔法の効きが悪い。焦りと疲労からか、アトレイシアの頬を一筋の汗が伝った。

 ヴィンセントはアトレイシアの首に無造作に手を伸ばし、シエルの時と同じように、強引に掴んで持ち上げた。アトレイシアは治癒魔法に全集中力を注いでいたため、ろくに抵抗ができない。


「くっ……はなし……なさい」


「ほう、お前はなかなか美味そうだな。そろそろ腹も減ってきたし、殺すついでに腹ごしらえでも……」


 ヴィンセントはぎらりと犬歯をのぞかせ、その口元をアトレイシアの細く白い首元へと近づけた。凄まじい力で首を絞め上げられており、アトレイシアは呼吸すらままならない。

 あと僅かでその歯が少女の柔肌へ届くかという距離までヴィンセントが迫った、その時、


「『吸魔(ドレイン)』……!」


「……あ?」


 赤瞳(せきどう)を光らせたレインハイトは、かつて無いほどの怒りに震えながらヴィンセントの足首を掴み、何を思ったのか、先程ヴィンセントが彼に向けて使用した魔法の“魔法名のみ”を唱えた。

 どのように魔力を巡らせれば魔法を構築できるかは、直接その技を受けたレインハイトには手に取るように分かる。記憶した魔力の流れを精密に再現し、魔法陣を生み出した。


 すると、今まで一度も魔法に成功した事がなかったはずのレインハイトが生み出した紫色の魔法陣は、失敗すること無く、まばゆい光を放ち、無詠唱で完璧に作動した。

 右回りに回転しながら起動した魔法陣は、激昂するレインハイトの殺意に呼応するかのように光輝き、足首を掴んだ右手を起点にして、ヴィンセントから凄まじい勢いで魔力を吸収する。


 激情に駆られながらも、レインハイトは凄まじい量の魔力が己に流れ込んでくるのを感じていた。

 相手から魔力を吸い上げ、奪い取る。それがこの『吸魔(ドレイン)』という魔法の正体なのだろう。先程自分の体内から魔道具だと思われる異物を取り出す際に使っていたことから、恐らく吸い上げる対象を選別することができるのだ。

 ヴィンセントから己へと魔力が流れ込むに連れ、それに比例するように体の奥底から生命力のようなものが湧き出てくるのを感じた。魔力を吸い上げるだけでなく、己の力へと変換し、吸収しているのだ。


「ぐっ……こいつ……!」


 ヴィンセントは力無くその場に膝を付いた、存在すら吸い上げるかのような強烈な魔法による急激な魔力の減少により、体にうまく力が入らず抵抗ができない。血走った赤い目で足首を掴むレインハイトは、簡単にその手を離そうとはしないだろう。これまでか、そうヴィンセントが思った矢先、


「『空撃(エア・ショット)』!」


「ぐあっ!?」


 今まで静観していたティツィーが、突如としてヴィンセントに魔法を放った。

 横っ腹に圧縮された風の塊がぶつかり、その衝撃によりヴィンセントはレインハイトの手から離れ、地面に転がる。


「……ヴィンセント。あまり私を怒らせないでください」


 そう言い捨てたティツィーの目には、微かにだが、怒りの炎が見て取れた。

 ヴィンセントは何も言い返せなかった。己の気の赴くままに行動し、その結果致命的なミスを犯し、二度もティツィーに助けられたのだ。今までは敗北はおろか苦戦など経験したことすらなかったヴィンセントにとって、それは初めて感じる屈辱となった。


(クソ……何なんだ一体。無詠唱で発動させたも異常だが、こんなに強力な『吸魔(ドレイン)』なんざ俺は聞いたこともねえぞ……そもそも、“純粋種”でもねえこいつに何故『吸魔(ドレイン)』が使えるんだ……?)


吸魔(ドレイン)』の使用で緊張の糸が切れたのか、目を瞑って気絶しているレインハイトを忌々しげに睨み付けたヴィンセントは、のそりと立ち上がり、ティツィーに向かって静かに歩き出した。あの僅かな時間で全体魔力の半分以上を吸収されてしまったため、満足に歩くことすらままならないのだ。


 例えるなら、凄まじい勢いで血を抜かれたような感覚に近いだろうか。魔道師にとって魔力とはエネルギーの源であり、無くてはならないものだ。それを急激に吸い取られてしまったとあっては、本来であれば魔力を使わずに行う「己の体を動かす」という単純な行為でさえ困難を極めることとなる。

 更に、ヴィンセントの身体は魔力と密接な関係があるのだ。彼にとっての魔力は魔法を行使するために使用する単なるエネルギーなどではなく、生命を維持するために必要不可欠な要素なのである。もしこれ以上魔力を吸われるようなことがあれば、命にも関わってくる問題となるだろう。


「……無様ですね。これに懲りて、今度からもう少し私の言うことを聞いてくれると助かるのですが」


「…………」


 ティツィーはいつもの無表情のまま、ヴィンセントに辛辣な言葉を浴びせた。

 全面的に自分が悪いということがわかっていたヴィンセントは、珍しく黙ってその言葉を聞いていた。よほどレインハイトに痛手を食らったのが悔しいのか、ぎりぎりと歯を食いしばっている。

 その様子を眺め、やれやれ……とティツィーは嘆息すると、未だ傷が治りきらないレインハイトに治癒魔法をかけ続ける一途な王女に向かって口を開いた。


「忠告……と言うよりアドバイスですが、レインハイトはもうそのままにしておいても勝手に治ると思いますよ。それより、そこで気絶しているエルフの子を治療してあげたほうがいいです。レインハイトの時と違って纏魔を使用せずに単純な筋力で殴ったとはいえ、この馬鹿はその名の通り馬鹿力ですから。もしかしたら内蔵に損傷を受けているかもしれません」


「この子はお腹に穴が空いているのですよ? そちらの子より明らかに重症ではありませんか!」


 自信があった治癒魔法が上手く行かず、焦りによりつい声を荒らげてしまったアトレイシアは、すぐにハッと目を見開くと、取り乱した己を恥じ、俯いた。

 しかし、だからといってそう安々と殺し屋の少女のいうことを信用できるわけもなく、開き直って強硬な態度を貫いた。


「……それとも、何かこの子が勝手に治るという証拠でもあるのですか?」


 アトレイシアは気絶している眼前の少年を見遣ると、その美しくも強い眼差しを無表情の少女へと向けた。


「……証拠ですか……? 別に貴方にわざわざ説明してあげる義理はないんですが。……しかし、そのせいで万が一そこのエルフの少女が深い傷を負っていた場合、私達がレインハイトに恨まれそうですね」


 分かりました、とティツィーは小さく息を吐き出し、淡々と説明を始めた。


「あれだけ派手に地面を転がったのですから、服もところどころ破れていますし、体中に細かい傷を負っていたはずですよね? ……でも見てみてください。恐らくもうそんな浅い傷は跡形も無いでしょう。……それに、ヴィンセントは内臓はそこまで傷付けていないはずです」


 ティツィーの言葉を聞き、アトレイシアは恐る恐るレインハイトの体を見た。確かに、そこにあるはずの擦り傷や切り傷が一切ない。アトレイシアはレインハイトの腹部のみを対象として治癒魔法をかけていたため、その効果が全身に行き渡ったとは考えにくい。

 信じ難い事だが、恐らくその存在していたはずの傷は、魔法の加護無しで勝手に治ったということだ。と言うことは、この青みがかった銀髪の少女の言うことは本当だということになる。


「……説明は以上です。詳しいことは面倒なので省きます。……あとは王女様が勝手にご自分で判断してください。……では、私達はこれで失礼致します」


 抑揚のない声でそう締めくくったティツィーは、アトレイシアに背を向け歩き出した。王都アイオリアの逆方向、レインハイト達が来た道を引き返していく。

 先行して歩くティツィーの後を、大人しくなったヴィンセントがとぼとぼと追いかけていった。


「我が契約に従い、癒しの精霊よ、汝に生命の息吹を与え給え――『治癒(ヒール)』」


 アトレイシアは少々疑いつつも、うつ伏せに倒れ込んだシエルを仰向けにさせ、治癒魔法をかけた。

 苦しげな表情が一転し、安らかな寝顔になった少女を見てほっと胸をなでおろしつつ、アトレイシアは諦め悪くレインハイトに治癒魔法をかけ続けた。


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