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レインハイトと魔法の門  作者: アマノリク
第一章 〜呼び覚まされた異分子〜
11/64

赤髪の殺し屋

                    ◇  ◇  ◇



 王都に向けての旅も終わりに近づいた六日目の昼頃、レインハイトは仮眠から目覚めた。

 予定ではあと二日で到着だ。今日さえ乗り切れば王都はもうすぐそこだろう。

 やはりそれなりの距離を渡ってきたのか、建造物も多く見かけるようになり、途中では小規模な村もいくつか通り過ぎた。辺りには程よく草木が増えてきており、着々と豊かな大地に変わっていっているのが見て取れる。


 前方で馬を操る御者に尋ねてみたところ、予定より早く着くかもしれないとのことだった。もしかしたら、本日中に王都にたどり着くことができるかもしれない。

 積み荷を多く積んだ商人の馬車とも良くすれ違うようになり、いよいよ目的地は目前だ。

 レインハイトは逸る気持ちを抑え、少し遅めの昼食を取った。


「レイン、あれ……」


 最初に異変に気付いたのはシエルだった。彼女は指で窓の外を指し示し、レインハイトの視線を誘導した。

 シエルの細い指先に導かれるようにしてレインハイトが見たものは、火の粉を散らして燃えている馬車だった。

 既に燃え盛る炎にそのほとんどが包まれてしまっている。火は弱まってきているようだが、あれでは消火したところで積み荷は全て燃え尽きているだろう。


 御者も異変を察したようで、少し遅れて馬車を止めた。「どうします?」というように振り向き、レインハイトを窺う。

 燃えている馬車の近くには、僅かに動く人影のようなものがあった。合計で四つ。影はその場から避難する素振りはなく、事故にしては様子がおかしい。

 まさか……とレインハイトが目を凝らした瞬間。突如として炎が現れ、人影の一つから、その首を空中へ舞い上げた。


「あっ! レイン!」


 気付いた時には馬車を飛び出していた、勝手に動いた体に戸惑いつつ、レインハイトは即座に纏魔を行い、燃えている馬車に向かって駆けた。

 練纏式体術(れんてんしきたいじゅつ)、『疾風(しっぷう)』。体の内側から行う纏魔術、練纏系技(れんてんけいぎ)の内の一つ、練纏式体術の基本技である。

 その効果は、魔力を己の脚に集中させ、脚力を大幅に増強するというものだ。纏魔を知る以前からレインハイトが得意としてきた『疾風』は、エリドの指導のもと、ロイと共に行ってきた約十ヶ月間の修行により、その練度を増していた。高速移動中に吹き付ける風の中でも視界を最大に維持できるように、抜かりなく眼球も魔力で保護している。

 主要な部位の強化だけでなく、こういった細かい部位にも無駄なく最小限の魔力で纏魔を行えるのが彼の強みである。


 以前よりも強い力で地面を蹴り進むと同時に、レインハイトは頭を働かせた。

 人影の首が飛ぶ寸前、レインハイトは赤く輝く魔法陣を見た。恐らく、襲撃者が魔法を放ったのだ。

 つまり、あの馬車は襲われていたということになる。十中八九盗賊の類だろうが、しかし、積み荷が狙いであればあそこまで派手に火を放つのはおかしい。

 レインハイトは疑問を浮かべつつも、持てる限りの全速力で走った。当然、盗賊はもうひとつの人影も狙っているであろうからだ。


 盗賊が詠唱を終える寸前。何とか間に合ったレインハイトは魔力で武器を形成し、盗賊に斬りかかった。盗賊は恐らく二人だが、今は詠唱している方を先に倒すのが懸命だろう。

 幸い、赤い髪の盗賊はまだこちらに気付いていない。レインハイトは奥に控えている盗賊の位置も確認しつつ、詠唱をしている男に一閃を放った。剣には刃を形成しなかったため峰打ちだが、意識は刈り取れるはずだ。


「おおっ? ……何だあ?」


 レインハイトが捉えたと確信した瞬間。盗賊は魔法の詠唱を中断し、仰け反るように上体を逸らした。余裕すら感じられるその回避に、剣を空振ったレインハイトは己の全身が総毛立つのを感じた。


(躱された!?)


 レインハイトは練纏式体術『(てん)』を行い、乱れた体勢のまま強引に着地を試みた。エリドやロイが言っていた『纏魔』の正体はこの技のことであった。

 全身から魔力を練り上げ、己の肉体を強化するという最も基本的な技を使い、レインハイトは何とかその場に踏みとどまり、盗賊に対して構えを取った。


 詠唱を止め、背後からの一撃を軽々と避けてみせた盗賊の男は、眼前で剣を構えるレインハイトを眺めると、楽しそうに口元を歪めた。

 燃え上がるような赤髪を持つその男は、獰猛な笑みを浮かべ、怪しい光を放つ真紅の瞳でレインハイトを睥睨している。歳は二十くらいだろうか。肌は白く、切れ長の三白眼はレインハイトを捉えて離さない。

 男はレインハイトを眺めたまま、口を開き、鋭い犬歯をのぞかせた。


「もう増援かァ? ちと早すぎやしねえか……?」


 面倒そうなその口調とは裏腹に、男の表情は愉悦に満ちていた。

 その時、レインハイトは周囲に漂う不快な匂いに顔を顰めた。この臭いは馬車が燃える匂いではない。臭いの元は何だ、と下を見遣った。

 赤髪の男を警戒しつつ徐々に視界を下へとずらしていくと、やがて何か大きな塊が地面に転がっているのを発見した。先程は燃え盛る馬車が遮っていた“それ”を視界に移した瞬間、レインハイトは声も出せぬほどの衝撃を受け戦慄し、全身を粟立たせた。


 そこにあったのは、死体だった。人間の死体がそこら中に転がっているのだ。首が無いもの、胴体が真っ二つに切り離されているもの、四肢が断裂しているもの。数え出したらきりがない。臭いの元は血と死肉の焼け焦げた臭いだったのだ。

 惨憺(さんたん)たる光景に背筋を粟立てつつ、レインハイトは現場を眺めた。ざっと見回しただけで二十体ほどの死体が転がっている。


「……これは……全部お前がやったのか……?」


 そんなことを聞いてどうするというのか。我ながらバカらしい質問をしたものだ。レインハイトは手の震えを抑えつけながら、答えのわかりきっている質問を投げかけた。


「あん? 見りゃ分かんだろが。……しっかし、護衛っつーのは大変だな。金で雇われてんのかなんだか知らねえが、他人のために自分の命を捨てちまうなんざ、馬鹿馬鹿しいったらありゃしねえ。素直に逃げりゃあ見逃してやったのによ」


 両手を顔の横でひらひらとさせながらおどけた赤髪の男は、口元を歪めたまま吐き捨てた。

 本当に逃げ出したら見逃してくれたのだろうか。レインハイトは信じることはできなかったが、一応聞くだけ聞いてみようと前向きに考え、取り引きを持ちかけた。

 この数の武装した人間をたった一人で片付けられるほどの実力者なのだ。まともに挑んでは返り討ちに合ってしまうだろう。


「……なら俺は逃げる。後ろにいる人もだ。抵抗はしないから、見逃してくれ」


 まだ確認はしていないが、一人は生きているはずだ。自分の後ろに居るはずの生存者の気配を探りつつ、レインハイトは男を見つめた。


「うーん……まあお前だけなら見逃してやってもいいぜ。でも、後ろのそいつは駄目だ」


「……何故だ」


 赤髪の男が指差す方向を危険だと知りつつも反射的に見てしまったレインハイトは、少しばかり動揺した。罠だったとかそういうことではなく、男が指差すその人物があまりにも浮いていたからだ。


 まず目が行くのは、胸元の開いた、豪奢な純白のドレス。それに包まれた華奢な体躯は、痩せこけているわけではなく、出るところはしっかりと出ている。その陶器のような白い肌は見る者を引き寄せ、ドレスに包まれた危うい胸元へと誘った。

 肩の辺りで切りそろえられた内巻きの髪は、透き通るような輝きを放っていた。その頭部には銀色に輝くティアラが乗っており、彼女の美しい白金の髪を引き立てている。

 街を歩けば誰もが振り返るであろう美貌(びぼう)を持つその少女、アトレイシアは、レインハイトを不安げに見つめ、ドレスが汚れてしまうのも気にせず地面にへたり込んでいた。その側には、物言わぬ肉塊と化したザミエルが転がっている。


「……あの人が何をしたって言うんだ。お前、これだけ殺してまだ殺し足りないのかよ」


 レインハイトは、己の胸の奥底に火が灯るのを感じた。(すが)るように見つめる少女から目を逸らし、赤髪の男をまっすぐ捉える。


「ん? お前、そいつのこと知らねえのか? 知り合いでもねえのに命張って守る必要なんてねえだろ。……下心があった……わけでもなさそうだな。何だお前、馬鹿か? 面白い奴だな」


 赤髪赤眼の男はそうまくし立てると、緊張感なくゲラゲラと笑った。

 確かに、見ず知らずの人間を助けるために乱入し、殺されてしまってはどう見ても馬鹿だろう。しかし、レインハイトはそう簡単に殺されるつもりはなかった。


「確かに俺はあの人が誰なのかは知らないし、何をしたのかも知らないけどな。……だけど、それは本当に殺されるようなことなのか? お前、ただの盗賊なんじゃないのか?」


「ハァ? 俺が盗賊? んなわけねーだろ」


 男は素っ頓狂な声を上げると、やれやれといった風に鼻を鳴らし、続けて口を開いた。


「……めんどくせーから説明してやるが、俺は殺し屋で、その女は今回の標的だ。わかったか? わかったらさっさとそこどいて消えな。テメェみてえなガキが関わることじゃねえ」


 どうやら事はレインハイトの想像していた以上に大事であったようだ。

 レインハイトは後ろを振り返り、こちらを窺う少女を見つめた。恐怖に打ち震えるその美しい少女は、やはり殺されなければならないほどの悪人には見えない。レインハイトは静かに形成した剣を構えた。


 決してその美貌に惑わされたわけではない。

 ならば何故、と問われれば答えに窮するが、とにかくあの清らかな少女が殺されるというのは我慢ならないのだ。

 少なくともレインハイトには、この状況で少女に背を向け、己だけが逃げ帰るという選択肢を取ることはできそうになかった。


「……やっぱり、納得できない」


「そうかよ、なら精々足掻いてみろや」


 赤髪の男は獰猛な笑みを浮かべると、即座に詠唱を始めた。


「我が契約に従い、猛炎の精霊よ――」


 レインハイトは飛んだ。肉体を魔力で強化する「練纏(れんてん)」の脚力強化術『疾風』により開いた距離を二歩で詰めると、詠唱中の男の脇腹に全力の一撃を見舞った。刃は形成していないままだが、その斬撃には骨が粉々に砕けるほどの威力がある。


「……ッ!?」


 しかし、男を砕くはずだったレインハイトの剣は、ガキン! と鈍い音を立てると、接触面を起点に真っ二つに砕け、霧散した。

 服の下に鎧でも着込んでいたのだろうか、とレインハイトは驚愕しつつ分析する。


「――燃え盛る紅蓮の槍を放て――『炎槍(フレイム・ランス)』!」


 男の手からルーンの刻まれた魔法陣が生み出され、レインハイトに向かって高熱の炎が放たれた。火属性の下級魔法、『炎槍(フレイム・ランス)』。下級魔法と言えども、その中では上位に位置する魔法であり、威力、範囲ともに申し分ない。

 槍を彷彿とさせる鋭く尖った炎は、凄まじい速度でレインハイトを襲った。


 先刻の光景が脳裏にちらつき、アトレイシアは無意識のうちに目を瞑った。自分を庇ってくれているこの少年も、きっとザミエルのようにあの炎に貫かれてしまうのだろう。僅かな希望すら潰え、悄然としたアトレイシアだったが、しかし、その予想は外れることとなった。


 通常ならほぼ必中である距離で放たれた魔法だったが、炎が放たれる直前の魔力の流れを冷静に感じ取ったレインハイトは、『疾風』により強化された脚力で素早く飛び退き、見事に回避した。行き場を失った炎の槍は形を崩し、空中に霧散する。


「ほう、すばしっこいな。だが、逃げてるだけじゃ勝てないぜ」


 赤髪の男は動じず、再び詠唱を始めた。

 レインハイトは距離を詰め、今度は男の頭部めがけて一閃を放った。何かを服の下に仕込んでいるのであれば、肌の露出している箇所を殴ればいいだけのことだ。

 男は詠唱しながら右腕を顔の横へ上げ、ガードする体勢を取った。しかし、振り上げた男の右腕はどこからどう見ても生身だ。


(腕一本貰った……!)


 男の右前腕骨骨折を確信したレインハイトだったが、しかし、腕を砕く感触は一向にやって来なかった。再度、ガキン! という音を立て、生成した赤黒い剣が折れる。

 今、男は確かに生身で剣を受けたはずだ。それなのに何故……。剣の崩壊とともに、レインハイトは困惑した。

 いくら刃を作っていない剣とはいえ、生身の人体を傷つけることなど容易いはずなのだが、この男には先程から一切斬撃が通用しない。


「――『炎槍(フレイム・ランス)』!」


 いつの間にか詠唱を終えた赤髪の男が、先程と同じ魔法を放った。赤く輝く魔法陣が回転し、膨大な熱量を持った炎が放出される。

 動揺で判断が遅れ、避ける際に業火が胸を掠めた。魔法により唐突に発生した熱気が顔面を撫で、背筋に冷たいものが流れる。

 あんなものが直撃すれば、体に風穴が空いてしまうことだろう。レインハイトは気を引き締め直し、次の動作に備えた。


 火炎が胸元を掠めたことにより、今更ながら「死」を現実のものとして感じたレインハイトは、峰打ちなどという甘えた考えは捨てた。この男に手加減などしていては絶対に勝てないだろうということは、先の攻防で理解していた。

 この男は人殺しだ。自分が必死で守ろうとしている女の子の命さえも奪おうとする敵だ。胸中でそう自分に言い聞かせ、レインハイトは赤黒い霧を集中させた。先程までに生成してきた際の二倍以上の魔力をつぎ込み、片手剣を形成する。相手を殺す気でやらなければ、自分が死ぬかもしれないのだ。

 重く、鋭くを意識して形成した剣は、今までのものとは密度や切れ味が別次元の物だ。もしこれが通用しなければ、レインハイトの持ちえる攻撃方法では、あの不可解な硬度を持つ赤髪の男に一切のダメージを与えることはできないだろう。

 覚悟を決め、レインハイトは剣の柄をきつく握り締めた。


「さっきから何だァ? 虚空から剣を召喚する魔法なんて聞いたことねえぞ。面白えな」


 愉快そうに笑う男に向かって、レインハイトは全身から魔力を練り上げ、駆けた。

 赤い三白眼の男は詠唱をせず、レインハイトの攻撃を待ち構えた。男は既に二回レインハイトの攻撃を凌いでいる。だからこその余裕だろう。

 レインハイトにしてみれば、それは好都合だった。これで攻撃後の魔法を気にせず全力で剣を振ることができる。

 待ち構える男に対し、レインハイトは諸手で右から左へと横薙ぎに剣を振り抜いた。


 練纏式剣術(れんてんしきけんじゅつ)、『(せん)』。己の肉体に魔力を巡らせ、強力な一閃を放つ『剣術』の基本技。

 魔道師に対向するべく編み出された、纏魔術を応用した剣技。それこそが、レインハイトがエリドから教わった『剣術』の正体であった。


「だから無駄だって……ぐッ!?」


 赤髪の男は『閃』に対し左腕で防御の構えを取ったが、今回は金属音のような音は鳴らなかった。確かな手応えとともに、レインハイトは男の左手首を切断した。

 左腕の切断面からは勢い良く鮮血が飛び出し、男の手首は宙を舞った。


 しかし、それだけではまだ終わらない。レインハイトの『閃』は、五割程度の力で放ったものだった。


「う……おおッ!」


 剣を振り抜いた反動を利用し、今度は全力を持って返す刀を振りぬく。

 練纏式剣術『(ざん)』。肉体と剣に魔力を巡らせ、強烈な斬撃を放つ『閃』の上位剣技。

 高圧の魔力を宿した刃は、赤く美しい光を放ち、周囲の空気を切り裂いた。

 魔力コントロールの難度が高すぎるため、剣術使いの間では積極的に編み出されることのなかった「連撃」は、レインハイトの正確無比な魔力操作によって、完璧にその性能を発揮した。


『閃』と『斬』、二つの練纏式剣術の基本技を組み合わせたレインハイトの独自技、練纏式連剣術(れんてんしきれんけんじゅつ)、『閃斬(せんざん)』。

『閃』を放った際の勢いを殺さず、足先、腰、腕へと力を循環させ、捻転力と体重をこれでもかと乗せた必殺の一撃は、凄まじい威力を持って赤髪の男の胴体目掛けて進んでいった。


「ハアァッ!」


 咆哮とともに全身から魔力を(たぎ)らせつつ、輝く剣を握るレインハイトは勝利を確信した。しかし、


「『空撃(エア・ショット)』!」


「がッ!?」


 男に刃が届く寸前、突如放たれた風魔法がレインハイトの側頭部を直撃した。

 その直後、邪魔さえ入らなければ勝負を決定付けたであろうレインハイトの渾身の一撃は、集中が途切れたことにより剣に込めた魔力が霧散し、不発に終わる。


「何だ……?」


 大して強い衝撃ではなかったのだが、突如としてくらくらとした目眩に襲われ、レインハイトは力無くその場に膝を付いた。

 彼の頭部に直撃したのは、風属性の下級魔法だ。威力が大きい術ではない。しかし、横から頭を殴られるように的確に当てられたため、脳が大きく揺さぶられ、平衡感覚を失ってしまったのだ。これを狙って当てたとすれば、恐ろしく正確な照準である。


(しまった……もう一人居たんだった……)


 揺れる視界の先に、魔法を放ったであろう少女の姿があった。

 年の頃は十三、四辺りだろうか。頭の両側でまとめられ、ツインテールとなった青みがかった銀髪は、シエルのものとは違い、氷ような印象を受ける。その素肌は病的なまでに白く、まるで冷たい雪のようだ。


 少女の瞳は寝ぼけ眼のように半分(まぶた)が下がっており、上瞼に覆われ半円を描く眼球は、赤髪の男と同じ赤い光を放っていた。

 怜悧冷徹な雰囲気を持つその少女は、赤髪の男とレインハイトが戦闘を行っていた位置から十数メイルほど距離を空けた場所に直立し、その無気力そうな眼差しを真っ直ぐにレインハイトへと向けている。


 体型は全体的にほっそりとしていて、華奢である。そのやせ細った肩にはフードの付いた黒いマントを羽織っており、少女の銀髪がよく映えていた。

 肩から伸びる少女の細い右腕の先には、直径一五〇センチメイルほどもある金属製の杖が握られている。全体的に魔法使い然とした格好だ。

 因みに、睡眠不足により眠気が溜まっているという訳ではなく、彼女にとってはあの半眼が平常のサイズである。


「おいティツィー! 邪魔すんじゃねえ!」


 レインハイトがくらくらとする頭を右手により強引に固定し銀髪の少女を見つめていると、何故か助けられた形の赤髪の男が吠えた。男は意識を完全に少女の方へ向けており、足元で蹲るレインハイトには目もくれない。

 今こそが眼前のレインハイトに止めを刺す絶好の機会であるが、しかし、赤髪の男はそんな結末を望んではいなかった。


「む。では貴方は殺されたかったというのですか? それは失礼致しました。それならそうと早く言ってください。今すぐ首を落として差し上げますので、そこを動かないでくださいね」


 眠そうな眼のままとんでもないことを言ってのけたティツィーという少女は、冗談のつもりはないらしく、その手に持つ長い杖を赤髪の男に向けた。先端には緑色に輝く宝石がはめ込まれている。


「ちょ! 待て待て詠唱すんな! 今のは俺が悪かった、助けてくれてありがとうな」


 本気で詠唱を始めていたティツィーと呼ばれた少女は、男の必死な謝罪を聞き、魔法の構築を止めた。

 しかし、男の言葉はそこでは終わらなかった。


「……だが、今のは油断しただけだ。次は本気でやる。今度こそ手を出すな」


 それを聞いたティツィーの眉が顰められ、少女は己の身の丈ほども有る金属製の杖を振り、呟いた。


「……『空撃(エア・ショット)』」


「がはッ!?」  


 杖を振るという行為のみで魔法の構築が完成し、少女が魔法名を呟くだけで魔法が発動した。空気の塊が男の腹部に命中し、痛みに呻く。

 宝石がはめ込まれた杖は《空撃の杖(エア・スタッフ)》と言う名の武器であり、魔道具と言われる装備だ。この杖は風属性の魔法威力を強めるとともに、風属性の下級魔法である『空撃(エア・ショット)』を、魔法名を呟くだけで発動する事ができるという効果を持っている。


 杖を振るという行為は、少女が魔法に狙いを指定するために行っている動作であり、魔道具本来の性能としては、それすら必要としない。

 男に迫るレインハイトを即座に撃ちぬいた魔法の正体はこれによるものであった。下級魔法とは言え、詠唱をせずに撃つことができるというのは十分な脅威になりうる。

 それに加え、あろうことか動くターゲットの頭を遠距離から正確に狙い撃つことのできる少女の手にそれが握られている。この事実こそが最も危惧すべき点である。その組み合わせの凶悪さは、鬼に金棒と言っても差し支えない。距離の開いた状況であれば、赤髪の男よりも遥かに厄介な相手である。


「ティツィー……てめえ、何しやがる……!」


 魔法が命中した腹部を軽く撫でつつ、不機嫌そうに男が問うた。


「すみません。ムカついたのでつい」


 ティツィーと言う少女は、己に向けられた男の怨念をまるでそよ風であるかのように爽やかに無視し、淡々と答えた。その顔は無表情である。


「ついじゃねえよ! チッ……お前が何と言おうと俺はあいつと戦うぞ」


 赤髪の男は、脳震盪から回復し武器を構え直したレインハイトを指さした。手首から先がないため、この場合は「腕さした」とでも言うべきだろうか。治癒魔法でも使ったのか、既に切断面の傷は塞がっており、出血はない。


「いえ、そういうわけにはいきません。ここは退きましょう」


 しかし、ティツィーは引かなかった。この男は戦闘が絡むと暴走気味になるので、いつも制御するのが大変なのだ。

 これ以上駄々をこねるようなら無理やり眠らせてずらかるとしますか、と胸中で物騒なことを考え、ティツィーは杖を構えた。


「はあ? まだ標的を殺してねえだろうが。それなのに逃げんのか?」


 何を言っているんだこの女は、と赤髪の男は首を傾げる。


「そちらの標的は『可能であれば殺せ』という指示だったはずです。依頼の内容くらいはきちんと把握しておいてください」


 やれやれ、といった風にティツィーは嘆息した。相変わらず眠そうな無表情は変わらぬままだ。表情の動きが無いため、余計に馬鹿にしているような印象を与える。


「バカにすんな! 依頼の内容くらい覚えてる。あんな女やろうと思えば殺せるだろ? それは可能ってことじゃねえのか?」


「ヴィンセントは馬鹿ですね。今回の任務において、『可能であれば』と言うのは、私達が“無理をしないで遂行できる範囲で”ということです」


 今度はあざ笑うかのようにふっと小さく息を吐くティツィー。それを見て苛ついたのか、赤髪の男――ヴィンセントは右手で頭を掻き、吠えた。


「だから無理なんてねえだろ! 俺がこんな怯えて座っているだけの女を殺せねえっていうのか?」


「ふう……ではお聞きします。……ヴィンセント、その手首から先のない左腕は何ですか?」


 ヴィンセントは問いの意味が理解できず、目を(すが)めた。


「はあ? 今その話は関係ねぇ――」


「その左腕は貴方が無理をした結果の産物なのでは無いのですか? ……私は貴方がそれほどの傷を負ったのを初めて見ました。敵はそれほどの手練だということです。更に、私達は任務に時間をかけ過ぎました。今回の標的は軍の大佐です、これはアスガルド王国を敵に回したと考えていいでしょう。まだ援軍は来ないでしょうが、包囲されたら逃げきれるかわかりません」


 黙り込んだヴィンセントに対し、それに、とティツィーは続ける。


「気付いてましたか? 私達さっきから狙われてますよ。きっとその少年の仲間でしょう。これで状況は二対二で五分です。これ以上ここに居続ける意味は無いと思いますが」 


 淡々とまくし立てるティツィーは、物陰で弓矢を構え様子を窺うシエルに気付いていた。そして、シエルも彼女に気付かれていることに気付いていた。


 まだ位置までは気付かれていないはずだが、ある程度距離をとっているというのに存在を感知されてしまうとは、とシエルは弓を手に握り、歯噛みしていた。

 赤髪の男の方はレインハイトが相手をしていたため、シエルは岩陰からティツィーを狙い、密かに隙を窺っていたのである。


 しかし、ティツィーは終始ボーっと突っ立っているように見えるが、その実、全くもって隙がなかったのだ。こちらが一度弓を放てば位置を特定され、瞬時に無力化されてしまうという直感があった。故にシエルはレインハイトを援護することができず、ひたすら岩陰から様子を窺う羽目になったのである。


「……で、あんた達は帰ってくれるのか? 俺はできるならもう戦いたくないんだけど」


 レインハイトは隙を見てヴィンセントとティツィーの会話に入り込んだ。


「……チッ……分かった分かった分かりました! お前はいつも冷静で正しいからな。きっと今回の判断も正しいんだろうさ」


 ヴィンセントは観念したように天を仰ぎ、ティツィーに向けて言葉を放った。その後、ぐるりと首を回し、レインハイトに視線を向け、口を開いた。


「お前とやれねえのは残念だが……まあまた機会があったらやろうぜ」


 この世界には戦闘好きが多すぎるのではないだろうか。レインハイトはうんざりと肩を落とした。


「……やりたくないです」


「このバカは無視していいですよ……」


 げんなりとして答えたレインハイトを気の毒そうに見つめながら、ティツィーは嘆息した。



少し長くなりすぎたので話を真っ二つに切りました。

そのため途切れ方が少し急ですがご容赦ください

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