3 銀色の痴女
その日、噂の転校生が姿を見せることはなかった。
待っていても「来ない」と伝わった事実に、良くも悪くも盛り上がりをみせていたクラスメイトたちは皆そろって肩を落とし、残念そうにため息をついていたりする。それだけ転校生が来るのを楽しみにしていたのだ。その気持ちは痛いほどわかる……お預けにされたものほど欲しくなるというものだ。気分が沈むのも、憤るのも仕方のないことだと思う。
でもまあ、皆も落ち着きたまえよ。
僕が考えるに、登校する学校を間違えたのだ。うん、間違いないね。
そう、転校生さんはおっちょこちょいなのだ。
仕方ないよ、うんうんあるある。
ちなみにそれをエルや燐に話してみると「そんなこと実際にやるのは、涼くんだけです!」「ありえねぇよ! どんな推理だよ!」と驚愕していた。
失礼な。僕は一回だけだよ?
放課後の下校時。
青春の汗を流すという名目の部活動や、より良い学校生活を提供するという名目の委員会に縁のない僕は、授業が終わるといつものようにエルと一緒に帰路についていた。朝の登校の時と同様――僕は源荘に帰り、エルは隣のマンションへと帰るため、それぞれの道は同じなのだ。
でも、なんというか――幼馴染と一緒に下校するのは、妙に役得感があるよね?
そんな他愛もないことを想いながら、僕はエルに話しかけた。
「――ねぇ、M」
「まだ引っ張るんですかっ、それ!?」
僕の呼びかけにエルは大げさなまでの反応する。その顔は驚きでいっぱいだ。
ちゃんと返事を返してくれないとは……やれやれ、反抗期かね。
「ねぇ、エル。聞いてもいいかな」
「ふ、普通に流されましたっ!」
エルの顔は驚きが二倍速だ。すごい。
僕は気にせず続ける。
「今日は来なかったけど――転校生さん、明日は来るのかなあ?」
「……気になるんですか?」
何気なく僕が問うと、なぜか急にエルはムスッとした顔になった。口をとがらせるその様子は、何だか拗ねているようにも見える。
? 転校生さんのことを聞いただけなんだけどなあ……
「いったいどんな人が来るんだろうね?」
「そうですね……どんな人でしょうね……まともな人がいいですよね……」
なぜか遠い目をして呟くエル。
えー、そうかなあ。僕としては面白いほうがいいと思うんだけどな。
「僕個人としては、宇宙人か、未来人か、超能――」
「それは絶対に言わせません!!」
「男の子かな? 女の子かな? それとも、両方の人かな?」
「最後のは個人的に聞かなかったことにしたいです……」
声細々とげんなりとしていくエル。日ごろの苦労がたたっているのか、かなりお疲れのご様子だ。
だけど、もう一つだけ聞いてほしい。
――僕にはまだ気になることがあるのだ。
「これはエルにとっても重要なことだけど――転校生は、Sかな? それとも、Mかな?」
「ぜんぜん重要じゃないですよね!? というか、それはもう忘れてください!!」
「でも、Mの人だったらエルも、燐も仲良くできそうだね?」
「いやですよっ、そんな人とは仲良くできません!」
「あ、そうか。エルたちからすれば、Sのほうがいいよね。ごめん……」
「ちょ、何かこの謝罪は釈然としませんよ!?」
●○●○●○●○●○●○●○
エルと別れ、僕は自らの住居である源荘に帰ってきた。
築六十年の二階建てアパートである、源荘。
このアパートの主な特徴を言えば、とにかくボロい。本当に人が住んでいるのかと思うほど廃れている。柱は軋むし、瓦は今にも外れそうである。
例えて言うなら、紅蓮燐だ。
やつのように全ての女性から見放されているとしか言いようのない存在。そしてこの源荘は、誰しもが毛嫌いするアパート。
つまり源荘と燐は似ているのだ。そっくりだと思う。特に誰も寄り付かない外観とか。
――だけど苦学生である僕にしてみれば、月の家賃一万円のこのアパートは最良物件だったのだ。
最初に家賃の話を聞いた時は耳を疑ったけど、いざここに来てみると納得がいった。
ああ、確かに一万だな、と。
苦学生といったけど、別に両親からの仕送りが少ないわけではない。
月五万、といえば高校生の一人暮らしにしたら多いほうだろう。十分やりくりできるし、できている。
だけど皆さん、よく考えてほしい。
――ゲームとか、漫画とかほしいよね?
だから生活費はできるだけ削らないと、ね?
ゆえに僕はこの源荘に住んでいる。そう、華麗なる高校生活を送るために!
アパートの端に沿って二階へと続く階段を登り、僕の自室である「七号室」に向かう。
六畳一間のその部屋こそ、僕の家だ。
ようやく二階にたどり着き、突き当りの部屋のドアを開けると――
「…………」
「…………」
そこには……下着姿の女の子がいた。
身に付けているものといえば、ブラとパンツのみ。スカートを手にしているところを見ると、どうやら着替え中のご様子だった。
「間違えました」
そう言って僕はすぐにドアを閉めた。
「ふう、危ない危ない。三秒ルールでギリギリセーフだね」
今のは二コンマ五秒くらいだったな、と安堵の息をもらす。
一歩下がって部屋の番号を見ると、「六号室」と書いてある。僕の部屋じゃない。
どうやら、間違えたようだ。まあ、よくあることだよ。
僕の部屋はその隣――突き当りの二つ目、七号室。
ドアが開く。
「いやあ、ひやっとしたよ……まさか、女の子が着替えてるなんて。ここがテキサスなら、僕はハチの巣だろうね」
「待って」
「OH! イカスゼッ、ジョージィ。ナイスジョークだ! HAHAHA」
「――あなたは、笹木涼?」
「…………はい、そうです。ごめんなさいもうしません許してください」
開いたのは、僕の部屋のではなく、六号室のドアだった。そこから覗き見るようにひょっこりと少女が顔を出している。
……誤魔化しきれなかった。
くそぅ、どうしてばれたんだ! ちゃんと三秒測ってたのに!
「そう。あなたが笹木涼……」
確かめるように僕の名を呼んだのは、銀色の髪をした少女だった。
何を隠そう、先ほどの下着姿の少女である。
エルの金髪と対になるような、肩にかかるくらいの短い銀髪。光の透き通るようなその色は、どこか幻想的で美しい。そしてそれを際立たせるがごとく、少女はさらに美麗だった。
ただし、その顔には「感情の波」といったものがまったくと言っていいほどにない。無表情という言葉は彼女のためにあるような気がした。
「今日隣に越してきた、リア。よろしく――涼」
まとめたように淡々と呟くと、リアと名乗った少女はドアを閉め、そそくさと自室へ戻っていった。
……
…………
「…………え?」
彼女がドアを閉めてから、たっぷりと僕はその場で固まっていた。
予想してた事態は当然、着替えのことで怒られるのかと思っていたのだが、本日からの隣人は何事もなかったかのように場を去ってしまったのだ。
この場に取り残された僕にはもう何が何だか、わけがわからなかった。
だって下着姿を見られて何も言わないなんて、まるで…………はっ!?
「そうか、彼女は……痴女だったのか」
僕は……またも気づいてしまった。
――彼女、リアは見られると、興奮する人だったんだ。
今度、エルや燐に「変態仲間」として紹介してあげようと思った。