稼働。
なんか火災保険からの返金がなくて困った。明日電話しようと思う。
今回は遅れ遊ばせ青春モード。
顔面にあった痣が綺麗に処置され久しぶりに何もない顔を拝めたのはこの屋敷に来てから2週間経った頃であった。定期的に蹴られたり殴られたりした腹のたばこの火傷痕や足首の青捻挫などはいまだに残ってはいるが医者は歩いても問題ないと判断し早速散歩することになった。
このノーストラ家の屋敷は城のようにでかく、この屋敷に居座る人間としてまず覚えるのはこの屋敷の間取りであった。忍者屋敷さながらに仕掛けが多くあるらしく、屋敷の人間ならば最初にこの家の仕組みについて知らないとならなかった。
特殊なのは屋敷の間取りだけでなく、自分の世話をするメイドにも通常の家とは違うようだ。
まず執事1名、メイド1名。本来はメイドはもっとつくのだが便宜上少数精鋭で行うほうがいいらしい。
それもこの家柄が関与しているのだろう。
「あ、あの、もう大丈夫です」
「エレナ様、わたくしは“あの”ではございません。リンとお呼びくださいませ」
「す、すいません」
つい日本にいたころの記憶に引っ張られ謝る癖が板についてしまっている。
あの女からも叩かれるたびに謝っていたのもあるかもしれないが、どうもこうも癖がでてしまう。
リンと呼ばれる中東よりの濃い目のはっきりした整った顔をした黒髪のメイドはかなり仕事ができる人物で健康管理、食事、衣服、など衣食住の三柱すべてに貢献してもらっている。
さらには、執事のアンドリューさんは御年50才らしいが身のこなしが忍者のようで気が付いたらそこにいることが多く気配を消すことが得意らしい。さてはこれ暗殺してるんだな、と謎の納得をするほどであった。
基本的に勉強は本で学ぶものなのだが、対話においての癖や視線などは主に2人に教えを乞いている。
両名とも教養が深く実に自分が箱庭にいたのかを思い知ったことばかりであった。
「散歩といいましても、エレナ様は書斎までの距離しか赦されておりません。また、ご移動の際は私かアンドリュー様が同行しなくてはなりません」
「そこまでする必要はありますか」
「そのような口調でなくて大丈夫ですから、それと、そこまでする必要は多いにございます」
このしごできメイド曰く、自分は相当“虐待され続けた体”として適応していったらしい。
医者はこの体を見たとき酷く気を落ちたと言っていたらしい。ルドの精神的ダメージに比べたら自分のこの傷はまだよいものだと考えるがそういう話ではないのだろう。
現状、第二子息のジョバンニの婚約者である以上は世継ぎの可能性のある大事な母体。さらにはこのノーストラ家に現れた期待の星とまで揶揄されている。
どこからそんな話があがったんだ、と考えたものだったけどこの噂のおかげで王家が手厚くルドを守っているのならこの噂がもっと誇張すればいいのにとエレナは強く願った。
ノーストラ家の人間とはあの日以来2回程度しか会っていない。みんな忙しいらしい。
天秤屋といったが、表は普通に貴族をしている。裏面で、犯罪しているものたちのあぶり出しなど調整しているとジョバンニは軽く話していたがこの国の悪党総頭として動くには多忙すぎるだろう。
マルツィア様と会ったのは目が醒めた二日後であった。
無礼にもベットからの挨拶だったが、あのカジノで視たときと同じくらい彼女は美しいままだった。
――ああ、エレナが目が醒めたと聞いて安心しました。これからノーストラ家の者となり励む必要があります。でも私はそこまで心配はしてませんからね。あなたは十分な素質を持ち合わせておりますから。
そう微笑み彼女はエレナの部屋を後にした。
マルツィア様にあったその1週間たったあたりで元婚約者が死亡したとジョバンニから聞いた。
意外にもジョバンニは甲斐性だった。初めて弱った人間の面倒を見る最高のタイミングを掴むため事前に執事やメイドに言っていたらしい。もしかしたら自分はペット枠かなにかだろうか。
やたら頭撫でたり、はにかんだり、指の腹で頬をなでたりとスキンシップが多いが普通に「この世界あるある」なんだろうな。
無自覚ノンデリの闇は深いことを知っていたエレナはジョバンニの行動をそこまで重要視せずにただただ世話だけを甘んじて受けていた。
「うっわ、広いな…」
リンと一緒にきたノーストラ家の書斎はさながら図書館といっては過言ではないくらい大きなものだった。
ここの書斎の本はすべて目を通した方がいいと執事アンドリューが言っていたのでこれは「必須科目」なんだろう。せっかく移動ができるのだから一つの棚から読み漁っていこうとエレナは実行した。
本を読み始めたエレナの集中力はすさまじくリンから4度声をかけられないと届かないほどのものだった。
彼女は5時間ほど読み漁り気が付けば本棚の2行は読み終えていた。このペースなら3か月あればなんとか読み終えられそうだと口角を上げた。なにより、ここの書斎の本が面白い。歴史書から文化史、統計学、地政学、帝王、哲学、観光地、世界の信仰、エトセトラという訳だ。
もともとエレナは興味や好奇心が旺盛なタイプであったから読み込みは早かった。
夕方を過ぎ、そろそろ食事の時間に差し当たるときにふと聞き覚えのある声が聞こえた。
「やあ」
「ジョバンニ様」
「ジョンでいいって」
「どうしたのですか?」
「いや、もう歩けるって聞いて調子はどうか聞きに来ただけだよ」
「まだパーティーにはいけませんよ」
「知ってる、足の痣まだ治ってないもんね」
ーーなんで知っているんだ
この世界では女性の足首を見ることはめったにない。寝ている姿ならまだしも彼とは同胞どころかハグもキスもまだだ。それなのになぜ彼は私の痣の場所を知っているのだろう。
「僕の魔法は治癒だ。ほら、最初であったときさ、二日酔いなくなってたよね?」
「ああ、そういうことでしたか」
納得だ。確かにあのとき栄養失調で得たワインはあまりにも自分にとっては毒であった。案の定分解できなくて酔いに回っていたが気が付いたらそれが治っていた。それが彼のおかげなのだろう。
そう一人ふんふんと納得していると、大きな柘榴色の眼がテンとなった状態でエレナを見つめていた。
「え、痣なんで治さないのか気にならないの?」
「…治す必要なくないですか?」
「はあ?」
読んでいた本をぱたりと閉じて、彼と向き合う形になる。
「もうまた蹴る人間がいなんですから、勝手に痣は消えます。悪化しないんですから、もう治す必要ありませんって」
「‥‥」
そういう問題じゃない、と言いたげな顔をしている目の前の美丈夫にエレナは一歩おぼつかない足取りで近づてみた。初めて近寄られてジョバンニは警戒したのか、半歩さがってしまうが視線は合わせたままだ。鼻と鼻が触れ合うような距離でエレナは口角を上げた。
「意外にも献身的な婚約者様のおかげですくすくと治っておりますよ」
ありがとうございます。と耳元でささやいてみた。
どうだ、まいったか。と子供のじゃれあいのように挑発をしてみた。これはよくルドにやっていた煽りの口上のようなものだった。これをやるどルドは「もう!ねえさん!」とムキになってやる気を見せるのだ。
彼もおそらく精神がまだ幼い系のイケメンなのだ。からかっても多少問題ないだろうとエレナはそう思い実行したのだった。
さて、とご飯でも食べますかとせっかくの機会だしジョバンニも一緒に誘おうと視線を彼に向けると思ってもない表情を彼はしていた。
まるで茹で蛸のように赤く染まり、すこし呼吸が浅かった。
あれ、刺激が強すぎたか?でも彼は女性慣れしている感じがしたのでこれくらいはスキンシップのスの字にもならないのだがと思考を泳いでいるとジョバンニが勢いよくその場でしゃがみエレナの痣のある足首を掴んだ。
「ジョバンニ様!!??」
リンが動揺して彼の名前を叫んでも彼は止めなかった。
鈍い痛みに少しひるんだが、彼がエレナの足首を触った瞬間黄金色の魔法陣が彼の手のひらから現れ音もなく痛みが取れた。
ベットから出たばかりもあり素足にフラットシューズだったので足に直触りなのだが、それもお構いなしにジョバンニは足に他の異常がないか入念に見ていた。
その光景に口が開いたまま眺めることしかできなかったエレナだったが、「あ、のもう大丈夫です」と伝えると満足そうに笑みを浮かべるジョバンニがエレナの頭を動物のように撫ではじめた。
―――え、やっぱ、ペット枠か?
エレナはこの対応がまるで猫とか犬にするものだろうかと考えることを放棄するが、ジョバンニはそのまま笑みを浮かべてエレナを横抱きにし食事会場に行こうと言い、進み始めた。
あまりの怒涛の展開にリンが慌てていたが、人はまわりに自分よりも慌ててるひとを見ると落ち着くものでエレナはスンと宇宙顔のままジョバンニになすがされるまま食事会場へ向かった。
道中、ジョバンニは「ほかに傷とか残ってない?痛いところない?俺が全部治すから」と至極真面目な顔つきでいうものだからエレナは拍子抜けしてしまい「腹に煙草を当てた火傷がありますが、医師より治らないといわれています」と告げるとジョバンニはひどく燃え上がるような柘榴色の瞳になり先ほどと打って変わった態度になった。
「…そう、まあそれは今度、ね。でも、ちゃんと言えてえらいえらい」
甘やかすような声音になり、ジョバンニは雨のようにエレナの頭部にキスをした。
その間エレナはやはり自分はペット枠になったのだと確信していってしまい、ジョバンニの好意など考えてもしなかった。
その後ろに控えていたリンは今までに見たことのない次男の姿に驚きが隠せていなかったが、これは吉報、と執事アンドリューに伝えることが増えたなと整理していた。
「あ、足首治しちゃったらパーティー参加しないといけないかも」
「えっ」
ご拝読ありがとうございました。