桜公議
実と虚、表と裏。
法暦1286年2月、中邦の大侯、尚正貞高が世を去った。
この頃大島は、北の北邦、南の南邦、そして、中央部の中邦の三大勢力が並び立ち、天下の覇権を争っていた。
大侯の死は、中邦の不安定要素となった。大侯の死に乗じて、北や南が迫って来るであろう事は、容易に想像がつく。
亡き大侯の御台所は、重臣らと謀り、大侯の死を隠蔽することにした。大侯の葬儀が後の世に執り行われた裏には、そういった経緯がある。
御台所は、重臣を集め、公議を開いた。
「さて、如何したものか。我が子、貞良は、まだ歳は十じゃ。」
御台所は重臣らに尋ねた。
この御台所は、元は、侯家に仕える貴族の娘で、大変な美女として天下に名の知れた女将であった。
御台所は、重臣に尋ねると、徐ろに扇を開き、口元を隠した。
すると、重臣の一人で、管令職であった、原山和盛が進言した。
「恐れながら申し上げます。国家は代々、尚正家の嫡流にて治められて参りました。然るに、嫡子たる若君(貞良)が家督を継ぐは、世の習わしかと存じ上げ候。」
原山は代々、侯家の管令職を輩出する名門一族の出身であった。つまりは、血統を重視せよ、という訳である。
御台所は、成る程とばかりに扇を口元から払い、すっと向きを変えると、他の重臣の意見を求めた。
「泰親は如何思うか?」
桐川泰親は、すっと、御台所の方へと向きを変え、姿勢を正すと、こう答えた。美しい庭園から、春の風が、そっと書院に流れ込む。
「恐れながら、若君は御年十歳。仮に政を執るにせよ、年長の者の後見が必要となりましょう。しかしながら、我が邦は、北と南に挟まれ、それらが何時攻め入って来るか分かりませぬ。」
泰親はその太い声で答えた。南北が中邦に侵攻した場合、いくら後見があっても、君主が政治経験の無い子供では、対処出来ないという訳だ。
「なれば、いったいどの御人を主にせよと申すか?」
原山が桐川に問いただした。
「亡き主君の御弟君、西慶僧寛(貞康)は、御年二十五歳にて、学問、特に法律学の才あり。」
桐川泰親は、一兵卒から重臣の地位に登り詰めた実力者であり、彼は、血統ではなく実務を優先すべきという立場であった。
「あの御方は仏門に入られた御方ぞ。還俗せよと申すか?」
原山は強い口調で桐山に迫った。無理もない。彼は、名門出身の自分が、兵卒上がりの者と同列にあるのが我慢ならなかったのだ。
結局、この日の広議は、決着が付かなかった。
公議が終ると、御台所は原山を密かに自分の側近くに呼び寄せた。
「管令よ、妾は、我が子貞良を主に据えたい。」
御台所はそう言うと、静かに茶を飲んだ。
「ならは、何故にあの様な公議を開かれましたか?」
原田は眉をひそめた。御台所は茶碗を静かにそっと置くと、原田に答えた。
「あれなる公議は目眩ましじゃ。ああでもしなければ、実務派の者共が騒ぐでのぉ。」
御台所も原田らと同様に血統派であった。無理もない。血を分けた我が子を君主にしたいのは、当然といえば、当然である。
桜の花弁が春の風に乗って、そっと寝所の床に舞い降りた。
桐山は公議の帰り、自らの邸宅に戻る途中で、大定寺に立ち寄った。この寺は、亡き侯の弟である、西慶僧寛の寺であった。
「たかだか十の童に政など。無謀にござる。」
桐山は不機嫌に僧寛に申し出た。寺の庭園の池に花弁がすっと落ちる。
「身に如何がせよと?」
僧寛はにこやかに答えた。
「御前もお人が悪い。本音を申されよ。侯の座が欲しいと。」
桐山は、その太い声で僧寛を唆した。
「我が邦には、実務派が各地におりまする。御前を奉じて挙兵すれば、政の実権は、たちどころに我が方に転がり込みまする。」
桐山はそう言うと、寺の庭園に目をやった。すると、僧寛は静かに立ち上がり、庭園の松の木を眺めながら答えた。
「挙兵とは物騒な。滅多な事を申されるな。」
僧寛の本音は決まっていた。侯の座が欲しい。権力は人を動かす。欲と煩悩を断たねばならない仏門に帰依する者を、権力は容赦なく飲み込んでいく。
「書状をしたためましょうぞ。」
僧寛が言うと、桐山は、してやったりと言わんばかりに満面の笑みを浮かべた。庭園の池の水面が春の風にざわめいた。
かくして、中邦各地の実務派方の諸大名や武将らに、教宣(高僧の命令文書)が発せられた。
挙兵して、血統派を討てと。
法暦1286年4月のことであった。
侯の座は、何処の手に。