繋いだ手を放さないで
初めて自分の主を持ったのは、18の時だった。初仕事として任されたのが、二人の子どもの警護及び、世話係補助…それが最初の、自分と、夜空様、夕飛様との関係だった。
「桜瀬、これを守るのがお前の仕事だ。この二人には、枢宮の未来がかかっている。いずれ二人で先に進むことになる…その道に湧く障害を取り払うのが、お前の仕事だ。いいな」
「は…承知いたしました。この桜瀬、命に代えてでも、お二人をお守りします」
正直、子どものお守りは専門外だった。ただのボディガードなので、彼らを危機から遠ざけるだけでよかったと言えばそれまでなのだが…無邪気の塊の子どもとなれば、それだけの関係で終わらないということは明白だった。
「枢宮夕飛です!よろしくね、桜瀬!」
手を繋いでいる子どもの、左の方…夕飛様は、他人の懐に入り込むのが上手い子どもだった。常に兄の夜空様のことを気にかけ、俗的に言えば、甘え上手。もっと言えば、賢い子どもだった。
「枢宮夜空…よろしく、お願いします…」
手をつないている子どもの、右の方…夜空様は、物静かな子ども…言葉を選ばずに言うなら、何を考えているのかよくわからない、年齢にしてはおとなしすぎる…いつもの夕飛様の後ろにくっついて隠れているような、引っ込み思案な子どもだった。
「こちらこそ…よろしくお願いいたします、夜空様、夕飛様」
二人に共通しているのは、どちらも年齢相応より、少し空気が読めること。素直に頭がいいということだった。血統主義的な回答になるが、枢宮の血族は、事実優秀な人材が多かった。彼らもまた、それに漏れず優秀な能力を持っていたのだろうと思う。
しかし…その「血統」の中でも、夕飛様の能力は桁違いだった。本人たっての望みで飛び級こそしなかったものの、何度か海外の大学からも声がかかっていたという。
その能力は学問だけだとどまらず、中学から始まった部活動では、どこかに所属こそしなかったが、空いている時間に助っ人を務めることは何度もあった。時には、戦術的なアドバイスを主将に施すこともあったそう。
…どこからも引張りだこだった夕飛様と対照的に、夜空様はあまり友人も作れていないようだった。
彼も夕飛様と同じく、かなりの頭脳と身体能力はあった…しかし、そのどれも夕飛様には及ばなかった。
正確には、勝る部分が露見し辛かっただけだと聞いたが…だからこそ、枢宮の長男として見られていた彼への風当たりは、年々強くなっていった。
「ねえ、桜瀬…俺、ずっと兄ちゃんと一緒にいられるよね…?」
高校生になって少し経ったとき、夕飛様にそう問われたことかあった。
「いられますよ。いずれお二人は、ともに枢宮の先頭に立つことになると…お父上も申されておりましたから」
「…二年から、校舎分かれるじゃない、俺」
「そうですね」
「…兄ちゃん、あまり友達作ろうとしないから…俺が居なくなって大丈夫なのかなって、心配で…」
常に夜空様の先を歩くのも、彼に将来楽をしてもらいたいからだと言っていた。そして何より…彼自身が、誰かの先に立つという行為を好いていないからだとも…。
「大丈夫です。夜空様も、もう立派な高校生です。必要な時には、自分を頼るようにも言っていますし…」
「そう、かな…そうだと、いいけど…」
しかしそれが、最終的には逆効果になったのだが…自分も夕飛様も、それに気付くのが遅すぎた。
「ーー夜空様?こんな時間に、どうされたのですか?」
夕飛様が危惧していた進級から、1か月たったある日…深夜という時間ではないが、どう考えても高校生の外出が許される時間ではない、午後11時過ぎ…制服を着てロータリーに向かう彼を目撃したことがあった。
その表情は…いつもより緊張していた。
「あ…桜瀬」
「お出かけですか?この時間に、おひとりでの外出は好ましくありません」
「…えっと…」
逡巡すると彼は背伸びをし、自分の耳元でささやいた。
「父様から…商談に同行してほしいと頼まれたんだ。なんでかわからないけど、内密にって…だから、ここで俺のこと見たってことは…黙っててくれると、嬉しい…」
聞いて、納得した。今まで、商談に同行するのは夕飛様のほうが多かった。どころか、夜空様が同行するのは初めてなのではなかろうか。それで緊張していたのだと…察することができた。
「さようでございましたか…でしたら、迎えの車も手配済みで?」
「うん。だから、大丈夫…ありがとう」
「承知いたしました…お気をつけて」
「…うん」
緊張はしていた。でも少し、誇らしげでもあった。最近、嫌な小言を聞くことが多かった彼にも、ちゃんと日が当たったのだと…自分も誇らしい気分だった。
…帰ってきた彼を、見るまでは。
「…夜空様…?」
泣きはらした目と、少し乱れた制服と…本人は隠しているつもりだったのだろうが、違和感のある歩き方…明け方再び姿を見せた彼は、明らかに、「何かをされた」ような風体をしていた。
「っ…桜瀬…」
びくりと肩を震わせ、かすれた声で名前を呼ばれる。いつもと同じ呼ばれ方だったはず…なのに、その声には、いつも以上に覇気がなかった。
「夜空様…どうされたのですか...?もしや、今お帰りに…?」
「………………」
答えない。代わりに返ってきたのは、作り笑顔だった。
「何でも、ない。ちょっとだけ、寝る…今日も、学校、だし…」
「夜空様…ですが…」
「大丈夫だから」
普段なら絶対にしない…きれいな笑顔だった。
「夕飛には、絶対に言わないで」
ーーそうして、自分は…その日のうちに、夜空様の警護担当から外された。反論は…できなかった。
警護から外された後の夜空様について、自分はあまり知らされていない。しかし、間違いなくよくないことが起きていたことは…徹底して警護につくことになった、夕飛様の様子から察することができた。
「…余計なことするなって、言われちゃった」
ある日…ぽつりと夕飛様はつぶやいた。夜空様への校内いじめや…その発端が、お父上たちにあることを突き止めたと語り、言及しに行くと言っていた…その翌日のことだった。
「もっと、酷くなったんだ…俺が言えば、何か変わるって、思ってたのに…父様も、母様も…わかってくれたような反応だったのに…俺が甘かったんだ」
自信家で、いつも毅然とした態度を崩さない人だと思っていたが…そうとも限らないのだと、彼もまた、子どもだったのだと、思い知らされる光景だった。
「…人を守るのって…難しいね、桜瀬…」
目を腫らして作られた作り笑顔は、あの日の夜空様とそっくりだった。
彼も、夜空様と同じく落ちていってしまうのではないかと危惧したが…その日以来、夕飛様はより真面目に勉学に励むようになった。その間も、自分やつてを通して知り合ったという精神科医を通して、つぶさに夜空様の状態を確認し…気遣うことも忘れなかった。
「もっと勉強して、早くあいつの座を奪って…それで、今度こそ兄ちゃんを守るんだ」
そう意気込むも…夜空様の心壊は、思いのほか早かった。
高校卒業を間近に控えたある日…崩壊が始まったあの日と同じように、ほぼ身一つで玄関扉に手をかける夜空様を…その直前に呼び止めた。
「夜空様…こんな時間に、どこへ行かれるのです…?」
答えてくれないと思った。しかし。彼は思ったより、穏やかな顔をして振り返った。
いや、穏やかな顔しか、できなくなったのだろう。その目には、光は宿っていなかった。
「……わからない」
そのまま、口角を引き上げ…俗にいう「笑顔」という表情を作り出し、続けた。
「でも…一人で生きられる場所」
絶望に染まった彼を止めることなど、できなかった。
「どうして止めなかったんだ!!」
申し訳ございません。
「どこに…夜空はどこに行ったの!?」
分かりかねます。
「どうして...どうして...!……どうして…」
…………………
「…夜空...」
声に涙がにじんだ
「……一人にしないで……」
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市役所から出てきた夕飛様は、夜空様たちと数言会話を交わしてから、一人でバンに戻ってきた。
「…よろしいのですか?」
「ああ。二人でデートしてから、帰るってさ」
「さようでございますか」
言われてゆっくりバンを出す。ほどなくして後部座席からは、パソコンのキーボードをたたく音が聞こえてきた。
「ーー桜瀬」
ふと、声がかかる。以前より会話は減ったが、呼び方はずっと、変わっていない。
「はい」
「……夜空、すごく幸せそうだったね」
「そうですね」
「...俺も、桜瀬も全く知らない馬の骨が…幸せにしてたね」
「そうですね」
「……悔しいな」
「...そうですね」
「…できることはやる。さっきも一個済ませてきた…だよね、桜瀬?」
「ええ、その通りです」
「…よろしい」
ぱちりと強めにキーをたたく音を最後に、後部座席からは音がしなくなる…ちょうど、ミーティングの時間だった。
これからも、彼は彼なりに夜空様のことを守るのだろう。
微々たるものでも、本人から認知されていなくて
も…そのために、彼は「枢宮」という大穴に身を投げたのだから。
……願わくば、また、この二人がともに歩ける未来がやってきてほしい…そうは思うのだが、あの謎の人物「アザレア」の登場によって、さらに難しくなった。空っぽだった夜空様の手を、奇しくもあの人物が、しっかりと握ったのだ…それは認めざるを得ない。
それなら…夕飛様の空いた手は、誰が握ってくれるのだろうか。自分ではないことが確かなその手も、「決して放さない誰か」に握ってもらえることを…彼の従者として、切に願うばかりだ。




