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『結論から言うとね…無理だよ』
パトロンから発されたのは、そんな無慈悲な一言だった。
時刻は正午より少し前。電話の向こうで、二人のパトロンは事も無げに言い放ったのだった。
「え、っと…それは…」
『王子…ないしはアザレア、だっけ?君を戻せるのはこの世でたった一人。夜空だけなんだよ。君は夜空の不思議だからね』
『不思議は共心者と一心ではあれ、同体ではないのよね〜。だから、たとえ共心者が死んでも、不思議だけは残る。逆に、不思議が消えても共心者は残る…まあ、これは前言った通りだね』
『つまり、夜空が死んだらアザレアは永遠にこのまま。誰かに生きながら燃やされるとかしないと消えないわけ』
『怖ーい!それってつまり、よほど気の狂った殺人犯でもいない限り、正気で永遠生きることになるってことじゃん!』
『そうだね。だからね、夜空。君は死ぬまでに何としてもアザレアをもとの姿に戻さなきゃならない…彼に、永遠を与えたくなければね?』
「………………」
正直、何とかなると思っていた。死んだら元に戻る。俺の知らない間にアザレアは本に戻って、俺の知らない間にどこかへ行ってしまうのだろうと…俺は、アザレアの死の責任を負わなくて済むのだと…思っていた。
『世の中そんなに甘くないってことだね。まあだから、その辺は二人で相談してちゃんと決めなね』
『永遠も悪くないけど…多分、王子様には辛いと思うなぁ。私たちみたいに、姿変えられないし』
『…さて、この件に関して、これ以上僕たちから言えることは何もないよ』
『また何かあったら電話してね〜…あ、次のターゲットもよろしく~』
制止する間もなく…する気もなく、電話は無情にもブツリと切れる。スピーカーであらましを聞いていたアザレアに目を向けると、何とも不安げな表情をしていた。
「夜空さん……」
「...見送ってもらうのは、無理そう…だな」
「……そうですね……」
眉をハの字にしたアザレアは、力なく笑う。
「でも…それなら簡単です。夜空さん、あなたが嫌になったら…僕に何も言わなくていいです。何も言わずに、ただ本に戻してください。きっとそれが、一番いいです」
「……嫌にならなかったら?」
「それは…え~…すみません、ちょっと嬉しくて、顔が緩んでしまいました…」
彼は顔をぺちぺちと叩くと、少しだけ頬を染めなから
「夜空さんの死に際に、戻してください。できれば、夜空さんが痴呆にかかって、僕の結末を忘れる前に…そうして、僕も一緒に燃やしてください…それじゃ、だめですか...?」
そう、提案してきた。やはり…永達を生きるという選択肢は、彼にはないようだ。それはそうだろう。戻ることに関しての覚悟は…昨晩しっかり聞いたのだから。この答えがすんなり出てくるのも、不思議じゃない。
「…わかった。それでいい」
「ありがとうございます!…すみません、わがまま言って…」
「いい。この程度なら、わがままでもなんでもないだろ…当然の願いだ」
「そうですかね…えへへ……」
こうして俺は、生涯最期の時に果たすべき約束を結んだ。しかし…棺にアザレアの本を入れてほしいなんて、誰に頼めばよいだろうか…あいにく俺には、友と呼べるような間柄の人間はいないし…あるいは…。
「さて…そろそろお昼ですね…夜空さん、お腹すきませんか?僕何でも作りますよ〜!」
「なんでもって…また台所炎上させる気か?」
「違いますよぅ!もう僕にはこれがありますから!!」
「レシピ本があっても、材料がなきゃ何も作れないぞ」
「大丈夫です!残り物でできる簡単レシピって、本のタイトルにも………大変です夜空さん、残り物がありません……」
「いいよ。二食抜いたって死にはしない」
「二食……夜空さん、また朝抜きましたね?」
「…入らないし、お前もだろ」
「僕はよくても、夜空さんはだめです!ランチがてら、買い物行きますよ!!」
「謎理論過ぎる」
浮かんだ心配は、アザレアの嵐のような気遣いによって流れていった。
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昼食を済ませ、そのまま食材の買い出しに出向いた昼下がり…鼻歌を歌いながら買い物袋をぶら下げる彼は、その容姿も相まってかなり周りの視線を引く。
しかし、その高嶺の花的な雰囲気のおかげか、声をかけられるようなことは少ない。
「今日のご飯はミストロネーネ〜♪」
盛大に間違えている料理名に、思わず口をもご付かせる人はいれど..それを指摘しようというものはいない。
かくいう俺も、少しばかり笑いが漏れてしまうが、それも愛らしいと…少しだけ、思ってしまう。
買い物袋の中には、真っ赤に熟れたトマトと、時短用のベジタブルミックス、コンソメスープの素なんかが入っており…それらも気持ち、いつもよりおいしそうに見える。
「夜空さん、夜空さんは、ミストロネーネ好きですか?」
「ミネストローネ、な。別に、好きでも嫌いでも」
「あ、そう!ミネストローネ!そうなんですか…」
「お前は?こっち来て、何か好きなのできた?」
「僕は…うーん…ずっとパンは好きだったのですが…でも、こっち来てからさらにいろいろなパンが食べられて幸せです!特に、前食べたあの…えーっと…上の方がさくさくした…」
「メロンパン?」
「そう、メロンパン!あれはおいしかったです〜!また買いに行きましょうね、夜空さん!」
「ん」
家の周辺は、割と便利なほうだ。
徒歩数分のところにあるスーパーには、アザレアが来て以来ほぼ毎日お世話になっているし…ほぼはす向かいといっていいほど近くにあるコンビニには、度々新作スイーツを求めて羨望のまなざしが向けられる。
「……寄ってく?」
そう問えば、最初こそ遠慮がちな返事を返すも…最終的には頷きを返してくる。
……最近だんだん、こいつの趣向、扱いがわかってきた。
基本何でも食べるし、新しい物には目がない。たまに自分の記憶の中にあるものと似たようなもの見るとテンションが上がる。
鉱山業が盛んだったっこともあり、鉱物系の知識欲が殊に強く…うちの本棚に、最近鉱石、鉱物図鑑が増えた。
「夜空さん、夜空さん!これ、なんですか...?」
目を輝かせながら持ってきたのは…わらび餅だ。おおよそ、水晶のようなそれに心が惹かれたのだろう。
「わらび餅。そこにくっついてる、黒いソースと粉をかけて食べる和菓子だ」
「わらび餅…これがそうなんですか…透き通っててきれいです…」
「……それ買う?」
「はい!今日はこれにします!!」
わらび餅と、適当に足りてなかった日用品を追加で持ってレジに並ぶ。隣を見れば、わらび餅を見ながらそわそわしているアザレア…イートインがあれば、そこで食べると言い出してもおかしくないテンションだった。
「わらび餅…一体どんな味なのでしょう…?」
こういう思考が口に出るところが、おとぎ話の主人公らしい。
「そういえば、和菓子には日本茶がいいんですよね!まだ玄米茶のティーバッグって余ってましたっけ…」
「ある。さっき追加で買った」
「さすが夜空さん…!もしかして、僕がこれ買うことも読んでましたか…?」
「いや、普通に足りてなかったから」
そんなことを話しながら一息つける我が家まで帰る…と、そこには黒のバンが停まっていた。
「……見ない車ですね…誰かのお客さんでしょうか…」
「……まずい」
「?」
「…アザレア、一旦……公園かどっかで時間つぶそう。わらび餅はそこで食べれば問題ない」
「どうしたんですか、夜空さん…なんだか顔色が…」
「何でもない。どうもしない。だから早くーー」
少し強引にアザレアの手を引き、踵を返す…が、無情にも背後から声がかかった。
「兄ちゃん、お帰りなさい。買い忘れでもあった?」
距離のある所からかかった声に、振り返る。二階の廊下…ちょうど俺の部屋の前あたりから手すりに体を預け声を張る……金の瞳を持った、俺と同じ髪色の男がいた。
「なら、うちのガードに任せなよ。本当はお邪魔する気はなかったけど…いろいろ聞きたいこともできたし」
「夜空さん…あの方…」
「……えっと…」
彼は柔和な笑みを浮かべ、言葉を続けた。
「その人……誰?」
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「えっと…とりあえず……」
「俺は枢宮夕飛。そこの枢宮夜空の弟だよ。で、君は?」
「あ、えっと……」
「俺はそっちの人に聞いてんの。兄ちゃんは買ってきたもの仕舞ったりしてていいよ」
「いや、その…」
「大丈夫ですよ、夜空さん。僕だって自己紹介くらいできますから!」
「……………」
目線で「余計なことは言うな」とだけ釘を刺す。伝わったのか伝わらなかったのか、彼は居住まいを正して、改めて男…夕飛に向き直った。
「初めまして、夕飛さん!僕はアザレアって言います!今は、夜空さんと一緒に暮らしてます!」
「は?」
「待っ…」
余計なことは言うなって言ったそばから…!
「どういうこと兄ちゃん。俺女と同棲始めたなんて聞いてないけど」
「あ、僕男です」
「どっちでもいい。問題なのは、いつの間にか大事な大事な兄ちゃんに変な虫がついてたってことだから」
「変な虫!?どこですか!?大丈夫ですよ夜空さん、僕がすぐに追っ払ってあげますからね!!」
「………言葉の綾だよ。変な虫は君のこと。兄ちゃんとは、どこで出会ってどういう経緯でどうして同棲なんてすることになったの?」
「僕虫じゃないですよ!!あ、これもしかして、僕怪しまれてる感じですかね…ああ、無理もないですよね、すみません……でも…どう説明しましょう、夜空さん…」
「そんな説明難しい関係なの?…はあ、埒があかない...どういうこと、兄ちゃん」
「え、えっと…」
...どう説明したらいいか整理がつかなくて、今まで言っていなかったつけが回ってきた。
夕飛は、血縁者の中で唯一、まだ俺と関係を持ってくれている双子の弟……事実上絶縁された今でも、彼はこうして、一か月にいっぺんくらいのペースで顔を見せてくれる…やたらと世話焼きなやつだ。
俺かこの家に定住してからというもの、ソファやテレビといった家具を工面してくれたり、使えなくなった保険証を新しくしてくれたりと…バイト暮らしのワンルームにしてはやたらと物に恵まれている背景には、彼の働きがある。
「あ、アザレアは…その…」
「その?」
「……働かせてもらってるカフェの…オーナーの親戚の子で…」
「で?」
「……帰国子女なんだ。その…日本語は話せるんだけど、国の事情には詳しくなくて…」
「ふーん…で?」
「…その、俺の家からだと、図書館近いから…一時的に、家に置いてもらえないかって」
「それOKしたの?」
「うん」
「兄ちゃんが?」
「うん」
「二つ返事で?」
「二つ返事はしてない」
「...たくさん悩んだ?」
「悩んだ」
「俺に相談は?」
「………………」
「してないね?」
「…だって、お前絶対拒否するだろ」
「当たり前じゃん!どこの誰とも知らないやつと、兄ちゃんを一緒に、二人きりで同棲なんてさせるわけないでしょ!?」
「だから、カフェのオーナーの…」
「それでも!!大体おかしいでしょ普通に考えて!!確かにここから図書館は近いけど…ここの大家もそのオーナー夫妻なんでしょ?どうして空き部屋じゃなくて兄ちゃんに同棲頼むのさ」
「それは…」
言い詰まると、彼はため息をついてアザレアを一瞥する。
「……だから、兄ちゃんを一人で生活なんてさせたくなかったんだよ。またいいように使われて、変な人に付け込まれて…」
「アザレアは変な人じゃない」
「…だめ。許さないよ。どういう経緯があったとしても、自分のことでいっぱいいっぱいの生活で、さらにほかの人の面倒見るなんで…今の兄ちゃんには無理でしょ」
「ちゃんと助けてもらってる。迷惑だって特段被ってない」
「嘘。もう騙されないから。またそうやって、せっかくよくなってきたのに前みたいに逆戻りなんてしたら…俺絶対後悔する」
「戻らない。後悔だってしない。大丈夫だ」
「…平行線だね。どうしようもない……」
夕飛は立ち上がり、おもむろにどこかへ電話を始める…待て、どこに……?
「仕事だよ、桜瀬…夜空を連れて帰る。手伝って」
「ッ……!」
咄嗟にその場から跳ね退き、ベランダの窓に手をかける。大丈夫、二階ならまだ死なない。いつも通り跳べばケガはしない…!
「そこから逃げるのは読んでたよ」
窓を開けた瞬間、黒が視界を覆う
「うっ、そだろ…!?」
目の前にいたのは、巨漢の男…夕飛のガードマン、桜瀬だった。身を引き距離を置こうとするも、先にあったテーブルに足を取られ転倒…あっけなく、そのまま捕らわれてしまった…そう、思った。
「シッ!」
後ろに引いた俺と対照的に、その前に飛び出した存在がいた。金糸の髪を靡かせ、自分よりも数倍でかい体躯のそれを…彼はその身一つで受け止めた…アザレアだ。
「逃げてください、夜空さん!!」
跳ね除けることはできないと判断した桜瀬の掌底をいなし、彼は華奢な見た目からは想像できないほどの鋭い蹴りを放つ。
それは寸分の狂いもなく桜瀬の頚椎に吸い込まれるが、彼もガードマンだ。腕一本でそれを受けると、アザレアから距離を取る。
「早く!!」
普段の彼とは違う、鋭い声にハッとする。そうだ、逃げなきゃ…!
膝をつき立ち上がるーー
「夜空」
…が、すぐに抑え込まれてしまう…ああ、クソ…!
「タ飛…!」
「あいつ、ただものじゃないよね。オーナーの親戚ってのも、帰国子女ってのも…嘘でしょ」
「嘘じゃ…」
「教えて。あいつは何?夜空の何?……答えて」
「…アザレアは……」
アザレアは、俺の…俺の…?……なんだ...?
「離れなさい」
風の音に交じり、静かな声が通る。
「夜空さんから…離れなさい」
見れば…静かに凪いだ瞳で…しかし、その根底には怒りを湛えて…頬に少しの傷を作ったアサレアが、こちらを見ていた。
「……人ん家の事情に、居候が首を突っ込まないでほしいな」
「確かに、僕は居候です。でも…夜空さんのことは誰よりも思っています」
「言うね…喧嘩売ってる?」
「いいえ。本気です」
「……………」
沈黙…その間も、桜瀬が戻ってくることはなかった…つまり、倒したのだろう。彼が…
「桜瀬も敵わなかった相手に、俺が敵うとも思えないね…いいよ。今日は見逃してあげる」
背に馬乗りになっていた夕飛が退き、拘束が解かれる。
「夜空さん!!」
アザレアの手を借り、ゆっくり立ち上がる。
「アザレアさんのこと、もっといい言い訳考えて、納得させてね。じゃないと…またこうして強行策とることになりかねないから」
「またする気なんですか…?」
「君が夜空を困らせるようなことをして、彼がそれを変に庇おうとするならね……俺だって、夜空のことが心配なんだ。変な方向に勘違いさせないでよ」
「しません…そんなことは、させません」
「……そう」
ベランダに出て身を乗り出すと、彼は「あーあ」と首を振り「帰るよ、桜瀬。起きて」と声をかける…落としたのか、あの巨体を…ここから…
「じゃあね、兄ちゃん…ああ、そうだ」
すれ違いざま、彼は俺の肩に手を置いて…おそらく、今日はこれを伝えるために来てくれたのだろうと…その時思った。
「しばらく、うちの周辺戻ってこないで。あいつらがくる」
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夕飛が帰った後…アザレアは大いに機嫌が悪かった。
「全く!!夜空さんがあんなに嫌がってたのに…なんですかあのやり方!!野蛮です!!」
そちらに気を取られたのか…少し香ばしくなったミネストローネを啜る。本来ならあまりしてこないはずの風味だが、これはこれで美味しい。
「帰って以降ずっと顔色も悪いですし…大丈夫ですか、夜空さん」
言われて…手を止める。そんなに、酷い顔をしていただろうか。
「...気のせいだよ」
目を細め、口角を上げる。
「大丈夫。何ともない」
先程からバクバクと不定期に悲鳴を上げる心臓を無視して、アザレアに返す。
「そうですか…?なら、いいのですが…」
「それより……アザレアは大丈夫?そこは手当したけど……他には?痛むところは無い?」
「大丈夫です!手当の時にもお話しましたが、僕の怪我は1日経てば治るので……」
「それでも…痛みはあるだろ?」
「夜空さんが無事なら、それも吹き飛んじゃいますよ」
「それは純粋に危ないから、感覚まで吹き飛ばさないでくれ」
「ふふ、大丈夫ですよ。夜空さんを遺して死んだりしませんから」
そういう意味じゃないんだけど……まあ、元気そうならそれでいいか…。
もう一ロ、スープを口にする…あれ、さっきまで美味しかったのに…
「…夜空さん、どうかしましたか?」
「……………」
「……夜空さん……?」
「…ああ………ごめん。なんでもない…今日は、これ食べたら、寝ようか…」
「あ………はい、そうですね………」
床について、今にも倒れそうな身体を支える拳は…真っ白になっていた。




