風の聴いたコエ
冷たい風が吹きすさぶ中、セリヴァルはシルバルク山脈の麓を一人歩いていた。
乾燥した小枝や葉を踏み締める度に、乾いた音が寂しく鳴り響く。
風と大地はセリヴァルの親であり、セリヴァル自身でもある。遠い山の中にいても、グラシアの悲痛な叫びは風に乗ってセリヴァルの耳にも届いていた。
セリヴァルは足を止め、空を仰いだ。
その視線の先には、シルバルク山脈が聳え立ち、山肌の雪は白く染まり、風が吹きすさぶ中、ただ静かに佇んでいる。
村の方角へ向き直り、目を細めて手をかざす。
(あれが……グラシアの心からの声)
ミルダは村人に歩み寄り、グラシアは強く立ち向かう方を選んだが、二人の根幹は同じ。
(知ってほしかったのね。自分たちのことを、きちんと)
ミルダは自分たちが村人たちの敵ではないと知ってほしかった。グラシアは自分たちがずっと苦しかったと知ってほしかった。
ふと、気配を感じて山の方へと振り返る。
そこには夫、ヴィルカインが立っていた。
「ヴィル様…」
驚くセリヴァルにヴィルカインは柔らかく微笑み、ゆっくりと歩み寄ってくる。
「…まさかとは思いますが、迎えに来てくださったんですか?」
いつもの彼なら洞窟で待っているはずなのに…と目を見開くセリヴァルに、ヴィルカインは穏やかな笑みのまま、音もなくその腕の中に彼女を閉じ込める。
同じ風を司る者ではあるが、生まれた地域の違いなのか彼の身体はセリヴァルよりも温かい。そして男性体の割には小柄な背丈でセリヴァルとあまり差はないが、一度触れればその奥にある芯の強さと懐の深さが伝わってきて、セリヴァルはいつも安心できた。
「子供の悲痛な泣き声が聞こえてのう。…あれは、お主が願いを叶えた子供の声であろう?」
降ってくる夫の言葉にセリヴァルは驚いて目を丸くしたが、すぐに「あぁ、そうか」と納得する。
セリヴァルが願いを叶えた人間の魂には彼女の魔力が刻まれる。エアリアルにだってその気配が分かるのだから、ヴィルカインが察するのも当然だ。それが魂の叫びなら尚の事。
「……心配して来てくださったんですか?」
その言葉に、ぎゅっと彼の腕に力が込められる。
「当然だ。…お主はあれを、ただ過ぎ去るだけのものとして聞き流せるやつではなかろう…」
ヴィルカインの優しく力強い腕と言葉がセリヴァルの心を揺れ動かす。泣き叫ぶ子供を心配してのことかと思ったのに…。セリヴァルは、夫に自分の心を見透かされていることが嬉しかった。
「……ヴィル様にも刺さりましたか…」
小さく漏らされた言葉にヴィルカインはため息をついた。
「…うむ。わしにも…のう。子供の声というものは邪気がないぶん、まっすぐに飛ぶ…」
ヴィルカインの首元に甘えるように額を擦り寄せ、セリヴァルは微笑む。その笑顔はいつもの穏やかなものに戻っていたが、どこか切なげな陰りがあるように感じられた。
「……あの子たちは、己の声を間違えませんでしたね」
セリヴァルがぽつりと呟くと、一人のエアリアルがどこからともなくふわりとにこやかに舞い飛んできた。
「あのこたちなら、だいじょうぶよーぅ」
エアリアルは歌うように軽やかに、ふわふわと宙を舞いながら笑顔で話し始めた。
「あのグラシアってこ、くつばこをよごしちゃったこと、つきとばしちゃったこに謝ってたわ」
その声は軽やかで、空気を柔らかく包み込むようだった。セリヴァルの視線がわずかに和らぎ、彼女は夫と目を合わせ、ほっと息をつく。ヴィルカインもまた、静かな微笑みを浮かべていた。
「あの大人のやつも、ほかのこも、べしゃべしゃにないていたもの」
エアリアルの言う「あの大人」とは教師のザイルのことだろう。セリヴァルはその言葉に、思わず小さく笑みを浮かべた。
グラシアの叫びは確かに届いたのだ。深く突き刺さったであろう彼女の声は周囲の人間の心に溶け、染みわたっていくだろう。子供たちの関りが変われば、大人たちの関りも変わっていくかもしれない。それがどんなにゆっくりなものであったとしても、決してゼロではない。その小さな変化を、きっと姉妹二人でなら拾い集めていける。
「……少しずつ、ね」
セリヴァルが呟くとエアリアルは楽しそうにその周りをくるくると回り、まるで未来を祝福するかのように、風に乗ってまたどこかへ飛び去っていった。
「二人の選んだ道に、幸多からんことを…」
両手を差し出し、願いを届けるようにセリヴァルは柔らかな風を吹かせた。




