疑惑
ミルダとグラシア、そしてユーリの3人が靴箱を片付け終えて教室に入ると、すでに朝のお祈りの時間が終わったあとだった。朝はいつも出欠の点呼を教師が取り、女神エリュンナへのお祈りが行われている。誰かが事情を話してくれていたのか、担任の教師ザイルが遅れてきた3人を咎めることはなく、「大事な話があるから早く席に着きなさい」とだけ言われるにとどまった。
3人が席につくと、教師が一度咳払いをしてから口を開いた。その表情はどこか暗く、膝の上で両手を組むとその表情を曇らせる。
「今朝、ルアナ先生の財布がなくなったそうだ。誰か見てないか?」
ザイルの言葉が教室に響くと、ざわざわと小さな声が教室内でさざめきはじめた。みんなが思い思いの視線を交わし、誰がそんなことをしたのか、疑いの目があちこちに向けられる。
そのとき、教室の後ろのほうからふと低い声が聞こえた。
「どうせ双子のせいなんじゃねーの?」
言葉を口にしたのは、角ばった顔立ちの男の子エイリクだった。彼の声は決して大きくはなかったが、その一言で教室の空気が一瞬凍りついた。囁きのような声が一斉に途絶え、幾人かの生徒がグラシアとミルダにちらりと視線を向ける。
ミルダの顔がこわばる。隣でグラシアも無言で前を見据えたまま、口元がわずかに硬く引き締まるのがわかる。
「あ…いや、僕は別に盗まれたと言っているわけではなくて…」
ザイルはおろおろとしながらも、ちらちらと二人に視線をやる。その目は庇っているようには見えず、言葉とは裏腹に双子に何らかの疑念を抱いているように感じられた。
ユーリは額に汗をかきながら双子と級友たちを交互に見やり、膝に置いた手をぎゅっと握りしめた。
「ぬ、盗まれたとは限らないんだし、なくなっただけでしょう!?そ、それなら二人を疑うのは…」
意を決して発した言葉は尻すぼみに小さくなっていくが、ユーリの言葉に、一瞬だけ教室が静まり返る。彼女が勇気を振り絞って双子をかばおうとしたことは、確かに一部の生徒の表情を曇らせ、動揺させているようだった。だが、その沈黙は長くは続かない。
双子の胸に熱いものが湧きかけたとき、エイリクがわざとらしい大きなため息をつき、重々しい空気を断ち切るように声を張り上げる。
「なくなったんだとしてもさー、そいつらのせいで悪い運気っていうの?そういうのがルアナ先生についちゃったんじゃねー?ユーリだって今朝ひどい嫌がらせされたんだろ?ミルダだって親切に手伝うフリして、実はいい気味だってほくそ笑んでたんじゃねーの?」
彼の言葉に数人の生徒が小さくうなずくと、さざめきがまた広がり、疑念が再び膨らんでいくのが感じられる。ユーリがたまらず俯いてしまう中、ミルダとグラシアはじっと前を見つめていた。ミルダの瞳には揺るがぬ決意が宿り、グラシアの目はただ静かに光を失っていく。
そのときだった。
「ザイル先生!お財布ありました!学舎の近くに落ちていたのを拾って届けてくださった方がいたんです!」
財布を紛失していた教師ルアナが明るい声で飛び込んできた。その報告が教室に響き渡った瞬間、ざわめきが一瞬にして静まり返った。教室中の視線が一斉にルアナに集まり、疑念を抱いていた生徒たちの表情は一変する。誰もが言葉を失い、ただ無言でお互いを見つめ合う。
その不安と気まずさの中で、グラシアは冷たい沈黙の中で拳を握りしめる。
そんな空気とは露知らずのルアナはほらほらと届けられた財布を見せると、「お騒がせしてごめんなさい!それじゃあ!」と言い残し足早に去っていった。
ルアナが去った後、教室には重い空気が漂う。どこか気まずくて、誰もがどうしていいか分からないような、微妙な時間が流れる。その中で、ユーリはすぐに顔を上げ、双子に向けてかすかな微笑みを浮かべようとするが、空気がそれを許さないような気がして、すぐにその笑顔は消えてしまった。
グラシアの目には怒りの色が残り、表情は硬く引き締まったままだ。ミルダは何も言わず、ただ静かにグラシアを見守る。彼女が何かを言おうとした瞬間、またもや教室の片隅からエイリクの声が響いた。
「なーんだ。ルアナ先生がただドジって落としただけかぁ」
その言葉が響くや否や、グラシアがガタンッと音を立てて席を立つ。教師が話していた内容も、周囲の雑音も、彼女の耳には入らない。ただ、グラシアの中で何かが切れてしまったかのように、暴力的な怒りが心の奥底から湧き上がる。
「もういい!!」
グラシアの声が教室内に響き渡り、誰もがその言葉に驚き振り返る。ミルダは目を見開き、ユーリは心配そうに彼女を見つめる。グラシアはそのままツカツカと歩き、エイリクの前まで進んで行く。その動きは止まることなく、冷徹に、まるで他の誰も目に入らないかのように。
エイリクはその不穏な足音に気づき、顔を上げる。だが、グラシアの目が自分に向けられた瞬間、彼の表情は一瞬で固まった。だが、それも一瞬のこと。すぐに冷笑を浮かべるが、その笑顔はどこかぎこちなく、グラシアの怒気に圧倒されていた。
「謝って」
グラシアの声は低く、そして明確だ。冷徹で感情がこもっていないように感じられるが、鋭い怒りがその一言に込められていた。エイリクの目が瞬き、少しの間言葉を失う。
教室中が一瞬、息を呑んだ。
「な、何をだよ…」
「疑ったこと。今までのこと、全部。全部謝って!!」
その圧倒的な憤怒に気圧されながらも、エイリクは軽い調子を崩そうとしない。だが、グラシアの鋭い目に向き合った瞬間、その冷笑は一瞬で消え、エイリクの表情が変わった。何かを感じ取ったように彼の視線が揺らぎ、口がわずかに震える。
「べ、別に俺がお前らに謝ることなんか…」
その言葉を最後まで言い終わる前に、グラシアが突如として彼の胸ぐらを掴み、無理やり立ち上がらせた。ミルダが慌てて立ち上がり、ザイルもすぐにグラシアを止めようと動くが、グラシアはその細い腕からは想像できないほどの力で、エイリクを廊下の反対側の窓へと引きずっていく。
エイリクはその力に振りほどくこともできず、顔を青ざめさせ、震える声を出す。
「ちょ、ちょっと…待てって…」
だが、グラシアはまるで彼の叫びを無視するかのように、無慈悲にエイリクを外へと引きずり出した。土の香りが鼻を突き、冷たい空気が彼の体に激しく触れる。外の世界は無人の裏庭だけで、柵も門もなく、ただ広がる空間が無防備に二人を迎え入れた。




