彼女の選択1
朝の空気がまだ冷たく澄んでいる中、ミルダとグラシアは学舎に向けて家を出た。歩き始めた二人の前で、畑から上がる男性の怒声が聞こえる。
「まったく!またイタチめが、作物を食い荒らしおって!」
畑の端に立つ農夫が、頭を抱えて畑を見つめていた。作物の葉が何枚も噛みちぎられ、地面には小さな足跡が点々と残っている。
彼は先日セリヴァルに畑のことを相談し、その際にイタチ避けにと乾燥ラベンダーを受け取った男だった。「雨が降ったら匂いが薄れる」と彼女は言っていたが、その日以前からしばらく雨は降っていない。
「魔導士様からいただいた乾燥ラベンダーの粉を撒いていたのに、どうしてこんなことに…?」
農夫は悔しそうに呟き、手にしていたクワを振りかざした。ふと見下ろすと、ラベンダーの周りの土がしっとりと濡れている。
「誰かが水を撒きおったんか…」
農夫は怒りに震えながら、食い荒らされた畑を睨みつけた。
ミルダはその様子を気にかけるように立ち止まり、そっと目を細めて農夫を見つめた。
「心配だね…。誰かがうっかり水撒きしちゃったのかな…?」
その声には心配が滲んでいる。けれど、グラシアはその言葉にわずかに顔を曇らせると、ミルダの腕を引いて静かに促した。
「行こうよ、ミルダ」
彼女の表情は無表情に近いが、どこか硬いものがそこにはあった。
ミルダは農夫を気にしながらもグラシアに引かれるまま歩き出し、ふと彼女が朝日に照らされながら大きなあくびをするのを見つけた。
「もしかして…眠れなかったの?」
ミルダの問いに、グラシアは少し間を置いて答える。
「…ううん、別に。そんなことない」
一瞬の曖昧な返答。そしてグラシアは小さく肩をすくめたが、どこか目を合わせようとしない。一瞬見えた彼女の瞳は暗く沈んでいて揺らいでいるようにも見えた。
「……グラシア?」
ミルダは思わずその顔に手を伸ばそうとするが、その手をぎゅっとグラシアに握られる。
「ほら。遅刻しちゃう」
わずかに眉尻を下げた笑顔でグラシアはミルダの手を引く。その微笑みの奥には、ミルダには届かない小さな影が潜んでいるように見えた。




