ソース焼きそば②
「‥‥」ナイフをもった男と目があった。
「‥‥」私は、金縛りにあったように動けなくなった。
「動くな。みんな、みんなお前も道連れにしてやるっ」ナイフを持つ手が大きく振り回される。
「ダメよ、そんなこと…」ふり絞った声がかすれて出ていた。
「なんだよ。お前」
「あなたの言いたいことは、すごくわかるよ。でも、でもね。それで見ず知らずの人を傷つけたら一生後悔する! 今逃げて行った周りの人が、あなたにつらく当たったの?」急なことで頭がまわらないがとにかく伝えなきゃと、言葉を吐き出していた。
「うっ、うるさい。おっ、お前に何が分かるんだよ」なおも、男は包丁を振り回していた。
「私も、サービス残業でくたくたになっていたのよ。あなたのことは、何も知らないけど。言ってることは身に染みてわかる。わかるのよ」目の前の男に、私の声はだんだん大きくなっていた。
男の目は今初めて見るように、目の前のボサボサの髪に化粧が剥げた顔で、片手に焼きそば二個入りを二袋持った三十代半ばの女の姿が鮮明に見えていた。
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家に帰ると真紀は冷蔵庫の中にあった人参と玉ねぎで焼きそばを手早く作った。
目の前の男は、先ほどのナイフを振り回していた男とは別人のように大人しくなっていた。
そして小さなテーブルを挟んで、無言で二人ともソースが香ばしい焼きそばを美味しそうに平らげた。
あの後、いたたまれなくなって私は説教をしていた。見知らぬ男の人に向かって。しかもナイフを振り回しているこの男に‥‥。いつもの私にそんな勇気はとてもなかった。
だけど、そんなことをしたのは自分の姿がこの疲れ切った男と重なって見えたから。
それから、泣き崩れて床に座り込んだ男をとにかく家に連れて来ていた。
「俺、俺は」男は大盛りの焼きそばを平らげた後、何か言いたげだったけれどうまく言葉が出ないようだ。
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帰り際
「君が止めてくれなかったらどうなっていたか。本当にありがとう。それから、今までに食べた焼きそばの中で一番おいしかった」帰り際に男は、少し頭を整理したのか丁寧にお礼をいってくれた。
「あなたは一人じゃないから、だから‥‥。もし、また私の焼きそばを食べたくなったらメールして」私はこの見知らぬ男に、自分のメルアドを教えた。
「生きにくい世の中だけど、お互いに頑張りましょう」なんて、日頃口にした事なんてない言葉が出てくる。
お互いに、まだ名前を知らない間柄だけれど強い絆ができていた。
そして、男は憑き物がおちたように三階からの階段をスタスタと駆け降りて行った。