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大それた大嘘だ!


 泉はまるで海のように大きかった。といって、海ではない。海を見たことがなければ「こんなに大きな水の塊があるんだもの、これは海ね!」と叫んだかもしれない。


 泉の周りには柵があるが、桟橋があった。ボートが浮かんでいれば泉の真ん中にまで行けただろうに。


「釣りをしたら、何が釣れるのでしょうか。道具を持ってくればよかったですね」


 と私が言うと公爵様は「次回はそのように手配しよう」と仰った。


「ボートもですか?」

「君が望むのであれば」

「その場合、漕ぐの公爵様になりますがよろしいのですか?」

「君は私が軟弱な男だと思っているのかな」

「いえ、そういう……わけでもないのですが」

「君一人分くらいどうということはない。従軍していたころにはそれなりに力仕事もしてた」

「そうなんですか」


 まぁ、と驚くと公爵様が眉をはねさせた。不機嫌というわけではないけれど、あまりよろしい会話ではないのがわかる。私は慌てて付け足した。


「あの、悪い意味ではなくてですね。閣下は、安楽椅子の探偵と言いますか……座っていらっしゃるだけでいろんなことをあれこれと……考えて、動かして、巡らせるタイプの方だと…………その、申し訳ありません」


 あれこれ言葉を重ねても、公爵様の眉間の皴が緩められることはない。私が素直に謝ると、公爵様が目を細めた。



 お弁当を広げてゆっくりと食事をする。


 お湯を魔法瓶に入れてもらったので、お茶を入れるのは簡単だった。


 これなら、私がここで毒を入れたら誰も気づかないのではないだろうか。

 しかしこの場で公爵様が毒死したら、間違いなく私が犯人だと疑われる。ずさんすぎる暗殺計画だ。さすがの皇帝ステラも庇ってくれないだろう。


「何か気になることでも」

「あ、いえ、大丈夫です」


 私がぼーっとしているのが珍しかったのだろうか。公爵様が声をかけてきた。


「少し風が冷たい」

 

 水場なのでそういうものだと私は思うが、公爵様は片づけを始める。もう帰るおつもりらしい。


「もうですか?」


 まだ来て、お茶は飲んで食事をしたくらい。ピクニックというのはこんなに行って即撤去撤退というような味気のないものだっただろうか。


 私は驚いていると、公爵様は「君の望む通り泉を見たい食事をした。ここでほかに何かするべきことがあるのかね」と聞いてきた。


 なんとまあピクニックを義務的に行おうとしていらっしゃる方だろうか。それなら私がここでではバドミントンはしなければピクニックではありません。と言ったらバトミントンしてくださるのだろうか。


 してくれそうだな。


 私はふとこの公爵様が妙に面白い人物に思えてきた。いや面白い人だ。こんな真面目な顔でこんな自分より取るに足らない、小娘相手にまじめに話をしてくれている。

 

 真面目な顔で生真面目に真剣に、自分はこれっぽっちも興味がないだろうピクニックに付き合ってくださった。これが面白い人ではないとなぜ言えるのだろうか。


「まぁ。大変」

「何か」

「私、あなたのことが今とてもすごく好きになりましたよ」

「……」


 公爵様が私を妙なものを見るような目で見つめてきた。


「えぇ、おかしなことを言っていますよね、私」

「自覚があるようでなによりだ」

「だって、もう私たち夫婦ですものね。今更ですよね」

「……君にはつくづく驚かされる」

「それは良い意味ですか?悪い意味ですか?」

「どちらでも君の思うように」


 呆れていらっしゃる、ようなお声だが、本当に呆れていらっしゃったらこの方はさっさと私残してお仕事に行かれるだろう。けれどそういうそぶりはない。馬車が一台だけだから、という可能性もあるけれど。


「風は冷たいですけれど、逆にこれがおつなのかもしれませんよ。ピクニックの」

「そうか。では、何か体にかけるものを」


 と言っても特に持ってきたものはない。私がキョロキョロとバスケットを包んだ袋ぐらいしかないので、どうしたものかと思っていると、公爵様が上着を脱いで私の肩にかけた。


「君がここにいると望んでいるのなら、私のもので嫌だろうがこれを羽織っているように」


 先ほど私が公爵様に示した好意に関してはさらりと流され気の迷いのような扱いをすることにしたらしい。


「これだと公爵様が寒いのではありませんか」

「私は自分を犠牲にして、君を優先すると思うのかね」


 公爵様はたいへん現実的な方だ。私が風邪をひくのと、宰相である公爵様が風邪をひくの、とちらが大変になるのか私だってわかる。


「公爵様の方が価値が高いので、そのようなことはなさらないと思います」

「ではそうなのだろう」


 なるほどつまり、公爵様は私と違って寒くないらしい。私は神妙に頷いた。


 ピクニック用の絨毯の上に座って泉を眺める。別に何か面白いことがあるわけでもないのだけれど、公爵様も大人しく座って泉を見ている。私によく付き合ってくれている。つくづく感心する。本当に、良い人だ。


 そんな彼を毒殺しようとしている私はとんでもない悪女だ。まあ原作では紛れもない悪女、悪役だったので、まあとんでもない女というのは今更だけれど。


「うーん、質問があるんですが」

「何かね」

「公爵様は皇帝陛下を暗殺しようと思ったりしますか?」

「ここに人目がないとはいえ、大それた発言をする。ただの……君の無邪気な質問ととってもよろしいか」


 無邪気さで他人の生き死にに問答を求めるようなのは邪気の塊だと思うが、私は頷いた。


「はいそうです。そうですね。あの、もし公爵様が皇帝陛下に何か憎しみとか抱いていらっしゃるようでしたら……私の将来も危険だなぁと思うので」

「その可能性があると?君の兄を処刑台に送ったのは私だがね」

「お兄様は自業自得なので、公爵様がなさらなくてもいずれ誰かがなさったでしょう」


 私はポロニア皇帝のことを思い浮かべ、首を振った。


 原作ではイドラ・ギュンター公爵がなぜ自分が帝位につけた皇帝に反逆したのか書かれていなかった。様々な考察サイトやまとめを読んだけれど、私にはどれもぴんとこなかった。


 今の時点で何か恨みつらみがあるのなら、私の暗殺が成功する前に反逆タイマーがセットされるようなことにならないよう、一度リセットできないものか。


「私が皇帝ステラに何か個人的な感情を抱くことはない」


 きっぱりと公爵様は仰る。まぁ、お飾りの妻に胸の内をわざわざ、イドラ・ギュンター、死神公爵が語るわけがない。


 私が思うに、この方は悪い方ではない。何かご自分の中ではっきりとした考えがあるような気がする。


 ステラを皇帝にしたのも、この方の中の信じるものがあったからだろう。

 ということは、ステラを裏切ったということは? 何かこの方にとって必要なことだったのかもしれない。


 しばらく2人で泉を見ていると誰かやってきた。見覚えのある、公爵様の副官の方だ。私にも丁寧にごあいさつくださって、二人は私から距離を取る。何か大切な話だろう。


 私は公爵様を池に突き落とすことをすっかり忘れてしまっていて、副官の方が現れてしまったので「今日はもう暗殺計画は実行できないな」とあきらめることにした。


 一人で暇なので桟橋へ向かう。古い木がギシギシと音を立て。端の方まで行って、泉を覗き込む。深い深い泉だ。 奥底に何か未確認生物でもいないだろうか。


 泉のまわりはきらきら光りが反射して輝いているのに、覗き込んだ泉の中はどこまでも深い。いったいどれくらいの深度なのか?


 公爵様が戻ったら聞いてみようか?

 あの方はそういったことまでご存知な気がする。


「……あら?」


 泉の中に何か見えたような気がする。


 キラキラと何かが光っているような。そんなはずはないのだけれど。


 私は床に手をついて、そっと泉の中を覗き込もうとする。


 私の顔が写っている。


 金の瞳に金の髪の綺麗な女。


 あまり性格は良くなさそうだけれど、おとぎ話の中で出てきそうな美しい女。


 これが自分の夫を殺そうとしている女の顔かと私は首を傾げた。


『ああ、かわいそうに可哀想なお姫様』

『何も知らず、何も知らされずおかわいそうに』

『お姫様』


「何の音……かしら? 何の声……?」


 何か聞こえたような気がする。 辺りを見渡すと遠くに公爵様と副官の方がいらっしゃるが、ほかにどなたの姿も見えない。

 鳥のさえずりさえ聞こえない。風の音が聞こえるばかり。


『おかわいそうにお姫様』

『ご自分が何をなさるべきなのか、何もご存じないのでしょう』


 声が聞こえる。泉の中からだ。


 中に誰かいるのだろうか?


 水の中で息ができるはずがない。 となると私の頭の中に直接聞こえてくるのか、けれど声の主が泉の中にいると私には分かった。


「……っ、きゃぁっ!」


 ふと、突然グラグラと大地が揺れた。


 激しい揺れに桟橋が大きく揺れ、私は叫んだ。

 

 立ち上がりたかったけれど、立ち上がれない。そのまま這って地面の方まで迎えればよかったが、揺れが大きく、泉の水さえ大きく波打つ。


 私の悲鳴を聞きつけた。公爵様が走りながら私を呼ぶ。


 呼んでいるのは私の名前ではない。


 そういえば。 あの方に名前を呼ばれたことがまだなかった。 夫婦なのにおかしなこと。


 激しく揺れる大地に揺れる。桟橋に私の体が泉の中に落ちていく。


 この泉で溺れ、死ぬのは公爵様のはずだったけれど、私になるのだろうか。


 因果応報自業自得。


 けれど私は溺れ死ななかった。溺れて、水を吐いて、呼吸は苦しくて寒くて体はガタガタ震えるけれど溺れ死ななかった。


「……げほっ……ごほっ……こ、公爵さ、ま」

「……」


 ゲホゲホと。 水を吐き出しながら。 私は自分を助けた男を見つめる。


 私と同じくらいずぶぬれになって、私と同じくらいガタガタ震えて、私よりずっと酷い、青ざめた顔をなさっている公爵様がじぃっと私を見て、目を閉じ首を振った。


「どこか痛いところは」


 子供に聞くような聞き方だ。


 私がありませんと答えると、公爵様はよろしい、とだけ言った。


 そうしてすぐに立ち上がって副官の方に何か言いつけて。 私をひょっと抱き上げる。


 そのままスタスタと馬車が待っている公園の入り口まで運ばれ、私たちの姿を見た御者が驚いた。すぐさま馬車の中から布を持ってきて、私たちは体を布で覆うことができた。


 そのまま私ごと公爵様が馬車に乗り込むので、私は「馬車が濡れてしまいます」と待ったをかけた。


「この馬車は私のもので、私が君を乗せると決めて、他に何の問題があるのかね」


 不機嫌そうなお声だった。私がまだ何か言えば、舌打ちをされそうなほど。公爵様はもう震えていらっしゃらなかった。 寒くて震えたわけではなかったのかもしれない。


 私は馬車に乗せられて、ガタンがダンと揺れながら、そういえばもう地震が収まったのかと辺りを見渡す。


 街の中は壁や小さな建物が軽く壊れている。


 なかなかに大きな揺れだったらしい。私が立っていられなかったほどだから、それはそうだろう。


 怪我をした人たちもいた。


 公爵様は窓からそれをじっと見ている。


「地震がありましたね」


 私が聞くと公爵様は黙ってうなずかれた。


「私が知る限り。 地震というのは初めてのような気がしますが」


 前世では地震の多い国であったから地震はそう珍しくなかったけれど。 この世界では特にこの国では珍しいはずだ。


 地震の原因は何だったか? 確か、大陸のプレートとか火山とかそんなことだった気がするけれど。


「君が気にすることではない」


 公爵様不思議な言い方をする。


 気にするも、何も自然現象に対して何か自分ができることがあるなどとは思わないけれど、まるで私が何か責任を感じていて、それを公爵様が考えないようにするような。


 屋敷に戻るとミュンゼが大慌てで駆け寄ってきた。


「奥様……!まぁ……まぁ!奥様!!なんということでしょう!!」


 すぐにお風呂の用意をと、メイドたちに命じる夫人は大変頼もしい。


 ミュンゼ夫人は公爵様に詰め寄って、なぜ一緒にいながらこんなことになったのかと大変お怒りのようだった。公爵様相手に、大丈夫なのか。公爵様は黙ってミュンゼ夫人のお小言を聞いていたが「彼女を早く温めるように」と、それだけをおっしゃる。


「ねぇ、ミュンゼ夫人。公爵様は悪くないのよ。私を助けてくださったの。私が泉に落ちてしまったから。だから、私よりも公爵様が先にお風呂に入るべきだと思うの」

「まぁ!何をおっしゃるのですか奥様!」

「私に構う必要はない」


私が言うと、二人は呆れたような顔を私に向ける。揃って同じようなお顔で、少し面白い。


「公爵様だって寒いでしょう」

「君ほどではない」

「そうですよ奥様。さぁ、お風呂場へ行きましょうね」

 

 子供をあやすような言い方だ。ミュンゼ夫人は私の背を軽く押す。私は引き下がらなかった。


「公爵家のお風呂は広いのですから、公爵様も一緒に入ったらよろしいじゃありませんか」

「……奥様、それは……どうでしょう」


 何が問題なのか。夫婦なので構わないと思うが、ミュンゼ夫人は「だめですよ」と言った。結局2人が納得してくれることはなかったけれど、私があんまりにも公爵様の体を気にするもので夫人が「大丈夫ですよ。すぐにクロンツが温かいスープとお茶をご主人様にご用意しますからね」と言った。


 私は自分でも3回も4回もくしゃみをしているので、さすがにこれ以上2人を手間どらせてはいけないと思い、それからは素直に従った。


 お風呂のお湯にゆっくりと浸かり。 良い香りのする泡で洗ってもらって気持ちよくなっていると。 ミュンゼ夫人がため息をつきながら言った。


「床入りもちゃんとお済でいらっしゃらないのに。お風呂だなんてとんでもないことでございますよ。奥様まずはきちんと順序を守るべきでございますよ」


 と、お小言。

 ミュンゼ夫人の考える「順序」とはどんな順序だろうか。いろいろ今更なような気がする。


 呆れられ、髪を洗われて、柔らかなタオルで拭かれて綺麗な着替えを着せてもらった。


 毛布に包まれて「泉に落ちたんですもの。ショックで熱を出されるかもしれません。今日はもう横になられて、お夕食はこちらに持ってこさせますからね」と言われた。


 私はベッドに寝かされ、天蓋付きのベッドのレースの段々を数えることくらいしかやることがない。


 公爵様を溺死させるところか、自分が溺死するのを助けていただいてしまった。


 気になるのは地震の時。

 駆け寄った公爵様が私に呼びかけた名前。


 皇女、とそう叫んだ。


 私はもう皇女ではない、というよりも、あぁ、この方は私と夫婦のつもりがこれっぽっちもないのだわ、と、そう私に思い知らせた。


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