*公爵視点*
「………………可憐だ」
妻を寝室に送り、自身は毎晩過ごすことになった書斎にやってきてイドラ・ギュンター公爵は、口元を片手で多い、ぎゅっと目を閉じた。
真っ白い肌に、バラ色の頬。咄嗟に抱きしめてしまったときに、その豊かな黄金の髪がギュンターの顔に触れ、あまりの柔らかさに羽毛で撫でられたのかとすら思った。
月のように輝く金の瞳は大きく、そこに写る男がどれほど愚かな願いを宿しているのかなど想像もしていないに違いなかった。
彼女は自分が無遠慮に触れたことを怒っていないだろうか。
ギュンターは冷静になり、先ほどの自分の振る舞いを思い返す。
「……あれは彼女を助けるために必要な行為だった。それは彼女も理解しているだろう」
しかし若い女性の体を強く抱きしめずとも、ほかに方法があったかもしれない。
……自分でなければ、だが。
ギュンターは自身の能力をよく把握している。他人を陥れ破滅させる手腕には長けているが、荒々しい武人ではない。非力というほど悲観はしないが、知人のように片手で馬を投げ飛ばせる腕力はなかった。
なのでギュンターが彼女を助けようと考えた場合、先ほどのような行動を取るのが最も合理的である。
「……ふむ」
自身を納得させ、ギュンターは頷いた。
窓の外を見ると、雨が降っていた。まだ本格的な冬ではないが、もう直に雨ではなく雪が降る夜が当たり前になってくるだろう。
ギュンターはこの屋敷で冬を過ごしてきたが、彼女のような華奢な女性は王都の雪はこたえるのではないだろうか。これまで興味がなかったが、貴族たちがこぞって冬の別荘地とする温泉街に彼女が過ごせる屋敷を買っておくべきだったと後悔していた。
なのでその観光地、有名な温泉街の一等地に屋敷を持つ貴族の名前を調べさせ、その名簿を書斎で確認する。
「……」
丁度よい名前があった。
人身売買をしており、いつ摘発しても問題ない手頃な貴族だ。他にいくつか余罪もある。
ギュンターは懐から手帳を取り出し、その貴族の名前を記入した。
*
イドラ・ギュンター公爵にとって、誰が玉座にあろうと興味のないことだった。
公爵家に生まれたが、父も祖父もそろって無能。無能でも公爵でいられるつまらない国だった。貴族たちはいかに自分たちが弱者から養分を吸い上げられるかで自身の有能さを競い合い、他人を蹴落とし、毒を盛って、カーテンの裏で息絶えるような生き物だった。
惰性で家を継ぎ、享楽主義の皇帝の元この国が滅びる音を聞きながら、何もかも黙って息絶えるのだろうと思っていた。貴族の醜さに呆れながら、虐げられる弱者を救いたいとも思わない自分もくだらない貴族でしかないのだろうと呆れながら。
血気盛んな田舎の少年が、「あんな王室、倒そう」と無邪気に声をかけてきた時、ギュンターはその少年が失敗するだろうとわかっていた。
無謀で無策。大儀だけは立派に掲げている阿呆。
けれどその少年の「潰すぞ王家」という言葉は気に入った。
手を貸してやって、自分たちが太陽だと思いあがっていた者どもを吊るして燃やして、ギュンターは死神だの悪魔だの罵られるようになったが、そんなことはどうでもよかった。
そのギュンターの世界に、花が咲いた。
『旧王朝の姫君だ。俺が王妃に迎えるより、君が妻にした方がいろいろ都合がいいだろ?』
可憐な黄金の花は、もともと王室に咲いていたというのに、愚かな王族たちはその美しさを理解できないのか彼女を追い出した。
初めて彼女の姿を見たとき、ギュンターはあまりに美しく、眩しくて目を細めた。
『あら……顔色が優れないようですけれど……お風邪ですか?』
死神の名を知らないのか、あどけない少女のような顔で可憐な女性は心配そうにギュンターを見上げ、首を傾げた。