そういうことじゃない
「まず」
と、最初に言葉を発したのはギュンター公爵だった。
「決闘と、そのように君が考えることが不可解である。例えば剣や銃以外の方法で君が私と勝負をしたところで、君に勝ち筋が見えない。銃であればあるいは、君が私より素早く引き金を引けるかもしれないが、君は君自身の名誉のために殺人を犯す人間ではない」
淡々とイドラ・ギュンター公爵は自身の妻であるルーナをそう評価した。
「では名誉ではなく、私に悪意を抱いており、その感情が私を殺害することが可能だろうか。ふむ。なるほど、その可能性は考慮すべきだ。私は君に恨まれるだろう要素が多く、そもそも私の妻になったということが、君にとって最大の汚点、屈辱であるのであれば。なるほど確かに。君は君自身の名誉のために私を殺害できるだろう。先ほどの私の否定は私のこの考えによって翻る。だが殺意を抱くことが可能であっても、動機が十分であったとしても、君の細腕で私を打ち倒すことは、やはり不可能だと言わざるを得ない」
自分が妻にどう思われているのかをこうも客観的に判じて一切の私情を挟まずに公衆の面前の前で語ることができるのだろうか。できるからイドラ・ギュンターなのであるが。
対して、ルーナにも言い分があった。
「まず、私は負けることが前提で、ただの女の意地で決闘を挑みは致しません」
「ふむ。そうか。勝利したくて挑むのか。では代理人を立てるのはどうだろうか」
「代理人ですか?」
「君がミルゲ・ホランドに対して自分の名誉を守るための決闘が必要だというのであれば。私がミルゲ・ホランドと決闘を行おう。私が君の代理人となり、君の名誉を守ろう」
「ちょっと待て。おい、ギュンター。それは俺がお前に負けるということか。あるわけないだろう」
黙って聞いていたミルゲも夫婦の会話に挟んでくる。
白い手袋を投げつけられたことは単純な驚きとして処理していいが、今の言葉は聞き捨てならない。仮にも帝国屈指の軍人である自分が、文官の代表のようなイドラ・ギュンターに負けるはずがない。
ついでとばかりにこちらを侮辱してくるつもりかとミルゲが苛立って問うがギュンターはチラリとも視線を向けずに妻に言葉を続けた。
「この男が生きていることが君の平穏を乱すのであればどのような手段を持っても私はこの男を闇に葬る手段があるが、それでは問題があるだろうか。ふむ、確実性よりも迅速性を求めているということか」
「問題しかありませんね。公爵様、なぜあなたが私のために手を汚そうというのです。私は自分で自分のために決闘をすると言っているのですよ」
そもそも、死神公爵は国のために動くものだろう。
その行動に私情があったことはない。ルーナは原作の小説を読んでいるので知っていた。イドラ・ギュンターという男はその行動に自分の心を挟まない。ステラという輝く星を王と仰ぎ、その頭に冠を載せた偉業とて、ステラへの忠誠心ではなかったはずだ。
周囲はこのやり取りをどうながめるべきか迷っていた。帝国でも話題の人物三人が、何やら複雑な関係であることは誰に目にもわかる。だが醜聞、愉快な社交界のニュースと遊んでしまうには、死神公爵の様子が自分たちの知る恐ろしい男とは異なった。
まるでわがままを言う年若い妻を何とか宥めて言い聞かせようとする年上の夫のようなやり取りだ。
実際のところ、言ってしまえばそうだが、イドラ・ギュンターなのでそう見ていいものかと妙な引っ掛かりを覚える。
貴族たちの脳裏には、先の大戦で敵対する貴族たちの身動きを取れないようにするために、彼らの領地で領民たちに反乱を起こさせたり、妙な宗教を流行らせてその火消に奔走させたりと、手段を択ばなかった死神公爵の数々の行いがリスト化されて浮かんでくるのだ。
*
周囲の困惑戸惑い同様、そんなのはどうでもいい。
イドラ・ギュンターの方は、自分の考えがまとまりがないとはこれっぽっちも思っていなかった。
妻とミルゲの間に何があったのか、それは確かに自分が知るところではないが、この男のことだ。ロクなことはしていないに違いない。
彼女の心の安寧のために、ミルゲ・ホランドを葬ることにギュンターは躊躇いがなかった。決闘で、剣で銃で、ということであれば確かに自分に分はないが、少し時間をかければいくつか有効的な手段があった。ミルゲ・ホランドに関しては戦時にはたいそう役に立つ男だが、平時ではどうか。
国として、戦場で輝く武人は国の武力を他国に示すためある程度は必要だがミルゲ・ホランドほどの英傑は、これからは不要になる。そもそも威光というのであれば皇帝ステラで事足りる。
であるので、ギュンターは遅かれ早かれ、先の大戦で名を挙げた軍人たちの“整理”をするつもりだった。
(そもそも。前提が間違えている)
ギュンターにとって皇帝が誰になろうと、国を維持するシステムを守り続けることが重要であはあったが、それは、その国にルーナが生きているからこそだった。
公爵家の次男として生まれたギュンターが、まだ宮殿で暮らしていたころのルーナと出会ったのはもう十年以上昔のことだ。
ルーナを捨てた王家を滅ぼす道具が必要だった。ギュンターは自分が謀略に長けているものの暴力の才能がないことをわかっていた。それであるので、王家を潰せる鋭利な刃物を探した。地方で生き残った血気盛んな青年がそれだった。
トップを挿げ替え、不要な貴族たちを間引いて、可憐な女性が平穏に暮らすことができるのであれば、そのほかの問題は些末なことだ。
気になるのは玉座から引きずり下ろしたポロニアが、「後悔するぞ」と笑いながら死んだこと。ギュンターはそれをルーナを愛している自分が彼女の兄を殺したことで彼女から永遠に恨まれることだと解釈し、それは別に、構わないことだったので捨て置いた。
別段ギュンターは、ルーナが自分に殺意を抱いても良いと考えた。実の兄や父が死ねば彼女は悲しむだろう。その深い傷が自分を憎むことによって、悲しみから殺意を抱くための燃える感情になるのであれば、全く問題がなかった。
命を狙われる危険性についても、ギュンターは「些細なことだ」と判断している。
そもそも、この国内外に問わず自分に死んでもらいたいと思っている人間は多く、自分に対して敵意や殺意を抱いているものを一つ一つ罪に咎める、あるいはしらみつぶしに処罰していたらきりがない。ギュンターは数多くの人間が自分の死のために知恵を絞って日夜挑んできているが、それらを全て未然に防ぐことが出来ているという事実があった。で、あるから、その多くの人間の中に自分の妻が入っていたとしても、その妻の殺意は百のうちの一つ、それよりも小さいかもしれないのだ。
そんなことよりも、ルーナが家族の死に押し潰されずに、目的と意思を持って生きる方が重要ではないだろうかと、そのようにギュンターは考えている。
なのでギュンターは彼女が望むのなら、出入りの商人たちが毒を彼女のために入手できるようにそれとなく便宜を図っていたし、多忙だがなんとか食事の場を共にした。
首を絞める力はなさそうだったが、紐で絞めることはできるのではないかと、背中を見せやすい書斎に籠ったりもした。
妻は自分を殺したいはずなのに、殺意というものがまるで感じられなかったが、善良な妻のことだ。悪意や殺意、敵意を抱くのが難しいのかもしれない。悲しみだけで人を殺そうとしているのであれば、自分を殺そうというのは中々難しいだろう。
「……」
そうして今、自分で決闘すると言ってきかないルーナにどう自分をきちんと利用するよう納得させるか。ギュンターは聊か難題だと感じた。
兄の仇である男の手など借りたくないという本音を名誉だ意地だとごまかすのは健気だったが、ある程度のしたたかさがなければこの先苦労するだろう。