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招かれざる客、帰れ!



「突然の訪問申し訳ありません。ギュンター公爵夫人」


 応接間にいらっしゃったホランド公子は、それはもう、あぁなるほど、これは顔が良い。思わず入口で立ち止まって目を見開いてしまう、絶世の美男子。

 現実的に考えれば青みがかった髪、それもロン毛というのは何かのコスプレにしか見えないはずなのだけれど、この世界の価値観が私にもしみついているのか、そのような違和感が一切ない。

 

 その長い髪は十分に手入れをされていて、公子ご自身がその美しさを自覚されているのだろう。光沢のあるリボンで括られているが、髪にリボンがついているのにかわいらしさではなくて上品さを抱かせる。瞳はまるで青い空のよう。切れ長の瞳に、くっきりとした長い睫毛。堀の深い顔立ち。どのパーツ一つ見ても彫刻家が悪魔に魂を売って作り給うた最高傑作のようだった。すらりと長い手足に、軍服の上からでもわかる鍛えられた肉体。

 黒と銀の軍服はイドラ・ギュンター公爵が纏うものと基本的には同じはずだけれど、どうもこう……与えられるイメージががらりと変わる。


 もちろん私は公爵様のお姿がとても好きだけれど、世間一般的にはホランド公子の方が“堂々として男らしい”“軍人の中の軍人”と褒めそやされるのだろう。


 その振る舞いも洗練されている。一挙一動が役者のように整い美しい。


 声も堂々としている。


 原作小説ではギュンター公爵とは犬猿の仲であるはず。そのホランド公子にとっては敵地のはずの公爵家にて、こうも明るく振る舞えるものか。


 口元に淡い笑みを浮かべ、私が来たことを本当に感謝している。感激している。嬉しくて仕方がないというような男の顔をして迎えてくれた。


「ホランド公爵様はご子息に礼儀作法を教える義務を放棄なさったようですね」


 両腕を軽く広げて私を迎えるホランド公子に向かって、私は開口一番にそう言った。


 歓迎などこちらはしていない。

 早く帰れと全身で訴える。


 顔は拝みたかった。だがそれだけだ。礼儀として応接間に通し、お茶も出した。

 なので帰れ。もう帰れ。


 愛想笑いすら浮かべずに私が言ったので、公子や「おや?」という、不審な様子をわずかに見せた。

 それでもそれは自分の魅力が通じなかった、というよりはきっと体調が悪い時に自分が訪ねてきたからだろう。顔色があまり良くない。女というものは自分の魅力が半減している姿を男に見せることを嫌がるのだから、それでこんな態度なのだろうと、そう勝手に推測しているのがわかった。


 自分が姿を見せれば女は必ず喜ぶと思っている顔だ。


 私は原作小説のことを思い出す。


 この男。

 同士の友情は手に入れられるのだけれど、女の愛情はついぞ手に入れられなかった。


 主人公のステラが幼なじみであるメリーという少女と真実の愛を誓う姿を見ながら、きっとこんなものは甘やかしだ。あの蝶のような女だって皇后になれば毒蛾になるぞ、と揶揄するような男だった。内心羨ましいんだろう。悔しいんだろうと同僚たちにからかわれていたけれど。


 ちなみにこのホランド公子。原作ではルーナ皇女を完全に見下し、毛嫌いしていた。彼の憎む“女”の要素を全て集めて人の形にしたようなものがルーナ皇女であったので、まぁ、それは仕方ないだろうが。


 ようはこの美貌の男、美しい女も可憐な女もか弱い女も、皮と肉の間に蛆が詰まっていると思っている、思いたい男なのである。


「そう邪険になさらないでください、美しい公爵夫人。私はあなたの夫、イドラの数少ない友人なのです。同じ皇帝陛下の側近。その彼が結婚をしたことを、不幸にも海外に出ていて知るのが遅れました。友人の人生で最も輝かしい場に私が立ち会えなかったことにどれほど悔いたことか。故郷の地を踏み真っ先に、我が友の麗しい花嫁にお祝いの言葉を申し上げなければ、私は自分を許せません」


 ……………………。


 ………。


 なんだか勝手に、べらべらとおしゃべりなさっているので聞いているが。内容が全く、耳に入ってこない。


 白々しい男だ。ここまでくると感心する。


 私が原作小説を読んでいなければ、前世の記憶を持っていなければ、世間知らずのルーナであれば。

 ああ、この人は夫の友人なのか。同僚だから当然か。なるほど、なんと律儀な方だ。親切なことだ。などと思ったかもしれない。


「それはご丁寧にありがとう存じます。」


 私は扇を軽く広げ口元を抑えた。

 風邪気味なので、咳をしてみっともない姿を晒しては申し訳ないと、そういう顔で扇を広げ、相手に口元も表情も読ませない。


 声ばかりは明るく言ったので、微笑んだことを隠している。

 男女の駆け引きでも始まっているのかと、そのように思ったのかもしれない。


 ホランド公子が微笑む。


「どうかミルゲとお呼びください。あなたのような美しい方は初めてだ。ぜひ今後も親しくさせていただきたい」

「ご用件はこれで終わりでよろしいですね。ホランド公爵様のご子息」


 一気に距離を詰めてくるホランド公子に、私はアクセル全開で距離を取る。


 だというのにホランド公子は瞳を細めて微笑んだ。


「私を恐れていらっしゃるのですね」

「……は?」

「何かイドラ・ギュンターから吹き込まれているのではありませんか? ああ、あの男は言葉で他人を操ることがお上手ですからね」

「ホランド公子は」

「ミルゲとお呼びください」

「お客様はわたくしが誰かの言葉に操られるような女だと思っていらっしゃるのですね。だからこうしていらっしゃったのでしょうね」

「いいえ、まさか、そのような。私は美しいあなたを心配しているのですよ。あなたはご存知ないかもしれませんが、私も公爵家に連なる身。黄金の皇女殿下。あなたのことはずっと案じていたのです。 悲劇の皇女殿下。あなたは本来ギュンター程度の男に嫁ぐ方ではありません。私は悔しいのです。あの男ではあなたの魅力の1割も理解できないでしょう。あなたのような素晴らしい方がこんな寂しい屋敷の中で一人きり。夜会も開けず、あの男は舞踏会にあなたを伴うこともしていないでしょう」


 この男、放っておけばベラベラと延々にしゃべり続ける気だろうか。


 おかしいな。原作小説では女性相手にこんなに熱心に口説いてくるタイプではなかった。黙って流し目をしても女が落ちるので本人がこんなに口を開く必要がなかっただけか……?


「結婚式以降、公式の場合に出ていないと聞いております。あなたがこの暗い屋敷の中で枯れていくのはなんとも忍びない」


 つらつらとよく回る口だ。女を口説くということをよくわかっている。

 だというのに、この男は女の愛情を手に入れられない。


 女の方が愛していたとしても、男が愛を受け取る気がなければどうしようもない。

 欲しているのに受け取ろうとしない。


 はっ……。


 もしかしてこの男バカなのか?


「どうかされましたか」

「いえ。少し考え事を」

「それはそうでしょう。この屋敷であの男以外の言葉を聞くのは随分と久しぶりなのではありませんか?あの男はあなたに聞かせたい言葉だけを聞かせるでしょう」


 同情めいた視線を向けられ、私は思わず笑ってしまった。


「公爵様がそのようにおしゃべりな方だと思いますか?小娘相手にご自身の武器である毒を吹き込むっような、暇な方だと思いますか」

「それは確かにそうだ。では、あなたは誰とも話すことができずにここでどのように過ごしているのです」

「それなりに楽しく過ごさせていただいておりますよ。 不自由はありません。あなたに同情される覚えはありませんよ」

「あぁ、おかわいそうに。皇女殿下はご自分がどのような目に遭っているのか、きっと理解できていないのでしょうね。 どうです?私と出かけませんか?」


 普通に嫌だが。

 というか、私は病人設定で、そのように知らせているのになぜ誘うのか。

 ダメだこの男。女に対して丁寧に、礼儀正しく振る舞っている顔をして、全くこちらの事情も心情も考えていない。


 こんな男と公爵様を比べること自体申し訳ない。


「結構です」

「ギュンターには怒られませんよ。あの男はあなたを閉じ込めているのです。怒るような資格はない。私がさせない。今日は天気もいい。流行りの店を知っていますよ。公爵家で料理人に腕を振るってもらうのもいいでしょうが。やはり若い女性というのは賑やかな場所で賑やかな場所で、着飾って華やかな店で食事をするのが良いのではありませんか?」


 なるほど確かに……公爵様はそういう場所を……ご自分でセレクトはしないだろうな。うん。似合わないしなぁ、と私は考え、流行りの女性向けのお店にいる公爵様の姿を想像してしまった。


 思わず私の口から笑い声が漏れる。


 今日初めて私が微笑んだので、ホランド公子は自分の提案が私に受け入れられたのだと考えた。


 スッと、それはもう自然に立ち上がり、なんともまぁ、スマートに私をエスコートするために手を伸ばす。


「ああ、よかった。 笑った顔が本当に美しいですね。できればその瞳に私だけを映していただきたいものです」

「ねぇ、お客様」

「なんでしょう?」

「私。あなたの嫌がらせの道具にはなりませんよ」

「おや。それは誤解です」

「私は確かに世間知らずで頭の足りない女ですけれど。そんな女なりに誰に利用されるかぐらいは選べるつもりです」


 私が微笑んでホランド公子を見上げると、今日初めて、この男の顔から表情が消えた。

 こちらを頭の足りない、お花畑の住人だと思い、そんな女であれば顔と言葉で容易くたぶらかせると侮っていた顔から感情がスッと消え、自分の前にいるのが小生意気な、ネズミよりは頭が良い生き物なのかと、意外に思う目を向ける。


「つまりあんたは、ギュンターがあんたを利用しているとわかっているつもりだと?」

「私のような女を妻にしてくださるなんて、それ以外にありますか」


 先ほどは散々おしゃべりしてくださったので、今度は私が台詞でも言おうかという気になる。私は原作のルーナ皇女が皇帝ステラの元から自分を「救い出そう」と近づいた男に言った台詞を思い出した。


「私に流れる血が何色か私が一番わかっています。私が舞台に上がれば、ええ、私は破滅するのでしょうね。このまま何もしなくても破滅するのでしょうけれど、破滅させられる相手は選びます。それはあなたではありません。あなたに破滅させるあなたの道具にもなりません。道具にも道具なりの矜持というものがございます」


 その台詞を、ルーナ皇女は誰に向けていたのだったっけ……。


 ルーナとして生きて十六年。前世の記憶もうっすらとしている。


 私は自分は立ち上がらず、手も出さず、ホランド公子を見上げた。


「折角立ってくださったのだから、そのままさっさとお帰りくださいませ」


 もはや淑女の吐く言葉ではないが、まぁお互い様である。


 私はこれで一件落着、お互い顔だけで性格の悪い人間だと確認出来てよかったね、というように微笑んだのだけれど。


「……っ!?」


 ぐるん、と、視界が回った。


 軽い音。


 どん、と、ソファから引きずり降ろされ、床に押し倒された。


「……」


 ミルゲ・ホランドご自慢の長い髪がカーテンのように私たちの間にかかる。


 髪で視界が狭くなり、ホランド公子の顔しか認識できない。


 吸い込まれそうなほどに美しい瞳を持つ男が、私に対して何か感情を抱いている。


 憎しみだ。


 あら。まぁ。


「怖いだろう」


 ミルゲ・ホランドが呟く。


「俺が怖いだろう。そう言えよ。俺を前にした女は俺に媚びるか、俺に惹かれることを恐れ怯えるかのどちらかだ。あんたは後者だ」


 お、ぉおお……本気か、この男。


 なんという自信家だろう。


 私は思わずポカンと口を開けてしまった。


 それをどう勘違いしたのか、公子が自分の指で私の唇を撫でる。


 もしかして。これは……貞操の危機。


 あらまあ。


 私は目をパチリとして、どうやら私を誘惑したいらしいミルゲ・ホランドを見上げた。


 原作小説の知識と合わさって、私は彼は何をしたいのかわかる。


 結局のところ、これらはイドラ・ギュンター公爵への嫌がらせだ。この男は極度の女性不信であり女嫌い。それでいながらこの世には聖母のような女性がいると心で求めている。いないと思っているのに求めている。矛盾した男だ。


 私が自分ではなく彼にとって大嫌いな対象。彼にとって人に愛される資格がこれっぽっちもない、ミルゲ・ホランドにとって「最低の人間」イドラ・ギュンター公爵へ愛情を抱いていると、そう感じとった。


 これが、この男の逆鱗に触れている。


 そんな馬鹿なことがあるものか、と、激高している。


 あのイドラ・ギュンターが夫を裏切らない貞淑な女を得ている。

 自分が欲しているものを、あのイドラ・ギュンターが手に入れられているのではないか。

 そんなことを思って焦って、そんなわけがないと、必死に否定したがっている。


 正直、私を巻き込まないでほしい。


 男同士の友情と男同士の濁った感情に女を巻き込むんじゃない。勝手にやってくれ。


 と、そのように思いつつも、どうも、私の中にも沸き上がる感情があった。


 恋だ。


 恋心に近い。


 何かこう。


 ドキドキとふつふつと。 起き上がってくる思い。


 あら、まぁ、まぁ、とそわそわと落ち着かなくなる恋心。


「あら、私ったら。」


 まあと思わず吐息が漏れた。


 自分の誘惑が遂に届いたのか?とミルゲ・ホランドが安堵した。所詮、女というものは見目のよい男に押し倒されれば悦ぶと、所詮どんな女もこういうものだと見下すような顔をした。


 ので、私はにっこりと、ミルゲ・ホランドに微笑みかけた。


「……そいやっ!」


 両腕は抑えつけられているけれど足は自由だ。フリーダム。

 アイキャン暴力。アイハバ暴力。だったので思いっきり蹴り上げる。


 ミルゲ・ホランドの股間に向けて。


 それはもう思い切り。


「~~~~~~~~~~!!!!」


 うなり声が部屋中に響いた。


 けれど、それは思ったよりも小さな声だった。

 まあ、彼にもプライドがあるのだろう。 頑張って押さえた。努力は称えたい。


 思わず私の体から引いた彼と素早く距離を取って立ち上がり、私は小首をかしげる。


「まあなんと申しますか……こう恋心が芽生えたと申しますか」

「……恋心が芽生えた相手に……!!あんたはこんなことをするのか!?」

「早とちりなさらないでくださいませ。私の恋心の対象は夫に決まっているでしょう。あなたが夫に対して嫌がらせしたくてこんなことをされたこと、私怒っておりますのよ。あの方に酷いことをするあなたのこと嫌です」


 私を利用することは別にどうでもいいのですけれど、あの方に対して悪意のあるあなたが嫌です。なので蹴りました。


「自分を閉じ込める男によくも愛なんて幻想を……」

「そもそも閉じ込められてなんていません。あの方は私の行動制限はなさいません。私が外に出る必要がないのです。伯爵家にいたころからの私の話をご存じないのですか。私はインドア派なのです。この中にいて何不自由ないのになぜ外に出ないといけないのですか。仕事をしろとでも。嫌ですよ。働かないでいいのなら働きたくなんてありません」


 この女は何を言ってるんだという顔をミルゲ・ホランドは私に向けてくる。痛みで脂汗をびっしりで、それでも美男子は顔が美しいので様になる。


 ドンドン!ドン!


「奥様!奥様っ!大丈夫ですか!?お部屋に入ってもよろしいですか……!」


 扉を激しくたたく音。ミュンゼ夫人の伺う声、私を心配してくれている。 2人きりになる必要はなかったけれど。 私の無礼な公爵夫人らしくない態度をミュンゼ夫人に見られたくなかったので、2人きりにはなっていた。よく考えるとこれは良くないかもしれない。


 私はニコリと微笑んで扉を開けた。


「えぇ、ミュンゼ夫人。大丈夫よ」

「奥様……!あの気のせいでしょうか……後ろにうずくまっていらっしゃるのは……」

「ええ、そうです。ええ、ちょっと」


 私が股間を蹴り上げました。とはさすがに言えない。

 まあ、彼の名誉のためにも言う必要はないだろう。


「公子はお帰りになるそうです」

「待て!」


 すごいな公子、まだ立ち上がるのか。


 頑張って立ち上がられたミルゲ・ホランド公子。私が感心していると、これがよくなかった。


 ばたん、と扉を閉められた。


 どんどんと、ミュンゼ夫人が扉を叩く。それでもミルゲ・ホランドが抑えているので開かない。


「……」

「…………」


 これが壁ドンというやつか、という体勢で私はミルゲ・ホランドに抑えつけられた。


 見下ろされ、彼の顔に浮かんでいるのは、先ほどまでの私に対して侮る顔ではない。


「何もかも。分かっているのかあんた」


 まったくわからない。

 か弱い女に乱暴をするような男の心情など全くわからない。

 だけれど、どうしてそういう思考になっているのかわからないが、ミルゲ・ホランド。原作で女不信のまま男の友情に囲まれて死ぬ男。この世の救いでも見つけたような顔をして私を見下ろしている。


「分かっていることもありますし、わかっていないこともあります。 私はあなたが私の夫を侮辱するために私を利用していることが嫌です。あなたのおかげで夫への愛情に気付けました。ので、この無礼はなかったことにして差し上げますよ」


 そもそもその面を拝みたかったという。こちらの下心もある。


 私が言うとミルゲ・ホランドはグイッと私の顎をつかんだ。

 無理やり上を向かせて、今度は私の足が蹴り上げないように体で押さえつける。


「……」


 これは、さすがに……怖い。


 先ほどまでミルゲ・ホランドは私を一人の人格のある自分と同じ人間だと思っていなかった。


 私をただの利用するための道具。 しゃべる人形のように思っている人だった。 けれど、今その目には私に対しての欲情のようなものが浮かんでいる。


 私を人格のある人間だとは相変わらず思ってなさそうだけれど。女と認めている。


 いやだ、この人。


 ……怖い。


 女を組み敷いて乱暴することが出来る男だと、私はその目に浮かんだ情欲の色を見て気付いた。


 ミルゲ・ホランドには自分が男で私が女で、そのために触れたいという欲求が沸いていた。


 さすがに。

 これは。

 怖い。


 ガタガタと体が震える。


 抵抗したくても声も出ない。


 力も入らない。押さえつけられなくても、私は何もできなかっただろう。


 怖い、怖い。


 怖い。


 カタカタと体が震えた。 私のその様子をじっとミルゲ・ホランドは見ている。


 瞳の中に悦びの色が浮かんできた。自分の態度が、男としての力が私を支配していることを知って喜んでいる。


 何をされるのだろう。


 怖くて想像でどんどん体が動かなくなる。


 体に力が入らなくて。 私はへたり込もうとするのだけれど、体を押さえつけられていてそれもかなわない。


 助けて欲しい。


 声が出ない。怖い。


 助けて。

 誰か助けてくれるのか。


 助けてくれる相手がいない。


 扉を叩いていたはずのミュンゼ夫人の声も、いつの間にか聞こえなくなっている。


 背中の、扉の向こうに誰もいない。


 

「うぉおぉおおお奥様ぁああああああああああああ!!」


 私の体が絶望でいっぱいになってしまう前に、目からぼろぼろと涙があふれる前に、ミュンゼ夫人の雄たけびが、窓の外から聞こえた。


 そして、バリンと、盛大に窓ガラスが割れる。


「ぉおおおおおお!!奥様!奥様ぁあああ!!この家の女神!救世主!!待ちに待った女主人!!あたくしの大切な奥様に……!!このスケコマシ!!指一本触れるんじゃあないよ!!!!!!!!!!!!」


 ガンバン、バリン!!と、外にいるミュンゼ夫人が、窓ガラスを次々に割っていく。


「お気を確かに!奥様!私がおりますからね!!えぇ、私が一緒におりますからね!!」


 銀の燭台を使ってガンガンガン、と遠慮なく窓ガラスを割り続けるミュンゼ夫人。


「奥様ー!奥様ー!!私たちもおりますよ!!私たちメイド一同……!身分が低いので……許可なくお部屋には入れませんが…………てい!」

「そりゃ!」

「よいしょ!!」


 白と黒のメイド服を着たメイドさんたちもいつの間にか窓の外に立っていて、窓ガラスの割れた部屋に何か……はたきとか、箒とか、たわしとかを投げ込んでくる。


「おほほほほ!申し訳ございません不届きもののお客様!本日、このお屋敷は模様替えでございますので!おほほほほ!!さぁ、後始末と責任は私が引き受けますからね、みんな、奥様をお守りしますよ!」


 ミュンゼ夫人が叫ぶ。メイドたちも遠慮なく手当たり次第、窓の外からコップとか、花瓶を放り込んでくる。


 燭台を使っているとはいえ、ミュンゼ夫人の手から血が出ていた。ガラスで切ったのだろう。メイドさんたちは貴族に向かって物を投げつける恐怖で泣いている子もいた。それでもみんな、そこから逃げない。


 半狂乱になっても私を助けようとする。


 この行動にミルゲ・ホランドは呆気にとられ、さすがにこの状況で私を犯そうという気にはならなかったらしい。


 私は素早く、彼の体から抜け出してガラス窓の方へ飛び出した。




 結果だけいえば、その後ミルゲ・ホランドは帰っていった。

 二度と来るなと公爵家のメイドたち全員に塩をまかれた。

 

 それでも「また来るからな」とその顔は言っていたけれど、もう誰も彼をこの屋敷には入れさせないだろう。


 そして、その日公爵様は帰ってこなかった。


「急なご用事で……」


 お帰りにならないことはよくあることだ。

 

 原作小説の流れでは、確かこの頃、女神教という宗教団体が皇帝ステラを襲いメリーが怪我をしたとか、そういう時期だ。

 皇帝の住居が襲撃されて混乱もしているはず。それなら公爵様もお忙しいだろう。ミルゲ・ホランドだってこれでしばらくは忙しいはずだ。


「奥様……今夜は私がご一緒致しましょうか?」

「大丈夫。1人で寝るのは慣れているから」

「……ですが奥様」


 さすがに今夜は、とミュンゼ夫人が私を気遣う。入浴の際に私が震えていたのをメイドから聞いているのだろう。


「公爵様は朝にはお戻りになると思いますよ」

「いつもお忙しい方だもの」


 朝に戻るのも無理だということは、私よりミュンゼ夫人の方がわかっているはずだ。


「奥様……本当に、大丈夫ですか」

「もちろん怖いわ。男の人にあんな風に扱われたことはないもの。でもだからって、それがどうしたの?私が怖いって震えていても、国の問題は何も変わらないのよ。公爵様には公爵様がなさらなければならないことがあるのよ」


 そしてそれは、私が怖いからと、傍にいることではない。もう十分よくしていただいてるのに。 わがままは良くない。


 それに良いこともある。

 昼間の一件で私の体調は戻った。汗をかいたり、慌てたり、いろんな感情が通り過ぎて、逆に落ち着いたらしい。


 ベッドの中に1人で入って体を丸める。


 目を閉じると、ミルゲ・ホランドの目が脳裏に浮かぶ。

 こちらを“女”と見る男の目に、恐怖が蘇る。


 これはもう眠れないだろうな。


 起き上がって。


 窓の近くの椅子に座る。


 私はここで何をしているのだろう?


 実の兄を玉座から引きずり下ろした皇帝ステラに義兄を人質にとられ、死神公爵の暗殺を任された。


 だというのに、私はあの方のことが好きになってしまった。


 ……本当に殺す気があるのだろうか。


 今も、私が彼の人間関係によって怖い思いをしたことを、恨む心さえ湧いてこない。むしろ、私を利用して公爵様を侮辱しようとしたミルゲ・ホランドに殺意が沸く。


 公爵様はいい方だ。

 あの方がいずれ皇帝ステラを裏切って、反逆して処刑されるというのなら、私も運命を共にするのもいいかもしれない。


 そんな気がしてきた。


 あの優しい方を私の都合で死なせてしまうよりは、あの方の都合で本来の運命の通りに死ぬのを黙って待っていた方がいいのかもしれない。

 


腰を痛めて(ヘルニア)パソコンに向き合ってものを書くことが出来なくなってるので、この小説は音声入力アプリで作成し、横になってちまちまスマホ編集して投稿しております。

読みにくい箇所など多くあるかと思いますが、ここまでお付き合いいただきありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 公爵様もだけどルーナ様も朴念仁だったのですね。  みんな仕合せになってぇええええ!(願い)
[一言] ミュンゼ夫人とメイド一同。好きだ。
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