宵闇
英雄として佇むアレスは自然な姿で立っていた。
自分からは決して動こうとはせず、じっと観察するようにその何の感情も感じられない漆黒の瞳をヴェイグへと向けていた。
「来ないのか。ならば私から行くぞ!」
銀の輝きが瞬いたのと同時、鈍色の輝きが煌めき火花を散らせながら衝突する。
一瞬で間合いに入ったヴェイグだったが、振るった剣はいとも簡単に受け止められ拮抗する。しかし、その拮抗は一瞬で崩れ、ヴェイグがアレスの剣を弾いた。
「重い」
思った感想を吐露しながらアレスは後退
接近戦による力勝負は不利と考え、方針を切り替える。
幸いにも狙いが自分一人であることを知っている今、リーゼたちを守る立ち回りをしなくていい。
足枷が一つ取り除かれたことでアレスは機敏に立ち回る。
アレスが一歩踏み込むと、ヴェイグはそれを見てすぐさま銀剣を引き、防御に備えようとするがそれはあまりに遅い。
アレスが踏み込んだ直後、一瞬にして横に回ると急角度で跳び、背後を取った。
光神の使徒としての力を行使したわけではない。単純な瞬発力による移動、それはヴェイグにも視認できる速さだったが、体の反応が追いつかない。
ヴェイグは力こそあれど、瞬発力には欠ける。
だが、長年あの死戦場に身を浸していた老騎士が自身の弱点を知らないわけがない。
銀剣をクルリと逆手に持ち替え、そのまま後ろへ振り上げアレスの一撃を受け止めて見せた。
アレスとヴェイグでは膂力が違う。だからこそできる芸当
その受け止めた瞬間に自身も回転し、順手に持ち替えるとアレスへと拳を放つ。
放たれた拳を、首を曲げアレスは躱すも、ヴェイグがそのまま腕を横に振りアレスの頭を思い切り掴んだ。
凄まじい握力にミシミシと頭蓋骨がきしみだす。
横に飛んだことで頭を支点にして体に横向きの力がかかったまま、下半身が横へ行こうと回りだす。
その勢いを殺し、ヴェイグの腕を掴むと顔面目掛け蹴りを叩きこんだ。
「っ、ぬぅ」
その一撃は予想よりも大きかったらしく、よろめき思わずアレスを掴む手を放してしまった。
解放されたアレスはその隙を見逃さず果敢に攻め込む。
素早い剣捌きで袈裟切り、横薙ぎの二連撃を繰り出した。
ヴェイグは袈裟切りを後退し回避、横薙ぎに振るわれた剣を銀剣で防いだ。
「流石は帝国軍を全滅させた英雄ではないか」
そこには皮肉も込められていたがアレスからの反応はない。
「だが、“弱すぎる”ぞ」
ヴェイグの内包していた魔力が揺らぐ。
直後、ヴェイグが身体強化魔法を発動
アレスがまずいと淡く感じたのと同時、弾かれた鉄剣が砕け散る。
英雄たちが数合切り結んだこととヴェイグが身体強化魔法により跳ね上がった膂力から繰り出される一撃にすでにただの鉄剣では耐えきれる衝撃になく壊れたのだ。ここまで耐えただけでも十分な働きと言えるだろう。
しかし、今この場において武器を失うこととは死に直結する。
ただの人であれば……
「終わりだ。死ぬがいい、絶望の使徒」
身体強化魔法により全ての力が上がったヴェイグの一撃がアレスの腹部を貫いた。
「アレス⁉」
「嘘……⁉」
少女たちの驚きの声が漏れ、騎士たちも英雄が貫かれた瞬間を見て目を剥く。
アレスの腹部から徐々に血が広がり、口から逆流してきた血が零れ落ちる。
誰しもがアレスの敗北を悟る中、相対するヴェイグがいち早く違和感に気づいた。
それは気がかりのような違和感、目に見えてアレスは口から血を流し弱っていた。しかし、それでも、どうしても抱いた違和感を拭うことができなかった。
直後、その違和感が本物だったと知る。
視界の端、そこには砕け散ったはずの剣を変わりなく握りしめるアレスの手が
ヴェイグの騎士としての勘が警鐘を鳴らす。
その瞬間、アレスは予備動作なしに、砕け歪な刃となった鉄剣をヴェイグへと投げた。
真直ぐ目を狙って飛んだ歪な刃にヴェイグは頭を傾け躱そうとするも、反応が数舜遅れたことで古傷を掠めた。
古傷が上書きされ、微かに血が流れるのを感じると銀剣を引き抜き、アレスを蹴り飛ばした。
抵抗なく受け入れた蹴りは見事に傷口へと衝撃を与え、血を飛ばすが痛みは感じない。
蹴り飛ばされたアレスは受け身を取らず地面を転がると土煙の中、ゆっくりと立ち上がった。
服に着いた土埃を掃うことなく、傷口が塞がったことを確認する。
「お前、本当に人間か」
「さぁ、リスティ先生からは人間を止めかけてるって言われたけど」
リスティナの診断通り、アレスはただの人では決してあり得ない脅威の再生能力を有していた。
その結果、あの程度の傷すぐに塞がる。
ヴェイグは姫を目の前にした時のような言い表せない圧迫感を感じた。
観客もアレスの再生能力を見て絶句している。
「だが、お前は得物を失った。その状態でどう戦う」
ヴェイグは自身の無い優勢を語る。
素手のアレスと銀剣を持ち頬の傷以外に傷らしい傷の無いヴェイグ、どちらが優勢かすぐにわかる。
しかし、それはアレスの本来の力を知らない者から見た場合に限る。
「何か武器を」
「アリア、止めておけ」
「ですが、アレスは何も武器を」
「武器なら持っているはず、いや確実に持っている」
レオナルドは自信と羨望が混じった瞳でアレスを見ていた。
アレスは右手を前に出し、使徒剣を召喚しようと今も視ているであろう女神に語りかけようとしたが、女神の名を呼ぶことは出来なかった。
思い出すのはリスティナの言葉
―――あんたこのまま使徒の力を使い続ければ“人間”でいられなくなるよ
その言葉を聞いた時、自分はまだ人間だったのかと内心で自嘲していた。
自分の体は自分が一番よく分かっている。
化け物と何度言われた事か、英雄などという耳障りの良い皮をかぶせたところで根幹は決して変わることはない。
どうせ、どれだけ足掻こうと自分はもう人間でないのだからと、ダンジョンで高潔な騎士たちと戦った際はどうにでもいいと再び使徒剣を握った。
しかし、まだ自分の中で人間である部分があるのならば、まだ間に合うのか
そう、久しく感じていなかった迷いを抱く。
だが、その迷いもすぐに消える。
アレスに残されたのは空虚だと思い込んだ心のみ
今のアレスにはその迷いすら、只の虚構にすぎないと判断してしまう。
「やっぱり俺には分からない」
そう静かに呟くと、利き手である右手を下げると左手を前に出した。
「来い、宵闇」
その呼びかけはアレスから片時も離れることのない闇の中に沈む。
「ぁぁ、やっと呼んでくださいましたね。主様」
途方もない歓喜に打ち震える声
空が闇で覆われた。
比喩ではなく、文字通り一瞬にして夜闇へと変貌した。その次の瞬間、女神が僅かな苛立ちを覚え、夜闇を光で掃った。
禍々しい気配が場を支配する。
少女たちは威圧に震え、騎士たちは頬を引き攣らせ自分たちは攻撃されないと分かっていながら警戒態勢
帝国の英雄と謳われたヴェイグでさえ冷や汗を禁じ得ない異常な闇の奔流がアレスの眼前で溢れ出す。
闇の奔流が消え、アレスの左手に握られるのは漆黒の鞘に納められた一振りの刀
刀からは禍々しい気配が漂い、本来なら美しい漆黒も、今は不気味にしか思えない。
そして何よりも刀が現れたのと同時、姿を見せた一人の幼子
歳は十歳程度だろうかその幼子の女子は、しかし、幼子とは思えぬ美貌と迫力を持っていた。アレスの握る刀のさやと同様に美しい漆黒の長髪を背中にかかるくらいまで伸ばす。漆黒の双眸には強い歓喜を宿し、この国では珍しい黒の着物を身につけ、華奢な腕をアレスの首に巻き付け後ろから浮きながら抱きしめていた。
そこにいるようで、そこにいない。しかし、その存在感は本物、神にも負けずとも劣らない存在感を見せつけていた。
その幼子の名は宵闇、アレスの最初の友であり最も長く過ごした唯一無二の人、そして災厄と呼ばれる『三大呪刀』が一刀『呪刀宵闇』だった。
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