使徒剣サンティレイト
「はぁ」
化け物は溢れ出る力の余韻に浸る。
魔粉を取り込み魔人となったランドルフには世界が今までよりも輝いて見えた。溢れ出る力から感じる全能感、あれほど苦しめられた人形は今や傷を負い床で這いつくばっている。
ランドルフは無造作にアレスの腕を掴み、自分の目線まで上げた。
生気を失った虚無の瞳からは何も感じることはできない。生きているのか、死んでいるのか定かではない人形にランドルフは苛立つ気持ちを抑え神罰を執行する。
「水の神ウンディーネに代わり罰を執行する。死ね」
ランドルフは周囲の空気を巻き込みながらアレスの腹部目掛け巨大な拳を叩きこんだ。
「がはっ」
内臓が潰れ、骨が砕ける。アレスは血を吐き大きく宙へ投げ出された。しかし、やはり何も感じていないのか表情を変えず消えかける意識の中、地面に叩きつけられた。
「ぁぁ……」
アレスから吐息のような微かな声が漏れる。まだ生きている。しかし、体の損傷はひどく普通ならいつ死んでもおかしくなかった。
「まだ生きているのか」
ランドルフはアレスの吐息を強化された聴力で聞き取り化け物の顔を嫌悪で歪ませる。
安全地帯を揺らしながらゆっくりと忌々しき人形へと近づいた。
「早く死ねばいいものの。殺された仲間の恨みを晴らすならこの上なく歓迎なのだが、私は人形を痛めつけるよりさっさと地獄へ送って、それを冥土の土産に彼らと同様に神の下へと向かいたいのだ」
ランドルフはこの戦いが終われば自害すると言った。
自分も目の前の人形と同様に化け物となった身、人間の世界では生きていけない。これがランドルフの覚悟、使徒として帝国に尽くした騎士の最後の覚悟だ。
「これで悪が滅びれば帝国民も安心して暮らせよう」
アレスを悪と決めつけ自らが正義と騙るランドルフ
そのあまりに浅はかな考えは感情の無いアレスですら薄れゆく意識の中、過去の記憶を遡り、鼻を鳴らした。
ランドルフの研ぎ澄まされた聴覚はそれを聞き逃さない。
抑えていた苛立ちを嫌悪に滲ませながらすでに動けないはずの人形を睨んだ。
「何がおかしい」
「……俺が…悪…か」
「そうだと言っている。さっさと滅びろ大罪人」
「……確かに………そうかも…な…」
アレスはあの死戦場に置いて敵兵を何万と殺した大罪人、王国では英雄と呼ばれているが、それは単純にアレスの行いを是とし正当化するために呼ばれる称号
英雄という綺麗ごとを取り除けば中から出てくるのはただの大量殺人者、それが英雄の本性、そう捉えているのが帝国だ。故に英雄は帝国では絶望の使徒という蔑称で呼ばれる。
英雄は敵の屍の上に成り立っている。そう考えれば誰もが彼を大罪人と罵るだろう。
だが、物事を広い視野で見ればその考えはあまりに浅はかで愚かだった。
「……正義…は……なんだ…」
「この期に及んで正義を問うか。いいだろう。地獄へと持っていき己の行いを猛省するがいい」
ランドルフは力強く正義を騙る。
「正義とは罪を裁く者だ!お前は大量虐殺という罪を犯した!故に我らにこそ正義がありお前は裁かれるべき悪だ」
その答えにアレスはもう一度鼻を鳴らした。
「何がおかしい!」
「おかしいさ…大量虐殺が……罪なら…俺は裁く側だ…」
「戯言を、死にかけで記憶もまともに見えぬか」
アレスは鮮明に映る過去を思い語る。
「お前たちは…そうやって、自分たちの罪を正当化しようとする」
「罪だと」
「お前らは、いったい何人の王国兵を殺した…お前らは一体何人の罪人を生贄として差し出した」
大量虐殺が罪というが、帝国兵もまた幾人もの王国兵をあの死戦場で殺している。それが軍によって行われたか、単独で行われたかのほんの僅かな差異しかない。それどころか帝国軍は非人道的な作戦を幾度も実行している。
小数編成での特攻、魔人を軍の一部だと言い張り合法的に命を消費し強力な力を手にし、その軍を持って王国軍と幾度と交戦し血祭りにあげていた。
その際、いったい何人殺したか、それこそ長い戦いの中で数えきれないほどの王国の兵どころか自国の兵すら殺してきた。
それが罪でないと言えようか。
「……俺は、あの戦場で一つの答えにたどり着いた」
あの死戦場でアレスが唯一学び、記憶に刻んだこと
「正義なんてこの世界のどこにもない。あるのは汚い妄言だけだ」
どこか悟った風に語るアレスにランドルフは戦慄した。
正義とは自分の考えを正当化するだけの暴論にすぎない。
正義が必ず勝つ、そんな事当たり前だ。何故ならば勝者こそが正義なのだから。勝てば自分の考えを正義だと騙り、敗者の正義を悪と断定する。それこそが世界の理、アレスが見つけた世界の答えだった。
「だから、この世界は汚い」
心を壊した少年は語り続ける。
「何故、彼らが殺されなければならなかった。何故、あんな戦場が存在する」
アレスの言葉は徐々に熱を帯び早くなっていく。
そこに無感情な人形はいない。
ランドルフは思った。目の前で倒れる少年は感情の無い人形ではない。世界に怒り苦しむ純粋な少年なのだと
しかし、ランドルフの考えなど知らず、感情が無いと思い込むアレスは言葉を続ける。
「答えは単純、世界が汚いから。俺もその汚い世界の一部、血で汚れた化け物だ」
ゾワッと凄まじい寒気がランドルフを襲った。そして自身の目を疑う。
「……何故…何故、お前が立っている」
「言っただろ。俺は血で汚れた化け物だって」
ランドルフの視線の先、そこには無傷のアレスが亡霊のように立っていた。
このありえない状況に混乱する。あれだけの重傷を負っていたのにもかかわらず回復魔法を使わずにこの短時間で完治させることは不可能、いったい何が起きているのか理解できなかった。
「君らは人では無くなったけど、本物の化け物じゃない。本物の化け物っていうのは俺みたいなやつのことを言うんだ」
アレスの言葉にランドルフは本能で、思考で、理性で、全ての感覚で理解させられる。目の前に立つ少年が正真正銘の化け物であることに
「来てるんだろ」
化け物は虚無に向かって語りかけた。
すると周囲がとてつもない力を持った光に満たされていく。
「な、なんだ⁉何が起こっている!」
周囲の光がアレスを祝福するかのように彼を中心にして舞い、幻想的な光景を作り出す。
そしていつの間にかアレスの後ろに現れた何者かにランドルフは視線を奪われた。
その存在は光の集合、人の形をしているが本能でそれが人でないことを告げている。自然と足がすくみ今すぐこの場から立ち去らねばと体中の全細胞が警告を促す。
人の形をしたそれは美の集合とでも言おうか、この世のものではない美しさを有した女性、絶世の美女と謳われるものですら裸足で逃げだすほどの美を持つ存在
その女性は肩まで伸ばされた艶やかな金髪を持ち、スラリとした均一のとれた体に幻想的なドレスを纏い、悲しそうに目を伏せていた。とても儚げな印象を持った表情にランドルフは今にも目の前の女性に何もかも差し出したい衝動にかられた。
そんな人を狂わせる魔性の、いや、神性の女にアレスは語りかける。
「力だけ借りるぞ。ルーミュ」
アレスから告げられた女性の名にランドルフは自身の耳を何度も疑った。
「ルーミュ、だと……」
ルーミュ、それはレンシア王国で信仰される光の神の名。最速の神にして美を象徴する女神。
神は本来、人の前に姿を見せない。使徒として選ばれたランドルフでさえ信仰するウンディーネの姿を見たことが無い。にもかかわらず、女神は使徒の呼び声に応え現れた。その事実がランドルフに天をひっくり返すほどの衝撃を与えた。
「———」
ランドルフには聞き取ることの出来ない言葉をルーミュは悲しそうに紡いだ。
「ああ、知ってるさ。だけど今さらそんなこと関係ない」
信者が聞いたら罵倒を浴びせるであろう言葉遣いだったが、ルーミュは唯々悲しそうに目を瞑り小さく何かを呟くと忽然と姿を消した。
「そうかい……我“真なる使徒”アレス」
アレスは遠くを見ながら呪文を唱えだす。
「光神ルーミュの名の下に神敵の排除を果たさん・召喚・使徒剣サンティレイト」
アレスの前で直視できないほどの強烈な光が瞬いた。
ランドルフは腕で光を遮り、視界を隠した。そしてしばらくすると光が消え、元の薄明かりへと戻る。
そんな薄明りの中、一際存在感を際立たせる一振りの剣があった。
その剣は純粋な光によってできていた。淡く部屋を照らす純白の光剣、そこに内包されるエネルギーは凄まじい。
「これは使徒剣、“本物の使徒”だけが行使できる神の力そのもの」
アレスは宙に浮くその剣にそっと触れた。
「君たちが神の力と言って使っている使徒の力は神から与えられた小さな加護でしかない」
使徒とは本来、神の使いにして現世における神の代行者、世界にただ一人しか存在することが許されない“神の力”を行使することが許された特別な存在。そんな存在がこの世に複数いるわけもなく、一般的に使徒と呼ばれるのは神からその力の欠片である加護を受けた者たちだ。
いつから加護を受けただけの者を使徒と呼ぶようになったかは定かではない。しかし、それが世の常識となり、神と話さなくてはその事実を知る由はない。故にアレスは語る。
「分かるだろう。この化け物の力が」
自らが有り余る力を行使できる化け物だと自覚し、人の世から遠ざかっていた化け物がもう一度その力を手に取る。
アレスの体に本物の力が流れ込む。
「さぁ、終わりにしよう」
瞬間、音もなくアレスの姿が掻き消え、そこには光の残滓のみ残されていた。
ランドルフの研ぎ澄まされた五感でもその姿を知覚することは叶わず、慌てて周囲を見渡した。しかし、どこにもアレスの姿はない。一体どこへ消えたのか、ランドルフが次の行動に出ようとした時、不意に全身の毛が逆立った。
ランドルフは前方に大きく跳躍しながら振り返る。
「……」
振り返った先にいたのは黙ってどこか遠くを見つめるアレスだった。
アレスはだらりと手を下げ自然体で立っていた。一体何がしたかったんだと疑問を抱きながらもランドルフは隙を探ることのみに集中する。
前傾姿勢になり攻撃のチャンスを窺う。
今のアレスは隙だらけ。しかし、このまま突っ込めば死ぬと研ぎ澄まされた本能が告げていた。
ではどうするべきか。加速する思考を巡らせているとアレスがゆっくりと視線を向けてきた。
「言ったはずだ。終わりにしようって」
瞬間、ランドルフは倒れた。正確には倒れたのではなく膝から下を切られ、落ちたという表現が正しいだろう。
ランドルフは一瞬何が起きたか理解ができなかった。しかし、徐々に自分が切られたことを自覚すると、みるみるうちにぴんと張っていた耳が元気をなくした犬のように垂れだし、知覚できない強大な力に恐れを抱いた。
アレスの手から使徒剣が光の粒子となって虚無に消えていく。その姿からは言外に決着はついたと言われているようだった。
それがいかに仲間の仇討ちを誓いアレスに罰をあたえるべく命を賭して戦ったランドルフにとって屈辱的だったか言うまでもない。
「まっぁ………」
声が出なかった。
ランドルフの体がいつの間にか下半身から灰になっていた。アレスの言う通りすでに戦いは終わっていたのだ。
その事実に気づきランドルフは張り詰めていた心が晴れていくのを感じた。
負けたのだ。自分たちの仇討ちは本物の使徒の前で儚く終わった。きっと王国で自分たちの行動は笑い話として語り継がれるだろう。英雄の命を狙い返り討ちにあった阿呆共、と
ランドルフは自嘲した。
「お前たちは俺が絶望の使徒として倒した」
そうだな、と心の中で返事をする。どんな罵倒でも受け入れようとランドルフは腹をくくった。一体何を言われるのか
「だが、そんな事実はなかった。単純に未知の魔物が生徒を襲い、アレスという一生徒がそれを命懸けの死闘を経て討伐した」
その言葉に何度目になるか、耳を疑った。声が出たのなら何を言っているんだと聞き返していただろう。
「もっといい筋書きがあったかもしれない。だが、俺にはこれくらいしか思い浮かばない。せめて俺だけでもお前たちが勇敢な騎士であったことを記憶しておこう」
理解が追いつかない。ランドルフの思考は得体のしれない不思議な少年に全て奪われた。
一体アレスとは何者なのか?
絶望の使徒か?王国を勝利に導いた英雄か?強大すぎる力を持った化け物か?いや、そんな言葉では目の前の少年を言い表すことはできない。ランドルフはアレスの瞳を見て確信した。
ランドルフへと向ける瞳には悲しみと後悔が宿っていた。
自分で殺しておいて後悔し、その死を悲しむ心、紛れもなく少年の心は壊れていた。しかし、それは感情が無くなったわけではない。本来持つ心が歪んでしまったのだ。
ランドルフは力なく清々しい笑みを浮かべた。
こんな人物を殺そうとしていたなんて本当に笑える。あの死戦場で最も被害を受けたのは帝国軍でも王国軍でもない。未来ある優しい、目の前にいる少年だった。
少年があの死戦場で何を思い、何を目指して戦ったのか、ランドルフには分からない。それでも少年が徐々に心を歪ませていったことだけは分かった。
ランドルフは先に逝った仲間たちへと、俺たちが戦ったあの少年は絶望の使徒なんかじゃない。あの戦場で最も優しく、純粋な人間だったと伝えよう。そう心に誓った。
それがあの戦場を駆け抜けた大人としての責任だった。
声が出ないのが悔やまれる。
ランドルフは最後にこちらをじっと悲しそうに見つめるアレスの瞳を焼き付け消えていった。
ランドルフだった灰が外から吹き抜ける隙間風に乗って僅かに舞う。
「終わった、か」
アレスはランドルフの遺灰へと近づく。
そして遺灰の中から一振りの騎士剣を取り出した。その剣はランドルフが使っていたもの、アレスが記憶した勇敢な騎士の剣だった。
天へとかざし、薄明りの中その剣を見てそっと呟く。
「いい剣だ。本当に」
アレスは近くに転がっていたその剣が納まるべき鞘を拾い、そこに剣を納めた。
ここに一つの戦いが終わりを迎えた。それはあの薄汚い陰謀渦巻く死戦場の延長線、しかし、その戦いは決して汚くない。勇敢な騎士たちが仲間たちの仇討ちを果たそうとした高潔な戦い。互いを理解しなかったが故に起きた悲しき戦い。
勝者は一人、大罪人と呼ばれた少年が唯々呆然と敵の遺品を眺める。
本当にこれが正しかったのか分からず、悩み、感情の光を消す。
「やっぱり、分からない」
英雄の呟きが虚無へと消えていった。
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