哀れな苦労人
翌日、アレスは昨日と違ってカバンに教科書とカレンに用意してもらったお弁当を入れ学院へと向かった。
「いってきます」
「気を付けてね」
こんな何気ない挨拶に森で暮らしていた時には感じなかった感情が溢れてきた。それがアレスには無性に気持ちよかった。
昨日と同様に裏道を通り大通りへと出ると昨日よりも同じ制服を着た生徒が多かった。昨日は入学式ということで新入生と在校生では登校時刻が違ったのだ。
アレスは特に寄り道することなく真直ぐ学院へと向かった。その道中で色々なお店が準備のために商品を出しているがアレスが興味を示すことはない。
「今日は迷わない」
学院に着くとそんなくだらない誓いをたて教室へ向かった。
当然、迷うわけがなくあっさりと教室にたどり着いた。それに対して達成感はなく、ただ何をやっていたのだろうという虚しさだけが心に残った。
そんな風にちょっと自分の意味不明な考え方を疑問に思いながら教室に入ると騒がしかったはずの生徒たちが一斉に静まり返った。
「……」
全員がアレスに畏怖の視線を向けていた。アリアだけは何故かジト目を向けていた。
流石のアレスでもこの変化には違和感を覚えゆっくりと一番奥の席へと座る。
「ねぇ、何かあったの」
隣に座るアリアへと尋ねると呆れからくるため息を吐かれた。
「あなた、リーゼと喧嘩したらしいじゃない」
「喧嘩?」
「そうよ。二人で言い争い始めたかと思えば無言で圧を放ちながら廊下を歩いてたって、もうこの学年では話題よ」
二人にとって喧嘩ではないのだが、周りはそう捉えなかった。そのせいでアレスはこの学年で王女に平気でたてつくやばい奴という不名誉なレッテルを貼られていた。入学二日目にして問題児扱いだ。
「解せない」
アレスは不満をあらわにムッと顔を顰める。
「自業自得ね。特にあなたがあんな模擬戦を見せるからさらに噂が独り歩きしてるのよ」
昨日のカムとの一戦もアレスのこの評価に繋がっていた。
「すごいわよ。命知らずの強者だとか平民を装った上流貴族の隠し子、果てには裏世界を牛耳る悪の親玉なんて噂もあるわ」
アリアはここまでに聞いた噂のうち選りすぐりの物を語る。
「それって」
「あなたのことよ。たった二日で有名人ね」
根も葉もない噂だった。特に裏世界を牛耳る悪の親玉はどういう発想をすればそこに行きつくのか不思議でならなかった。
「ん?有名人、僕が?」
「さっきからそう言ってるじゃない」
アレスは頭を抱えた。せっかく英雄だとばれないようドランに配慮してもらったのにもかかわらず自ら目立ってしまった。生徒に英雄であることはばれないだろうが、その親ともなれば話が変わってくる。
特に貴族となれば厄介でしかない。調べても決して分からないのに徹底的に調べてくるだろう。そうなれば情報を秘匿している王家が非難の的となる。それは避けねばならない。恩を仇で返すことだけはあってはならない。
これからは絶対に目立つようなことはしないと心に強く誓った。
「おはようございます」
アレスが誓いをたてていると、いつの間にかリーゼロッテがやってきていた。
「あ、おはよう」
「おはよう」
「皆さん、どうかされたのですか。妙に静かですけど」
リーゼロッテもこの教室内の違和感に気が付いた。
「主にあなたたちのせいね」
「私たち?……ああ、なるほど」
少し間をおいて理解する。リーゼロッテも王女だ。事情を知る者として何か策を講じなくてはならないことくらい分かった。そこで
「そういえば、アレスは遠方の出身でしたよね」
急にそんな話題を振り始めたリーゼロッテに困惑すると目で
『話を合わせてください』
と訴えかけられる。アレスはそれに乗ってみることに
「そうだよ」
黙っていた生徒たちが二人の会話に耳を傾けた。
それを横目で確認したリーゼロッテはごく自然な動作で両手を合わせうっとりする。
「遠い国、そう聞くだけでときめきます。いつか、どこか遠い国に行くのが夢でしたので」
「それなら、今度うちの国に招待するよ」
平気で嘘を吐くアレス
「まぁ、ありがとうございます」
リーゼロッテの言葉によりアレスは王族と対等に渡り合うことのできる遠い国の王侯貴族という設定になった。アレスの髪色はこの国では珍しい漆黒、遠国の人間だと言われてもなんら違和感はない。この設定により必然的にアレスへの不用意な干渉ができなくなった。自国の者ならばなんとかなるが他国の者となると下手に干渉してしまえば国際問題に発展しかねない。
この牽制は正解だ。
リーゼロッテの性格を知っていて、アレスの言っていたことが矛盾していることに気づいたアリアだけは胡散臭そうに芝居を眺めていたが、他の生徒たちはその言葉を信じたようだ。これで噂はこの話一択となるだろう。
「あなたたちがなんで喧嘩していたかよく分かったわ。同族嫌悪ね」
呆れたように口ずさむ。リーゼロッテもそうだが、それにすぐに話を合わせたアレスもよっぽどだった。
「喧嘩じゃありませんよ」
「日常茶飯事だね」
「よっぽどじゃない」
そんなやり取りをしていると授業開始のチャイムが鳴り響く。だが、未だ教壇にはカムの姿はない。ばれてもめげずに奔放教師を演じてるなぁと二人してカムの真面目さを尊敬する。
それから約十分後、ようやくカムが教室に入ってきた。
「わりぃ、わりぃ、ちょっと寝坊して遅れたわ」
昨日よりも乱れた服装と髪型、それに加え眠そうな表情、真面目に奔放教師を演じている。
「えっと一時限目は……歴史か」
いきなりの座学でやる気をなくす奔放教師、同時に生徒達のやる気も失われる。
「えっと」
カムがこのまま真面目に奔放教師を演じようとしていると不意にリーゼロッテと視線が合った。そしてリーゼロッテが手に持っている一枚の紙に視線が移る。
『奔放教師を演じるのは構いませんが授業くらい真面目にやってください。でないと……』
そう書かれてあった。
それを読んだ途端、胃がきりきりと痛くなりすぐに姿勢を正し授業を始める。授業をちゃんとやらなければどうなるか書かれていなかったことが余計に怖い。
「えぇ、授業を始める。今日は基本的なことしかやらないから教科書は必要ないぞ」
いきなり真面目に授業を始めようとするカムを見て生徒たちが信じられないもの見たように目を見開いた。
そんな生徒たちの事は気にせず保身に走る苦労人
なんと哀れなことか




