虚無の英雄
レンシア王国北方、国境付近にある広大な平地
そこは死と常に隣り合わせの暗雲立ち込める死戦場、数十年続く戦争の舞台だった。命の価値が限りなく低く毎日のように殺戮が行われている。
血の匂いが漂い続け、兵たちの心を蝕む。空には黒い煙と共に悲鳴が虚無に消えていく。そこは地獄と形容するのにふさわしい死戦場だった。
そんな死戦場を駆ける一筋の光と闇
光は兵を魅了し鼓舞する。闇は敵を切り裂き、命を奪う。
「ば、化け物⁉」
強大な存在を前にして誰かがそんな言葉を口にした。
やがてそんな希望と絶望を併せ持った存在が、とある部隊の目の前で止まった。
「ひ⁉」
「こ、子供?」
光が消え、姿を現したのは十二、三歳ほどの幼い少年だった。
少年の軍服は原型が分からないほどにボロボロで返り血が所々に染みついている。
そして何よりも兵たちが恐れたのはその瞳、幼い少年には似つかわしくない虚無の瞳、全てを否定するような冷めた瞳だった。
少年はその瞳で部隊を一瞥する。たったそれだけの事なのに部隊の者たちは蛇に睨まれた蛙のように一切動けなくなった。
「敵、か」
少年がつまらなそうに呟くと抵抗する暇さえ与えず闇が部隊を呑み込んだ。
そして神々しい光を纏い、また戦場を駆ける。
敵兵を見つけては作業のように闇で切り裂き、命を奪う。そしてまた光の速さで戦場を駆ける。その繰り返し。
少年の瞳は何も見ていない。
ただそれが、自然の摂理であるように敵を殺していく。
敵は戦意を失うもの、命乞いをするもの、発狂するもの、様々だ。
しかし、その誰にも理解することの出来ない圧倒的な暴力の前に誰もが等しく命を散らしていった。
やがて、そんな光景を見ていた一部の味方までもが少年に畏怖を覚え始める。
「………蹂躙」
遠くで見ていた兵がそんなことを呟いた。
兵たちの目の前で起きているのは戦争ではない。一方的な蹂躙だった。長く続く戦争の歴史で非人道的な殺戮が行われたことはあるが、ここまで一方的な蹂躙は行われたことはなかった。
地獄をより酷く、おぞましい光景にしているのが、まだ幼い少年が行っていると思うだけで兵たちは震えを抑えられなくなる。
「お前ら!ビビってんじゃねぇぞ!俺らも今から行くんだよ!」
あちこちに細かい傷がついた銀色の鎧に身を包み、ツーブロックに切られた茶髪、豪快に大剣を肩に担ぐ歴戦の猛者という風貌の大男が兵たちに活を入れた。
「ですがドラン団長、この戦場で我々にできることはありません」
前に出た一人の意見に同調するように他の兵たちも口々に傍観の意志を伝えた。だが、ドランはそれを許さない。
「お前ら、揃いも揃ってなんだ!お前らは王国騎士団の騎士だろうが!それがたかが子供に怯えて全部任せるなんざ、騎士の名が聞いて呆れるぜ」
ドランが挑発するも騎士たちはただ俯くだけで誰も戦場に出ようとしない。
「ちっ」
ドランは小さく舌打ちをすると頭を大きく掻いた。
分かっていた。自分たちが行ってももうどうしようもないと。だが、この戦場をあの幼い少年に任せ、自分たちはその成り行きを見守ることを己の良心が許さなかった。
「くそ!」
吐き捨てるような言葉と共にドランは大剣を振るい落とした。衝撃波と共に地面に小さなクレーターが出来上がる。
今もなお、戦場では光と闇が駆け巡り、大量の命が失われていく。それを見ていることしかできない自分の不甲斐なさから体が小刻みに震える。
「だ、団長」
「なんだ!」
「ひ⁉」
一人の団員が話しかけたが振り向いたドランの表情があまりにも恐ろしく思わず小さく悲鳴を上げてしまう。
「気持ちは分かりますが、今は落ち着いてください」
同じく王国騎士団の副団長である知的な青年に咎められドランは呼吸を整え、表情も戻していく。
「すまん、それでなんだ」
「光が少なくなっていきます」
「何?」
ドランはすぐに戦場へと目を向けた。
すると先ほどまでの神々しい光は段々とか細くなり、闇もまたその禍々しさを落としている。
戦闘が終わった。
「迎えに行くぞ!お前ら、ついてこい!」
ドランはいち早く少年の下へと駆ける。他の騎士たちもまた慌ててドランの後に続く。
ドランたちが駆ける戦場には、一切の命の息吹が存在しない。闇に飲み込まれたせいか死体が一切ないのにもかかわらず漂う死臭、そしてあちこちに広がる血の海、所々で火の手が上がる光景はまさしく地獄絵図
「うっ」
この死戦場に着任したばかりの騎士には堪えきることができない吐き気を催すようなその光景に、ドランは見向きもせず唯々少年のいる場所へと駆ける。
しばらく走ると見えてくるのは何もない空間。そこには空を見上げ、静かに立っている一人の幼い少年
「ア………」
ドランは少年の名を叫ぼうとするが声が出なかった。いや、声を出すことが許されなかった。
幼い少年のいるその空間だけ神聖さを持ち、周りと隔絶された空間に見えた。それは他の騎士たちも同様
漆黒の長刀をだらりと右手に提げ、白かった軍服はボロボロで自身に着いた返り血や、漂う死臭を気にもせず、ただ虚無の瞳で空を覆い隠す暗雲を見る。
「……何も……分からない」
少年はそう静かに呟いた。
やがて暗雲にぽっかりと穴ができ、天から零れた光が少年の虚無を嘲笑うかのように照らし出す。
「……“俺”は……“僕”は…何がしたかったんだろう」
左手を天へと掲げ、何かを探るように動かした。しかし、その手は決して何も掴むことはできない。
この日、長年続いた悲惨な戦争はたった一人の英雄の手によって幕を閉じた。
そして戦争を終結させた英雄は畏怖を込めて、いつしかこう呼ばれることになる。
絶望の使徒、と
新作です。こちらは毎日投稿していこうと思うので、気に入っていただけたのならブックマーク登録、評価のほどよろしくお願いします。
今日は後二話投稿する予定です。