07:火遊びは程々に(1)
「ハミルトン様は極めて普通のご子息ですね。名家の一人息子、すべてにおいて秀でることも劣ることもない、平凡の域を出ない男です」
些か辛辣気味なエドワードからの報告に、シャロンは紅茶を飲みつつ「ふぅん」とだけ返した。
場所はアルドリッジ家の庭。その一角。今日もまた麗しく、夕刻前の一時を快適に過ごしている。
四方を薔薇の垣根で囲いアーチを唯一の出入り口とするこの一角は、人目にも付きにくく、そして外部にも声が聞こえにくい。
そんな空間の中央に置かれたテーブルセット。椅子が三脚あるが今はシャロンだけが座り、エドワードは給仕として横に立っている。
「問題点を挙げるなら、女性関係の緩さでしょうか」
「女性関係の緩さ?」
「火遊びに興じてしまう性格のようです。クラリスという婚約者がいるのですが、格下の家の令嬢なので彼の火遊びを咎められずにいるのでしょう」
「婚約者がいるのに他所の女に手を出すの? 呆れた」
「それも、年上の女性や既婚のご婦人を狙う傾向にあるようです」
エドワードが淡々とした口調で話す。
彼が手にしているのは長く愛用している手帳だ。上質の革を使っているらしく、年季は入っているが傷みや汚れはない。むしろ使い込んだ傷みが渋みをだしている。
ハミルトンの調査を命じてから今日まで、秘密裏に身辺調査をして手帳に書き込んでいた。彼は庭師ではあるが、そういった裏方の仕事も必要とあらばこなしている。――庭師も裏方と言えば裏方な仕事である。この場合、裏の更に裏とでも言うのか――
もっとも、ハミルトンは調べ上げるほどの男ではない。どこにでもいる、些かやんちゃが過ぎる子息だ。おかげで調査も簡単に終わったらしく、「知りたくもないのに狙う女性の傾向まで分かりました」とエドワードが冗談めかして手帳を閉じた。
「あの夜会から、五日連続でハミルトンから花と手紙が届いてるの。まめな男ね」
溜息交じりに話し、シャロンはテーブルの上に置いた手紙を手に取るとひらひらと揺らして見せた。
うっすらと薄く花柄の箔押しがされた上質の手紙。便箋も封筒も同柄で揃えられており、それに合わせた花も一緒に届いた。
なかなかお洒落で気が利いているではないか。
「これは良い手段だからフィルに教えてあげたのよ。そうしたらあの子ってば『女性を落とす手腕を母親から教わるのは複雑』って言って耳を塞いじゃったの」
「フィル様は純情でいらっしゃいますから。ですが花でアピールというのは良さそうですね、私も倣ってみましょうか」
エドワードが楽しそうに笑い、アーチに飾られていた赤い薔薇を一輪手折った。
次いでティーソーサーにそっと添えてくる。今日彼が用意したティーセットは薔薇柄、美しい絵柄の薔薇と生花の薔薇がシャロンの手元に並んだ。どちらも赤く、美しい。
「いかがでしょう?」と尋ねてくるエドワードの声はどことなく得意気だ。
だがシャロンはそれに対して何を冗談をと笑ってすませた。エドワードも傷ついた様子はなく、冗談交じりに「つれないですね」と笑って肩を竦めるだけだ。
「とにかく、ハミルトンは私にお熱ってことね。火遊び好きの凡百な子息なんて眼中にないけど、好意を抱かれて悪い気はしないわ」
「ですが聞いた話では、ハミルトン様は熱しやすく冷めやすい性格でもあるようです。とりわけ女性関係においては、女性との情事よりも手に入れるまでを楽しんでる節があります」
社交界に生きる男達はどうにも不埒な者が多く、愛人を囲う者も少なくない。跡継ぎを決める段階で隠し子が現れて揉める、なんて話も時折あがるほどだ。――さすがにデリックのように隠し子が山のように現れる……というのは聞いたことが無いが――
若気の至りで多少のやんちゃは当たり前、女を囲うのは男の甲斐性、と考えている節がある。己の不誠実さを栄光のように語るなど、馬鹿馬鹿しい話だ。
フィルを見習ってほしいわね、とシャロンはハミルトンからの手紙を睨みつけた。
火遊びに興じるハミルトンと違い、フィルは誠実そのもの。特定の相手はまだ居ないようだが、誰に対しても紳士な対応で女性からの評価は高いと聞く。
フィルが見つけるか、もしくはシャロンが親として彼の縁を繋ぐかは分からないが、結婚すれば相手を一途に想い大事にするだろう。
愛人だの隠し子なんて作るわけがない。
……というより、万が一にそんなことを仕出かしたらシャロンとレイラが許さない。
――のちにエドワードがこの話をフィルにしたところ、彼は分かりきったことをと言いたげな表情で「女性を杜撰に扱うなんて怖くて出来ないよ」と告げたという。もちろんこれはシャロン達には秘密である――
そうしてしばらく雑談交じりに話し、さてとシャロンが立ち上がった。
「今夜はハミルトンにディナーに誘われてるの。殿方とのディナーなんて初めてだから楽しみだわ」
準備しなくちゃ、とわざとらしく弾んだ声を出す。
もちろんハミルトンとの食事が楽しみなわけではない。ただ15年ぶりに得た自由を謳歌し、貴族の女性としてのディナーを体験してみたいだけだ。
素敵な一時、というもの自体に憧れがある。
そこに男からの口説き文句が加われば猶のこと良い。
「私だって女として楽しみたいわ。皆がディナーを楽しんで素敵な一時を過ごしている間、私はフィルとレイラに夕食を食べさせるのに苦労していたんだもの」
「フィル様もレイラ様も今では好き嫌いなく食事をしていますが、昔は嫌いな物を口にすると吐き出していたそうですね」
「飛距離はレイラの方があったわね。あの子、時々にんじんを窓から噴射してたのよ」
あの噴射の勢いは凄かった……と、昔を懐かしんでシャロンが目を細める。
それほどまでに、子供に食事を取らせるというのは大変なのだ。
片方を食べさせている間に片方が零し、それを片付けている間にまた一方が零す。ようやく口に入れてもう一人……と隣を見た瞬間、勢いよくニンジンが噴射される。さすがにメイド達が手伝ってくれていたが、それでも子供の食事は主にシャロンの仕事だった。あまりに大変で、噴射されたニンジンを探す暇もない。
「私がアルドリッジ家にお仕えし始めた時には、さすがにレイラ様もニンジンを噴射……いえ、吹き出してはいませんでしたね。一度で良いから、窓から飛んでくるニンジンを見てみたかったものです」
「あれは切ない光景よ。エドワードが仕え始めた頃は、どこで知恵をつけたのか、嫌いな食べ物が出ると横流しするようになったのよね。食べられるようになるかと思ってわざわざニンジンのクッキーを焼いたのに、あの子ってば配り歩いちゃうんだもの」
「懐かしい。ニンジンのクッキーは私も頂きました。『エドワードのために焼いたのよ!本当よ!』と言いながら押し付けて走っていく姿は今も覚えています」
懐かしさにシャロンとエドワードが揃えて笑みを零す。
彼もまた少年と言える若さでアルドリッジ家の庭師になり、その頃からレイラとフィルの成長を見守っているのだ。走り回る双子を追いかけるシャロンの姿を幾度となく見て、そして時には一緒に追いかけてくれた。
だがそんな大変な育児も、なんとかやり終えた。当然だがレイラもフィルも一人で食事が出来るし、マナーも完璧だ。ニンジンを噴射することもなければ横流しもしない。
「あの子達と食事をするのが一番だけど、たまには遊んでも許されるでしょう」
「程々になさらないと、フィル様に怒られますよ」
「あら、母親だって女なのよ。素敵なディナーで口説かれれば、火遊びと分かっても火種になりたくなるわ」
上機嫌で笑い、シャロンが薔薇の一角を出るためアーチへと向かう。
そろそろ日が落ちる頃だ。夕刻にはハミルトンが迎えに来る予定なので、それまでに出かける準備をしなくては。
ドレスと、戻りが遅くなるなら冷えない様にストールも必要か……。
そんな事を考えつつ、「それじゃ」とエドワードに一言残して、シャロンがアーチを潜ろうとした。
その瞬間、
グイと腕を掴まれた。
驚いて振り返れば、シャロンの赤い髪が揺れる。それと右耳に飾られた薔薇のイヤリングも。
「エドワード……?」
咄嗟のことに驚きを隠せず己の腕を掴む人物の名を呼べば、彼はらしくなく紫色の瞳を鋭くさせていた。
夕刻前のまだ明るいこの時間帯、彼の漆黒の髪は一足先に夜が来たように色濃く暗い。
「ねぇ、どうしたの。エドワード」
何かあったのか、そう尋ねれば、表情を硬くさせていたエドワードがはたと我に返ったように肩を揺らした。
次いで浮かべるのはいつも通りの、爽やかで愛想の良い、庭師にしておくには惜しい笑顔だ。あっさりと手を離し、軽く頭を下げる。
「虫が飛んでいましたので、蜂であればシャロン様が刺されかねないと思い咄嗟に掴んでしまいました。驚かせてしまい申し訳ありません」
「そうだったのね。花が咲いてるんだもの、虫が寄るのも仕方ないわ」
気にしないで、とシャロンが告げる。
そうして彼を置いて、アーチを潜って去っていった。