06:華やかに渦巻く社交界
デリックが無節操に女性に手を出していたことなど、社交界に生きる者なら誰だって知っている。シャロンは一度としてその対象にはならなかったが。――考えただけで寒気がする――
今更隠し子が現れたところで傷つくわけがない。
蒔いた種が実り、育ち、そしてデリック亡きあとに少しでも利を得ようと考えてアルドリッジ家に集っただけのこと。
その人数の多さと言ったらなく、エドワードを筆頭とした使い達の調査の末に半数近くとなったが、それでも『山のように』と言える人数だった。
嫌悪も呆れも超えて、もはや見事と言える。
デリック・アルドリッジに対して好意も尊敬も一切抱かないが、生涯現役を貫いた彼の生殖能力の高さは認めざるを得ない。
それを話せば、レイラが眉間に皺を寄せて「気持ち悪い」と呟いた。
年頃のレイラにとって、デリックの行動は女性としての嫌悪感も強く抱かせるのだろう。
「最低な男だわ。そんな男が私の父親だなんて……」
「レイラ、馬鹿なことを言わないで。貴女はデリックの娘じゃない、私の娘よ」
シャロンが彼女の肩を優しく擦り、それだけでは足りないと抱きしめた。
シャロンとレイラの身長差は今では殆どない。むしろレイラの方が身長が高いかもしれない。手足も長く、スラリとした体つきが魅力の一人前の女性だ。
「何度注意しても噴水で水遊びをしていたお転婆なレイラも、気付けばこんなに立派な淑女になって……」
「お母様……」
「この会場をどれだけ見回しても、貴女より綺麗で愛らしい令嬢はいないわ。でも気を付けてね、麗しい花には悪い虫がつきやすいのよ」
娘の女性としての成長を実感するからこそ、同時に不安も抱く。
気を付けてと念を押せば、レイラが穏やかに笑った。
次いで彼女がチラと横に視線をやる。つられてシャロンも視線を向ければ、遠目でこちらを見つめてくる男の姿が見えた。
シャロンと目が会うと、まるで『呼ばれた気がした』とでも言いたげにこちらに近付いてくる。
穏やかな笑み。だが瞳にはどこか熱意的な色が見える。
「お母様こそ、悪い虫に気を付けて」
「そうね。でも今まで子供らしい遊びをしてこなかったから、虫取りに興じるのも悪くなさそう」
レイラの言葉に、シャロンが冗談交じりに話す。レイラも冗談と分かっていて楽しそうだ。
フィルが溜息をついて肩を竦め「ほどほどに」と忠告してくる。対してエドワードは相変わらず見目の良い笑顔を浮かべ、歩み寄ってくる男の背後に何かを見つけ「おや」と声をあげた。
男の背後からこちらを見つめてくるのは一人の令嬢。愛らしい顔つきだが、その眼光はらしくなく鋭い。ギリギリと歯ぎしりさえ聞こえてきそうだ。
「シャロン様、これは厄介な虫取りになるやもしれませんね」
「そうね。でも、それぐらいじゃないと面白くないわ」
軽く鼻で笑い飛ばし、シャロンは近付いてくる男に対して儚くも美しい笑みを浮かべて彼のもとへと向かった。
◆◆◆
男の名前はハミルトン。そこそこに高位な家の一人息子で、年齢は今年で20歳。
見目も体躯も悪くはなく、さりとて優れているというほどでもない。良く言えば悪印象のない青年、悪く言えば凡百な青年。
そんなハミルトンに誘われ、シャロンは会場へと戻った。
手渡してくれる酒を受け取り、一口コクリと飲む。甘さと酒の苦さ、それにほんのりと柑橘系の香りも漂う、飲みやすく美味しい酒だ。
口に合うかと尋ねてくるハミルトンはどことなく得意気である。彼の意図を察し、シャロンは少し上目遣いで過剰に酒の美味しさを告げ、彼のセンスの良さを褒めてやった。
「貴方に声を掛けて貰えて良かった。こんなに華やかな場は慣れていなくて、どうしたら良いのか分からずにいたの」
「それは勿体ない。みんな、貴女と話をしたがってるのに」
「皆さま気を使ってくださってるのね。でも緊張してしまって、ついレイラとフィルと過ごしてしまうのよ。いつまで経っても子離れが出来ない、駄目な母親だわ」
恥ずかしい、とシャロンが苦笑を浮かべる。
それに対して、ハミルトンは「そんなことはない」と首を横に振った。そのうえシャロンの片手を取り、きゅっと優しく包んでくる。男らしい手だ。
「貴女は母として立派に務め上げた、尊敬すべき方です。そして話してみて改めて、女性としての魅力にも溢れていると知りました」
「まぁ、そんな。女性としてだなんて……」
「今日まで出会えなかったことが惜しいと思えるほど、貴女は魅力的だ……。母の強さと女性の儚さ、どちらも俺を虜にする」
誘うような声でハミルトンが告げる。なんて優雅な口説き文句だろうか。
応えるようにシャロンも熱っぽい瞳で彼を見上げた。だが小さく笑みを零すと、彼に掴まれている手をスルリと引き抜いた。
そうして人差し指でハミルトンの胸元をツンと突く。軽く、まるで指先で遊ぶように。
「……もう、年上の女を揶揄うなんて悪い子ね」
囁くように告げて、唇で弧を描く。
満面の笑みとも違う、さりとて儚さ漂う微笑みとも違う。相手の気持ちを知ったうえで悪戯に弄ぶ妖艶な笑みだ。
ハミルトンが一瞬目を見開いたのが分かった。大方、シャロンの笑みに当てられたのだろう。
シャロンはそんなハミルトンの反応を見て「失礼します」と囁いて彼から離れていった。
ハミルトンが名残惜しそうに見つめてくるのが背中越しでもわかる。
それが分かってもシャロンは振り返ることはせず、真っ赤なスカートをふわりと翻して会場内を歩いた。