04:華やかに眩い社交界
ワトール家はアルドリッジ家程ではないとはいえ、社交界ではそれなりの地位にある家だ。歴史も長く顔も広い。
ゆえに来賓客も多く、ミアに案内されつつシャロンは挨拶をして回っていた。
シャロン・アルドリッジの名前は有名だ。
元よりアルドリッジ家は国内において高位の家であり、社交界で知らぬ者はいない。そのうえ当主デリックが30歳も年下の令嬢を嫁にしたとなれば、同情も兼ねてシャロンの名前は社交界に広がる。
だが実際にシャロンと顔を合わせたことのある者は少ない。
なぜかといえば、夫であるデリックが一度としてシャロンを社交の場に連れて行かなかったからだ。
不誠実の権化のようなあの男は、シャロンに子育てを押し付け、華やかな場に出るときは他所の女を連れていた。愛人だの妾だのといった表現が生ぬるい、その時々に変わる、デリックが気に入った女達だ。
「普通であれば、無礼者と追い出されるような行為よね。でも誰も文句を言えなかったんだから、これぞアルドリッジ家の権威がなせる業ってことかしら」
「当事者のくせにしれっと言い切ってくれるのね。私が何度、他所の女を連れて平然とパーティーに来るデリック・アルドリッジを殴ってやろうと思ったことか」
「良いのよ。あの男と連れ歩くなんて寒気がするもの。それに、おかげで私の希少価値が上がったわ」
クスと笑みを浮かべ、シャロンは他所へと視線を向けた。
周囲の者達がチラとこちらを窺い、それとなく近付いてくる。誰もがシャロンに興味を抱き、そしてミアに紹介して貰おうと考えているのだ。
なにせアルドリッジ家の哀れな未亡人。
本来であれば社交界の中心にいるはずが、今日まで華やかな場に現れなかった。たとえるならば、長くワインセラーに保管されていた高級ワインとでもいったところか。
そのうえシャロンは美しさと品位を持ち、さらに未亡人という切なく儚い魅力もある。注がれる興味の視線の中、男からの視線はどこか熱っぽい。
「見て、みんなが私を見てるわ。ただの名家夫人じゃこれほどの注目は浴びれないわね」
「そうね。片っ端から紹介してあげるから、好きに楽しんでちょうだい」
「ありがとう、持つべきものは友達だわ。……あら」
ふと、シャロンは一角に視線をやり、覚えのある顔を見つけて言葉を止めた。
興味深そうにこちらを見てくる面々の中、彼等の視線はどこか毛色が違う。ギラギラと光り相手を不躾に見定める、気色の悪い熱意が込められた視線だ
「懐かしい」とシャロンは小さく呟いた。十五年ぶりに見る顔だ。
彼等はシャロンの生家、アスタル家の者達である。
父と母、それに二人の兄の姿もある。妹が一人いたが、すでに嫁入りしておりこの場にはいない。
両親が共に赤い髪色をしており、シャロンを含め子供達も皆同じ色をしている。そのため寄り添い囁き合えば鮮やかで、目移りしそうな輝かしいパーティーであってもひときわ目を引く。
「あの人達も呼んだのね」
「そりゃ、呼ばないわけにはいかないでしょ」
ミアが肩を竦める。不服だと言いたげな表情だ。
彼女の生家は昔からアスタル家と繋がりがあり、それはミアがワトール家に嫁いでも継続している。なまじ互いに身分のある立場なだけに、友人を薄情な男に差し出したという理由で断ち切ることは出来ない。
非道というなかれ。さすがにこれにまで嫌悪を示すのは酷である。
「あの人達、私には手紙一通寄越さなかったけれど、デリックには密に媚売りしてたのよ。……あぁ、でもデリックが亡くなってからは私にも手紙が来てたわ。一行も覚えてないけど」
「内容は言われなくとも想像がつくわね」
「捨てるのも手間だから、いつもエドワードに渡してるの。彼も興味無さそうで『火種にしましょう』って目の前で破るのよ」
シャロンが手紙を渡すと、エドワードは一読すると穏やかな笑みで破り胸ポケットにしまってしまう。
そうして翌日に『良い火種になりました』と焼いた証のようにケーキやらタルトやらを持ってくるのだ。時には目の前で手紙を火種に落ち葉を焼くこともあった。
シャロンの胸の内を知り、目の前で破くだけでは足りないと考えてくれているのだろう。
そんな談笑をふと止めたのは、一人の男が近付いてきたからだ。
少し癖のある赤髪。白々しい笑みを浮かべて「久しぶりだな」と馴れ馴れしい言葉をかけてくる。
男の名前はイリオ・アスタル。アスタル家の当主であり、シャロンの父親。
嫁入りしてからは手紙一つ寄越さず、デリックに媚を売るためにアルドリッジ家を訪れても、シャロンに挨拶はおろか顔を見にも来なかった。まともに会話をするのはこれが15年ぶりだ。
「シャロン、元気にしているようで良かった」
「……お久しぶりでございます。イリオ・アスタル様」
「そんな仰々しい対応を取ってくれるな。以前のように父と呼んでくれ」
15年間の己の薄情さを気にも留めず、さも父親ぶった態度でイリオが笑う。
だが目の奥は笑っておらず、シャロンの他人行儀な態度を訝しんでいるような色さえある。父親として扱えと無言の圧力すら感じさせた。
もちろん、イリオの圧力を感じていてもシャロンは父などとは呼ばず、それどころか目を伏せて胸元で手を組んだ。儚く、小さな溜息を吐く。
「名家に嫁ぐ者として、身も心もすべて捧げる覚悟でアルドリッジ家に嫁入りしました。その覚悟はデリック様亡きあとも変わりません。私はアルドリッジ家の女です」
伏し目がちに、それでもはっきりとシャロンが告げた。
胸元の手にきゅっと力を入れれば、その姿はより切なさを増して周囲の目に映ることだろう。このやりとりを聞いていた外野から、シャロンの献身さを褒める言葉が聞こえてくる。
10歳の幼さにして、30歳も年の離れた男に嫁がされた。
そのうえ双子の赤ん坊を押し付けられ、当の夫は遊び歩き家庭を省みない。名家夫人という肩書でありながら華やかな場に出ることも許されなかった。
それでもシャロンは子供を立派に育て上げ、そして今なお夫とアルドリッジ家に身を捧げ続けるというのだ。
これを健気と言わずになんという。
……もちろん、すべて大嘘なのだが。