38:シャロンの知らない兄
イリオ・アスタルからの手紙が日に二通になってから一月後、シャロン達はアスタル家主催のパーティーに招かれていた。
本来であれば財政難の身でパーティーなど開いている場合ではないのだが、悟られまいと虚勢を張っているのだろう。
社交界でもアスタル家の現状を疑う噂が広がりつつあり、彼等も必死に違いない。――もちろん噂の出所はシャロン達ではない。そういった手合いの話はどれだけ隠そうとどこからともなく漏れてしまうものだ――
馬鹿らしい、とシャロンは小さく呟き、周囲からの視線を感じながらも用意された酒に口をつけた。
良い酒だ。虚勢のパーティーだけあり振る舞われる品々も豪華だが、豪華であればあるほどシャロンには滑稽でしかない。だがこの酒を用意するにもまた金を使ったのだと考えれば、通常よりも美味しく感じられる。
そんなシャロンに、一人の青年を連れたイリオが近付いてきた。
周囲からの視線がより強まった気がする。チラと見れば、それとなくこちらを窺っている者達の姿。
どれも瞳には好奇の色を宿し、シャロンとイリオのやりとりを聞き逃すまいと耳を澄ましている。
これでは財政難でもパーティーを開くアスタル家に呆れて良いのか、野次馬に呆れていいのか分からなくなりそうだ。
「シャロン、よく来てくれた」
「これはイリオ様、本日はお招きいただきありがとうございます」
親し気に声を掛けてくるイリオに対して、シャロンはあくまで一介の招待客として返した。
スカートの裾を摘まんで軽く腰を落とし、「素敵なパーティーですね」という在り来たりで社交辞令じみた言葉も忘れない。
あえて他人行儀で溝を作るのだ。主催と客、それ以上でも以下でもない、そう態度で告げる。
さすがにこれは予想していたのだろうイリオも臆する様子すらない。それどころか穏やかに微笑み、わざとらしく「そういえばな」と話を続けた。
チラと背後を横目で見るのは、シャロンにもそちらを見ろということだ。
そこにいたのは一人の青年。年はシャロンと同じか一つ二つ上だろう。金色の髪に翡翠色の瞳、整った顔付きとあわせて佇むだけで輝いているように見える。
誰かしら、とシャロンが心の中で呟いた。
だがじっと見つめるのは失礼だと考え、一応の礼儀として頭を下げておく。イリオが連れている相手となればあまり良い印象は持てないが、それでも初対面の相手に失礼は出来ない。
相手も軽く頭を下げ、互いの紹介を頼むようにイリオに視線を向けた。
「マルク、知っているだろうが、こちらはシャロン」
「シャロン・アルドリッジと申します。以後お見知りおきを」
シャロンが改めて挨拶をする。
それに対してマルクは爽やかな笑みを浮かべ、シャロンへと片手を差し出してきた。
手の甲へキスをするつもりなのか。キザな挨拶、とシャロンは心の中でぼやきつつ、それでも片手を差し出す。男の手がシャロンの手をそっと包み、己の口元へと寄せる。直接触れはしないが彼の唇がやんわりと弧を描いた。
麗しく、眩い。まるで高く積み上げられた黄金から溶け落ちたような男だ。
彼の金の髪と翡翠色の瞳はかつての記憶に残る少年を彷彿とさせるが、それを心の中で「そんなまさか」と打ち消し、シャロンは彼が話し出すのを待った。
爽やかな笑みを浮かべ、ゆっくりとマルクが口を開く。
「マルク・アスタルと申します」
「……アスタル?」
「えぇ、アスタル家の三男にあたります」
はっきりと告げるマルクの言葉に、シャロンは眉間に皺を寄せた。
パーティーの場に似つかわしくない表情をしているのは分かるが、今は取り繕う余裕はない。思わず「はぁ?」と無粋な声が出そうになったが、さすがにそれは飲み込めた。
アスタル家に男児は二人だけ、三男などいなかった。それにマルクはシャロンより一つか二つ年上だろう、ならば長女であるシャロンが知らないわけがない。
となると養子を取ったと考えるのが普通だ。貴族がお家繁栄のため他所から養子を貰うのは別段珍しい話ではない。これが他家の三男であれば、シャロンもすぐさま納得しただろう。
だがマルクはアスタル家の三男だ。それも、シャロンを前にして堂々と名乗っている。
意味が分からない。妙に気持ち悪く、シャロンはそっとマルクの手から己の手を引き抜いた。
彼の笑みにも、それを見守るイリオの表情にも、薄ら寒さを感じる。
「シャロン、ずっと貴女に会いたかった」
「そ、そうなの……。私も、お会いできて光栄……だわ」
「これを返したかったんだ」
シャロンの動揺を無視してマルクが話を進める。まるで昔から知っているような馴れ馴れしい口調。
次いでマルクは胸ポケットから何かを取り出した。
後生大事に己の手の平にのせる。ハンカチに包まれているため何かは分からず、この奇妙な展開と、そして勿体ぶる彼の仕草に、ついシャロンもマルクの手へと視線を向けた。
『返したかった』と言われてもマルクとは初対面だ。貸しているものなどない。彼の勘違いに決まっている。
だというのに妙な胸騒ぎがシャロンの胸を占め、心臓が気持ちの悪い鼓動を打つ。
マルクの手から目が離せない……。
「ずっとシャロンに返す日を夢見ていた。待たせてしまって申し訳ない」
「返す? 何を……」
「君を探し出せなくてすまなかった。あの夜のパーティーからすぐ、僕も遠くに離れることになったんだ。だけどシャロンとのことは一時も忘れたことはない。あの夜のことは今でも鮮明に思い出せる」
まるで美しい思い出話を語るように熱っぽく話し、マルクがゆっくりと手にのせたハンカチを開いていく。
それと比例するようにシャロンの胸の内はざわつき、鼓動が早まっていく。心音が体の中で響くような違和感。
「薔薇のイヤリング。シャロンに返せる日を想って、ずっと大事に保管しておいたんだ」
開かれたハンカチの中には、赤い薔薇のイヤリングが一つ。
花弁は一枚一枚しっかりと作りこまれており、その細やかさは生花を超える。中央には薔薇より赤い宝石。留具から薔薇を繋ぐ部位までも美しい金で飾られ、細かな彫り込みがされている。
美しく、そして……シャロンが着けている薔薇のイヤリングとそっくり同じだ。
美しい薔薇も、輝く宝石も、細かな彫り込みも、見間違えるわけがない。
本来ならば対になるはずのイヤリング。ずっと右耳だけ飾っていた……その片割れ。
「……嘘よ」
小さく呟き、シャロンは無意識のうちに己の右耳に触れた。
カチャリと小さな音がする。いつも通り、指先に薔薇のイヤリングが触れたのだ。
だがそんなシャロンの姿を見てもなおマルクは話を止める様子が無く、それどころかシャロンの片耳に同じイヤリングを見つけると「着けてくれていたんだね」と嬉しそうに笑った。金の髪を眩く輝かせ、翡翠色の目を細めて……。
そうしてシャロンの手を取ると、イヤリングごと己の手に重ねさせた。男らしい彼の手がシャロンの手を包む。
「どれだけこの瞬間を夢見た事か。そして君に会えた暁には、胸の内に秘め続けた言葉を捧げようと決めていた」
「え……?」
「シャロン、どうか僕と結婚してくれ。イヤリングを託されたあのパーティーから、ずっとシャロンのことを想い続けていたんだ。……愛してる」




