34:哀れな夫人と幼い庭師
シャロンの訴えを最後に、シンと妙な静けさが二人の間に流れる。
それを破ったのは、困惑気味にシャロンを呼ぶエドワードの声だった。
「シャロン様……」
眉尻を下げ足元に視線を落とし、自分に投げつけられたものがイヤリングだと気付くとそっと拾い上げた。「これは」と呟く。
彼のまだ少年らしい手の中で、薔薇のイヤリングがカチャリと揺れた。
それを見て、シャロンは小さく息を呑んだ。
「あ……、ご、ごめんなさい、エドワード。私、つい……」
「いえ、大丈夫です」
咄嗟に投げつけたことを慌ててシャロンが詫びれば、エドワードはいまだ半ば呆然としつつイヤリングを返してきた。
それをシャロンが受け取る。再び自分のもとにイヤリングが返ってきたというのに嬉しさはなく、むしろ切なさが増すだけだ。「ありがとう……」と感謝を告げるも、その声も掠れてしまう。
いっそ力の限り、遠くへ、もう二度と戻ってこれない場所まで投げてしまえたら良かったのに。
「シャロン様、そのイヤリングは?」
いったい何なのかとエドワードが尋ねてくる。当然の疑問だ。
それに対してシャロンはどう誤魔化そうかと僅かに悩み……、
「これはね、私の大事な……大事な思い出の品なの」
と、正直に打ち明けることにした。
デリック・アルドリッジに嫁がされてから、あのパーティーでの事は誰にも話さないと決めた。
それはデリックに操を立てるためでもなければ、夫人としての意識ゆえでもない。ただ、この息苦しいだけの屋敷の中で、あの数少ない輝かしい記憶を語るのが嫌だったからだ。
『デリック・アルドリッジの妻』でも『レイラとフィルの母』でもない、ただのシャロンの輝かしい思い出。大事に胸の内にしまっておきたかった。
だけど今だけは、胸の内に抑えきれない。
息苦しさすら覚えそうな胸の痛みを耐えるように、シャロンは手の中にあるイヤリングごとぎゅっと胸元を押さえ、ポツリポツリとあの日のパーティーについて話し出した。
思い出を言葉に変え、それと共に涙を流しながら……。
◆◆◆
そうして話し出し、どれだけ経ったろうか。
ゆっくりと、時折言葉を詰まらせながらシャロンが語るのを、エドワードは口を挟むことなく聞いてくれた。
時折小さく相槌を返してくれるが、その声には急かすような色はない。むしろきちんと話さなくてはと焦るシャロンを宥めるような色合いがあり、その声は固まり喉に痞えた言葉を解してくれた。
初めてのパーティーをどれだけ心待ちにしていたか。完成した薔薇のイヤリングを受け取った時はどれほど嬉しかったか。
そして招かれたパーティーで少年に出会い、落として欠けてしまったイヤリングの片方を彼に託した。
再会を約束して……。
だが今のシャロンの生活はどうだ。
育児に追われ、あの日の約束を果たすどころか、約束を思い出す暇も、イヤリングを耳に飾る暇すら許されない。
そう胸の内を吐露し、また一滴零れ落ちる涙を拭おうとした。
だが次の瞬間、ガサと生垣が揺れ「誰かいるの?」と女性の声が割って入ってきた。驚いて咄嗟にシャロンとエドワードが同時に振り返れば、メイドが一人こちらに歩いてくる。
そしてそこに居るのが悲痛そうな表情で頬を濡らすシャロンだと分かると、彼女はぎょっとして目を見張った。
「シャロン様……? エドワード、あなた何をしたの!」
青ざめ涙の後を残すシャロンの顔を見て、メイドがきつい口調でエドワードに問う。二人の間に何かあったと察したのだろう。
もしかしたらエドワードが泣かせたと勘違いしたのかもしれない。
厳しい口調の言及にエドワードがビクリと肩を震わせた。元より困惑していた顔に、焦りと怯えの色が混ざる。
シャロンが慌ててメイドを呼び止めた。
「ち、違うの! 私が彼に……!」
「シャロン様が? いったい何があったんですか?」
「それは……」
エドワードに罪は被せられない。
だが事実を話そうとした瞬間、口にしかけた言葉を詰まらせた。
食べ物が喉に引っかかった時のような、痛みとさえ言える苦しさ。言葉どころか呼吸まで詰まり、シャロンは「私がここで……」と掠れた声を漏らした。
ここで泣いていた。
デリック・アルドリッジに嫁がされたことが嫌で、双子の育児を押し付けられたことが辛くて、華やかな世界で過ごす同年代の令嬢達が羨ましくて。
そしてそれを、たまたま居合わせただけの無関係なエドワードに泣きながら訴えていたのだ。
それを説明するのはあまりに惨めすぎる。
シャロンが言葉に詰まらせつつ、それでもエドワードに濡れ衣は被せられないと「泣いていたの」と言いかけた。
だがその言葉に、エドワードの「蜂がいたんです」という言葉が被さった。
「蜂が……。そう、大きな蜂が急に飛んできて、シャロン様はそれに驚いてしまったんです」
「あら、そうだったの? シャロン様、大丈夫でしたか?」
「え、えぇ……近くを飛んだから、ビックリして騒いじゃったの。でもエドワードが助けてくれたから刺されてないわ」
大丈夫、とシャロンもエドワードの嘘に乗じて誤魔化す。
メイドもその話を疑う様子はなく、シャロンの無事に安堵し、エドワードに対して疑ってしまったことを詫びた。
シャロンはまだ幼い少女だ。突然虫に、それも蜂に襲われれば取り乱して泣いてしまうのも仕方ないと考えたのだろう。
そうして「お気をつけて」と残して去っていくメイドの背を見届け、シャロンは小さく安堵の息を吐いた。
「ごめんなさい、エドワード。巻き込んでしまって……」
「いえ、大丈夫です。それよりシャロン様、僕、ここに薔薇を植えようと思います」
「薔薇を?」
途端に話を変えるエドワードに、シャロンはどういう事かと潤んだ目を丸くさせて彼を見た。
先程、好きな花は何かと聞いてきたが、その話の続きをしているのだろうか。
もしかしたらシャロンを憐れんで、せめて好きな花をと庭師なりに慰めようとしているのかもしれない。「今の僕にはそれしか出来ないけれど」と不甲斐なさそうに話す彼に、シャロンは眉尻を下げて笑った。
お互い、なんて無力なのか。
「ありがとう、エドワード。綺麗な薔薇を咲かせてね。楽しみにしてる」
「はい……。それで、ここを生垣で囲うんです。誰にも見られない、誰も足を踏み込ませない。シャロン様のための薔薇の……。薔薇の籠」
作り上げた時のことを想像しているのか、エドワードが何もない空間を見つめる。
彼の話に、シャロンは「薔薇の籠」とオウム返しで呟いた。
誰にも見られない、誰も足を踏み込めない場所。
そこでなら自由に泣ける。
泣くための、美しい薔薇の籠。
「……そう、頑張って」
上手く笑えているか分からないが、シャロンはそれでも笑顔を取り繕って彼に告げた。




