31:真夜中に一人
深夜、月が真上に上り、それどころか徐々に傾き始めた頃。
生ぬるい夜風が木々を揺らす中、シャロンはアルドリッジ家の庭園にある薔薇の一角に居た。
日中ならば給仕役のエドワードが隣に立っているが、いまは彼の姿も無い。夜遅い時間なだけあり周囲を見回しても人の気配すらなく、庭に出ているのはシャロン一人だけだ。
もちろん、一人と言っても所詮は家の庭に過ぎず危険はない。
屋敷の周辺は頑丈な壁に囲まれ、この時間は門も閉められている。とりわけ夜間は警備を強化しており、仮にロイド・オルソンが訪ねて来たとしても、門前で一度止められるだろう。
それに屋敷を出る際にメイドに伝えてあるので、シャロンが声をあげればすぐに彼女達が飛んでくる。そうでなくとも、長時間戻らなければ呼びに来るはずだ。
ゆえに、真夜中の庭に一人でいても不安は無い。
……不安は、無い。
「……駄目ね、一人でいると余計なことを考えちゃう」
自ら一人になることを望んで庭に出たというのに、いざ一人になると余計な事ばかり考えてしまう。
かといって、こんな時間に子供達を誘うわけにもいかず、月明かりと外灯だけでは読書や手芸にも没頭できない。結局、夜風を受けながら一人で考えを巡らせるだけだ。
それがまた何とも言えない気分にさせる。
もしも、誰か共に過ごしてくれる人がいたなら。
眠れないと素直に弱音を吐いて、遅い時間でもそばにいてと甘えられる人がいてくれたなら。
夜の庭園で過ごすこの時間も、別のものになっただろうか。
「……もし、デリックじゃなくて貴方と結婚していたら、今も一人じゃなかったのかしら」
ポツリと呟き、シャロンは自分の右耳に触れた。
カチャリと音がする。静かな夜の庭では、金具の微かな音も妙に大きく聞こえる。
指先に触れるのは、夜風に当たって少しだけヒンヤリと冷たくなった薔薇のイヤリング。
そっと外し、まるで話し相手のようにテーブルの向かいに置いた。夜の暗さの中では赤い薔薇の飾りがいつもより色濃く見える。
本来は対だが、片方しかないイヤリング。
十歳の時に一度だけ出たパーティーで片方を落とし、そこで出会った少年に再会を約束すると共に預けた。
彼はあのイヤリングを直してくれただろうか。今もなお持っていて、あの時出会った少女のことを覚えてくれているだろうか。
「……馬鹿ね、変なことばかり考えてしまう」
未練がましいと己を鼻で笑う。
仮にデリックと結婚せずにいたとしても、名前も知らない少年と再会し結婚まで漕ぎつける可能性は極僅か。薄情なアスタル家が娘の幸せを考えるわけがなく、どうせ他家の男に売るように嫁がされていただろう。
それを考えれば、レイラとフィルが居てくれた自分はまだ幸せとも思える。
上を見てもキリがなく、下を見てもまたキリがない。
そもそも、普段はこんな事を考えもしないのだ。
もしもの話など馬鹿げている。
シャロンは10歳でデリック・アルドリッジに嫁がされ、初恋もする暇もなく子育てに明け暮れた。愛も情もなく碌に会話もしなかった夫の死後、こうやって夜の庭園で一人過ごしている。
事実はこれだ。
これだけだ。
もしもの話も無ければ、覆せもしない。
だというのに、考えても無駄だと分かっていても余計な事を考えてしまう。
相思相愛の夫と過ごす自分を想像したかと思えば、子供も居らず一人で孤独を抱える自分も想像してしまう。そしてそんな想像を馬鹿だと己で笑いつつ、しばらくするとまた想像に耽るのだ。
考えも気持ちも落ち着かず、生ぬるい風が肌を撫でて妙な不安を植え付ける。
この風もまた、誰か居てくれれば気にもならなかっただろう。目の前のイヤリングはカチャリと音を立てることもしてくれない。
静けさと、ぬるい風は自分の中途半端な孤独を表しているようだ。
そんなことをシャロンが考えた、その時……、
「……シャロン様?」
と、自分を呼ぶ声が聞こえた。赤髪をふわりと揺らして振り返る。
見れば、アーチからこちらを覗くエドワードの姿があった。
日中と同様に庭師らしからぬ格好をしているが、上着はなく、タイや装飾も着けていないあたり普段よりは幾分ラフに見える。
星と月が輝く夜空を背負う姿はさながら絵画のようで、彼の黒髪と紫色の瞳がいつもより色濃く見える。
これで微笑んでいれば更に絵になっただろうが、生憎と今の彼は驚きを隠せずにいた。もちろん、深夜の庭園で一人過ごすシャロンを見つけたからなのは言うまでもない。
「こんな時間にお一人で、どうなさいました?」
「エドワード、貴方こそどうしたの?」
「風が強くなってきたので花の様子を見にきたんです。折れかけている薔薇があるので、補強しておこうと思いまして」
「そうだったのね。ご苦労様」
彼は庭師だ。だが昼夜問わず庭師として勤めているわけではない。
今の時間は仕事から解放され、自分の時間を過ごしているはずである。
それでも気になるからと身形を整えて庭に出てくるあたり、常日頃「格上の女性と結婚して庭師では得られない富と名声を」と逆玉発言をしているが、己の仕事を大事に思っているのだろう。
「シャロン様は、どうしてこんな時間に」
「少し考え事をしていたの。……それより、時間があるなら少し付き合って」
向かいに座るよう促せば、エドワードがこちらの様子を窺いつつも一脚に腰を下ろした。




