03:復帰のための舞台
今夜開かれる夜会にシャロン・アルドリッジが来るのではないか……という噂は兼ねてからあった。
主催のワトール家夫人であるミア・ワトールはシャロンの幼馴染で、彼女が子育てに明け暮れていた時期も連絡を取り合っていた数少ない人物である。そしてシャロンが喪に服している間も彼女を気遣い、これからを考えるべきだと何度も話していた。
そんなミア・ワトール主催の夜会。
それも、シャロンが喪に服して1年が明けたこのタイミング。
となれば、過去を乗り越えたシャロンが現れてもおかしくない。
だが皆それを口にせずにいた。もちろんミアに直接訊ねることもしない。
夫を亡くした夫人の動向を聞き出すなど品のない行為だ。貴族の風上にも置けない。
だが品がないと分かっていても、気になってしまうのが人の性。
ゆえに誰もが落ち着きなく過ごし、アルドリッジ家の馬車が到着したと聞きつけるや、出迎えにいくミアの後をそれとなく追いかけた。
談笑をしつつチラと横目で様子を窺う者、夜風に当たりたいと適当な言い訳で馬車の扉が開かれるのを待つ者。様々だが、瞳には好奇心が隠しきれていない。
そんな中、見目の良い御者がゆっくりとまるで焦らすように馬車の扉を開けた。
中から出てきたのは、麗しいドレスとスーツに身を包んだレイラとフィル。
……そしてシャロン。
燃える炎のような赤い髪が夜風を受けてふわりと揺れ、右耳にだけ飾られた薔薇のイヤリングが輝く。
「シャロン、来てくれたのね。嬉しいわ」
「ミア、招待ありがとう。素敵な夜会だわ。でも私、夜会なんて初めてで緊張しちゃって……」
シャロンが戸惑いの表情を浮かべ、声を弱々しくさせた。伏し目がちに己の体を包む赤いドレスを見下ろし、「こんな派手なドレス……」と躊躇いの声で呟く。
その姿は儚い未亡人そのものだ。夫亡きあと質素に暮らしようやく華やかな場に出たは良いが、慣れぬ景色に困惑を隠しきれぬ……。と、誰しもの目にそう映るだろう。
そんなシャロンを見兼ね、ミアがそっと手を取った。
「緊張なんてしないでいいのよ。楽しんで行って」
「でも……」
「そんな浮かない顔をしないで。シャロンが来てくれて、年甲斐もなくはしゃいで飛び回りたいくらいなのよ」
「ミア、ありがとう」
シャロンとミアが身を寄せて嬉しそうに話す。
さすがにはしゃいだ声こそ出さないが、手を握り合い友情を確かめ合う姿はまるで少女のようだ。
そんな二人のやりとりに、距離を置きつつ様子を窺っていた外野が一人また一人と離れていった。
シャロンの姿を確認して満足したのか。もっとも、誰もが小声で何かを話し合い、そして横目でシャロン達の様子を窺いながら去っていくあたり、興味が尽きたというわけではなさそうだが。
そうして野次馬の姿がなくなると、シャロンはふぅと深く息を吐いた。
横からひょこと顔を覗かせたのはレイラだ。嬉しそうに「ミア様!」と呼ぶ。
「本日はお招きいただきありがとうございます」
「まぁ、レイラってば大人になったのね。最後に貴女を見たのは、まだ貴女が絨毯の上でコロコロ転がっていた時よ。隣にいる素敵な紳士はもしかしてフィルかしら。熊のぬいぐるみの耳をしゃぶっていた子が、こんなに立派になって!」
過去を懐かしみつつ成長を褒めるミアに、レイラはドレスの裾を摘まんで優雅に腰を落として返した。淑女としての成長ぶりをアピールしているのだ。
対してフィルは居心地が悪いと言いたげに頭を掻いた。挙句に「つもる話もあるだろうから」とレイラを連れてそそくさと屋敷の中へと逃げてしまう。
二人の態度は真逆だが、どちらも年頃の反応と言えるだろう。
ミアが上機嫌で笑いながらそれを見届け、次いでシャロンへと視線を向けた。
ニヤリと笑みを浮かべる表情は、先程までの友人との再会を喜ぶものでも、ましてや友人の子の成長を愛でるものでもない。さながら悪巧みを前にしたかのような笑みだ。
対してシャロンもまた、先程まで浮かべていた儚い未亡人の表情を一転させていた。真っ赤な髪と同色のドレス、それでいて浮かべる笑みは凍てつくような印象を与える。
「子供達は立派に育ち、夫の死を嘆いて一年喪に服した。そのうえ、復帰は前々から気にかけてくれていた友人の夜会……。誰も私に文句は言えないわね」
「えぇ、本当。今夜ほど復帰に適した夜は無いわ」
「素敵な夜会に招待してくれてありがとう、ミア」
やんわりとシャロンが笑い感謝を告げた。
今夜開かれているワトール家主催の夜会。兼ねてからシャロン・アルドリッジが来るのではと噂されており、その噂は当人であるシャロンの耳にも届いていた。
そして噂の通り、シャロンは夜会に姿を現した。
だが姿を現して当然だ。
そもそも、この夜会はシャロン復帰のために開かれたものである。
シャロンの正当で順当で至当かつ筋の通った復帰を、周囲に見せつけるための夜会と言う名の晴れ舞台。
「それじゃ、華々しく復帰の姿を見せつけましょうか。ミア、『慣れない夜会に恐る恐る顔を出した儚い未亡人』のエスコートを頼めるかしら」
「貴女の演技を特等席で見られるわけね。そういえば、いつもの逆玉庭師は?」
「逆玉庭師は今日は逆玉御者よ。そろそろ戻ってくるんじゃないかしら」
シャロンとミアが周囲を見回す。
それとほぼ同時に、馬車を預け終えたエドワードが戻ってきた。
上質のスーツに身を包み、颯爽と歩く。彼の姿は麗しいの一言に尽き、貴族の、それも身分の高い家の子息と言っても通りそうなほどだ。
現にたまたま居合わせた令嬢がチラと彼を横目に見て、その見目の良さにほんのりと頬を染めて通り過ぎていった。
相変わらず見た目は良い。
……見た目は、良い。
「『逆玉庭師』なんて野暮な言い方をなさらないでください。私はただ、格上の女性に婿入りして、今の身分では手が届かない地位と名誉を得たいだけですよ」
「それを世間じゃ逆玉というのよ。まぁ良いわ。貴方は適当にどこかで時間を潰していてちょうだい」
「でしたら、ワトール家の庭を拝見させて頂きます。なにかあればお呼びください。ミア様、シャロン様のことをよろしくお願い致します」
エドワードが恭しく頭を下げる。その態度は様になっており、逆玉発言が嘘のようだ。
そうして軽やかに踵を返すと颯爽とした足取りで去っていった。鼻歌交じりで、おまけに通りがかりの令嬢に軽くウィンクまでするではないか。
「相変わらず癖のある男ね。でもシャロンにはそれぐらいが丁度いいのかしら」
「あら、夫を亡くして傷心の友人に酷い発言ね」
「はいはい。それじゃ傷心の儚い友人シャロン、今日の来賓に紹介してあげるわ」
どうぞ、とミアが片手を差し出す。
これにシャロンも穏やかに微笑み、彼女の手に己の手を添えて歩き出した。