18:義姉と義姪
それから数日後、アルドリッジ家をとある女性が訪ねて来た。
太陽の光を受けて輝く銀の髪。真っ青なワンピースには金色の刺繍が施されており、歩くたびに輝きを放つ。その華やかさと言ったら、社交界中の女性が一目見るなり感嘆の吐息を漏らすだろう。
少し高めのヒールは歩くたびにカツカツと小気味よい音を立て、さながら彼女の歩んだ道が光り輝いているかのようだ。この音だけで年若いメイドは身構えてしまう。
威風堂々という言葉が似合う、黙っていても威厳を放つ女性。
イザベラ・アルドリッジである。
彼女の隣には娘のルーシーがいるのだが、堂々と歩む母に対して彼女はキョロキョロと周囲を見回し、あまり威厳や厳かさは感じられない。
カーテンを見ては「あの布は」と母に喋り、メイドに頭を下げられると「少し野暮ったい生地ね」と服装について語る。失礼な物言いだが、観光にきたおのぼりさんと言われても仕方あるまい。
そんな娘の態度に、イザベラが溜息を吐いた。五十歳を超えてもなお麗しく、溜息を吐く姿も様になっている。
「ルーシー、あまり落ち着きのない言動はやめてちょうだい」
「でもお母様、この屋敷、内装に統一感が無くて気になるんだもの」
「統一感?」
「いつ来たってちぐはぐで落ち着かないわ」
「まったく貴女はわけの分からないことを……」
娘の話が理解できず、イザベラが額を押さえて溜息を吐いた。
屋敷の飾りだの統一感だの、この期に及んでいったい何の話をしているのか。待ち望んだ末の子供ゆえ、大事に自由にと育てすぎたかもしれない。
そんな後悔が募る。もちろん、後悔したところで今更な話ではある。
そして今更だからこそ、自分亡き後もルーシーが苦労せず生きていけるよう、基盤を整えてやる必要があるのだ。
だというのに、当のルーシーはいまだ屋敷の統一感がどうのとわけのわからないことを訴えているのだから、これにはイザベラも溜息を吐いた。小さく首を横に振り、落ち着きのない娘を見る。
そんな二人に「ようこそいらっしゃいました」と声が掛かった。
この屋敷の主、シャロンである。
それを見て、イザベラが穏やかに笑い「久しぶりね、シャロン」と歩み寄っていった。厳かな屋敷の中、銀の髪と深紅の髪がふわりと揺れる。
言葉でこそ再会を喜んでいるが、互いに纏う空気は張り詰めている。
それを察し、ルーシーが小さく「違和感ばっかり」と呟いた。
◆◆◆
用意しておいた客室にイザベラとルーシーを案内する。
といっても、二人は客というわけではない。それどころかイザベラはまるで己こそ主人のような態度で、メイドに紅茶と茶菓子の手配を命じている。ルーシーは黙っているものの――あちこち見回してはいるが――、退室するメイドをわざわざ呼び止めてティーセットと皿の柄を指定した。
これを客と考えるのは無理がある。
かといって彼女達が礼儀知らずなわけではない。我が物顔で振る舞うことで己もまたアルドリッジ家の者だと主張しているのだ。……ルーシーに至っては、主張という考えは無く単にティーセットと皿に拘りたいだけだろうが。
そんなイザベラとルーシーを前に、シャロンはメイドが運んできた紅茶を一口飲んだ。
イザベラが常に絶やさぬようにと命じている茶葉。来る時にだけ用意すれば良いのだが、自分の茶葉を置くこともまた彼女の主張なのだろう。――その割にイザベラはめったにどころか年に一度訪れれば良いほうで、古い茶葉はメイド達が美味しく頂いている――
「イザベラお義姉様の紅茶、とても美味しいです」
「あら、私の紅茶だなんて。いつも置いてあるんだもの、好きな時に飲んでいいのよ?」
「そんな、これはお義姉様の茶葉ですもの」
シャロンが品良く笑う。
シャロンはイザベラのことを『お義姉様』と呼んでいる。だが実際には三十歳以上の年齢差があり、傍目には二人は姉妹には見えない。
むしろ親子。イザベラが母で、ルーシーが姉、シャロンが妹、とした方がしっくりくる。
だがシャロンは彼女を『お義姉様』と呼ぶ。それが彼女の希望だと察しているからだ。イザベラは互いの立場を明確にしたがる傾向がある。
「そういえば、お義姉様はどうしてこちらに……。あら?」
本題を問おうとし、シャロンはふと足音に気付いて言葉を止めた。
次いで扉がノックされる。入室の許可を出せば、レイラとフィルがそっと扉を開けて顔を覗かせた。
二人揃えて「イザベラ伯母様」と呼ぶ。レイラは淑やかな態度で再会を喜び、フィルは些か頬が引きつってしまっている。――こういう時、レイラは上手く取り繕えるが、フィルはボロが出やすい――
そんな二人の登場に、イザベラが応えるように名前を呼んで立ち上がった。
思わずシャロンが目を丸くさせてしまう。「レイラ、フィル! 会いたかったわ!」というイザベラの声は随分と弾んでおり、こんな彼女の声は聞いたことがない。
そのうえ、二人を呼び寄せるとレイラに抱き着き、フィルの頬を撫でた。
これにはシャロンも目を丸くさせるだけには留まらず、喉からヒュッと高い音が出た。愛想良い姪を演じて入室したレイラも虚を衝かれており、フィルに至っては硬直している。
「弟の忘れ形見、私の可愛い甥と姪。元気にしていた?」
「え、えぇ、もちろん……。お久しぶりです、伯母様」
「レイラってばすっかり大人になって、フィルも素敵な紳士になったわね。もっとよく顔を見せてちょうだい」
イザベラの声は優しく、久しぶりの再会に歓喜する伯母そのものだ。内情を知らぬ者がこの場にいれば、きっと微笑ましく見守ることだろう。
だがアルドリッジ家の関係からは考えられない。
庭の手入れを装い窓からこっそり様子を窺っていたエドワードまでも唖然としている。彼がここまで表情を露わにするのは珍しいことだが、それほどまでに信じられない光景なのだ。状況が違えば彼の驚き様を笑ってやっただろうが、今のシャロンにもその余裕はない。
もっとも、皆取り繕えぬほどに驚いてはいるが、日頃イザベラがレイラとフィルを邪険にしていたわけではない。
屋敷に来る時には顔を見せ時間があればお茶をし、二人の誕生日や祝いの時には贈り物を送ってくれていた。手紙も極まれにだがくれる。
親しいとは言えないが没交渉とも言い切れない。適度な距離を保っていた。
だからこそ、今この喜びように着いていけないのだ。
そんな周囲の冷え切った空気に気付いたのか、イザベラが「あら」と声をあげて二人からパッと離れた。それすらも彼女らしくない仕草なのだが。
「嫌だわ、久しぶりだからはしゃいじゃった。ごめんなさいね、二人とも」
「い、いえ、いいの。ねぇ、フィル」
「はい……。お、伯母様が元気そうでなによりです」
「それじゃ二人とも座って、話をしましょう。レイラとフィルのお茶を用意してちょうだい」
まるで我が物顔でイザベラがメイドに命じれば、またもルーシーがティーセットを指定した。
そうしてティーセットが全員の前に揃うと、イザベラが「それで本題なんだけど」と話し出した。
途端に彼女の顔付きが変わる。先程の再会を喜ぶおばの顔から、一転して威厳あるアルドリッジ家の女の顔に変わってしまったのだ。
纏う空気も重苦しいものに変わり、シャロンは身構えたいのを抑えて「なんでしょう?」と素知らぬ声で返した。心の中ではイザベラを警戒しつつ。
「分かっているでしょう? アルドリッジ家の事よ。貴女の考えを聞かせてちょうだい」
「我が家の……。夫亡きあと、若輩者ながら家業を続けておりますが、なにか私に至らぬ点がありましたでしょうか」
シャロンが尋ねる。もちろん、心の中では至らぬ点などあるわけがないと豪語しているのだか、そこは先を促すためだ。むしろ本題はそこではないと理解し、イザベラの口から言わせるためでもある。
イザベラもまたそんなシャロンの考えを理解しているのだろう、不安そうに尋ねてくるシャロンに対して不敵な笑みを浮かべて返してきた。
「アルドリッジ家のこと……。この家の、正当な後継者についてよ」
イザベラがじっとシャロンを見据えたのち、ふいと視線をルーシーへと移した。
自分の視線を追えと、そして自分の言う『正当な後継者』が誰かを察しろという事だ。当のルーシーは今一つ話の流れに興味が無いと言いたげな表情をしているが。
やはり乗っ取るつもりね……。とシャロンは心の中で呟いた。