17:シャロンと最大の敵
シャロンが社交界に復帰してから半年ほどが経った。
最初こそ未亡人らしく消極的な姿勢を見せていたが、次第に華やかな場に顔を出す頻度を増していき、交友を広げ、今では自らパーティーに赴き楽しげな表情を見せるようにしていた。
デリック亡き後一年を喪に服し、更に半年。儚い未亡人が悲しみから立ち直るには良い頃合いだ。
周囲もすっかりとシャロンの演技を信じ、華やかなドレスを纏い明るい表情で談笑する姿を見ては「良かった」だの「ようやく彼女の傷も癒えた」だのと安堵の表情を浮かべていた。
そんな順調な日々の中、シャロンに一通の手紙が届いた。
差出人は……。
「そろそろ来るだろうと思っていたわ」
手紙を読み終えたシャロンが溜息交じりに話せば、向かいで紅茶を飲んでいたフィルが眉根を寄せた。怪訝そうに尋ねてくるのは、母の様子からあまり好ましくない手紙だと察したからだろう。
ちなみに場所はアルドリッジ家の庭園、薔薇の生垣で囲われた一角。給仕はもちろんこの一角の主、エドワードである。――レイラの姿はないが、彼女は友人と市街地に出かけている――
シャロンは深く息を吐いて、手にしていた封筒をテーブルに放るように置いた。
日の光を受けて細かく輝いているあたり特殊な紙を使っており、更に箔押しまでされている。
誰が見ても一目で高価と分かる代物。むしろここまでアピールするあたり、誰しもに一目で高価と分からせたいのだろう。
封筒から、格調高さとそれを訴える威圧感が漂っている。
それを見るシャロンの視線は随分と冷ややかで、対してフィルは「これは……」と頬をひきつらせた。エドワードまでも涼し気な顔ながらに「おや」と小さな声を漏らす。
「差出人は……、イザベラ・アルドリッジよ。近々こちらに遊びに来るんですって」
シャロンが口にした名前に、フィルが露骨に渋い表情をし、エドワードさえも僅かながらに眉をひそめた。
イザベラ・アルドリッジは、その名の通りアルドリッジ家の者である。
デリックの姉であり、シャロンにとっては義姉にあたる。
他家に嫁いで娘のルーシーを産んだが、夫との仲がうまくいかず離縁してアルドリッジ家に戻ってきた。だが弟であるデリックとは昔から仲が悪く、共に暮らすのはご免だと娘と共に遠方の領地に移り住んで今に至る。
時折ふらりと屋敷に顔を出す事もあるが、長居はせず近況確認をする程度だ。それもデリックとは顔を合わせないように徹底するのだからよっぽどである。
デリック没時に至っては、葬儀に顔を出しはしたものの、翌日には娘と共に観光を楽しんで帰っていった。
「そのイザベラ伯母様が、どうして今になって……。もしかしてアルドリッジ家を奪還しにきたんじゃ」
「そうね。彼女は女というだけでアルドリッジ家を継ぐことが出来なかった。その腹いせに、今になってアルドリッジ家を奪還して娘に継がせようと考えてるかもしれないわ。……でも残念だけどルーシーには無理な話よ」
テーブルの上に置いた手紙をちょんと突っつき、シャロンが肩を竦めた。
イザベラは昔から才知溢れる娘で、女だてらに家業の手伝いもしていたらしい。女遊びにのみ特化していたデリックとは比べるまでもなく優れており、彼女が男児だったならと惜しんだ者は少なくないと聞く。
……当人を含めて。いや、当人が誰よりも男児だったならと惜しんだだろう。
なにせ、アルドリッジ家は優れたイザベラを嫁にやり、不出来なデリックに家督を譲ったのだ。
理由はただ一つ、イザベラが女でデリックが男だったから。
そのイザベラが今になって舞い戻ってくる理由は、アルドリッジ家の奪還以外に考えられない。
だが彼女はもう五十歳を超えており、今から当主を名乗るのは無理がある。身を引き次代を見守り支える年齢だ。――デリックもそれは分かっていただろうが、彼は死ぬ直前まで当主を名乗り、次代を立てることすらしなかった。重ね重ね薄情な男である――
となれば、奪還した家督は娘のルーシーにと思うのが普通だろう。
女だからという理由で家督を継げず嫁に出された女が、長い年月を超えて悲願を達成し、奪い取った家督を娘に託す。復讐譚としても筋が通っている。
……だが残念なことに、娘のルーシーは母に似ず、家督争奪に無縁な性格をしている。
嫁いでから十年近く経てようやく授かった子供ゆえ、可愛がり大事にしすぎるあまり、少しばかり浮世離れした娘に育ってしまったのだ。
お洒落が好きで、感心はもっぱら流行や装飾について。ドレスや装飾品、宝石に目がない……どころかそれらしか見ない。
シャロンよりも幾つか年上、三十歳を手前にいまだ浮いた話はなく、それどころか貴族の令嬢らしからぬお針子の真似事や鑑定士の助手なんてしている。
「ルーシーにアルドリッジ家は継げないわ。この屋敷をおしゃれに飾ることは出来るだろうけど」
「そもそも、ルーシーに継ぐ気はないと思うよ。以前にレイラが彼女から手紙を貰ったらしいけど、跡継ぎについては一切書かれてなくて、指定の布とレースを買って送ってほしいって頼みだったらしいし」
「庭師の立場から見ても、ルーシー様がアルドリッジ家をおさめるのは無理があるかと……。ルーシー様が見ているのはアルドリッジ家ではなく、屋敷のカーテンと絨毯と庭園ですから」
エドワードの冗談めかした発言に、シャロンが「確かに」と楽しそうに笑う。フィルはこの期に及んで冗談を交わす庭師と母にうんざりといった顔だ。
だが冗談ではあるものの、エドワードの発言に一理あると思えてしまう。それほどまでにルーシーはお洒落と華やかに飾ることが好きで、そして対照的に家業にはまったく興味が無いのだ。
令嬢らしいと言えば令嬢らしい話ではある。だが、結婚だの婚約だのにも興味を持たず、お針子の真似事や宝石の鑑定にまで手を伸ばすのは令嬢らしからぬ話ではあるが。
なんにせよ、ルーシーに対しては警戒する必要はないだろう。
だがイザベラは別だ。
「何を考えているのか……。きっと簡単にはいかないわね」
「シャロン様、随分とイザベラ様を警戒されておりますね」
「当然よ。だって彼女は私と同じ……いえ、年功序列で考えれば、私が彼女と同じと言った方が正しいかしら」
女と言うだけで家を出され、そしてデリックの死を転換期として再び舞い戻ってきた。
まさにイザベラとシャロンは同じ道を辿っている。女手一つで子供を育てたところまで同じである。
そして人生経験は彼女の方が比べるまでもなく豊富。――デリックのように無責任に遊び惚けて年だけ取っていれば別だが、他でもないイザベラがそんな無駄な人生を歩むはずがない――
これを侮れるわけがない。
「彼女からしてみれば、私だってしょせん小娘だもの」
油断できない、とシャロンはテーブルの上の手紙を睨みつけた。