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01:シャロンとアルドリッジ家(1)

 


 彼女の名前を聞けば、いつだって誰だって、口を揃えて『若いのに可哀そう』と憐れむだろう。


 10歳という幼さで、30歳も年上のアルドリッジ家当主デリックに嫁がされた、哀れな少女。

 己が母の愛を求める年齢なのに、双子の子供を押し付けられた、哀れな令嬢。

 味方の少ないアルドリッジ家で、愛もなく家庭を省みない夫を黙って敬い、子育てに明け暮れるだけの哀れな夫人。

 そして、若くして夫を亡くした、初恋も知らぬ哀れな未亡人。


 それが、シャロン・アルドリッジである。



◆◆◆



「エドワード、今日は何日かしら」


 シャロンが尋ねるのとほぼ同時に、心地良い風が吹き抜け、彼女の深紅の髪を揺らす。

 その質問に、テーブルの上に飾られていた花の位置を直していたエドワードが「今日は25日です」と答えた。

 シャロンが楽しそうに微笑む。「そうね、そうだったわ」という声がどことなく弾んでいるのは、本当は聞かずとも今日という日を分かっていたからだ。

 むしろ分かっていたからこそ聞いたのだ。

 そのうえ一度のやりとりだけでは物足りず、次いでシャロンは「昨日は何の日だったかしら」と尋ねた。これもまた弾んだ声色である。


「昨日は旦那様の命日です。ちょうど一年前、あれは悲しい出来事でした」

「そうね。それで、今日は何の日かしら?」

「今日は喪が明けて一日目です」


 シャロンの回りくどい問いかけに、優雅に微笑んでエドワードが告げる。

 夜の闇を落とし込んだかのような色濃い黒髪、涼やかで整った顔つきには宝石のような紫色の瞳が輝く。質の良い燕尾服を身に着けており、一見すると相応の家の子息か、もしくはアルドリッジ家の敏腕執事とでも思われるだろう。

 だが彼の正体はしがない庭師だ。生まれも極平凡な庶民の家で、園芸の手腕を認められてアルドリッジ家で働いているにすぎない。

 だが彼は、『名ばかりの哀れな夫人』でしかないシャロンにとって数少ない胸の内を語れる味方である。

 そして……、


「今日はシャロン様が華々しく社交界に復帰する記念日、とも言えますね」

「えぇ、そうよ。私の記念日」

「そして私の夢へ更に一歩近づいた記念日、とも言えます」

「……貴方の夢ね」


 自分に負けず劣らず遠まわしな口調のエドワードに、シャロンは溜息交じりに返した。彼に向ける視線が冷ややかになってしまうのも無理はない。

 それに対して、エドワードは爽やかな笑みで返すだけだ。

 その笑みの爽やかで麗しいことと言ったら、名家子息と嘯いても通じるだろう。適当を並べて社交界のパーティーに出ても、暴く前に令嬢達が恋に落ちかねない。

 だが彼の『夢』を知っているシャロンにとっては、白々しいことこの上ない。


 これが無ければ良い男なのに……と思う反面、これが無ければここまで心を許していないかとも思う。


 そんなエドワードの夢はと言えば……。


「逆玉の輿ね、頑張って」

「おや人聞きの悪い。私の夢は、格上の女性と結婚し、庭師人生では得られない富と名声を得ることです」

「それを逆玉の輿って言うのよ」


 シャロンは瞳にこれでもかと呆れの色を込め、それだけでは足りず「さ、そろそろ着替えましょ」と話を無理やり打ち切って立ち上がった。




 シャロンがデリック・アルドリッジに嫁がされたのは15年前。そしてデリックが息を引きとったのは去年のことだ。

 家庭を一切省みず、酒に遊びに女にと自由に生きた男。最期の瞬間も愛人と同じベッドだったというのだから呆れてしまう。

 医師の診断の結果、たらふく酒を飲み、そのうえ女と夜を共にするための薬を−−いわゆる精力剤というものである−−規定量以上に飲んだ結果……というのだから親類も泣くに泣けない。


 だがそんな夫の悲報に、それでもシャロンは嘆き、棺を前に涙を見せ、一年間喪に服していた。

 黒一色のワンピースに身を包み、屋敷の飾りも控えて質素に過ごす。夫の墓に常に花を手向け墓石を磨き、時には人前であっても堪えきれず目尻を指で拭う。

 その姿は、夫に置いていかれた哀れな未亡人そのものだ。

 健気な姿は見る者の涙を誘う。デリックの墓参りに来たはずが、シャロンの健気な姿に胸を打たれ、気付けば故人の事を忘れ彼女を慰めながら霊園を出ることも多々あった。


 実際には、シャロンが腹の内では常に高笑いをしていたなどと、はた目には誰も気付くまい。


「だけどそんな生活ももう終わり。みんな私を気遣って『これからを考えなさい』と言ってくれるんだもの、辛気臭いだけの黒いワンピースなんて着ていられないわ」


 コロコロと上機嫌で笑い、シャロンは手にしていた黒色のワンピースを一瞥した。

 今身に纏っているのは真っ赤なドレス。金色の刺繍は美しく、大胆に開かれた胸元では親指ほどある同色の宝石が輝いている。シャロンの赤い髪、そして右耳に飾った赤い薔薇のイヤリングと合わさって、さながら燃え盛る炎のようだ。

 対して、手にしていたのは昨日まで着ていた黒一色のワンピース。刺繍やレースといった装飾はなく、華やかさで言えば天と地ほどの差がある。だが喪に服すために着ていたのだから当然だろう。

 そんなワンピースを、放るようにエドワードに押し付けた。


「もう用済みだから捨ててちょうだい」

「よろしいんですか?」

「視界に入るだけで気が滅入ってくるわ。でも欲しいならあげる。案外に似合うんじゃないかしら」

「御冗談を。ですが上質の布を使っているので、ただ捨てるのは勿体ない。仕事道具を磨くのに使わせていただきます。きっと、土まみれのズタボロになるでしょうけど」


 用済みのワンピースを眺め、エドワードが冷ややかな笑みを浮かべた。

 漆黒の髪と紫色の瞳が彼の笑みを凍てついたものに見せる。だがすぐさまその笑みを普段通りの愛想のよいものに変えてしまった。冷笑から一転、あっという間に好青年の爽やかな笑みだ。

 この切り替えの早さは、かねてからシャロンも高く評価している。


「さぁ行くわよ、エドワード。これからは私が人生を謳歌する番、もう誰にも哀れなんて言わせないわ」

「えぇ、参りましょう。シャロン様の人生のため、そして私の華やかな夢のため」


 互いに言葉を掛け合い、馬車を停めている門へと向かった。






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