表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/21

七話:落花流水・後 二度目があれば


「たまには散歩でもする?」


 朝食の後と言えば、読書や勉強が既に日課となっている。真面目な二人は、サボりというものを知らないようだ。


「修行に行くのか!」


 ミカンが嬉しそう飛び跳ねる。朱鬼は予想通り、嫌そうな顔をした。


「漢字の勉強にならないわ」

「仙人になるには、そればっかりじゃ駄目なんだよね~」


 知ったかぶれば、朱鬼の腰もすんなり上がる。昼までに隠れなければならない。織実の動機は真っ黒だ。


「二人って、大門の外に出られるの?」

「大門からは出られないわよ? 禁域だもの」


 朱鬼が言う。その言い方に首を傾げた。大門以外に、出口があるような言い方だ。


「裏口があるのよ。知らないの?」

「そんなのあった?」

「俺も知ってるぞ!」


 ミカンまで自信満々に言ってくる。屋敷の中は、大体歩き回ったと思ったけれど、まだ知らない場所があったらしい。隠れるには良さそうだ。


「行ってみたい!」

「行こうぜ! 修行にいいぞ!」


 ふわりとミカンが浮かび上がって、我先にと宙を駆けだす。朱鬼が慌てて立ち上がるので、その袖を織実は急いで引っ張った。


「近い? 遠い?」

「調合部屋の先だもの」


 そんな所に、裏口なんてあっただろうか。首を傾げながらも、手を繋ぐ。


「朱鬼は出た事ある?」

「うふふ。樒の着物をね、捨てた滝があるわよ?」

「滝…………?」


 まさか昨日落ちた、あの滝では。そう思ったら、急に足が重くなる。


「他には?」

「裏山かしら?」


 それってまさか、璃君に朝練場所として指定された、裏山か。だからミカンが乗り気なのかも。行く場所をどうやら、間違えたみたいだ。


「他は?」

「んー」


 朱鬼は美少女らしく、あごに人差し指を一本乗せて、小首を傾げる。絵にはなるが、悩む辺り無いのだろう。


「まぁいいや、ひとまず行こう?」


 二人でのんびり回廊を歩き、泉のある庭を横目に、無人の部屋をいくつも過ぎる。細長い池のある庭が見えたら、突き当りが調合部屋だ。ミカンはすぐ手前の、柱の前で待っていた。


「遅いぞ!」

「ミカンとは、修行の仕方が違うのだよ」


 適当な事を言っておく。それで納得してしまう、なんとも純朴な生き物だ。回廊から飛び降りると、植込みの間を縫って壁の方へ向かう。控えめな扉が姿を現した。


「ここ?」


 織実が聞くと、二人は揃って頷いた。鍵も閂もないが、厚めの木で作られている。押してみると、音もなく簡単に開いた。


「行くぞ~!」


 ミカンが元気いっぱいに、飛び出して行く。道が細いので、朱鬼を前にして一列に進んだ。桃花の甘い香りが、一段と濃い。見渡す限り桃色の森で、迷子になりそうだ。


 花びらの積もった平坦な道は、次第に斜面になって石段に変わり、気温も下がって風も出てくる。


「寒っ!」


 笛のような鋭い音で、冷たい風が吹き抜けた。肩を抱えて立ち止まると、桃木の合間から屋敷の青い瓦屋根が下に見えている。前では朱鬼が、首を傾げて待っていた。


「朱鬼は寒くない?」

「寒くないわ」


 まぁそうだろう。彼女は水の冷たさにも強い子だ。流石は井戸の怨霊。感覚がちょっと違うらしい。


「遅いぞ!」


 石段をミカンが駆け下りて来た。セルフで毛皮を有する彼も、寒くは無いだろう。人間って実は不利なのでは。真面目に考えてしまったが、手を出すと飛び乗ってくるミカンは、ほんのりと温かい。懐炉かいろにしようかな。


「俺は自分で登れるぞ!」

「あっ!」


 捕まえていたミカンが、手の中から逃げていく。前より元気になったのだろ。それは単純に嬉しいのだが、力負けしていると、何時か食われるという危険も高まる。素直に喜んではいられない。


 だからと言って、武術訓練はお断りだ。それで仙人になれるなら、世の中仙人で溢れかえっているだろう。眉唾眉唾。何かいい方法は無いのだろうか。せっかく仙境に居るのだし。


 悩みも吹き飛ばす勢いで、風が前から吹いて来る。服がバタバタと煽られて、落ちた浮遊感を思い出させた。背筋に冷えが駆け上る。


「寒っ!」

「もう、降りる?」


 朱鬼が止まって振り返る。何時もの白い顔色のまま、胸を抑えて肩で大きく息をしていた。運動不足だろうか。初めて見る姿に、目を見張ってしまう。


 幽霊も疲れるらしい。


 ただそれを指摘しても、素直に休むとは思えない。確か一定間隔で、灯籠が立っていた筈だ。立ち止まる理由としては、良いだろう。


 彼女の細い背中を押して石段を進むと、灯籠と一緒に、何故か白慈も立っていた。


 朱鬼を追い抜くように背中へ庇い、気安く手を振ってみる。


「やっほー、白慈。君も登山かね?」

「貴女の用事を、片付けに行った帰りです」

「ここ、山だけど?」


 用事の内容は覚えているが、山とは結び付かない。もしかして、分かりにくい仙境ジョークか?


「隣り合う仙境と、行き来する道があります」

「何処に?」

「貴女方には通れませんよ。通行にはまず、正しい天籍を持つ必要があります」


 なんて残念なのだろう。他の仙境にも興味があったのに。そう言えば以前、地位を上げなければ出られない、と璃君にも言われたのだ。権力は持つべきだろうが、世知辛い話だ。


「野菜の事、分かったの?」


 落ち込みたくないので、さっさと結果を聞く事にする。白慈も多分、忙しいだろう。引き止めては悪い。


「水晶の仙境は、壺中仙の司る中で、最も俗世に近い特性があるそうてす」

「俗世? それって、畑の野菜に近いって事?」

「まさか。それよりも遥かに、俗世の物に近いんですよ。璃君は、わざわざそこを選ばれた。その意味は、僕の口から言えません」

「ううん、いいよ。ありがと」

「ではこれで」


 白慈は袖を重ねて頭を下げると、挨拶を返す前にさっさと石段を下って行く。揖礼ゆうれいより丁寧に見える所作だったが、一体どうしたのだろう。


 そこでふと、嫌な事に気が付いた。


 そういえば彼も、随分と態度が柔らかい。普段なら冷たい視線を向けて来る。そもそも、頼み事を聞いてくれるとは思えない。


 氷室野菜は俗世に近く、言ってしまえば普通の野菜。何か、見落としているのだろうか?


 去っていく白慈の背中を見ていると、急に止まって振り向いた。


其処そこより先は、仙境の特性が強まります。朱鬼は伴わぬ方が良いでしょう」

「そうなの? あ、別に疑ったんじゃないから!」

「失礼致します」

「色々ありがとね!」


 良く分からないので、ひらひらと手を振ってみる。一体、何があったのだろう。確かに仲良くしたかった。でも、急に歩み寄られると、ちょっと怖い気もする。そんな事を思うのは、贅沢だろうか。


「樒?」


 背中にくっついている朱鬼が、やっと声と顔を出す。男嫌いの根は深そうだ。


「あんな事言われたけど、朱鬼はどう?」

「行けるような気がするの」

「無理は駄目だよ?」

「樒こそ、寒いと言ってたじゃない」

「健康だから大丈夫」

「そうなの?」

「そうなの!」


 言い切ると、呆れた顔をされてしまった。健康なのは本当だ。病気じゃないって、璃君も言っていたのだし。薬は飲まされているが。


「行こう?」


 手を差し出すと、深紅の長衣に包まれた腕が上がった。一応、朱鬼の体調は気にしておこう。






 認められなかった。


 あんな小娘が、敬愛するあるじの妻などと。


 白慈は裏山を振り返る。どう見ても小娘には変わりない。彼女が、璃君に最も近い隣の座を、許された存在なのだ。その場所は、自分の居場所だったのに。


 いや、そうだと勝手に、思っていただけだった。


 樒と名を与えられた娘は、真面目なことろもあれど、飽きっぽく、しかも少々口が悪い。なんとも人間みのある少女だった。


 頼りたい時には懇願し、喉元過ぎれば忘れてしまう。そんな人間らしさを思わせる性格が、心底気に入らない。だと言うのに、主には一応任されてもいた。あからさまに無下には出来ないのだ。


「僕は確かに、人の願いによって力を得たが」


 人にはもう、感謝などしていない。神籍の末端に席を置くものの、望まれなければ、それだけ力を失っていく。


 仙としての力が何もない彼女を見ていると、自分と姿を重ねてしまい、それも哀愁と苛立ちを混雑させた。


 おそらく平和だった、彼女が来るまでは。


 あの穏やかな日々を、今でも懐かしく思ってしまう。


 ただ璃君が、伴侶を得られたあの方が、時より表情を和らげる様は、自分には決して出来ない事だった。


 夫を夫とも思っていない傍若無人な娘だが、意外と照れやすい事も知ってしまった。その性格は案外、照れ隠しなのかもしれない。


 たったひと言、それも遠回しに褒めただけ。


 あの時の狼狽っぷりは、思い出すだけで笑いがこみ上げてくる。口の回る小娘の弱点が、まさか称賛とは。


 胸に手を当てると、今も澄んだ力が揺蕩たゆたっている。料理に込められた、願いの力。それがまさか、自分の活力になるなどとは、思ってもいなかった。


 そこらの草だとしても、誘われた時に行けば良かったと、愚かにも思った事に、嫌悪でわらいが込み上げる。


 結局、人と同じなのだと。


 必要な時に頼って、不要ならば捨て置いて。だからこの身すら、自力で維持出来ない。他の仙境へも、本来は向かう事すら無理だった。


「認めた訳ではありません。今は…………」


 あの意地っ張りな娘の為に、主へ報告するべきだろう。成り立ての仙は、身を崩しやすい。熱でも出されたら、璃君は気に病むだろうから。






 裏山の山頂は、風が強くてもちろん寒かった。やせ我慢をしていても、ずっと震えが止まらない。ただ見えない水でもあるかのように、波紋が足元に広がっていく。


「凄いね」


 綺麗だし不思議だし、恐ろしく寒い。何度か飛び跳ねて暖を取ると、光の波紋が幾重にも広がった。朱鬼が真似して飛び跳ねている。そちらは美少女なので、何をしても可愛いいだけだ。しかも、無事に登れてご満悦である。


「クソ仙人に、妖力を削られなければ、俺だって」


 ミカンはミカンで、一人闘志に燃えていた。こっちもそろそろ丸くなって欲しいものだ。というか、璃君を「クソ仙人」なんて呼ぶのは、どうなのだろう。せっかく元気になっても、また妖力を削られそうだ。


「ねぇミカン? 仙人を目指すなら、璃君って呼んだ方がいいと思うよ?」

「何でだ?」


 不思議そうに聞かないで欲しい。この仙境の主だ。機嫌は取るに限るだろうが、そんな事を言っても、伝わらない気がする。


「先輩だからね」

「センバイ?」

「先の者を敬う気持ちは、大切!」

「アイツは、俺の力を削ったんだぞ!」

「それをまた、削られたく無いでしょ?」

「無い!」


 四文字でも聞き間違えられたが、話の腰は折るまい。織実はミカンを手招くと、小さな声で囁いた。


「だったら、搦手からめてに頼らなきゃ」

「カラメル?」

「大事にされたいでしょ?」

「だいじ…………カラメルならセンバイの大事になるのか?」


 訂正しないと、こうなるようだ。気が抜けて来るもの、分かって貰えそうだから聞き流す。


「ともかく、先輩を敬うとこからやってみよ?」

「敬う…………俺も敬って貰えるか?」

「それは、後輩が出来てから」

「コウバイは何処に居るんだ?」

「どっかの坂かな~」


 どうしてこんなに、耳が悪いのだろう。削られたのは、聴力なのでは…………げんなりして足元を見る。桃の花びらが、水紋を作って浮いていた。何処まで水に近いのだろう?


 気になって、目についた小石を拾った。そのまま姿勢を落とし、地面と並行になるように振りかぶる。水の石切りだ。小石は面白いように、空中に波紋を描いてを跳ねていく。


「なんだそれ!」


 ミカンが、キラキラした目でそれを見ていた。狐に石切りは出来るだろうか? 小石を探すミカンを見ていると、朱鬼が袖を引っ張った。


「私も出来る?」

「うん、教えたげる」


 寒い時は動くに限る。朱鬼と小石を探していると、ミカンがよろよろ飛んで来た。


「どうしたの?」

「…………」


 ミカンは無言で、視線を山のふもとに向けている。青い瓦屋根が美しい屋敷から、一か所、土煙が上がっていた。


「えっと?」

「真似して投げたんだ」

「まさか、やった?」


 犯人は首を縦に振る。


「に、逃げよう!」


 織実はミカンを懐に、朱鬼の手を取って一目散に山を下った。これは流石に、怒られるでは済まないだろう。言い訳を考えなければ。


 裏口から戻り、回廊で荒く息をする。土煙は見えないが、何か壊したのは間違いない。


「樒」

「ひっ!」


 低い璃君の声がした。子分は流石に引き渡せない。懐からミカンを出して、素早く朱鬼に押し付ける。逃げて、と口だけで伝えて顔に笑顔を張り付けた。


「ひっ、ひるの、薬ですね? さぁ行きましょう!」


 こうなったらヤケクソだ。璃君に平謝りする役目は、引き受けよう。




 しっかりと薬を飲まされた織実は、璃君を正房に押しとどめる作戦に出ていた。エロ本込みの書庫、その片付けだ。流石の彼も、近くで木簡を集めている。


「ぐぬぬ…………」


 飛び跳ねたら届くだろうか。踏み台の上で考える。身長の縮んだ弊害が、こんな所で出ようとは。あと少しが、どう頑張っても届かない。


 取れさえすれば、コチラの勝ちなので、着地に失敗しても、きっと痛いくらいで終わるだろう。何しろ学校の階段を、十数段転がり落ちてもコブしか出来ない、丈夫さだ。


「ていっ!」


 織実は踏み台の上で、飛び跳ねた。目当ての書物に手が届く。それと一緒に白く埃が降ってきた。思わず目をつむる。着地が大きく傾いた。


 踏み台が音を立てて、床に倒れる。織実はの足は、ぶらりと宙に浮いていた。僅かに息を乱した璃君が、抱き留めてくれたのだ。


「気を付けなさい…………!」

「すっ、すみません」


 よく間に合ったものである。硬質な美貌を彩る青い瞳が、やや座って此方に向いた。


「仙は所詮、老いぬだけだと言ったであろう」

「届くと思ったんですよ!」


 視線を逸らして、減らず口を言ってしまう。早く降ろして欲しい。軽そうに持たれると、微妙な気分だ。


「成長は出来ぬ。慣れてしまいなさい」


 慣れたくない。せめてもう少し上の年齢が良かった。仙境にサバを読まれなければ、十六歳のはずなのに。


「ずっとこのままなんて」

「言っても仕方の無い事だ」


 璃君は溜息をついてから、やっと織実を床に降ろしてくれた。すかさず数歩、距離を取る。


「見た目だけなら、仙術で如何様いかようにも出来る。しょげるのはやめなさい」

「本当に?」

「…………最低でも、自分の気を制御出来ねば、難しい」


 せっかくの良い話も、「気」とかいう眉唾物になれば話は別だ。見えないモノは信用しない。新興宗教に引っ掛からない鉄則だ。


「拳法以外でお願いします」

「其方は、やや脈が弱い。運動しても良い筈だ」

「どうして運動…………」


 やはり運動なのか。体育は高校で終わった筈なのに。だから若返りとか嫌だったんだ。


「見えずとも、血の巡りは分かるだろう? 呼吸もこれと同じだ」

「それ、胎児の呼吸ってヤツでは…………」

「読んで試さなかったのか?」

「試せませんよ。そんなの覚えていませんし」

「…………」

「え、璃君は覚えてるんですか?」

「まさか」


 言った璃君が、そっぽを向いて動きを止めた。何事かと顔を見上げる。眉間に皺だ。そして肩が揺れている。


「っく、ふふふっ、いや、すまない。織実、其方は真面目過ぎるぞ」


 笑われた! 今のところ、笑うところか…………?


「例え話だとは、思わなかったか?」

「たとえ、例え話…………えっ、たとえ!?」


 顔に熱が集まっていく。織実は頭を抱えて小さくなった。笑われる筈だ。気付けば良かった、それくらい。


「水に浮く葉の如き虚脱は、呼吸すら意識の外に忘れさせ、深い瞑想へ導くとされる」

「もっと分かりやすい本、無いんですか!」

「探せば有るやもしれぬが、私にはもう興味の無い事だ」


 そりゃあ、仙人に仙人修行の書物なんて不要だろう。誰だよあんなに集めたの!


「何言ってるんです! あなたの書庫でしょ」

「勝手に増えていくのだ」

「どういう意味です?」

「そのままの意味だ。持ち寄られる」

「誰に?」

「他の仙だ」

「要らないって、言ったら駄目なんですか?」

「今は言えぬ…………其方、本の由来に興味があったのか?」

「えっ、ええと、ほら、璃君が断れないって、どういう事なのかなぁ〜って」

「私の弱みが知りたかったと」

「そんな事、言ってませんよー!」

「では知りたくないと?」

「そこは是非!」


 しまった、つい本音が!





落花流水らっかりゅうすい


過ぎていく春のこと。

人や物おちぶれることや、男女の気持ちが通じ合うことのたとえ。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ