七話:落花流水・前 二度目の落下
璃君の後ろに付いて、土間の調合部屋に入る。早朝なので、流石に白慈は居なかった。
そう言えば、彼の部屋を未だ知らない。調合部屋を見回してみたが、他に扉が二つある。うっかり入って、怒られても大変だ。今は大人しくしていよう。
「樒」
璃君に呼ばれて、渋々薬箪笥の並ぶ続き間に付いて行く。手伝う事でもあるのだろうか。
「手を」
言われて織実は、甲を向けて手を差し出した。すぐひっくり返されて、脈を取られる。
「病気じゃないです」
「静かに」
溜息が出る。脈を取っても、分かるのは心拍数くらいだろう。それとも仙人は違うのか。
大体、寝不足くらいで大袈裟だ。覚悟を決めて、鏡を見るしか無いのかも。クマのせいで、見たくもない自分の顔を見る羽目になるなんて。
軽く現実逃避していると、璃君がやっと手を離す。その手を背中に隠し、織実は何度か手首をさすった。壺に引き込んだあの手は、もっと骨ばっていて柔らかみがあり、何より細かった。だから、璃君の手とは、全く違う。
それに考えてみれば、胸を聴診されるより数倍マシだ。
自分を納得させて部屋を探すと、璃君は引出しを四つほど抱えていた。それを卓に置き、また引出しを開ける。開ける。開ける。何種類出す気だろうか。不安になってきた。
「あの」
「どうした?」
「塗り薬ですか?」
「煎じ薬だ」
「量が多く、ないですか?」
「使うのは少量だ。すぐに終わるから、座っていなさい」
「え、いや、でも」
やめる気は無いようだ。最終的に引出しの数は十四となり、流石に気が遠くなる。素人では無いと思うが、ちょっと怖い。
「病気では…………」
再度言ってみる。見事に聞く気が無さそうだ。確かに胃腸は頑丈で、インフルさんにも全勝中。酔い止めくらいしか、薬は飲んだ事がなかった。不味いの出てきたら、どうしよう。土間をウロウロ歩いて時間を潰す。
「樒」
「はっ、はい!」
「何を驚いている?」
怪訝な顔をされてしまった。薬が怖いとか、絶対に言えない。飲んだ事にして、捨ててしまおうか。
「煮出すには四半時かかる故、後で正房に来なさい」
「なっ!」
「…………素直に飲むとは、思えん」
「そ、そんな事は」
「来なければ、迎えに行く」
言うだけ言って、璃君は部屋から出て行った。やっぱり、変な物を食べさせた、のかもしれない。普段は、もう少し棘があった気がする。親切ではあったけれども。
「どうすんのよ」
頭を抱えて蹲る。璃君でこれだ。朱鬼とミカンはどうなのだろう。昨日は、とても喜んでいたし、普通だった。多分、きっと!
昨日から変なのは、璃君の方だ。
「もしかして、普段は霞食べてるから? 固形はダメだった?」
――――これは聞くしかない、白慈に!
一番簡単な結論を出すと、織実は立ち上がる。
「朝食か…………」
氷室野菜の、謎効果がやはり怖い。他の仙境って、一体、どうなっているのだろう。そういえば以前、此処が浄化に特化する、と璃君が言っていた気がする。
仙境ごとに、何かあるのかもしれない。
「氷室は封印!」
決断したら野草探しだ。
以前は蕗の薹を見かけたと思ったのに、今はちっとも見当たらない。艾らしきものはあるが、実は猛毒で有名な鳥兜と、新芽の頃はそっくりなのだ。だからこれも使えない。
「割と雑草生えてるんだし、何かあるハズ」
植込みを中心に探していくと、やっと見た事のある植物を見つけた。
先端に白い小花を数個咲かせて、葉は柔らかな黄みの緑色。紅葉をデフォルメしたような形なのだが、並ぶ葉は楕円に近かったりと、適当な事をしている植物だ。種付花に違いない。
「懐かしいなぁ」
田舎の山によく生えていた。もう、一年中生えていた気がする。
子どもの頃、白い小花が咲くと「ハコベだ」と思っていた時期があった。しかもそれが、美味しいと誤認していたのだ。
祖母にねだって色々食べさせて貰ったが、どれも悲惨な味で、苦く記憶に残っている。
今、それに助けられているのかと思うと、不思議な気分だ。
「ばぁちゃん、ごめん。でも助かってる」
道連れにした祖母に、心の中で念仏を唱えておく。口に出して、仙境デバフが掛かるとマズいから。ついでに、山ほど生えている桃木から、ピンクの花びらをむしり取る。これで一品は決まりだ。
白い花繋がりで、白詰草も食べられる。
見た目からは想像も出来ない、豆味がする葉だ。あく抜きに茹でるとカサが減るので、せっせと摘んで、色取りには蒲公英。中腰に疲れてきたから、二品で良しとしよう。
「朱鬼を起こすか…………」
怖いけれど仕方ない。火打石は結局、使いこなせないのだ。マッチくらい、あっても良いと思ってしまう。駄目ダメ
「朱鬼ー!」
何時も通り起こしてみると、ミカンと仲良く部屋から出て来た。本当に仲良くなったな、この二人。
「朝ごはん作るから、火点けて~」
「今日はずいぶん、早いのね」
珍しく目をこすっている。普段は洗顔まで終えて、隙のない美少女だ。そんなに早かっただろうか?
「眠かった?」
「寝たりしないわ」
本当なのかな。欠伸もしてたけど。
朱鬼は自称、不食に不眠の人外だ。けれど、食は何度も共にしている。本当は眠れるのかもしれない。それなのに寝ないって、不眠症か?
璃君の薬がマズかったら、朱鬼も仲間に引き入れよう。
「よし!」
気分がやっと上向いた。その気分のまま朝食を作り、自分を誤魔化して正房に行く。ただ、茶色い液体を前にすると、それも揺らいだ。
「本当に薬なんですか?」
「現代倭国に近い物だ。問題なかろう」
「ど、どんな効能です?」
「眠りを良くする」
「…………それだけ?」
「次は昼に。夜の分は持って行く」
「…………」
飲みたくないのが、バレている。薬とは無縁の人生だ。それが必要なくらい、悪いなんて思いたくない。大体、寝不足で薬だなんて。
「樒」
仕方ない。上司に注がれた酒だと思おう。織実はお椀を持って、一気に喉へ流し込んだ。
「あま、にが…………しぶっ」
「水を飲みなさい」
「うぅ」
やはり不味かった。特に後味が最悪だ。口の中に、何かが残っているような違和感がある。
「あたし、病気なんですか?」
「病ではない」
それで薬って、どうなんだろう。ただこれを断るには、勇気と口の上手さが要求される。璃君を言い負かすのは、多分無理だ。
「そんな顔をするな」
「もともと、こんな顔ですよ!」
怒りたいんじゃない。ただの八つ当たりだ。それでもなにかが悔しくて、丸い言葉が出て来ない。
「また昼に来ますから!」
それだけ言って、部屋を出る。逃げるように走っていると、白髪を一筋揺らす、白慈の背中が見えてきた。これから調合部屋に行くのだろう。
「ちょっと待った! 待って白慈!」
「何ですか?」
嫌々足を止めた彼に、織実は即、魔法の言葉をかける。
「今日の璃君、変じゃ無かった?」
「貴女の方が変です」
真顔で言われて、ぎょっとする。あたしが変? いやまて、確かににちょっとおかしい、かもしれない。そこで何度か深呼吸。まさか自分が、話題にされるとは思わなかった。
「おちつけ~、落ち着くんだー」
「それで、どうなさったと?」
「いやあのさ、氷室の野菜を食べてから、なんか変かもしれなくて」
「氷室の?」
白慈は首を傾げた。透けるような黄色の視線が、宙を彷徨う。心当たりは無さそうだ。
「思ったんだけど、他の仙境の野菜って、普通の野菜なの?」
「普通というと?」
「ここの畑で取れるみたいな」
「そうですね、そう言われると…………ただ璃君が、ご存知無いとは思えませんが」
「た、確かに」
「何故、そんな心配を?」
聞かれて言いよどむ。妙に気遣われて困るなど、白慈にだけは言えない。
「貴女の作った昨夜の品ですが、味も見た目も、良く出来ていましたよ?」
「え!?」
「僕に託したのは、毒見の為でしょう?」
「毒? なんでそうなるの!?」
「貴女が自分で行かないなど、怪しいではありませんか」
「怪しかないわよ!」
「すぐ、ムキになりますね。でも素直だ。貴女の事は、大体理解しました」
「は?」
何も言えなくなった織実は、白慈の顔を見上げた。彼との立ち話は、初めてかもしれない。案外背が高く、溜息交じりに見おろしてくる。
「何処か悪いのですか? 璃君から、薬を賜りましたね?」
「な、なんで」
白慈に、揚げ足を取られるなんて、世も末だ。逃げてしまおうかと、内院を見る。
「本当に異常があるのなら、仙人だけに作用する、という事もあります。調べてみましょう」
「いいの!?」
「他に当てが無いのでは?」
「…………宜しくお願いします!」
速攻で頭を下げた。これ以上話していると、顔が赤くなるかもしれない。
褒められ慣れていない人間を、サラッと褒めるなんて。それに薬の事も。分かった理由を聞くのが怖い。もう璃君が、どんな感じに喜んだかなんて、聞けなかった。
本格的に、おかしいのでは。
そう感じた織実は、白慈に礼をしてから内院に降りてみた。
「疲れてんのかなぁ」
溜息混じりに見上げる空は、望月の浮かぶ明るい青だ。手を伸ばしても、届かない月に、未練はまだある。帰りたいし、親に一泡吹かせたい。仕事だって気になるし、失踪扱いとか、正直滅入る。
それはきっと、もうどうにも出来ない事だ。
此処で生きていくしかなくて。それで良いとも、思ってはいる。
「考えたって、仕方ないじゃん」
分かっている。整理が付かないだけだ。薬なんか飲んだって、効くかどうかも分からないのに。足は自然と大門へ向いた。
閂の掛けられていない扉は、重いけれどどうにか開く。朱鬼を誘うのは、また今度になるかもしれない。自分に余裕が無いのだ。それを自覚した。
屋敷の壁を右に進むと、地面は段差が目立ち始めて、桃木も減り雑木林のようになる。耳を澄ますと、水音がした。おやと、首を傾げる。
「川?」
気になって音の方に歩いていく。川なら魚は居ないだろうか。朱鬼もミカンも、栄養的に野菜ばかりでは良くないだろう。
期待して進んでいくと、チラチラと水面の輝きが見えてきた。小川のようだ。幅はあるのに浅いから、魚は住めないだろう。そのまま川下に向かって、捜索する事にした。
「なんか無いかな」
運よく山葵とか。沢蟹とか。ピンクの花弁を浮かべる川は、段々細く深くなり、水量が多くなってきた。聞こえる音的に、滝がありそうだ。崖に手をつき、下を見てみる。
「こんな場所が、あったんだ」
細く優美な滝が落ち、下には湖面が見えていた。落差は、そこらの木よりも高い。
「…………」
落ちたら死にそう、そんな高さだ。ただ、キラキラと反射する湖面が綺麗だとは思った。
「泳げたら良いのに」
ぼんやりと見詰める。風はまだ冷たく、仙境の水は更に冷たい。寒中水泳が出来るほど、心臓に自信は無かった。所詮この程度。自分をしっかり認識しておく。
そろそろ戻って、朱鬼とミカンの面倒を見なくては。それに気付いて、顔を上げた。
「よし!」
気合を入れて立ち上がる。その時、ひときわ強い風が吹いた。その冷たさは、普段と違う。意思を持つように、織実の右手に絡みついた。
「っ!?」
皮膚が歪む。透明な手が、そこを掴んでいるように。血の気が引いた。言葉も出ない。なす術もなく引き寄せられて、身体が宙に投げ出された。
「疾く醒めよ」
「えっ」
女の声が耳元で言う。織実はそのまま、滝壺へと落下した。




