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六話:水到渠成・後 為して成っても


 部屋はもぬけの殻だった。


 朱鬼の記憶と、書庫に璃君。織実はぐしゃぐしゃ頭を掻いた。やる事が多い時に限って、始めた事が、何故か上手に進まない。


「なんで留守!」


 言っても仕方ないのだが、そう言わずにはいられなかった。


 急に戻った朱鬼の記憶が、よりにもよって殺人疑惑。


 これ以上、思い出されては堪らない。部屋に璃君が居ない以上、書庫は危険と言っていいだろう。早く移動しなければ。


 しかし下手に動くと二人に見咎められて、また古文書の解読に付き合わされる。最近、妙な頭痛がするし、夢見も悪くて寝不足なのだ。先生役の寝落ちはマズい。


 となると、朱鬼とミカンが寄り付かない、そんな場所しか無いだろう。大門の外は強風で、禁域の畑には東屋ひとつありはしない。つまり、白慈のところしか無いのだ…………そこも行ったら行ったで、嫌な顔をされるに違いないのだが。


 やってらんない。


 織実は憂鬱な気分で、正房を後にした。正直なところ、白慈とだって仲良くしたい。相手にその気が無いだけで。


 人気の無い回廊をとぼとぼ歩いていると、布の靴先がカツンと何かを蹴飛ばした。


 それは床を滑り、赤い柱の前で動きを止める。不審に思って近寄ると、黄ばんだ歯抜けのくしだった。形は優美な半円形をしているが、細工は無残に剥がれ落ちている。


 辺りを見回してみるも、もちろん誰も居やしない。


 盛大に蹴り飛ばした事もあり、何とも放置は偲びなかった。些細な事で、呪われるかもしれない。


「何で、こんな所に…………」


 蹴ったというのは事実である。散々迷ったが、諦めて拾い上げてみた。かなり年季が入っている。どう見ても女物で、微かに甘い香りが漂ってきた。香木だろうか。


「落とし物?」


 眉が寄る。捨てたと言うには、不自然な場所。讃岐うどんの清掃係もいるのだし、こんな物を好む人物は仙境に一人だけだ。ミミという、出来るだけ出会いたくないあの男。


 無視すれば良かった、と溜息がでる。


 しかし、只で起きては名がすたる。織実は経緯を愚痴りながら、白慈の作業場に居座る口実を手に入れた。


 幸いなのか、案外出て行けとは言われない。


 彼も、手が足りない事実を認めたのだろう。煮たり、混ぜたり、砕いたり。在庫の確認なども、地味に時間がかかる作業だ。それをテキトーに手伝いながら、話しかけてみる。


「ねぇー、白慈」

「何ですか」


 呼ぶと即座に返事が返る。だから出ていけ、と言われる前に織実は口を開いた。


「それ、楽しい?」

「答える必要がありますか?」


 白慈の声は平坦だ。鍋を見詰める横顔に、ひとすじの汗が流れる。愚痴のひとつくらい、言えばいいのに。煮詰める作業は重労働だ。


「代わろっか?」

「結構です」

「大変でしょ?」


 レモンのような黄色の瞳が、織実を一瞥いちべつした。黙れ、と言う事らしい。


「悪い癖が似ると、璃君が悲しむよ?」

「貴女は、口が閉じられないんですか?」

「暇だから無理」


 白慈はとうとう、視線さえ向けなくなった。ぐつぐつと煮える音があるので、無音にならないだけマシか。


「ねぇ、同じ事ばっかりしてるって、疲れない?」

「減らない口ですね、飽きっぽい貴女とは違います」

「そーだけどさぁ…………コツは?」

「…………」


 ぴたりと白慈の手が止まる。その体は織実の方を通り越し、開いたままの扉へ向いた。


「精が出るねぇ、白慈。続けていいよ」


 低く、どこか甘えるような声がする。華やかな衣装に、白緑の髪。


「げっ、ミミ!」

「やぁ樒ちゃん、こんなところで密会? 白慈も隅におけな」

「違います」


 即座に白慈が否定する。あながち、嘘でも無い気もするが。そのまま白慈を見つめていると、何故か青筋を立てそうな勢いで睨まれた。


「邪魔ですから、出て行って下さい!」

「うーん」


 正直言って、ミミが居るなら出て行きたいが、前回のように付いて来ない、という保証もない。そこでふと、拾った櫛を思い出す。


 白慈という保険を掛けて、さっさと彼に返してしまおう。


「ミミさんや、これ落とした、よね?」

「…………おや、拾ったのかい?」


 まるで、捨てたような言い方だ。たれ目の顔は、笑顔の種類が分かりにくい。そう言えばこの男、何時もヘラヘラしているせいで、他の表情をあまりしない気がする。


「使い物にならないよ?」

「いらないの?」


 歯抜けでも、愛着があったのだと思う。そもそも櫛の歯なんて、一度に何本も折れないだろう。折れても使っていたのだ。だからボロボロになった訳で。


「これ、ミミさんのじゃ無いでしょう?」

「私のだよ…………使えないから、いらないね」


 本当に、そうなのだろうか。分かれた女性の物とかなら、確かに要らない、かもしれないが。


「じゃぁ、貰ってもいい?」

「えっ? 使えないよ?」

「そんなの、直してみなきゃ。物は良さそうだし」


 もしかしたら、剣より心穏やかな、朱鬼の体になるかもしれない。璃君に相談しよう。あんなに重たい武器よりはマシだ。その為なら、素直に頼れそうな気さえする。


「直すって…………樒ちゃん、象牙だよ? 欠けたらそれまでだ」


 象牙の性質は知らないけれど、壺の外では割と何でも直る時代だ。織実は櫛を懐に戻した。それをミミが、困惑した表情で見てくる。よし、くなら今だ!


「じゃ、あたしは夕飯作りに戻るから。白慈来る?」

「結構です」

「そ? じゃあ後で璃君に渡す分、取りに来てくれる?」

「は?」


 白慈が、凄い勢いで振り向いた。彼にこの手は、とても良く効く。


「他の仙境からの、お取り寄せ野菜だからね。一応、お礼しとかないと」

「…………悪い物でもお食べに?」

「失礼な。あたしだって、感謝くらいするんです! ともかくお願い!」


 言うだけ言って、作業場を出る。ミミ対策にダッシュもしてみたが、やはり付いて来なかった。


 分かれた女性に、存外未練があるのだろうか。色男でもフラれるんだな、と少し冷静になる。


 まぁ、物に罪はない。朱鬼に使えなければ、他の事に活用しよう。




 その後は氷室に行って、野菜を物色した。


 璃君に持って行くのは本当だ。きっと食べないだろうけど、流石に野草という訳にはいかない。


 精進炒めか、麻婆野菜。その場だったら野菜のしゃぶしゃぶでも見栄えるし、簡単だけれど、今回は同席されると予定が狂う。


 結局、野菜の精進炒めを作り、片栗粉でとろみをつけた。甘酸っぱい味は、主食が無くても良い様に考えた結果である。これで塩味だったら、絶対に白米が欲しくなるからだ。


 雑草を共に食べていた朱鬼とミカンは、目を輝かせて喜んでくれたので、合格だろう。


 白慈は完成前にやって来たので、先に渡して璃君の元に差し向ける。彼が正房から出て来ない限り、主の在境は確実なのだ。そう思ってのんびりしていたせいか、予期せぬ方向から白慈がやって来たのに驚いた。


 手には盆まで持っている。


「え、白慈?」

「璃君は大変お喜びでした」

「えっ?」


 そのまま盆を渡されて、織実は棒立ちになった。君、何処から出て来たんだって、聞こうとしたのに。それなのに、とんでもない事を言われて、柄にもなく戸惑ってしまった。


 お喜びって。


 そんな人じゃ無いでしょう。食べたとしても無言だろうし、間違っても「美味しい」とは言わないハズだ。ただの野菜炒めで、肉も魚も入っていない。「お喜び」って何なのよ。そう考えて気が付いた。きっと白慈なりの気遣いだろう。


 だから、出口が違ったのかも。きっとそうだと、自分に言い聞かせる。


「喜ばれる為に、作ったんじゃないし」


 櫛の相談をする、きっかけみたいなものだ。別に、喜んで欲しかった訳では。


「いやいや」


 何か余計な事を考えそうになり、織実は朱鬼を急かして後片付けをすると、さっさと寝入る事にした。






 寝るのが早いと、起きるのも早朝だ。それなのに、しっかり見たくない夢は見るのだから、嫌になる。とぼとぼと部屋を出て大扉に向かい、扉から何とか外に出た。叫ぶには最適な場所である。


 覚悟していた風は、比較的穏やかだ。朱鬼を連れてくるのにも、良いかもしれない。


 そう思って崖に近寄る。


 断崖絶壁とはよく言うもので、本当に斜面と言うよりは壁だ。雲海の下は、どうなっているのだろう。下を見ようと首を伸ばすと、グイっと後ろに腕を引かれる。


「落ちても知らぬぞ」


 璃君が織実の手を引いていた。強い力では無かったが、数歩たたらを踏んで彼にぶつかる。


「お、おはようございます」

「おはよう」


 青い瞳に見おろされ、慌てて距離を取ってしまった。こんな場所でも会うんだなと、不思議に思ってハッとする。拳法訓練って、朝からだ。


「氷室の野菜を、使ったのだな」


 気まずく視線が彷徨った。本当は、使う気なんて無かったからだ。ただ、璃君を釣る餌に…………いや、御礼がしたかったのは、本当にで。


「希望通りの物が、無かったか?」

「え、いいえ、まさか…………ちょっと、温存しようかなぁ、なんて」


 つい愛想笑いをしてしまう。白慈が変な気を回したせいで、妙にソワソワするではないか。大体、璃君が喜ぶ姿なんて、本人を前にしても想像できない。


「惜しいのであれば、氷室を増やすが」

「や、やめて下さいよ!」


 とんでもない事を言い出したので、慌てて止める。璃君は視線だけを寄越してきた。何故とでも聞くように。


「親切過ぎて怖いんですが」

「好きでやっている事だ、其方が気にする事はない」

「気になるって、言っているんです!」

「考えぬ事だ」


 すごい事を言われた。何時にも増して、変な気がする。悪い物でも食べたんじゃ…………昨夜の野菜炒めか? それは候補に入れたくない。


「明日もまた、此処に来なさい」

「え、なんで!?」

「山の上は、嫌なのだろう?」


 やはり、拳法の事は覚えていたようだ。両親が学者のせいなのか、織実は水泳以外で良かった運動の思い出がない。ぐぬぬと渋面になる。


 運動音痴が知られるのは、普通に嫌だ。


 大体、ミカンが拳法のポーズを取っても、可愛いだけだが…………あの謎ポーズを、朝から誰かに見られながらとか、普通に罰ゲームである。


「だから、イヤですって! 拳法とか、無理なんですよ!」

「やった事も、無いのであろう?」

「あってもイヤです!」


 息も荒く訴えると、璃君はやや思案顔になった。


「食は問題無いと判断したが、朝は特に、顔色が悪い」


 ジッと璃君に観察されて、織実は思わず後ずさる。あからさまに、見ないで欲しい。


「夢見はまだ、悪いのか」

「…………えぇ、まぁ」


 苦く答える。悪い上に、だんだん長くなっているのだ。悪夢の続編なんて、お呼びではない。


「…………低反発の枕は、持ち込めなかった」

「えっ? それって、本当に?」


 確か以前、八つ当たり気味に言った気がする。


 思い出して恥ずかしくなった。あの時は、出来る限り揃えると言われて、期待してしまったのだ。ただ、出来る範囲の贅沢こそが、本当の意味での贅沢で。自分でどうにも出来ない物を、ねだる人生にはしたくない。


「あの、わざわざ、ありがとうございます」

「自然の理から、離れ過ぎたのであろう。弾け飛んでしまってな」


 弾け飛…………って、いや、枕で良かった。もしも硬い物で、璃君に怪我などさせたら、大変だ。迂闊に物を欲しがらないよう、戒めにしよう。


「パウダービーズとやらも駄目であったし、羽毛はどうなのだ?」

「まっ、枕はもう、いいです!」


 ハッキリ宣言しておく。枕探しをされていたなんて、それも璃君に。もう夢は、枕一つでどうにかなるとも思えない。


「色々、ありがとうございました」


 二度として欲しくないので、丁寧に頭を下げておく。諦めてくれるだろうか。璃君は微妙に、諦めが悪い部類に入るような気がしてきた。


 代案は無いのだろうか。いや、あったら既に熟睡してる。


 熟睡だけでいいのなら、いっそ薬はどうだろう。白慈あたりが、詳しいかもしれない。聞くのはタダだ。


「眠れる薬が無いか、白慈に聞いてみよう、かなぁ~」


 大きな独り言を言ってから、璃君の様子を伺ってみる。目が合った。割と機嫌が悪そうだ。


「私が調合する。来なさい」

「ん!?」


 門に向かって歩き出した璃君を、織実は慌てて追いかけた。


 その凛とした後ろ姿に、違う、そうじゃないと、声を掛ける勇気は出てこない。もしかすると本当に、変な物を食べさせてしまったのでは。織実は急に、朱鬼とミカンに会うのが、怖くなった。


 おかしくなって怖いのは、どう考えてもあの二人なのだ。







水到渠成すいとうきょせい


学問を身につけると、徳も自然に備わること。

または、物事は手を加えなくても、時がたてば自然と望んだとおりになるということ。




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