前哨戦5
同じ頃、日本軍の第二次攻撃隊がTF17の姿を眼下に捉えようとしていた。
第一次攻撃隊と同様、敵艦隊の20海里手前から迎撃を受けた第二次攻撃隊だったが、この時点でTF17に残されていたF4Fの稼働機は僅か17機でしかなく、一方で攻撃隊の護衛には36機の零戦が随伴していた。
このうち制空任務を担当する一航戦の戦闘機隊だけでも24機の陣容で、彼らは迎撃に上がってきたF4Fを視認するや、獲物を奪い合うようにして突進していった。
アメリカ軍の直掩隊がすでに逃げ腰だったことも手伝って、猛禽類のごとく襲い掛かった零戦隊は、戦闘開始から10分足らずのうちにF4Fの半数を撃墜し、自らの被害は皆無という快挙を成し遂げていた。
その後も、生き延びることが最優先の任務となった米戦闘機隊を徹底的に追い回し、遂には全機を海面へと叩き落している。
第二次攻撃隊は、がら空きとなった敵艦隊上空へと進入していったが、攻撃隊を率いる「蒼龍」艦爆隊長江草隆繁少佐は、わずかに首を傾げた。
「一次の連中が沈めたのは、1隻だったはずだな」
米艦隊は、旗艦と思しき空母を中核として輪形陣を組んでいるが、第一次攻撃隊の戦果報告によれば、「敵空母1隻撃沈確実、1隻大破」となっており、帰還途中の攻撃隊にも問い合わせたことからもこれは間違いないはずであった。
「沈んだか……あるいは離脱したか?」
江草は難しい表情で自問した。
敵空母が沈んだ、あるいは自沈処分されたのなら問題はない。しかし、戦場を離脱しようとしているのであれば話は変わってくる。
第一航空艦隊に与えられた至上命題は、艦隊決戦時における制空権の確保であり、それを完全にするには敵機動部隊を完全に撃滅する必要がある。しかも、アメリカ軍の艦艇は応急修理能力が非常に高いということも周知されていた。
(万が一、離脱した敵空母が航空機運用能力を残していれば厄介だ)
そう考え、江草は断を下した。
「よし、第二中隊と『飛龍』隊は護衛を叩け、『白龍』『黒龍』隊は空母をやれ。残りは進撃を続行し、避退中の空母を叩く」
江草が命じると、各隊の隊長から即座に「了解」の言葉が返された。
「イギリスさまさまだな」
無線機から聞こえる明瞭な音声に、江草は苦笑交じりに呟いた。
1年ほど前まで、日本軍の航空機が装備していた無線機は不良品ばかりであった。かさばる上に重く、雑音ばかりを吐きだすため、とくに戦闘機の搭乗員たちからは不評で、取り外す者すらいたほどだった。
しかし、1940年に締結された日英通商同盟によってイギリスから様々な分野の先端技術が提供されたことで、帝国海軍の無線機技術は格段に進歩することとなり、現在では実用に耐えられるだけの無線機の開発に成功していた。
ただし、高性能無線機は開発されてから日が浅く、母艦航空隊に最優先で配備されてはいるものの、艦爆や艦攻の一部に配備されるにとどまっていた。
実戦配備の遅れはともかく、通商同盟による恩恵は大きかった。
現在では海軍の主要艦艇のほとんどが装備する対空・対水上電探は、イギリスからの技術提供がなければいまだ試作段階であっただろうし、内地で開発中の新型航空機用エンジンも、実機試験を行うどころか、おそらく紙面上にしか存在していなかっただろう。
その対価として、日本は陸軍の兵器生産を縮小してイギリスの求める戦車や航空機の生産と輸出を行っているし、海軍も秘匿兵器であった酸素魚雷の技術提供や、海上護衛総隊の過半を地中海戦線に投入して海洋交通路の確保を行っている訳だが、それだけの価値はあると見なければならなかった。
激戦が伝わる地中海の対潜水艦戦に思いをはせた江草は、かぶりを振って雑念を払った。
いまは、世界初となる空母決戦の最中である。盟邦への感謝や、友軍の奮戦を思うより、まずは敵艦隊を叩きのめすのが先決であった。
江草は直卒する「蒼龍」艦爆隊の9機と、一航戦の精鋭である27機の「翔鶴」艦攻隊を引き連れて南下を続けたが、やがて白い航跡を認めて口角を釣り上げた。
日本軍攻撃隊の分散は、「ヨークタウン」艦上からも見て取れた。
「見逃してはくれんか」
忌々しげに言い放ち、フレッチャーは唇を噛んだ。
第一次空襲で大きな損傷を負った「ワスプ」は、航空機運用能力を喪失したこともあって艦隊から分離し、駆逐艦4隻の護衛を受けて後方に下がっていた。
すでに「エンタープライズ」「ホーネット」の2隻を戦列から失い、乾坤一擲の全力攻撃を凌がれた以上、アメリカ軍空母部隊に日本軍機動部隊を撃破する力はない。しかし、空母が1隻でも健在である限り、艦隊決戦時における制空権は維持できる。
いや、彼我の戦闘機の質と数の差を考えれば、それすらも難しいかもしれないが、ともかく制空権を完全に明け渡すような事態だけは避けられるはずだ。
敵機動部隊の撃滅に失敗した以上、TF17が果たすべき最低限の任務は、艦隊戦時に味方戦艦の頭上に傘をさすことであり、そのためには、「ワスプ」か「ヨークタウン」どちらかの存在が必要不可欠であった。
だからこそ、フレッチャーは「ワスプ」を分離し、「ヨークタウン」以下のTF17全艦をあえて日本艦隊に向けて突撃させ続けたのである。
日本軍の立場で考えれば、損傷して後退しつつある「ワスプ」よりも、ほとんど無傷で接近を続ける「ヨークタウン」の方が遥かに脅威の度合いは大きい。
日本軍にしても、旗艦が健在であることは承知しているはずで、まずは無傷の「ヨークタウン」に襲い掛かってくるのは明白であった。
先の空襲こそ軽微な損傷で切り抜けたが、集中攻撃を受けて撃沈された「ホーネット」の惨状を見れば、「ヨークタウン」も同じ末路を辿るだろうことは容易に想像できる。
大破した「ワスプ」を囮にすることも考えないではなかったが、機関にも打撃を受けて速力を減じた艦では、日本軍機の猛攻撃を支えることは不可能だろう。
最悪の場合、「ヨークタウン」ともども「ワスプ」も無為に失いかねない。
飛行甲板を叩き潰され、機関部にも損傷を受けた「ワスプ」は、もはやまともな戦力としては数えられないが、合衆国海軍のダメージ・コントロールは優秀だ。とくに、戦艦や空母といった大型艦艇に乗艦するチームには特に優秀な人員が割り当てられるし、応急修理用の資材も豊富に用意されている。
「ワスプ」の被害は艦体上部に止まっており、飛行甲板の破孔さえ塞ぐことができれば、航空機の運用は可能と報告されていた。
すでに、出撃した攻撃隊にはTF17ではなく、後方に避退中の「ワスプ」に降りるように通達済みであった。このことからも、フレッチャーが悲壮な覚悟を固めていたことが窺えた。
しかし、日本軍攻撃隊はフレッチャーの覚悟を嘲笑うかのように、本隊と「ワスプ」を同時に叩こうとしていた。
「長官……!」
かすれた声に振り返ると、蒼ざめた顔の参謀長がしきりに後方を気にしていた。
「自力で、逃れてもらう他ない」
もはや、TF17にできることは無い。増援を派遣しようにも、艦艇の速力では航空機には追い付けないし、直掩機隊は日本軍戦闘機隊に追い回されて、身を守るだけで精いっぱいという有様であった。
とはいえ、追撃に向かった日本軍機は少数である。敵機のほとんどはTF17に向かってきており、その点ではフレッチャーの企みは成功したと言えるが、しかし、護衛が駆逐艦4隻では対空砲火による援護は望めない。
しかし、日本軍の追跡を逃れられる可能性もある。TF17本隊が前進し、「ワスプ」は後退しているため、彼我の距離は開いているはずである。日本軍機が航法を誤る、あるいは捜索海面を誤認して「ワスプ」を見逃す可能性はあったが……。
「ああっ『クインシー』被弾! 速力低下!!」
艦橋見張の上ずった叫びが、フレッチャーの思考を中断させた。
視線を移せば、旗艦の左舷前方を固めていたニューオリンズ級重巡の1隻が、火焔と黒煙を噴き上げながら隊列を離れようとしていた。
「護衛を先に潰す気か」
日本軍の目論見を悟り、フレッチャーは唸るような声を発した。
対空砲火で航空機を撃退するのが難しいことは、先の空襲で思い知らされたが、その上で日本軍は「ヨークタウン」を守る最後の盾を粉砕した上で雷撃隊を突撃させ、確実に仕留めようというのだろう。
しかし、ここで巡洋艦戦隊が回避行動をとってしまえば、それこそ日本軍雷撃隊は勇躍して突撃を開始するだろう。それが分かっているからこそ、フレッチャーは重巡戦隊に回避を命じることができないし、各艦の艦長も対空砲火で降爆隊を迎え撃つしかない。
TF17に所属する重巡洋艦は全艦がニューオリンズ級によって構成されている。
同艦級は、合衆国海軍の条約型重巡洋艦の中では最良の防御力を持つが、前級のポートランド級に比べて船体寸法や艦橋などの構造が縮小されているため、補助兵装の装備数が少なく、対空戦闘能力では劣っている。
とはいえ、もともと3隻のニューオリンズ級はTF2に配備されていたものだ。それが、本隊の戦線離脱に伴って空母部隊に配備され、しかも日本軍機の大空襲を受けているのだから、彼女らにしてみれば貧乏くじもいい所だろう。
「やられた、『アストリア』もやられたぞ!」
「『ヴィンセンス』被弾!」
参謀の叫びに重なり、努めて冷静な見張の声が響いた。
「なんてことだ……!」
フレッチャーは、思わず呻いた。
被弾した重巡のうち、「クインシー」「ヴィンセンス」は機関を損傷したらしく、速力を減じて取り残されつつあった。右舷後方を守る「アストリア」だけは戦列に留まっているものの、「ヨークタウン」を守る盾は崩壊したのだ。
「本命が来るぞ、敵雷撃機に対空砲火を集中させろ!」
「来たっ、右舷前方、雷撃機だ!」
バックマスター艦長が命じると同時に、年若い見張員が悲鳴じみた叫びを上げた。
それを皮切りとして、各方向から雷撃機出現の報告が飛び込んできた。敵雷撃機は、いくつもの群れに分かれて輪形陣を突破し、目標とした「ヨークタウン」を包囲するようにして肉薄雷撃を狙っている。
「撃ちまくれ!」
バックマスター艦長がけしかけるように命じ、「ヨークタウン」の両舷に装備された両用砲と機銃が、一斉に対空砲火の火蓋を切った。
「敵雷撃機、後方からも接近。……「アストリア」転舵します!」
極めて冷静に報告を続けていたベテラン見張員だったが、ここに至って驚いたように僚艦の転舵を報告した。
見れば、「アストリア」が面舵を切って、後方から接近する雷撃機と「ヨークタウン」の間に立ちはだかろうとしていた。
「すまん」
その様子を横目に見ながら、バックマスター艦長は冷静に回避の時宜を計っていた。
「……取り舵一杯!」
左舷側から迫っている雷撃機が、最も動きが速いと判断して、バックマスター艦長は即座に転舵を命じた。
絶妙な時宜を捉えた回避運動であった。「ヨークタウン」は左舷前方から迫っていた雷撃隊の攻撃を回避し、続けざまの急速回頭によって右舷前方から迫っていた9機もの雷撃機の攻撃さえも躱し切ったのである。
しかし、バックマスター艦長には額に滲んだ汗を拭う間すらなかった。
「『アストリア』被雷! あっ、新手の雷撃機が来ます!」
先に転舵を知らせたのと同じベテラン見張員が、悲鳴の混じった叫びを上げた。
それと同時に、各所から新手の出現が報告された。
「しまった!」
先の攻撃が、日本軍機の罠であったことを悟ってバックマスター艦長は叫んだが、しかしどうしようもなかっただろう。むしろ、二度に渡る雷撃を回避しきったことこそ、称賛するべきものであったからだ。
連続した回避運動によって孤立した「ヨークタウン」に迫っているのは、「白龍」「黒龍」雷撃隊の精鋭ばかりを集めた、いわば主力隊ともいうべき36機であったが、彼らのうち9機は割り込んできた重巡に雷撃を行ったため、実際には27機が残る敵空母を仕留めるべく、必殺の包囲雷撃を敢行しようとしていた。
破局を悟りながらも、必死に操艦を続けるバックマスター艦長の執念に応えるように、「ヨークタウン」は身をくねらせて雷撃を躱し続けた。
しかし――
「雷跡近い、当たります!」
次の瞬間、蹴とばされたような衝撃が「ヨークタウン」を刺し貫いた。
「食らったぞ!」
副長が叫び、被害状況を問い合わせるべく艦内電話に飛びついた。
被害報告がもたらされるよりも早く、2本の魚雷が間をおかずに右舷艦首付近に突き刺さり、巨大な水柱を奔騰させた。
最大戦速で走っていた「ヨークタウン」は、急制動を掛けられたように速力を減じさせ、同時に凄まじい衝撃が艦橋を襲い、そこに詰めていた人員を振り回した。
咄嗟に手摺にしがみついたフレッチャーはどうにか持ち堪えたが、艦橋職員の多くは床や壁に叩き付けられた様子で、そこかしこから呻き声が聞こえてきた。
彼らに向かって呼びかけようとした瞬間、4本目の魚雷が命中した。
愕然と目を見開いたフレッチャーの目に、「ヨークタウン」の左舷艦首に高々と奔騰する水柱が映し出された。
「やられた……」
致命傷を受けたと悟り、フレッチャーは呻いた。
被雷の衝撃が収まった時、惰性で前進を続けてきた「ヨークタウン」は完全に行き足を失い、突っ伏すようにして海上に停止していた。
「右舷艦尾に被雷、三番、四番推進軸損壊!」
ようやく、最初の被雷による被害が報告された。
こちらの被害も大きい。右舷側2基の推進軸を破壊された以上、「ヨークタウン」は大幅に速力を減じたうえ、なかば運動の自由を喪失したようなものだ。
主舵が健在であれば、艦を直進させることは可能だが、急速回頭を行うような戦闘機動はまったく不可能だし、そもそも推進軸に被害を受けているのだから、舵にも何らかの損傷を負っていると考えるのが自然であろう。
しかし目下の問題は、艦首から発生している大浸水であった。
被雷の直前まで最大戦速で走っていたため、艦首の破孔から流れ込んだ海水の圧力が増大し、水密区画を次々にぶち抜いて浸水を拡大させたのである。
手摺に縋りつき、ようやく立ち上がったフレッチャーは声を失った。艦首は大きく沈みこんでおり、押し寄せる波頭が飛行甲板の前縁を洗っていた。
「ヨークタウン」は助かるまい。驚くほど冷静にフレッチャーは思ったが、しかし日本軍の攻撃が終了した訳ではなかった。
「敵雷撃機、さらに来まぁす!」
見張所からの年若い見張の絶叫が響き、フレッチャーは身体をよじって視線を動かした。
炎上する重巡「アストリア」の艦尾をすり抜けるようにして、スマートな雷撃機が2機、翼を連ねて迫っていた。
「ヨークタウン」からの反撃はない。両舷に装備された機銃座には、海面に投げ出されなかった乗員がいくらか残っているが、海面に振り落とされないように縋りつくのが精一杯で、引き金を引くどころではなかった。
フレッチャーは、急坂となった艦橋をどうにか移動し、艦内電話に飛びついた。
「私はフレッチャーだ。総員退艦だ、急げ!」
すでに艦内電路も切断されているかもしれず、全艦に命令が伝わるかどうかも分からないが、それでも叫ばずにはいられなかった。
「敵機、魚雷投下!」
「退艦しろっ、急げ!」
見張所に向かって怒鳴りつけ、フレッチャーは再び艦内電話を握りしめた。
「繰り返す。総員退艦だ!」
魚雷命中の衝撃が襲うまで、フレッチャーは退艦命令を叫び続けた。