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蒼海の墓標   作者: 絶海戦線
激震編
6/11

前哨戦2

「ヨークタウン」戦闘機隊長ハワード・ロス少佐の指揮する直掩隊は、旗艦からの誘導を受けて東方に進出していたが、やがて日本軍攻撃隊を遠望した。

 その数が直掩機と同程度か、やや少ないと直感したロス少佐はにんまりした。敵編隊は分散しているらしく、各個撃破のチャンスだ。まず眼下の編隊を撃破して、あとから来る奴らもやっつけてやろう。

 しかしこれは彼の勘違いで、眼下の編隊は攻撃隊の前衛を形成していた一航戦の戦闘機隊で、その任務は敵艦隊上空の戦闘機を撃破することであった。

 ロス少佐は、列機を誘導しながら攻撃の時宜を計っていたが、敵編隊の全機が上昇に転じたことで相手が制空隊であることに気が付いた。

 敵の戦闘機を回避して、後方から来る艦爆や艦攻を叩くという選択肢もあったのだが、敵機が上昇に転じると同時に味方機の多くが逆落としに突っ込んでいた。

 自分の部隊だけでも本隊攻撃に向かおうとも考えたが、すでに「ヨークタウン」戦闘機隊も多くが突っ込んでしまっている……戦力の分散はするべきではない。少佐も逡巡を振り切って急降下に転じた。

 上昇してくる敵機のうち、手近な1機に狙いを定めて12・7ミリ機銃を発射した。両翼から吹き伸びた4条の青白い曳痕が眼下の敵に殺到していく。しかし、射弾が到達した時には、敵機はすでにその空域には存在していない。

 自らの射撃が空振りに終わったと判断するや、ロス少佐は急激に機首を引き起こして垂直旋回に入り、敵機の背後に回り込もうとした。

 しかし敵機の方が素早い。視界に入っていたはずの灰白色の機体がフッと見えなくなり、ロス少佐は心臓が凍った。後ろに回られたかもしれない。だが、振り返って確認する余裕はない。必死に機体を左右に振ると、風防のすぐ脇を機銃弾が通り抜けた。

 喉まで出かかった悲鳴を押し殺して、操縦桿を思い切り倒す。F4Fが右の垂直旋回に入った途端、真っ赤な曳痕が左の翼端を掠めた。

 首を捻って背後を確認すると、敵機も右旋回で食い下がって来ていた。敵機はかなり小回りが利くようで、F4Fの旋回半径の内側に潜り込むようにして徐々に距離を詰めてくる。

 慌てて操縦桿を逆に倒し、左旋回に切り替えるが、敵機は遅れることなく追随してくる。すぐさま右旋回に切り替え、また左へ、右へと旋回を繰り返すが、敵機は糸で繋がれているかのようにぴったりと貼りついてくる。

 少佐の口から呻き声が漏れた瞬間、敵機の両翼が真っ赤に染まった。


「なんてことだ……」

 アメリカ海軍唯一の空母機動部隊――第17任務部隊を率いるフランク・J・フレッチャー少将は、呆然とした面持ちで双眼鏡を下ろした。

 イギリス本土航空戦において、ヨーロッパ最強と謳われたドイツ空軍を蹴散らした日本軍の新鋭戦闘機――通称ゼロ・ファイターの噂は訊いていたが、彼もまた多くのアメリカ軍人と同様に『日本人にそんな戦闘機が作れるはずがない』と一笑に付したのだ。

 日本海軍との決戦を見据えた作戦会議でも、日本軍戦艦部隊を警戒する一方で空母を含む航空部隊に対しては楽観的な意見が大部分を占めていた。

 太平洋艦隊司令部はもちろん、実際に空母部隊と矛を交える機動部隊の将兵……司令官であるフレッチャーや各空母の艦長、果ては母艦機の搭乗員たちに至るまで、日本軍の航空戦力を過小評価していたのである。

 だが、それは大きな間違いであった。

 東の空に展開する戦闘機同士の空中戦は、明らかに日本軍が優勢だ。煙を吐いて落ちていく機体は明らかにF4Fの方が多い。直掩隊はすでに半数近くにまで打ち減らされているが、日本側はさほど数を減らしていないように見える。

 圧倒的と言っていい日本軍戦闘機隊の戦闘力であったが、それでも充分な数の直掩戦闘機を上げることができていれば、結果は変わっていたかもしれない。

 しかし現実には、日本軍と同程度の戦闘機を上げてやるのが精一杯だった。攻撃を重視して、攻撃隊に付随させる戦闘機に比重を置き過ぎたというのもその一因だが、やはり「エンタープライズ」の脱落が痛かった。

 太平洋艦隊には、1930年代に入って就役した新鋭のヨークタウン級航空母艦が集中配備されていたが、日本海軍との決戦に備えてメジュロ環礁へ集結する最中、第16任務部隊が潜水艦による攻撃を受け、よりにもよって旗艦を撃破されてしまった。

 魚雷2本を受けた「エンタープライズ」は、沈没は免れたものの航空機運用能力を喪失してしまい、護衛を伴ってハワイに戻されている。

 太平洋艦隊を襲った不運はそれだけではない。第16、第17両任務部隊の統一指揮を執る筈であったウィリアム・F・ハルゼー中将も旗艦艦上で負傷してしまい、「エンタープライズ」ともどもハワイに舞い戻っている。

 呪詛の言葉を吐いて、フレッチャーは再び双眼鏡を覗き込む。

 防戦一方に追い込まれている味方戦闘機隊の向こうに、日本軍攻撃隊の本隊と思しき編隊が見え始めていた。

 敵編隊は機種ごとに三群に分かれ、整然とした隊列を組んで迫っている。それに気づいた直掩隊はどうにか制空隊を振り切って本隊に向かおうとするが、零戦が最も力を発揮する低空での格闘戦に巻き込まれているために、それも難しかった。

 それでも一部の機体が乱戦を抜け出して攻撃隊本隊に向かったが、本隊に付随していた二航戦の零戦隊に阻まれて艦爆や艦攻を攻撃するどころではなかった。

「安全措置を完全にやってくれ」

 フレッチャーは、バックマスター艦長を振り返った。

「爆弾を食らっても、火災は出すな」

 直掩機が当てにならないとなれば、後は対空砲火と操艦で凌ぐほかない。

 幸いというべきか、任務部隊が統合されたことで護衛兵力は大きくなっている。重巡洋艦3隻に軽巡洋艦4隻、駆逐艦16隻――空母3隻を護衛するには充分すぎる艦艇だが、対空砲火だけで敵機の大軍を撃退できるとは思っていない。

 この上は、被害を最小限にとどめることが指揮官としての責務であった。

 指示を出し終えたフレッチャーが再び視線を上向けた時、対空砲火の火蓋が切られた。たちまち艦隊上空が黒煙に覆われるが、日本軍機は臆した様子もなく突進してくる。

 両用砲の追撃を受けながら上空へと駆けあがった艦爆隊が、まず攻撃態勢に入った。列機と共に一本棒を形成して急降下を開始した。対空砲火が集中するが、躊躇する様子もない。相当に訓練されているのが分かった。

 艦爆隊に対空砲火が集中すると、その間隙を縫うようにして艦攻隊が突っ込んできた。各艦の機銃が射撃を開始し、海面は喧騒と硝煙の匂いに包まれる。しかし艦攻隊は海面スレスレの超低空飛行で火箭を掻い潜りながら空母目掛けて殺到してくる。

 艦爆隊の攻撃が始まり、標的となった空母は猛然と波を蹴立てて回避運動に入った。

 日本軍爆撃隊の攻撃は正確かつ熾烈であり、「ヨークタウン」も早々と至近弾の水柱に取り囲まれた。しかし、バックマスター艦長の操艦は的確で、日本軍機の投じた爆弾はきわどい所で外れ続けていた。

「左舷、雷撃機!」

 見張員の絶叫に、艦橋に居る全員の目が吸い付けられた。

 左舷艦首方向から、3機の雷撃機が突っ込んでくると、次々と魚雷を発射した。敵ながら鮮やかな手際だ。飛行甲板すれすれに引き起こして離脱していく。機銃が猛然と撃ちまくるが、追い打ちはなかなか当たらない。

 悪いことに、「ヨークタウン」は右回頭に入ったばかりだ。すでに加速がついてしまっているから、今から舵を切り返したとしても魚雷を避けられるかは分からない。それでもバックマスター艦長は叫んだ。

「取り舵一杯!」

 艦橋下にある操舵室では、操舵員が必死に舵輪を逆回転させた。

 ヨークタウン級航空母艦は基準排水量1万9800トンの中型空母で運動性はいいが、それでも駆逐艦のように瞬時に舵を効かせるわけにはいかない。最大戦速で突っ走っているにせよ、空走距離は発生してしまうのだ。

「右舷前方、雷撃機!」

 またも見張が叫んだ。

 右舷艦首方向から、新手の雷撃機が6機迫っていた。そのうち1機は横合いから浴びせられた火箭に絡め取られて散華し、さらに1機が「ヨークタウン」が備える28ミリ機銃の水平射撃を浴びて海面に叩き付けられた。

 しかし残る4機が果敢に突っ込んでくると、一斉に魚雷を投下した。雷撃を終えた敵機は飛行甲板を掠めるように離脱していき、それを追いかけるようにして4本の青白い航跡が「ヨークタウン」の右舷に向かってくる。

 バックマスター艦長は蒼白になった。

 このまま取り舵を切り続けた場合、新手の放った魚雷に無防備な横腹を晒してしまう。しかし右回頭をしようとすれば今度は最初の魚雷に左舷を晒すことになる。

 進退窮まった状態だが、しかしどうにかしなければならない。

「舵そのまま、最大戦速!」

 伝声管に怒鳴り込みながら、バックマスターは冷静に時宜を測っていた。

「『ホーネット』が……」

 呻くような声が見張所から聞こえるが、今は僚艦に意識を割く余裕はない。全神経を敵魚雷へと注ぎ込みながら、伝声管を握りしめる。

「……舵戻せ!」

 一か八か、新手の魚雷は並進して回避するしかない。

 艦橋に詰める全員が固唾を飲んで見守る中、「ヨークタウン」は左舷側から放たれた魚雷3本を見事に回避する。それに胸をなでおろす暇もなく、今度は新手が放った4本の魚雷が追いすがるようにして殺到してきた。

「雷跡至近、当たります!」

 見張員の絶叫と共に、青白い航跡が飛行甲板の縁に消えた。破局を悟ったフレッチャー以下全員が両足に力を込めて衝撃に備えた。しかし、魚雷命中の衝撃はいつまでたっても襲ってはこなかった。

「て、敵魚雷、左舷スレスレを抜けました!」

 ――どうやら巨大な厄災は免れたらしい。

 フレッチャーが重苦しいため息を漏らした瞬間、悲鳴にも似た報告が艦橋に響いた。

「『ワスプ』被弾、炎上しつつあり!」


 隊列の後方に位置していた「ワスプ」は、日本軍機の攻撃を受けるまでにはいくぶんの猶予があり、前方で展開される戦闘を眺めることになった。

 日本軍機の攻撃は熾烈かつ正確なもので、マイルズ艦長は喉が干乾びるような感覚と共に双眼鏡を覗き込んでいた。

 しかし、さすがに旗艦を預かるバックマスター艦長の手腕は見事と言う他なく、的確な操艦によって連続する攻撃を回避し続けていた。一方で「ホーネット」のメイソン大佐は先月末に艦長職を引き継いだばかりであり、操艦の冴えを欠いていた。

 しかも、どうやら敵の攻撃は「ホーネット」に集中しているらしく、「ヨークタウン」を上回る規模での雷爆同時攻撃を受けている。

 それでも必死に逃げ回っているが、限界は近いように思われた。

 果たして飛行甲板に爆弾命中の閃光が走り、黒煙を噴き上げ始めると、今度は舷側から巨大な水柱と火焔が立ち昇った。どうやら魚雷を食らったらしい。

 マイルズ艦長は声を上げかけたが、すでに僚艦に気を配っている余裕はなかった。「ワスプ」に対しても、日本軍爆撃機の攻撃が始まったのである。

「ワスプ」にとって幸運だったのは、二航戦の艦攻隊がすべて隊列の前方に居た「ヨークタウン」と「ホーネット」に向かっていったため、雷爆同時攻撃を回避できたことだ。

 日本軍爆撃機隊の技量は抜群であったが、急降下爆撃機だけでの攻撃は単調なものにならざるを得ず、マイルズ艦長の操艦の切れもあって、きわどい所ではあったが連続する爆撃を切り抜けることに成功していた。

 しかし相手は日本海軍屈指の練度を誇る「翔鶴」艦爆隊である。マイルズ艦長の鮮やかな操艦を見て取るや、千早武彦隊長は即座に攻撃計画を変更した。

「敵機、本艦を包囲します!」

 見張員の叫びに、マイルズ艦長は血走った目を向けた。

 艦隊上空は交錯する機銃と高角砲弾の真っ赤な軌跡に埋め尽くされ、その炸裂煙でどす黒く染まっていた。その中で、金属のきらめきがパッと離れた。

 敵機は3機から6機の小編隊に分かれて「ワスプ」を包囲しようとしている。「ワスプ」と周囲を囲む護衛艦艇は猛烈な勢いで対空砲火を噴き上げているものの、目標が分散してしまったために少なからぬ混乱が生じていた。

「敵急降下爆撃機、突っ込んでくる!」

 そう叫ぶなり、見張員はその場に突っ伏してしまった。

「と、取り舵一杯!」

 マイルズ自身も、そう叫んだ瞬間に鉄兜を抑えて身をかがめた。

 それまでも、敵急降下爆撃機の肉薄ぶりは「ワスプ」の乗員達を驚愕させていた。それは文字通りの急降下爆撃で、爆弾ごと突っ込んでくる。そのまま甲板に激突しかねないところまで突っ込んできてから、ようやく爆弾を投下していく。

 危険極まりないクレージーな攻撃法だが、今度の奴らはさらに連携が良かった。

 艦首側から降下してきた3機は囮だった。爆撃を回避しようと艦を逆に動かしたところで、分散した編隊が絶妙な時間差を伴って突っ込んできた。

 最初の3機が落とした爆弾は、辛うじて命中を免れた。だが続けざまに降下してきた10機以上の機体は、艦の未来位置に向かって降下してきた。そのうちの何機かが被弾して黒煙を噴き始めるが、他の機体は構わずに突っ込んでくる。

 破局を悟ったマイルズが目を閉ざした瞬間、「ワスプ」は激しく身震いした。

 日本海軍の主力爆撃機である九九式艦上爆撃機が装備する25番通常爆弾――250キロ対艦船用爆弾は主に空母の飛行甲板を破壊するための小型爆弾であり、戦艦や空母といった大型艦に致命傷を与えられる破壊力は持たない。

 しかしこの時「ワスプ」を襲った直撃弾は7発を数えており、破壊力の限定された小型爆弾といえどもその被害は甚大なものであった。

 手摺を支えに立ち上がったマイルズ艦長は、眼下の惨状に顔を歪めた。

 敵弾は艦中央部から後部にかけて命中し、飛行甲板の大部分を引き剥がしている。格納甲板で発生している火災はかなりの規模らしく、飛行甲板に穿たれた破孔と舷側の開口部からは濛々と黒煙が湧き出していた。

 速力も衰えているように感じられたが、それは正しかった。

 中央部の命中した爆弾のうちの1発が缶室から出ている煙路の中で炸裂して2基のボイラーを破壊した上、左舷艦尾付近に生じた至近弾によって左外側の推進軸が歪んで高速発揮は不可能となっていた。

 しかし目下の問題は格納庫の火災である。

 艦中央部に集中した直撃弾によって格納甲板に装備されていた消火設備にも大きな被害が生じてしまい、ダメージ・コントロール・チームの奮戦もむなしく、火災は前部格納庫にまで広がりつつあった。

 その報告を受けて、マイルズ艦長は青くなった。前部格納庫には火薬庫とガソリンタンクがある。これらに引火するようなことになれば「ワスプ」は吹っ飛んでしまう。

「どうにか火災を食い止めろ!」

 その命令を発した瞬間、凄まじい轟音が海面に響き渡った。

 致命的な誘爆――ではない。慌てて視線を移したマイルズの目に飛び込んできたのは、横倒しとなりながら爆炎を噴き上げる僚艦「ホーネット」の姿であった。


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