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蒼海の墓標   作者: 絶海戦線
激震編
3/11

最悪の海軍記念日2

 世界最大の面積を誇る太平洋、その西半分を支配下に置く大日本帝国にとって、マーシャル諸島は勢力圏の外郭であり、同時に仮想敵国であるアメリカ合衆国に対する最前線の砦であった。

 だがその砦は、まともな砲火も交えぬうちに崩れ落ちた。

 アメリカ軍の攻撃が開始されたのは、日本時間で23時30分、日本国外務大臣松岡洋介に宣戦布告の文章が手渡された、わずか1時間半後のことであった。

 マーシャル諸島に展開する日本軍が、まったくの無警戒であったわけではない。むしろその逆で、クェゼリンに接近する米艦隊の存在を日本軍守備隊は早くから察知していた。

 しかし、日米関係が悪化しつつあったとは言え、開戦などと言うことを考えてもいなかった日本政府中枢は混乱の極みにあって、対米開戦という重要事項を最前線に伝えていなかったのだ。いや、伝えようという努力はしていたのだが、電文を暗号に組み替えるという無為な行動を行っているうちに時間を空費し、結局奇襲攻撃を許してしまったのだ。

 もっとも、マーシャル諸島に展開していた日本軍に主力は基地航空隊であり、海軍の艦艇は最大のものでも旧式駆逐艦で、しかも大部分は連絡艇や哨戒艇であったから、米太平洋艦隊の主力を相手にしても勝負にならなかったことは間違いない。

 むしろ悔やむべきは、マーシャル諸島と同様にトラック環礁、そして同地に進出していた第一艦隊に対しての連絡が遅れたことだろう。これには、トラック・本土間の海底に敷かれていた通信ケーブルの不具合などの不運もあったが、やはり電文の組み換えによる時間の浪費が、悲劇的なまでの大損害を招いたと言ってもよかった。

 日露戦争の折、かつての日本海軍連合艦隊が、ロシア海軍バルチック艦隊を対馬沖の海底に葬り去った栄光の日から37年後の1942年5月27日――大日本帝国海軍は、重要拠点と主力艦隊の大部分を失って、まさに『最悪の海軍記念日』を迎えることになったのだ。

 ここまでは、正に合衆国が描いた戦争計画の通りであった。

 開戦劈頭の作戦計画では、日米戦争の主役となる太平洋艦隊は、2箇所で同時に行動を起こすことになっていた。

 TF2――6隻のレキシントン級巡洋戦艦を擁する快速部隊が、トラック環礁を奇襲し、同地の基地施設と、在泊している日本軍の戦艦部隊を撃滅する。

 同時に、第一、第八両任務部隊――太平洋艦隊主力の水上砲戦部隊と空母機動部隊、それと第六任務部隊――上陸部隊を乗せた輸送船団によってマーシャル諸島を攻略し、前線基地を確保するとともに中部太平洋の制海権を奪取する。

 ここまでの作戦は見事に成功した。

 トラック環礁の壊滅に伴い、日本軍の勢力圏はマリアナ諸島とパラオ諸島を結ぶ線まで後退し、太平洋艦隊のマーシャル進出と相まって、中部太平洋の制海権は合衆国の手中に収まることとなった。

 マーシャル諸島に橋頭堡を確保した後は、マリアナ諸島、小笠原諸島と電撃的に攻略していき、最終的には日本本土まで攻め上がる。

 それまでの航程で、日本海軍の残存艦隊を撃滅して、戦争の帰趨を決定づける。日本海軍が誇る八八艦隊は、トラック奇襲で大打撃を受けているから、生起する艦隊決戦においても、太平洋艦隊は圧倒的に優勢だ。

 合衆国は、1942年の秋までには対日戦争を終結させ、以後はヨーロッパの戦いに戦力を集中できるという目算を立てていた。

 だが、この時点で合衆国の戦争計画には狂いが生じ始めていた。

 ――太平洋艦隊が前進根拠地に定めたメジュロ環礁には、トラック奇襲の任務を終えた第二任務部隊が入泊しようとしていた。

 メジュロ環礁は、東西に長い礁湖を持つ。

 礁湖の西部には小島や暗礁が多く、泊地には適さないものの、中央部から東部にかけては大型艦の停泊にも充分な水深を持っている。

 泊地面積は、太平洋艦隊の本拠地である真珠湾にも引けを取らない。

 そこに、戦艦10隻を中心とした大艦隊と、その補給部隊が入泊して錨を降ろしている光景は、真珠湾がそのまま引っ越してきたかのようであった。

 礁湖を囲む隆起珊瑚礁の島々には、原住民の集落以外は何もない殺風景なところだが、設営部隊や移動サービス部隊を呼び寄せて基地施設を建設すれば、有力な前線基地に仕立て上げられる。

 日本軍な拠点を置いているクェゼリン環礁を制圧し、そのまま前線基地として利用してしまえばその必要もないのだが、日本との戦争を短期的に集結させるつもりの上層部は、攻略に際して流れる血にも細心の注意を払っているらしく、上陸作戦の許可を出さなかった。

「まるで、敗残艦隊のようだな」

 アメリカ合衆国海軍太平洋艦隊司令長官ハズバンド・E・キンメル大将は、目の前を通過していく巨艦群を見据えながら、小さく呟いた。

 その声が聞こえていたのだろう。キンメルの隣に立った参謀長チャールズ・マクモリス少将もまた、呆然とした表情で呟きを漏らした。

「ある程度の被害は覚悟の上でしたが、まさかこれほどとは……!」

「日本軍侮りがたし、だな」

 マクモリスに、というよりも、艦橋に詰めている太平洋艦隊司令部幕僚の全員に言い聞かせるように、キンメルは言い放った。

 戦前に策定した作戦計画が順調に推移しているために、どうしても艦隊には緩んだ空気が流れてしまっていた。それは、末端の兵士に限ったことではなく、各艦の艦長や、太平洋艦隊司令部の幕僚にさえ楽観的な意見が聞かれていた。

 確かに、太平洋艦隊が戦力面で優位に立っているのは間違いないが、まだ戦争は終結にまで至っておらず、日本軍も牙を残している。

 それを目に見える形で将兵たちに示すには、TF2の被った被害はむしろ幸いであったかもしれない。自らの目で実態を捉えることで、日本軍が決して弱敵ではないということを知らしめることができるだろう。

 キンメルの思惑を知ってか知らずか、メジュロに在泊する艦艇の甲板には手すきの乗員が集まって、TF2の姿を見守っていた。入泊してくる艦隊を見て、彼らは歓声を上げかかったが、途中でその声はしぼんでしまった。

 旗艦「サラトガ」以下、「コンステレーション」「レンジャー」の3隻は、停泊していた日本軍戦艦からの反撃を受けて損傷している。

 どの艦も被弾数はさほど多くなく、致命的な損傷は避けられたものの、「レンジャー」はつごう5発の敵弾を浴びて第三砲塔を破壊されるなど、TF2の主力を成す巡洋戦艦群の中では艦上構造物に最も大きな打撃を被っている。

 他の2隻も、舷側の両用砲や後部艦橋、煙突などに直撃弾を浴びた他、至近弾によって艦底部に被害を受けており、ハワイに戻して本格的な検査を受けさせる必要があった。

 さらに、「コンステレーション」は警戒に当たっていたとみられる日本軍の駆逐艦から、「コンスティチューション」は帰途に潜水艦から、それぞれ2本の魚雷を受けており、こちらもハワイか、西海岸に戻さなければならない。

 ただ1隻、「ユナイテッド・ステーツ」だけは無傷を保っているが、彼女を含めた姉妹艦6隻すべての弾火薬庫が空になっているほか、主砲砲身の摩耗が実用限界に達しているため、沼菱中佐の予想した通り、本格的な整備を受けなければ、戦列に復帰することはできそうになかった。

 レキシントン級は、合衆国が擁する40センチ砲搭載艦――いわゆるダニエルズ・プラン艦16隻の中でも最速を誇り、火力はサウス・ダコタ級戦艦に次いで大きい。

 対日戦争においては、サウス・ダコタ級戦艦と共に戦力の要となるべき艦であり、それら6隻を指揮下から奪われることは、太平洋艦隊にとって多大な打撃であると思われた。

 しかし、旗艦艦上の太平洋艦隊司令部には、深刻な表情は見られなかった。

 トラック環礁は、日本海軍にとって最も重要な基地の1つだ。

 先の世界大戦で、日本が同地を獲得して以来、艦隊の泊地として整備が進められており、日本海軍の全艦艇をそっくり収容できるだけの規模がある。

 合衆国海軍に比肩するほどの巨大な海軍力を下支えできるだけの湾口施設はもちろん、欧州戦線で重要な役割を果たしている航空機の運用能力も日本海軍の外洋拠点では随一であり、その警備は相当に厳重であると思われていた。

 最悪の場合には、レキシントン級全艦の喪失まであり得ると想定されていたのだ。

 果たして、太平洋艦隊司令部の想定通り、第二任務部隊は日本軍の熾烈な反撃を受けて、多大な打撃を被ることになったが、幸い、喪失艦はなかった。

 報告をまとめた作戦参謀ダン・オルコット中佐が声を上げる。

「トラックに停泊していた、日本軍戦艦8隻の撃沈は確実です。軽快艦艇については情報が錯綜しておりますが、確実なものでは重巡洋艦2隻と軽巡洋艦が3隻、他に駆逐艦8隻の撃沈が確認されております」

「そうか、ならばトラックの日本艦隊は壊滅だな」

 どこか哀愁を漂わせて、キンメルは呟いた。

 トラックの在泊艦隊は、日本海軍第一艦隊であり、その旗艦であるキイ・タイプには、連合艦隊司令長官ミネイチ・コガの大将旗が掲げられていることは、事前情報で判明していた。

 日本海軍が誇る八八艦隊の半数と共に、コガ自身も水葬に付されていることは疑いなかったが、キンメルもまた、合衆国最大規模の艦隊を率いる司令長官だ。

 例えば、自らが率いる主力戦艦群が、ハワイ・真珠湾に停泊したまま、身動きも取れずに日本艦隊に蹂躙されたとすれば、それは悪夢に違いなかった。

 くだらない感傷を抜きにして考えれば、日本艦隊とは、正々堂々、洋上砲撃戦で決着を付けたかった。

 もっとも、そうなっていればコガと立場が逆転していた可能性もあるが……。

「基地施設はどうだね?」

「環礁内、7箇所の飛行場はいずれも使用不能。付属施設にもかなりの打撃を与えたそうですから、日本軍の工業力から考えて、まず1年は艦隊泊地としては利用できないでしょう」

 満足げに頷いたキンメルであったが、それまで通信室に詰めていた情報参謀エドウィン・レイトン中佐が艦橋に現れると、一転して表情を引き締めた。

「フィリピンの状況は、悪いのかね?」

「すでに通信は途絶しており、詳細は不明ですが……これまでに傍受した電文を取りまとめますと、すでにフィリピンは日本軍の包囲下にあり、各地に展開していた航空軍は壊滅状態にあるものと推察されます」

 レイトンの声を受けて、キンメルは眉間に皺を寄せた。

 およそ予定通りに作戦が推移している東太平洋戦線とは異なり、西太平洋方面の戦いは、合衆国にとって極めて不利に進展したようだった。

「大日本帝国を短期間のうちに屈服させて太平洋における覇権を確立させ、その上でヨーロッパの戦いに参入し、全戦力を傾注して、ドイツ・イタリアの枢軸同盟を打倒する」ことを基本方針としていた合衆国政府にとっては、太平洋艦隊による奇襲攻撃の成功こそが最優先事項であった。

 そのために、対日宣戦布告――すなわち合衆国の第二次大戦参入の時期に関しては厳重な情報封鎖がなされており、正確な情報を与えられていたのは、矢面に立つ海軍でも、海軍長官や作戦部長、実行部隊である太平洋艦隊司令部のみであった。

 陸軍で正確な情報を知り得ていたのは陸軍長官のみであり、徹底した情報封鎖の結果、太平洋艦隊の奇襲作戦は成功し、日本海軍の主力を半壊させることに成功した。

 しかしその代償として、極東軍団は無防備のまま日本軍の反撃に晒されることとなったのだ。

 日本軍の反撃の一番槍を担ったのは、台湾に展開していた第十一航空艦隊であった。

 太平洋方面に展開する海軍基地航空隊のほぼ全戦力を指揮下に置いており、英国本土に展開する第一連合航空軍(陸海軍の混成部隊のため共通呼称が設けられた)を除けば、帝国海軍の航空部隊の中で最大の規模を誇っている。

 司令長官である塚原二四三中将は、昨年までは連合航空軍の海軍派遣部隊の長官職にあり、英国本土航空戦でも最前線で指揮を執っていた。実戦を経験しているだけあってその決断は迅速であり、対米戦に備えて増派された第三艦隊に出撃を要請するとともに、黎明を期しての航空攻撃を実施すべく出撃準備を命じたのである。

 急速に戦闘準備を整えていた在台湾の日本軍に対して、フィリピンに展開したアメリカ軍の動きはいささか以上に鈍いものがあった。これには、自軍が宣戦布告をした側……すなわち、自軍が戦争の主導権を握っているという驕りがあったことは間違いない。

 初動の遅れが、そのまま両軍の明暗を分けることになった。

 黎明と共に押し寄せた日本軍攻撃隊に対して、極東軍団は対空砲火以外何ら妨害行動を起こすことができずにクラークフィールド、デル・カルメン、サン・マルセリーノなど、マニラ以北に存在する飛行場を一方的に蹂躙されることとなった。

 これら3箇所の飛行場には、フィリピンに展開するアメリカ陸軍航空隊の8割近い戦力が駐留していたことに加え、最大の面積を誇るクラークフィールド飛行場には『空の要塞』との異名を持つB17爆撃機が集中配備されており、これらの喪失は、取り返しのつかない痛手であった。

 極東軍団は、残存航空戦力を健在な飛行場に集結させて徹底抗戦の構えを取ったが、緒戦で保有航空兵力の過半をもぎ取られた不利は覆しがたく、マニラ以南の主要飛行場であるニコルス、ニールソンが沈黙すると共に、制空権は日本軍が握ることとなった。

 マニラ湾に停泊していたアジア艦隊は、北部飛行場が破壊された段階でフィリピン防衛を断念し、太平洋艦隊主力と合流すべく行動を起こしていた。

 アジア艦隊は、対日関係の悪化に伴って幾度か増援を受けたものの、それでも保有戦力は戦艦3隻と巡洋艦が6隻、駆逐艦18隻でしかない。潜水艦戦力は充実しており、現時点において合衆国海軍が保有する潜水艦の半数を指揮下に置いているものの、ドイツが誇るUボート部隊と矛を交えた日本海軍に果たして食い下がれるかどうか。

 いずれにしろ、アジア艦隊の戦力は日本海軍の主力を向こうに回して戦えるようなものではない。

 もともとアジア艦隊は、対日開戦となった場合には南シナ海に進出して日本の輸送船団を襲撃し、生命線である南方資源地帯との海上交通路を断ち切ることが主任務だった。戦艦の増援は、いわば合衆国はフィリピンを見捨てないというポーズであった。だからこそダニエルズ艦ではなく、旧式のニューメキシコ級戦艦が充てられたのだ。

 しかし、アジア艦隊の動きは遅きに失していた。

 出撃準備を整えている最中、マニラ湾の沖合に日本海軍第三艦隊――八八艦隊計画艦以前に竣工した老齢戦艦を中核に据えた水上打撃部隊が姿を現したのである。

 この瞬間、アジア艦隊以下のアメリカ極東軍団の命運は定まった。旧式とは言え、戦艦8隻を擁する第三艦隊に抗し得る戦力は、もはや残されていなかったのである。

 マニラ湾へ突入した第三艦隊は、コレヒドール島の砲台を叩くと共にキャビテ軍港内のアジア艦隊に艦砲射撃を仕掛けてこれを粉砕、米アジア艦隊は全滅することとなった。

 制空権、制海権を失った以上、もはやフィリピンの失陥は確定したと言っていい。

 この報告に衝撃を受けたのは、太平洋艦隊司令部ではなく、遠くワシントンで戦況を見守っている政府中枢の人間たちであった。

 政府中枢の政治家や、彼らとのパイプを持つウォール街の投資家たちにとっては、フィリピンはアメリカ資本のアジア圏進出のための足場と言う認識が強かった。とくに合衆国が新たな市場として期待している中国大陸への経済進出は、彼らの悲願と言ってもよかった。

 この時期、中国大陸の内情は混沌としており、蒋介石の国民党軍が毛沢東の共産党軍と壮絶な内戦を繰り広げている。

 一方で、1931年に端を発した日華戦争は、1937年に〝英国政府の仲介のもと〟停戦が結ばれて以降は再燃することは無く、むしろ日本は国民党軍に対する武器輸出によって国力を強化することに成功していた。

 また、『英日通商同盟』によって、満州国にはイギリスの企業も数多く進出しており、やはり輸出活動によって外貨を獲得していた。もはや、中国大陸の経済活動は日本とイギリスが牛耳っているようなものであった。

 この状況に、アメリカは危機感を覚えたのである。つまり、このまま日英資本の浸透を放置しておくと、自分たちの市場を全て奪い取られてしまう……と考えたのだ。

 日英両国から、どうにか利権を奪い取れないかと画策していた政治家たちにとって、第二次世界大戦の勃発は福音であった。

 これまで、アメリカ資本の中国大陸進出を阻み続けてきた外交巧者であるイギリスが、ドイツとの総力戦に巻き込まれて身動きが取れなくなった。つまり、アジア圏における経済活動の主導権を手放さざるを得なくなったのだ。

 ヨーロッパにおいては、同盟相手としてこれ以上ないほど有益なイギリスであったが、こと極東情勢に限っては邪魔者であった。しかも、現時点ではアメリカ・イギリス間に同盟関係は存在せず、イギリスはむしろ日本に肩入れしていた。

 ただし、英国の首相がウィストン・チャーチルである限りは、アメリカと正面切って対立することはあり得なかった。

 であれば、わざわざイギリスに戦争を仕掛ける必要はない。彼らがヨーロッパ情勢に苦戦している間に、中国大陸への経済進出を終わらせてしまえば、流入した巨大な資本を押しとどめるのは不可能だからだ。

 そうなってくると、最大の邪魔者は大日本帝国ということになる。大陸に進出している日本企業はイギリスとは比較にならないし、イギリスの協力を得て強化された満州国の工業基盤と国民党への武器輸出によって、経済面でも深く根を張っている。

 もはや経済基盤とも言っていい日本資本の駆逐は、強大なアメリカ資本をもってしても容易ではなく、手間取ればイギリスに介入の余地を与えてしまうかもしれない。

 政府中枢が対日戦争の早期終結にこだわったのは、このあたりが理由であった。

 大日本帝国を屈服させた後、日本資本は全て大陸から追い出すことになる。その上でアメリカ資本を流入させて、失われた経済基盤を合衆国が埋め戻すことで、日本が持っていた中国大陸における利権を根こそぎ奪い取ることができる。

 ヨーロッパの戦いが集結する前にアメリカ資本を中核にした経済基盤を完成させれば、なし崩し的に戦後のアメリカ経済圏にアジア圏を取り込むことができる。

 だが、せっかく戦争計画の通りに事が運んでいるのに、フィリピンに備蓄してきたアメリカ資本が破壊されるようなことになっては元も子もない。フィリピンは、大陸進出のための足場であると同時に、進出したアメリカ資本を支える支柱となるべき存在なのだ。

 フィリピンの失陥は容認できない。それが、政府中枢の共通認識であった。

 かくして、日本軍によるフィリピン侵攻の情報が太平洋艦隊司令部にもたらされたその日、アメリカ合衆国軍最高司令官からの命令が、太平洋艦隊に下された。

 日本軍に対する積極的攻勢――より正確には、フィリピンの救援であった。


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