艨艟の宴2
横須賀鎮守府に備えられた会議室には、新たに参集された連合艦隊司令部幕僚と、軍令部の主だった職員が集結していた。
「第二艦隊は、一航艦の体勢が整う前に決戦を挑むようです」
電文を読み上げた通信参謀三浦義孝中佐に、困惑した視線が集中した。
「馬鹿な、南雲長官は何を考えている?」
「航空隊への対抗意識が出たか?」
そんな声が、部屋の方々から聞こえてくる。
すでに世界初となる空母戦闘の顛末は報告されており、第一航空艦隊が空母「蒼龍」の沈没を初めとした手痛い被害を受けながらも、アメリカ軍空母艦隊を壊滅させ、制空権の確保に成功したことは皆が承知していた。
事前に作成された作戦計画に従えば、一航艦は敵機動部隊撃滅後、余力があれば敵戦艦部隊に対して攻撃を反復し、敵主力部隊の戦力を漸減する。戦力面で優位に立ったところで第二艦隊が突入し、敵戦艦部隊を撃滅する手筈であった。
一航艦の被害は大きいが、指揮下には正規空母2隻と軽空母1隻が健在である。
軽空母「瑞鳳」は爆弾や魚雷を搭載してはいないものの、中型空母の「黒龍」「飛龍」から、それぞれ30機程度の攻撃機を運用することが可能だ。
敵戦艦部隊に対する攻撃は充分に可能なはずで、第二艦隊の突撃はそれを待ってからでも遅くはないはずであった。
「長官、二艦隊に停止命令を出しましょう」
発言したのは、参謀長の鷹栖慶次郎少将であった。
「南雲長官は、勝負を急ぎ過ぎています。当初の計画通り、一航艦が体勢を立て直すまでは敵艦隊と距離を保ち、航空攻撃に呼応して決戦を挑むべきです」
「賛成します。これまでの偵察情報から、敵艦隊は『サウス・ダコタ』級6隻を含む強力な砲戦部隊だと判明しています。こちらには46センチ砲搭載艦5隻が揃ってはいますが、正面決戦は危険が大きすぎます」
砲術参謀大杉末治中佐が追随し、GF参謀のみならず、軍令部側でも頷くものが居た。
「こちらに都合よく考えすぎだ」
冷厳な声を放ったのは、海軍兵学校長の井上成美中将であった。
会議室に漂い始めた楽観的な空気に苛立ったように、井上は舌鋒鋭く続けた。
「一航艦の母艦戦力は半減している。収容作業にはかなり手間取るだろうし、攻撃隊の準備にもかなり苦労するだろう。そもそも、敵主力の正確な位置を掴めていない以上、一航艦が敵を捕捉できない可能性もある」
これまでの偵察情報から、アメリカ艦隊のうち主力戦艦部隊と前衛の空母部隊はおよそ80海里を隔てて展開していることが分かっていた。
その布陣のままで進撃を続行していたとすれば、主力戦艦部隊の位置は、一航艦の南南東300海里前後であると考えられた。
しかし、この予測の基となっている情報は最新のものではない。敵艦隊が行動を秘匿するべく無線封止を行っていたこと、マリアナ航空基地の索敵網に捉えられなかったことから、昨日の時点ではまるで動向を掴めなかったのだ。
現在でも続報は入っておらず、敵主力の位置はまったく不明だ。
鷹栖参謀長らは、敵主力が馬鹿正直に空母部隊の後方を追随していると考えているようだが、こちらにしても一航艦と二艦隊はほとんど別行動を取っているようなものだ。敵も同じように別個に動いていると考えるのが自然であろう。
「それに、敵艦隊が進撃を継続するという保証もあるまい。敵艦隊が全力で撤退に移っているならば、二艦隊どころか、一航艦であっても追いきれるものではないぞ」
井上の冷厳な言葉に、室内は通夜のような空気に包まれた。
合衆国海軍の戦艦が低速艦揃いとはいっても、それは最高速力に限ったことで、巡航速力であれば16ノット程度は発揮可能だ。
一航艦の航空攻撃半径はおよそ250海里であるから、敵主力がこちらの予想通りの位置にいるとしても攻撃は不可能である。南下して攻撃隊を出そうにも、収容作業が終わるまでは身動きも取れないだろう。
航空攻撃による足止めがなければ、第二艦隊による追撃も成功の見込みはない。
夜明けとともに急速南下を行っているとはいえ、敵主力との距離はいまだ200海里ほど離れていると推定されている。高速戦艦を揃えているだけあって、最大で24ノットで追撃が可能だが、敵艦隊が全力で遁走した場合には捕捉するのは不可能だ。
「……太平洋艦隊司令長官のキンメルは、名うての大艦巨砲主義者だと言われています。その彼が、空母部隊が壊滅したというだけで撤退するものでしょうか。むしろ、戦艦部隊をもって航空戦の敗北を挽回しようと考えるのでは?」
しばしの沈黙を破って、GF首席参謀の中須辰吉中佐が発言した。
希望的観測にも聞こえるが、頷ける部分もある。
アメリカ海軍では、我が海軍以上に戦艦の立場は強固であり、空母や航空機は巡洋艦や駆逐艦と同列の補助戦力として扱われているからだ。
今回の決戦に際しては、アメリカ軍も機動部隊を編成してきたが、これは一航艦に対抗するために空母を集中しただけで、航空機を軸とした打撃部隊として組織されたわけではないことも分かっている。
太平洋艦隊を率いるキンメル提督が、情報通りの砲術の大家であるなら、中須首席参謀の主張通りの行動を取る可能性もあったが……。
「それは、どうでしょうか」
懐疑的な口調で発言したのは、航空参謀の樋端久利雄中佐であった。
「戦艦を主力と考えているからこそ、制空権の重要性を知っているとも考えられます。ユトランド沖海戦の頃であればともかく、主砲砲戦距離が飛躍的に延長された現在では、航空機による弾着観測は必須ですから」
これは、樋端中佐が正しかろう。
帝国海軍でもいまだ戦術の根幹をなすのは大艦巨砲主義ではあるが、戦艦こそが海軍の主力と信じてやまない鉄砲屋でも、制空権の重要性は認識しているのだ。キンメル提督が、同様の思考に至っていないと断じるのは、楽観的に過ぎるだろう。
「もし、敵艦隊が撤退行動に移っていた場合……」
「二艦隊、一航艦には苦労を掛けるが、徹底的に追撃してもらう」
鷹栖参謀長が躊躇いがちに口を開いた直後、それまで黙っていた山本総長が、力強い声とともに言い切った。
「日比野君、各鎮守府にタンカーの用意をさせておいてくれ。最悪の場合、メジュロ近海まで進出する必要もあるだろう」
「鎮守府には、直ちに通達を出します」
静かに頷き、日比野長官は通信参謀へ目配せした。
素早く敬礼を返した三和通信参謀は、各地の鎮守府へと命令を伝達すべく会議室を後にし、静かに閉ざされた扉の音が、嫌に大きく室内に響いた。
重苦しい空気の中、自然と山本総長に視線が集中した。
総長は、連合艦隊を磨り潰すつもりでいる。だが、それだけの覚悟を持たねば、帝国はアメリカの持つ物量によって押し潰されるだけだろう。
軍令部第三部第五課――対アメリカ情報部が得た情報と、英国情報機関を通じて得られた情報を統合すると、すでに東海岸の造船所では新鋭戦艦2隻が就役し、年内にはさらに3隻が完成するとの見通しであった。
米軍の再度侵攻がいつになるかは分からないが、おそらく今年12月か、来年早々になることが予想された。
現在でこそ戦艦戦力は互角だが、再度侵攻時にはダニエルズ・プラン艦16隻が勢揃いする上に、新鋭戦艦3乃至4隻が戦列に加わることになる。
翻って帝国海軍は、巨大戦艦「大和」「武蔵」を筆頭に、第二艦隊の巡戦8隻と旧式戦艦8隻が動員可能だが、隻数ではともかく、個艦戦闘能力では劣勢である。
それを補うのが航空兵力だが、現状では日本側が優位に立っている。
訓練中の「瑞鶴」が戦列に加われば、第一航空艦隊の空母戦力は正規空母5隻、軽空母3隻に拡大される。また、豪華客船を改装した中型空母2隻も竣工間近だから、これらも間に合う可能性がある。
対する米機動部隊は、今回の海戦でヨークタウン級3隻を沈められたために、残存艦艇のうち艦隊型空母は「エンタープライズ」「プロビデンス」の2隻のみだ。
もう1隻、蒼龍型に匹敵する規模を有しながら、ストックホルム条約では空母枠から外されていた「ラングレー」が存在しているが、こちらは実験艦として建造されているため、機動部隊戦を行うには不利と考えられている。
もちろん新型空母が戦列に加わるだろうが、アメリカの建艦計画は戦艦重視のため、空母の就役は今年後半からとなっており、前倒ししたとしても、再度侵攻作戦を発動する時点では、既存艦と併せて4隻程度、「ラングレー」を含めても5隻が限界だろう。
基地航空隊も動員できる日本側が航空兵力では優勢だが、米軍もそれを補うための手を打ってくるはずだ。
たとえば、対潜哨戒用に大量建造されている護衛空母に直掩戦闘機だけを積んで主力戦艦の直掩に使うという手も考えられる。そうすれば、機動部隊が壊滅しても戦艦部隊は航空機の傘をさしたままで水上砲戦を挑むことが可能になる。
いずれにせよ、米海軍に対して優勢な状況で決戦を挑む機会は、現在を逃せば二度と有り得ないだろうことは明白である。
それは、日比野長官も理解する所であろう。だからこそ、山本総長の覚悟を是認し、自らの言動をもって幕僚らの反論を封じて見せたのだ。
「失礼します!」
会議室を沈黙が支配した直後であった。重厚な扉が勢いよく開け放たれ、外で待機していた従兵が飛び込んできた。
「一航艦より緊急電です。『我、敵潜ノ襲撃ヲ受ク』」
目に見えない衝撃が、室内を駆け抜けた。
雷撃を受けたのは、正規空母「黒龍」であった。
幸運に恵まれたのか、あるいは米軍がよほど間抜けだったのか、命中した魚雷はいずれも不発であったため、わずかな浸水こそ生じたものの、大事には至らなかった。
だが、魚雷命中時の振動によって思わぬ被害が発生していた。
「黒龍」の被雷からしばらくの間、回避運動と対潜警戒によって収容作業は中断されていたが、その最中に、後部航空燃料庫の壁面に亀裂が生じ、そこから航空燃料が気化しているのが発見されたのである。
ガソリンガスがどこまで艦内に広がっているかは分からないが、場合によっては火花1つで大爆発を起こす危険があった。
このため、青木泰二郎艦長は艦内に火気厳禁の命令を出すと共に、3基のエレベーターを全て降ろし、格納庫に通じる扉を全て開け放たせた。さらに、危険を承知で隔壁や舷窓すらも解放させた。
青木艦長からの報告を受けた小沢長官は、帰還した攻撃隊に対して第二航空部隊に向かうよう指示を出し、その余裕のない機体だけを「翔鶴」で収容することとした。
広大な飛行甲板を有する「翔鶴」では、被弾損傷しながらも、どうにか着艦収容を可能にするだけの面積を確保できていたのである。
ただし、飛行甲板の応急修理を完了しない限り攻撃隊の発艦は不可能であるため、「翔鶴」が収容した機体は事実上の戦力外になってしまうが、誘爆の危機にある「黒龍」に着艦させるわけにもいかないのだから、仕方ないだろう。
小沢は麾下の艦艇に対しても「黒龍」の護衛を固めるように命じ、後方に分離していた水上機母艦「八雲」及び第二航空部隊の「瑞鳳」に哨戒機の派遣を命じて、艦隊周辺に厳重な対潜警戒網を敷いた。
その甲斐あってか、第一、第二航空部隊はそれ以上の襲撃を受けることなく合同に成功したものの、収容作業の停滞もあって長時間の足止めを食らい、以後の戦いでは事実上の戦力外となってしまった。
横須賀鎮守府に、第一航空艦隊司令部からの詳細な報告がもたらされたのと同時に、第二艦隊司令部からも驚愕すべき電文が送り届けられた。
「二艦隊司令部より入電!『我、敵機ノ触接ヲ受ク。敵機方位230度、敵艦隊主力ハ、硫黄島南西海域ニ展開セルモノト認ム』」
――状況だけを見れば、硫黄島の北東海域に進出した米機動部隊が一航艦を誘引し、機動部隊の傘を離れて南下した第二艦隊に対して、太平洋艦隊の主力部隊が決戦を挑もうとしているようにも見える。
とは言え、これらが偶然の産物であるのは間違いない。
キンメル大将は艦隊を西寄りに航行させ、米機動部隊を率いるハルゼー中将(日本側は彼の負傷を知らないため、誤認していた)は艦隊を東寄りに動かしたのだろう。
猛将と謳われるだけあって、ハルゼー提督は積極果敢に第一航空艦隊との空母戦闘に臨もうとしたのだろう。そのため、低速の戦艦部隊は後方に取り残されることになり、結果的に一航艦は米戦艦部隊から引き離されることになったのだと推察された。
一方で第二艦隊司令部も、敵主力が空母部隊の後方に隠れていると判断したため、一航艦の傘を離れて南下し、一航艦よりも先に敵艦隊との決戦に挑もうとしたと考えられた。
航空部隊と水上部隊の対立意識がもろに出た形だが、そのおかげで、第二艦隊は敵主力を捕捉し得る位置まで進出できたと言えるだろう。
各艦隊指揮官の思惑や、詳しい経緯などは知る由もない横須賀会議室の面々であったが、第二艦隊の突撃による水上砲戦こそが米艦隊撃滅の最後の機会であることだけは、誰もが理解する所であった。
「幸い、二艦隊には『祥鳳』が付随しております。一航艦の支援がなくとも、制空権の確保は可能です」
樋端航空参謀が、力強く言い放った。
小型空母「祥鳳」は、本来であればトラック島に沈んでいるはずの艦であった。
南洋諸島(マリアナ、パラオ、カロリン、マーシャル)という、広大な海域を作戦担当範囲とする第四艦隊司令部より、幾度となく空母の配備を要請されていたのである。
しかし、連合艦隊の抱える空母のうち、正規空母は決戦部隊の一翼を担う第一航空艦隊に配備されていたし、直掩専任空母の「瑞鳳」もそれまでの決戦構想からの変化(機動部隊による遠隔地での制空権確保)によって、機動部隊から動かしにくかった。
残る空母は、小型の「龍驤」だが、フィリピンを牽制する第三艦隊に配備されており、こちらも容易に引き抜くことはできそうになかった。
そのため、訓練を完了したばかりの「祥鳳」に白羽の矢が立ったのだが、彼女と共にトラックへ向かうはずだった重巡「羽黒」が、定期整備中の事故で出渠が遅れ、おかげで「妙高」ともどもトラック奇襲攻撃を免れた。
ともあれ生き残った「祥鳳」であったが、配属は宙に浮いていた。
当初は一航艦に配備するという話が持ち上がったのだが、一度も合同訓練を行っていない艦を編成に加えては混乱が生じるとの判断から見送られ、護衛を付けて追随するだけなら影響は少ないと判断された第二艦隊の編成に押し込まれたのである。
出撃が急であったことから、艦載機は定数未満の31機で、内訳も零戦は12機で後は旧式の九六式艦戦だが、空母の援護のない艦隊から制空権をもぎ取るには充分な航空戦力だと言えるだろう。
「二艦隊に対し、突撃を命じます」
静かな、しかし確かな決意を感じさせる声で、日比野が言った。
「よろしいですな、総長」
唇を引き結んだまま、山本はゆっくりと頷いた。




