序章
この世界線に至る経緯に関しましては、一切合切割愛させていただきますので、想像力で補っていただきますようお願いいたします。海空戦に全振りした小説になる予定ですので、政治的な駆け引きはかなり薄くなることが予想されます。
※この作品は、『八八艦隊海戦譜』の影響を受けております。
昭和17年5月27日、黎明。
黒煙に沈んだトラック島の上空を、爆音を轟かせながら旋回する機体があった。
4発のエンジンを装備し、鯨の如き胴体を持ったそれは、帝国海軍が正式採用し、前線配備を推し進めている二式飛行艇であった。
二式大艇の愛称で呼ばれるこの機体は、現時点で存在する飛行艇の中では最高の性能を持つといっても過言ではない。
正式採用されてからまだ日が浅く、配備数の少ないこの機体は、本来ならマーシャル諸島への偵察任務に投入されてしかるべきだろう。去る26日、アメリカ合衆国と戦争状態に突入し、さらに畳みかけるような急襲によって、マーシャル諸島東部のメジュロ環礁を奪われているとあってはなおさらだ。
しかし、メジュロの敵艦隊の動向以上に把握しておかねばならない情報があった。……メジュロと同様に奇襲攻撃を受けたトラック基地と、そこに停泊していた艦隊の現状だ。
中部太平洋の重要拠点であるトラックが基地として機能するかどうかは、帝国海軍の戦略に重大な影響を及ぼすし、海上決戦兵力、それも戦艦多数を擁する主力艦隊の有無は国防の可否に直結する重要な問題である。
かくして、マリアナ諸島に展開する日本軍航空隊は、最も航続性能の高い二式大艇を抽出してトラックへの航空偵察に差し向けたが、搭乗員たちは一様に言葉を失っていた。
今のトラックには、帝国海軍が外洋に保有する最大の艦隊泊地であり、『日本の真珠湾』や『東洋のジブラルタル』と謳われた一大拠点の面影はない。
トラックには、海軍最大の外洋泊地とあって各島合計7箇所もの飛行場が設営されていたが、そのどれもが視認できない。湧き上がる黒煙によって視界は極度に制限され、僅かな切れ間からは滑走路に穿たれた大穴と、跳梁する火炎だけが視認できた。
パイロットや整備員、設営隊の人間がどうなったかなど考えるまでもない。
恐らくは全滅……少なくとも、組織的な行動がとれる状態にないことは明らかだ。死傷者がどれだけの数に上るのか、皆目見当もつかない。
視線を巡らせれば、各島の惨状もまた目に入ってくる。
中でも搭乗員たちが注視したのは、デュブロン島とモエン島であった。
デュブロン島には夏島との日本名が与えられ、トラック環礁の行政の中心地となっている。また、南洋諸島の警備を担当する第四艦隊司令部が置かれており、トラックの主要な基地施設のほとんどがここに集まっていた。
しかし、指揮所や倉庫といった地上施設の多くが全壊、または半壊状態にあり、居住区からもかなりの黒煙が立ち昇っている。東岸に設けられた桟橋はすべて吹き飛ばされており、夏島が基地機能を喪失したのは明らかであった。
そしてモエン島、春島と呼称されるトラック群島東部で最大の面積を持つ島は、デュブロン島以上の惨状を示していた。
島内2箇所に設営された飛行場は完全破壊され、東岸の沿岸砲台は影も形もない。さながら、鉄製の巨大な皿の上に少量のくず鉄を乗せたような姿に変わっている。
敵弾の直撃を受けて、木っ端微塵に爆砕されたのだ。
どう控えめに見積もったところで、トラックが帝国海軍の艦隊泊地として使用可能には見えない。電信員が暗然とした表情で暗号電を組み始めたとき、ちょうど風向きが変わり、モエン島の西方海面が露になった。
その瞬間、誰もが作業の手を止めて海面を凝視した。
モエン島の西方海面――そこは、春島錨地と呼ばれる大型艦用の停泊地であり、大日本帝国海軍が誇る『八八艦隊』の主力戦艦群が錨を下ろしているはずであった。
――「40センチ以上の主砲を搭載する戦艦、巡洋戦艦各8隻をもって海軍の主力とする」
とする「八八艦隊計画」が完成したのは大正9年であった。この時点で、計画の一号艦であり、世界最初の40センチ砲搭載戦艦である「長門」は、それ以前に建造された戦艦群と一線を画する堂々たる姿を海上に浮かべていた。
ワシントン軍縮会議が開かれたのは、その翌年。大正10年11月12日だ。
当時、海軍軍備の拡張に励んでいたのは日本だけではなく、欧米諸国も同様であった。必然として海軍関連の予算は膨れ上がった。
各国政府は、このままでは遠からず財政の破綻を招くと懸念し、軍縮条約によって、建艦競争に歯止めをかけようとしたのだ。今日ではよく知られているように、この会議は決裂に終わり、建艦競争はそれまでにも増して熾烈なものとなった。
だが軍艦、特に戦艦、巡戦といった大型艦の建造には、巨額の予算がかかる。
敵艦を打ち据える大口径の主砲、敵弾の直撃に耐え、艦の中枢を守る分厚い装甲鈑、巨大な艦体を動かすための機関等を製造するコストは、他のいかなる艦種を上回るほど高額だからだ。
新造艦の乗組員を確保するために海軍軍人の大幅な増員も行われ、人件費も増加した。
「このままでは、自国の海軍によって国を滅ぼされてしまう」
言い方は違えども、どの国の財務官僚も同じように悲鳴を上げた。この声は、艦隊が整備されるごとに大きく膨れ上がることとなり、各国は今度こそ建艦競争に終止符を打つべく、昭和元年になって再度の軍縮会議を開催した。
場所は、特に大艦隊の保有を目的とする日米英の3国にとって利害関係の乏しい永世中立国、スウェーデンの首都ストックホルムであった。
ワシントン会議と同様に会議は紛糾し、決着のつかないまま4ヶ月近くの月日が流れたものの、10月27日にようやく軍縮案がまとまることとなり、「ストックホルム軍縮条約」の名前で正式に調印されることとなった。
実際に条約が調印されると、日本海軍関係者は安堵しながらも、一方で拍子抜けした様子だった。
と言うのも、条約では日本海軍に八八艦隊全艦の保有が認められていたからである。すでに竣工している艦はもちろんのこと、建造中の艦や未着工の艦についても、計画通りに建造が認められたのである。
当然、英米の新鋭戦艦についても全艦の保有が認められることとなったのだが、日本海軍は、戦艦、巡洋戦艦に限っては英米と互角の戦力を保有することとなったのである。
戦艦以外の艦種には厳しい制限が掛けられることになり、航空母艦は別にしても、日本海軍が先鞭を叩き付けた重巡洋艦を初めとする補助艦艇の建造計画は一度白紙に戻すような見直しを余儀なくされたものの、海軍中枢にとっては些末なことであった。
海軍の主流をなす戦術思想は、大艦巨砲主義である。
強力な主砲を搭載し、それに見合った分厚い装甲を張り巡らせる戦艦こそが海軍の主力であり、海戦の雌雄を決する兵器なのだ。
その戦艦が米英と同等となれば、不満の出ようはずがなかった。
以後、八八艦隊計画艦は大日本帝国の国力の限界という、極めて現実的問題から計画通りの進捗とはならなかったものの、確実に竣工を迎え続けていた。
そして、八八艦隊計画最後の艦型式である巡洋戦艦第十三号――艦名「浅間」が竣工を迎え、遂に八八艦隊の全艦型が揃い踏みとなったのだ。
海軍では、「浅間」の完成をもって横須賀湾での大観艦式を決行し、国民に、そして天皇に対して八八艦隊の全艦型式を披露するセレモニーを開催していた。
時代の変化に伴い、近代化改装工事を施されている艦が存在するため、完成した13隻全艦の揃い踏みとはならなかったものの、長大な単縦陣を形成する戦艦、巡洋戦艦の艦列は、まさに壮観の一言に尽きるものであった。
この時点で、計画の一番艦「長門」は竣工時とは異なる姿を浮かべている。
八八艦隊の象徴とも言うべき七脚檣式の艦橋構造物は、想定砲戦距離の延長に伴って射撃関連の指揮所や測的所が増設されることとなり、突起物の多い複雑な形状に変化した。
艦橋の後方に2本が設けられた煙突も、1本にまとめられている。
能力を疑問視される固定式魚雷発射管の撤去や、水平防御及び水中防御の強化と、速力低下を防ぐための艦首の改造。欲を言えば機関出力を強化したいところではあったが、予算不足によって見送られている。
海軍では、「長門」に施した改装工事をもとに、八八艦隊計画艦全艦に近代化改装を施す予定であり、すでに竣工している各艦は順次ドッグ入りをして工事を受けることになる。
現在では他に4隻がドッグ入りしており、海上に存在する八八艦隊計画艦は9隻である。
戦艦は「長門」と加賀型戦艦の「土佐」。それに連合艦隊旗艦「駿河」――『帝国海軍の40センチ砲搭載艦の中で最良の性能を有する』と評される紀伊型戦艦の三番艦と、その姉妹艦である「尾張」「近江」の5隻だ。
長門型戦艦の「陸奥」、各艦型のネームシップである「加賀」「紀伊」は近代化改装の為にそれぞれの母港で入渠している。
巡洋戦艦からは、真新しい艦体を浮かべる「浅間」と、八八艦隊計画の第三号艦型式に当たる赤城型巡洋戦艦が戦艦群の殿軍「長門」に続いている。
赤城型巡戦は、当初「天城」をネームシップに迎えるはずだったが、同艦は大正12年9月の関東大震災で損傷、破棄されることとなったため、「赤城」を新たなネームシップとし、代艦として「伊吹」を建造することになったという経緯がある。
その「赤城」は母港である横須賀海軍工廠で改装工事中であるから、今回のセレモニーに参加しているのは二番艦「愛宕」以下「高雄」「伊吹」の3隻だ。
これら9隻の戦艦、巡洋戦艦には艦の新旧や近代化改装の完了、未了に関わらず全ての艦に共通する兵装が新たに設けられていた。
水上機用の射出機と、揚収機である。
八八艦隊計画が策定された当時は、航空機の存在はさほど重要視されてはいなかった。しかし、戦艦主砲の射程距離が延びるにつれて、艦上からでは正確な観測は困難となり、今日では、遠距離砲戦における弾着観測には航空機の存在が必要不可欠となっている。
そのため、近代化改装工事を完了した艦はもちろんのこと、工事を受けていない艦であっても、水上機射出機と揚収機が装備され、定数3機の水上機が常備されることになっていた。
横須賀湾の吹き抜ける風は、彼女らの行く末を予見するかのように、ひどく強く、そして冷たいものであった。
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