第四話 仲直り
スーツケースを抱えて、二階へと向かう。
あや姉の右隣にボクの部屋を用意しておいてくれたという。
叔父さんが酔いつぶれてしまう前に聞いておいてよかった。
「ここがボクの部屋か。入ろう」
与えられた部屋はそこそこに広い和室だった。
簡素な布団と、勉強机。それに雑誌が積まれた本棚に小型テレビ。
学生ひとりの部屋とは思えない程に豪華だ。
「後で叔父さんにお礼を言わないとな」
そう呟きながら、布団の上に腰掛けて荷解きを始める。
といっても引っ越しの荷物が届くのは明日以降になる予定。
今日、荷解きするのはスーツケースだけだった。
チャックを開けて、中の荷物を取り出す。
好きな漫画本、当面の着替え、洗面道具などなど。
「けど一番はコレ」
タブレットPCである。
父が海外へと旅立つ前に買ってくれたシロモノ。
唯一の趣味がイラストを描くことであるボクにとっては宝物だ。
電源をつけて、イラストソフトを起動。
ペンタブを手に取り、下絵を書き始めた。
「しかし、色々あったな。今日は」
ぼそりと呟き、回想する。
駅で出会った少女のことを。
まさか彼女があや姉だったなんて思いもよらなかった。
「あの時に気づいておけばな……」
――過去を悔いても仕方ない、未来を見据えよ。我が息子。
それが母の口癖だった。
なんで母さんのことなんて思い出しているのか。
ああ、これこそ考えても仕方ない事だというのに。
心の中でぼやきながらも、筆は止まらない。
ボクにとって絵を描く行為とはもはや生きがいとなっていた。
学校に行きたくない時も。
母とうまくいかない時も。
家に居づらい時も。
絵を描けば嫌なことは全て忘れられる。
筆を握っている瞬間だけは、自分でいることができた。
「……血、なんだろうな」
父さんもよく絵を描いていた。
何を書いていたのか今では思い出せないけれど、確かに何かを書いていた。
やはり、ボクは父さんの子なのだろう。
と思ったところで絵が完成する。
ほぼ無意識のうちに、一枚書き上げてしまった。
「さて、せっかくだからSNSに投稿するか」
誰になく呟いた後、自身の絵を改めて見返して気がついた。
書き上げたのは、ぬいぐるみを抱きかかえた少女のイラスト。
……ソックリだった。あや姉に。
ぱっつん前髪。きりっとした眉。柔らかそうな太もも。
どれも彼女ソックリに書き上げてしまっていた。
ただひとつ本物と異なる点があるとすれば。
イラストが浮かべた笑みはわざとらしく、ぎこちないところだろう。
「なにやっているんだろう。ボクは」
言い表せない罪悪感に苛まれる。
イラストを削除し、PCの電源を落とす。
そして布団に寝転んで、目を閉じた。
「……喉が渇いたな」
描いている時は熱中していたので気づかなかったけど。
意識し始めると渇きがやまない。
しかし、悪いことに買ってきた飲料水は尽きていた。
一階まで降りて冷蔵庫から調達しなければいけないようだ。
仕方ない。ボクはどんよりと起き上がり、部屋を後にした。
☆
一階に降りると、リビングから明かりが漏れていた。
叔父さん、起きたのか?
リビングに入るとそこには思いがけない人が立っていた。
「……あや姉!?」
「ひ、ハル君」
あや姉は冷凍庫から棒アイスを物色している途中だった。
目が合ってしまった。気まずい。
「その、ここで何を」
「夜食が欲しくなったの。……悪い?」
「いや、別に」
「なんで目をそらすのよっ! ――あっ」
憤慨したあや姉は、手にしていたアイスを滑り落とす。
ボクはすかさず受け止め、彼女に返した。
「はい、あや姉」
「あ、ありがとぅ」
お礼の言葉の後、キッチンを静寂が包んだ。
謝らないと。
そう頭では理解しているものの、上手く言葉に出来ない。
頬をかきながら悩んでいると、はにかみながらあや姉は口を開いた。
「……さっきはごめんなさい。ハル君に酷いことを言ってしまったわ」
ぺこりと頭を下げられた。
予想していなかった行動にボクは面食らってしまう。
「そんな。こちらこそ気が回らなくてゴメン」
ボクはあや姉のことを何も考えていなかった。
その上に無神経な発言で彼女を傷つけてしまった。
謝らないといけなかったのは、どう考えてもボクだったのに。
「許してくれるの?」
「許すも何も、あや姉は何も悪くないよ」
「……ありがとね。ハル君。これから仲良くしてくれると嬉しいな」
あや姉はニコッと微笑んでくれた。
とりあえず仲直りはできたみたい。
ボクはほっと胸をなで下ろした。
☆
「それより、ハル君こそなんでここに?」
お互いが謝りあい、五分後。
棒アイスをペロペロと舐めていたあや姉はふと尋ねてきた。
「いや、チョットだけ喉が渇いたから飲み物を」
「……悪いけど、今、この家には無いわ」
彼女はアイスの棒を捨て、冷蔵庫を開けて見せる。
なるほど。確かに飲料水は無かった。
それどころか冷蔵庫の中には何も入ってない。
「なら、水道水をいただくよ」
「やめたほうがいいわ。ココの水は飲めたものじゃないわよ」
蛇口に置いた手を掴むあや姉。
ではボクはどうやって喉を潤せばいいんだ?
「少し外に出ましょ。飲料水を買いに行くの」
「門限はいいのか」
時計に目を落とす。
現在、夜の十時半。
ボクらが出歩くには少し遅かい時間だ。
「いいのよ。パパは朝まで起きないだろうし。それにハル君に見せたいものがあるの」
「見せたいもの?」
「そうよ。という訳で早速行くわよ」
あや姉はボクの腕を引っ張って玄関に向かっていく。
……見せたいものってなんだろう?
頭に疑問符を浮かべながら、ボクは彼女の後を追った。