五話
歌上手くなりたい今日此の頃。
朝は時々ユカに魔法を教えてもらい、昼間は基本インソムニアで働き隙間時間を見つけてはARデバイスの通信が入る場所を探し、夜はサロンでの交流会が行われる日は作家や哲学者、音楽家に画家、政治家や俳優などの話を聞いた。交流会が行われない日は酒場「ステルラ」でユカと共に食事をした。
その生活はとても充実しているように感じて時々自分が元居た世界の事を忘れるほどであった。慣れというのは恐ろしいものであたかも数十年前からこの街ノクスにいたような気がしていた。
そしてこの世界に来てから十七日目。僕はずっと触れてこなかったユカの生い立ちについて知ることになった。ユカだけでなく魔法使いという存在についても知ることとなった。
サロン「インソムニア」での仕事で買い出しを頼まれ、街を歩いているとなにやら雑貨店らしき店があった。
寄り道するべきではないとは思ったけれどその店は他とは全く違う異様な雰囲気を発しているように感じ、とても気になった。
次の瞬間気が付いたらその雑貨店の中に居たのだ。本当に一瞬で店の中に身体が吸い寄せられたように思われた。
わけがわからず呆然としていると店の人間であろう赤い髪だけが目立つ全身黒づくめの男が話しかけてきた。
「いらっしゃい、お客さん。こんな店になんのようかな?」
雑貨店は部屋全体が薄暗く、男の顔がよく見えなかった。
「いや、僕はその……」
「ああ。君は探し物をしているのだろう。この店は何か探している人間を引き寄せる」
僕は急にこの男が胡散臭く感じてすぐにこの店を出ようと思った。しかしドアは押しても引いても開かなかった。
「まぁまぁ、そう焦らなくてもいいじゃないか。少しお話をしよう」
「あなたと話すようなことはないけれど」
敵意剥き出しの返答を受けても男はゆっくりと落ち着いた調子で話し出す。
「そんなつれないことを言うなよ。ま、気持ちもわからんでもないがな。それでも何か探し物をしている時は人から情報を集めるのは必要なことだと思うよ」
「あなたは僕の探し物を知ってるのか?」
そう問うと男はカウンターから身を乗りだしてこちらをじっと凝視しているようだった。
髪と同じ赤い目。まるで朧月のように曇った光がそこにあった。
「ふむ。君の探し物は一つではないね。一つは……帰る方法か。真面目に探そうっていう意思があんまり感じられないな。もう一つの方が本命か。……なるほど、金色の髪の少女のことか。なぁそうだろ詩織君?」
この世界で会う大人はみんな僕の頭と心を見透かしているようで正直気持ちが悪かった。そして驚かされてばかりだった。
何故彼が自分の名前を知っているのか。それに何故自分自身でさえほとんど気が付いていなかった帰るという目的が薄れかけているということを知っているのか。
「あなたは一体何者なんだ」
「僕もまた彼の少女と同じように魔法使いの一人さ」
ユカ以外の魔法使いの存在。それは予想していたことだった。
きっと過去に魔法使いという人種になにかあったのだ。それはユカの言動や街の人の噂から少し考えればわかることだった。
「どうだい? 少しは話を聞く気になったかい?」
「魔法使いはユカとあなた以外他にもいるのか?」
そう聞くと彼は男は不気味な薄ら笑いをした。
「フッ。やっぱり本命はそっちかい。ああそうとも、魔法使いはこの世界にまだ何人もいる」
「やっぱり……」
「ただ、この街にはもう私を除くと一人しか残っていないだろう」
「さっきから『まだ』とか『残る』とかいう言葉を使っているけれど、昔はもっといたってことか?」
「そう、その通り。昔はそれこそこの街の十分の一程度が魔法使いだったさ。ある事件が起きるまではね」
「事件?」
「ああ。彼らはね……ある日突然、天空の島と共に姿を消したんだ」
真昼なのに薄暗いその部屋をランプの炎がゆらゆらとほのかに照らす。
「天空の島ってのは」
「天空の島。それは名前の通り空にある広大な島だった。浮いていたんだその島は。そこに行けるのは空を飛べる魔法使いだけ。だからそこで多くの魔法使いが暮らしていたのさ。物好きな地上に住んでいた魔法使いもいたがね」
「それがある日突然消えたと」
「そうだ。……それはある晩のことだった。機械仕掛けの時計塔の内部あにある歯車のような模様が空に浮かび映された次の瞬間、パッと島はどこかに消えてしまったよ。跡形もなく、魔法使いも一緒にね」
男はおとぎ話を聞かせるようなそんな調子で話した。
「そしてここに残ったのはユカとあなただけだったと」
と、僕が確認すると男は少しの間黙っていた。
「……僕はね、元々ここノクスの人間ではないんだよ。だから実質残ったのは少女だけってことになるな」
ユカが一人になってしまった理由。何があったかは分かったが何故彼女だけが残ったのかは判然としなかった。
「何故ユカだけが残ったんだ?」
「それは僕にはわからない。ただ分かるのは彼女はこの街を愛していたのだろう」
「というと……」
「そうだな。まず、君はこの出来事が偶発的なものだと思うかい?」
「口ぶりからしてそうではないんだな」
「その通り。これは魔法使いたちによる計画的なものだった」
「皆で一緒に消えてしまおうって……?」
集団ヒステリーかなにかが起こったのだろうか。
「消えるという表現はあまり適切ではないかもしれないね。遥か遠くの地へ移住したのかもしれないだろう。まぁどちらにしてもこの街から離れたかったというのは確かだろう」
「なぜ?」
「わからないかい?」
男は赤い目をこちらに向けて僕を試すかのように視線を突き刺した。
何故魔法使いたちがここを離れたかったのか。その答えを見つけることはできなかった。
黙ってると男は言った。
「差別だよ。相互暴力を避けるための犠牲の論理、あるいは覆すことのできない劣等感を誤魔化すための集団的メカニズム。魔法使いたちは忌み嫌われ差別を受けた」
言葉としては知っている差別という概念。それはあの社会にいた自分にはとても遠いものだった。
男はこう続けた。
「魔法使いの中には抑圧に耐え切れなくて人々に向けて反旗を翻すようなことを考えた輩もいた。しかし魔法使いなんてのはどうしようもなくお人よしの集まりだったようだ。結局は自分たちが消えることで事を収めた」
「なんとなくわかった……。ユカは他の魔法使いたちと違ってこの街を捨てることはできなかったってことか」
ユカが他の人と違う髪の色をローブで隠す理由。街から離れた場所で密かに暮らしている理由。一人なってしまった理由。全てに合点がいく。
「大きな力には代償が伴う。そして大きな力は人々から恐れられる。彼らにとって魔法使いというのは天災と同じようなもの。つまり彼らには計り知れないもの制御できないものなんだ」
「そんなものなのか……」
「君もまた魔力を持っているね。それも特別大きな魔力を。君もまたソムニアの民の一員か」
「ソムニアの民?」
「我らは皆同じ血族の生まれ。魔力を用いて森羅万象を操る者たち。それがソムニアの民」
「……どうだろう。僕はここの人間ではないし魔法も使えない。僕はきっとそのソムニアの民とやらではないと思う」
「いいや、君は紛うことなきソムニアの民の一人だ」
「……そうか」
あまりソムニアの民とやらには興味はなかった。実際僕は魔法が使えないのだからきっと何かの間違いだろう。
「同志よ。これから大きな革命が起きるであろう。それはこの世のカタストロフィ。きっと全てが上手くいく。同志よ。その時を楽しみに待つといい」
正直この男が何を言っていることはまったくの理解不能であった。
唖然としていると次の瞬間体が得体のしれない力で後ろに引っ張られた。後ろにあった扉が開きまた同じような部屋が続いている。
そして体が後ろの部屋へと吸い込まれると前の扉が閉まり、また後ろの扉が開いて同じような部屋が現れる。
バタンバタンと扉が開いては閉まり開いては閉まる。
そのループが永遠のように感じられたその時。僕は外の路上に立っていた。
先ほどまでいた雑貨店の方を見るとそこは何もない空き家となっていた。
この世界に来て十七日目はそんな奇妙なことが起きた日であり、ユカや魔法使いについて何が起こったのかを知った日でもあった。
しかし、このことは誰にも話すことはなかった。
それからは無意識の範疇で行われていたことだろうがユカを出来る限り気づつけないよう言葉を選び接した。少し過剰だと言われてもおかしくない気にかけようだったのかもしれない。そのおかげで僕はユカが深夜に時々家を出て何処かへ行っていることがわかった。後をつけようかと思ったがそこまでユカの内奥に触れるべきではないと考えた
きっとそこからだった。ノクスでの生活に慣れ、充実していた日々は崩れ始めたのは。
そしてここに来てから三十日目。
僕はあの大きな病棟のような社会へと帰ることになった。
その日、いつも通りサロン「インソムニア」での仕事を終えてユカの家に帰ろうとしていた。
相変わらず街はパーティー会場のようで夜遅くにも関わらず多くの人が出歩いていた。インソムニアの店長であるスタールさんは騒がしくてかなわないといってこの空気を好んではいなかったが僕はそれなりにこの喧噪が好きになっていた。
しかしもう仕事で疲れていたのでその空気に混ざるつもりはなかった。一刻も早く帰って寝たい気分だった。
路上は人が多すぎて歩きづらかったため僕は裏通りに入った。薄暗く足元は見えにくいが人込みよりはマシだった。
道に迷わないよう方向を確認しながら歩いていると白い猫が一匹道の隅で座っていた。構わず先を急ぎ猫を素通りすると猫は「にゃぁ」と鳴いた。その声にも反応しないで歩みを進めるとまた「にゃぁ」と鳴いた。
この時あの黒猫を思い出した。僕をこの世界まで連れ来た黒猫を。
そして直感で自分は選択を迫られてるのだと気が付いた。この世界に残るのか、帰るのか。
僕が出した答えは前者。既に元居た場所に帰りたいなんて願望は一切持っていなかった。
自分はついに手に入れたのだと。ずっと前から求めていたもの全てを手に入れたのだとそう錯覚していたから。
見たくないものは見ないようにして。
猫を無視して僕は歩いた。
歩いて歩いて歩いて歩いて。
自分を誤魔化すようにしながら歩いた。
そして走った。
走って走って走って走って。
これでいいのだと自分に言い聞かせて走った。
けれどいくら走っても裏路地から出ることができなかった。
裏路地の一本道は紛れもなくループしていた。
何故か。心の葛藤がこのループを生み出している? そう頭が勝手に考えている?
違う。
自身の意識は正常だ。証明することはできないが。
走っても走っても出口が見つからない。
夜空に浮かぶ赤い三日月は猫の口のように映り「にゃぁ、にゃぁ」と嘲笑っているかのような鳴き声が頭に響く。
突然ARデバイスがわけのわからない文字を表示し始める。視界は数字と文字の不規則な羅列でいっぱいになる。
そして真っ白の扉が現れる。もうわけがわからなくなっていた。僕は勢いを殺さずその扉を開けた。
次の瞬間僕は落ちた。陥穽に陥ったかのように。
暗闇が体を覆う。
それからは何も覚えていない。
「ビィィィィィィィィィィィィィィィ」
ただいまより零分間の休憩でございます。
いかがでしたか、回路の番人。程よく絡んでいるでしょう。
いかがでしたか、バベルの医者よ。またまたあなたの計画台無しだ。
いかがでしたか、オリーブ所有者。新たな農園広がりますか。
そしてなんといってもあなた様。いかがでしたか、機械仕掛けの独裁者。あれはあなたの元の役者でしょう。
「……」
「チクタクチクタク」
おーけいおーけい。ノーコメント結構結構。
あらま大変、とっくに零分過ぎている。
まもなく開演でございます。
ホワイエにおいでのお客様。お席についてお待ちください。
こちらは初公開の第三章。
どうぞ皆様お楽しみください。
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