三話
川遊びに行きたいです。
花畑のある丘から街へ続く一本道。街灯が足元を照らす。道を進むほどに街の喧噪がはっきりと聞こえてくる。
「ちょっと止まって」
ユカは僕を呼び止めて立ち止まった。そして彼女は持っていた箒を手放すと箒は宙に浮き出した。その箒に手をかざして彼女が目を閉じると箒は紙くずのようになって形を崩し、紙くずは宙に揺蕩う。そこへ彼女はフッとひと吹き。たちまち紙くずは一つに集まりだして先ほどとは違う形を象る。それは、黒いローブだった。
ユカはそのローブを身に着け、目深にフードを被り金色の髪と目を覆った。
「この髪はなにかと目立つんだ」
ユカはそう言うとまた歩き出した。彼女の声色からして目立つとはまた別の事情があるのだろうと感じたけれど、それより今目の前で起こった事象への興味が強かった。
「今のも魔法? なんでもできるのか……」
「ううん、魔法でなんでもできるわけじゃないよ。個人差はあるけれど魔法でできることは自身が明確に想像できる範囲内だけ。それに魔力も人それぞれ一定しか持たないからできることは本当に限られてくるんだ」
「それでも想像したことがある程度現実になるなんて便利な力だな」
「そうだね……。きっと君も魔法を使えるはずだからよかったら教えてあげるよ」
「え? なんで僕も魔法を使えるんだ?」
「君も魔力を持っているからだよ。魔法使いならだれが魔力を持っているかいないかすぐにわかるの」
「そうなのか。なら、今度教えてもらおうかな。ま、僕の想像力は高が知れてると思うけれど」
何故僕が魔力を持っているかは不明瞭なままだったがそれを聞いても仕様がないと思い、人間には魔力を持つものと持たない者がいるのだとそう納得することにした。
向こうでは芸術にはいつも数字がへばりついていた。少なくとも僕が生まれるずっと前は違っていたはず。大衆的に価値観が高いもの、それはいつも単に文字の羅列であったり単音が並んだもの、あるいは絵具がキャンバスにへばりついているだけのものばかりだった。何故価値観が高いのか。システムが枠組みを作り、それに準じた作品がシステムによってプロモートされるからだ。
システムはシュルレアリスムの作品に最低評価をつけるであろう。
想像力。そんな社会を生きてきた僕に一体どれほどの想像力が残されているのだろう。
僕は魔法という想像力の結晶に対してとても興味が沸いた。
この後街へと向かう道中魔法について具体的にどんなことができるか、鮮明な想像の仕方など様々なことを教えてもらった。
気が付くと道が石畳になっており、やたらめったらに入り乱れている商店街がすぐそこに見えていた。近づけば近づくほど店が乱雑に建てられ、道がうねり曲がっているのがわかる。
町の看板だったり出し物、楽しそうな街行く人たちがよく見えてくる。
どうやら文字は元居た世界と同じもののようだ。
ある店の一階には宝石店。二階のテラスには机が並べられ料理がふるまわれている。三階もきっと料理店だ。そもそも一階とか二階とか区別できるのだろうか。今歩いている道からすればその料理店は二階と三階だが他の道からすればそこは一階だ。どの店もそんな感じに建てられていてまるで迷路のようだ。更に木々が建物の壁を伝ってい、川があちこちに流れていている。
おいしそうな料理の匂い、笑い声や音楽で溢れていて僕の歩みは無意識に早くなって視線はあちらこちらに動いて映るもの全てが気になった。ユカが好きだと言ったこの街の魅力に早々に心の臓を握られたようだ。
ユカは僕の子供みたいに興味津々にしていることが嬉しかったのか、彼女も上機嫌に街を案内してくれた。
噴水のある広場では楽器を演奏している人たちがいてそれを鑑賞する人、BGMにして会話を楽しむ者、酔っぱらって地べたに寝ている人、踊っている人、噴水の近くでは何組ものカップルが屯している。
入り組んだ道を抜けて一層高い場所へと出るとそこにあるのは機械仕掛けの時計塔。そこを上ると街を一望することができ、そこには高値の名画が紙くずに思えるくらい美しい景色が広がっている。心地よい風も吹いていた。
樹齢数千年ともいわれる大樹は時計塔からもしっかり確認することが出来た。そこは他よりも静かな場所で落ち着いた空気に包まれていた。
街の中心である城の近くまで行くと一層その城が大きく感じられた。しかし、やはりそこには威圧感はないように感じられた。
天文台はとても古くに建てられたものらしかった。きっと昔の人も同じように夜空を見上げることに魅力を感じたのだろう。ユカが星座と呼ばれる星を線でつなげたものの説明をしてくれた。そして、僕たちは勝手に自分たちの星座を作って語った。
他にも様々なところを案内してもらった後ユカはお腹が空いたらしく酒場と呼ばれる飲食店に行くことにした。そこは様々な人々で賑わっていて、それぞれ思い思いに夜を過ごしている。
「ステルラ」という店の雰囲気は麻央の経営している雑貨店「クラーウィス」と似ていた。木製のバーカウンターにテーブル、黄色いランプが店内を彩っている。店の隅の少し薄暗いところにある二人用のテーブルにつくとユカはすぐに料理をたのんだ。どうやらここは彼女お気に入りの店らしくどの料理がおすすめか、最近新しく出たメニューなどを教えてくれた。しばらくすると、ユカ一人では食べきれないのではないかと心配するくらいの量の料理とドリンクが運ばれてきた。
その色とりどりの料理はどれも見たこともないものばかりで、ドリンクに関してはランプの光を通して琥珀色が透けるように見え、そこから石鹸みたいな泡が噴出しているのがとても面白く思った。これは飲み物だと言われなかったら絶対に飲まないだろう。
「そんなに此処の料理って珍しい?」
一向に出された料理に手を付けないで見つめ続けていた僕にユカは微笑しながら言った。
「うん。向こうでは自動で合成加工された食品ばかりでこうやって天然食材を人が調理するような料理を食べる人はほとんどいなかったから」
「え? じゃぁ君も人が作った料理を食べたことはあんまりないってこと?」
「あんまりというか一回もないかな」
「へー。自動で作られた食べ物より人が手間をかけて作った料理の方が美味しいと思うんだけど。なんか君の居たところ、勿体ないことばかりな気がするよ」
そう言うとユカは料理に手を付け始めた。
「どうだろう……。ファクトリーオートメーションによる生産や食品加工による栄養管理なんかは限りなく合理的だと思う。それに食事はあくまでエネルギーの補充のためのものだからそれが出来ればいいんじゃないかな。」
「そんなことない!」
ユカは突然机を叩いた。そしてこう続けた。
「食事は楽しむものだよ! 合理的だとかそんなのは関係なくて美味しいものが食べられれば幸せになるし、たくさん食べて満腹になればもうそれで満足! そういうものだと思うんだ。とにかく食べてみればわかる!」
ユカは魚貝類を香味野菜で煮込んだ料理を僕の前に置いた。ブイヤベースというらしい。
スープが具の香りを引き立てているのかとてもいい匂いがして、綺麗な街並みで満腹になていた腹が食欲を思い出したかのようだった。
言われた通り食べてみると本当に今まで食べてきた加工食品が土に思えるぐらい美味しくて、小説の食事シーンに於いて長々と語られる「美味しい」が指先をかすめたような気がした。
それが顔に出ていたのかユカはとても満足そうに言った。
「ね? 美味しいでしょ?」
「美味しい……」
その後はもう貪るように様々な料理を食べた。
のどが渇いたので例の琥珀色の飲み物を飲んだ。するとびっくりするぐらい苦くて喉を通る時は痛くてガソリンでも飲んでるんじゃないかと思った。
「ガハッ」
料理とは裏腹に飲み物はまずすぎてせき込んでしまった。
「大丈夫? もしかしてビエンヌ飲んだことなかった?」
「これ……。ほんとにまずい……」
この飲み物の色や味、匂いを前から知識として持っていた。これがお酒というものなのだろうか。本や映画でその存在は知っていたけど現実にはそんなものはなかったため、空想の産物か当の昔に消えてしまった物だと思っていた。
お酒を社会から抹消したのはきっとシステムだろう。お酒はとんでもなく美味しくないから? そんなことはない。
お酒は人の体を痛めつけるから。体だけでなく精神もどろんどろんに溶かしてゆくのだろう。本や映画で描かれるお酒はせいぜい人をチンパンジーにする程度の薬か、酔っぱらって手っ取り早く快楽を得るための嗜好品なんかでしかなかった。しかし僕が居た社会ではどうだろうか。お酒を飲んでしまえばそれでお終い。人間失格の烙印を押されることになるだろう。ちょうど昔のヘロインなんかを吸った時みたいに。
ところで僕はその危険ドラッグを今しがた摂取してしまったのだが、もうなんでもよくなっていた。
店の賑やかな空気を生み出しているランプに人々の会話、笑い声、音楽。すべてが僕のテンションを揺さぶりにかかる。僕と同様店の空気に中てられたユカはビエンヌをゴクゴクと飲んで、気分が高揚しているようだった。顔も少し赤くなっている。
改めて店内を見回すとほとんどが赤い顔をしていてバカ騒ぎしている人がいたり泣いている人がいたり寝ている人がいて、元の世界では考えられない光景が広がっている。
となりのテーブルにいる二人の男たちは他と違って辛気臭い顔をしながら会話をしていた。
「最近やけに悪い噂ばかり聞くな」
陰湿な空気を放っている彼らの会話が気になって聞き耳を立てた。
「ああ、ほんとに。昨日なんかここいらで鯨が死んだって話じゃないか」
と、シルクハットを被っている痩せ気味の男が言った。
「きっとなにか悪いことの前兆だ」
と、赤い蝶ネクタイをつけた太り気味の男が言った。
「やっぱり帝都の……」
「あぁ、帝都アウロラがノクスまで侵攻してくるって噂か」
「いや、まさかな。やつら魔女狩りが目的なんだろ? もうこのノクスに魔法使いなんていねぇよ」
「まぁ本当にここまで進攻してきたらこの街なんて一夜で焼け野原だな」
「戦争が起きないよう神に祈るしかない……」
彼らの周りのランプだけがやけに濁った光を発しているように見えた。
「戦争」という言葉が妙に新鮮に聞こえたのは実際に人が発したのを初めて聞いたからだ。戦争をテーマにした映画や絵画、小説を読んだことはあるがそこに生生しく描かれているのであろう人間の「死」はどこか遠いものに感じていた。
「戦争」という言葉は僕が居た社会に於いて触れてはいけない第一級の言葉だ。これは僕が勝手に定義していることであって、誰が決めたわけでもない。そもそも多くがこの言葉を知らない。
「戦争」はポジティブな言葉とは決して言えない。それは分かっている。しかし、あの社会を形成するのに戦争は必要不可欠なアイテムだったのだろう。発展や発達を促すアイテムとして。リセットボタンを押させるためのアイテムとして。僕はそう考える。
必要は発明の母。
痩せ気味の男が言った「魔女狩り」も気になった。ユカが魔法使いなのだから当然だ。
ユカの方を見るとさっきまで高かったテンションが嘘みたいに落ち着いていた。落ち着いているというよりは暗然としていた。彼らの会話をユカもまた聞いたのだろう。
「魔女狩りね……。そんなことやってもなにも変わらないのに」
彼女は独り言のようにつぶやいた。
僕はなにも言うことができなかった。結局「戦争」、「魔女狩り」にしたってなにも知らないのだから。
「ねぇ、この街はどう? 好き?」
ユカは僕にそう尋ねた。
「ああ、本当にいいところだと思う」
「そうでしょ」
ユカは満足そうな顔してこう続けた。
「よかったら家においでよ。どうせ行く当てもないでしょ?」
「それはありがたいけど……どうしてそんなに僕に優してくれるんだ?」
「さっきも言ったでしょ? これはきっと私たちにとって素晴らしい出会いだって」
ユカの顔は本気そのものだった。
確かにユカの言う通り行く当てもない。僕は彼女の無邪気な笑顔に縋るしかなかった。
「そう、かもね……。帰る方法がわかるまではそうさせもらうよ」
それから僕たちは店を出た。そして、夜が更けても一向に寝静まることのない街灯が辺りを照らし続ける街を歩く。
街から少し離れた所にある湖のほとりの小さな家。朱殷の月と星々が水面に浮かぶ。まるでテーブルの上を彩る花のよう。
その家はこじんまりとしていてとても落ち着いた雰囲気だった。とても綺麗で毎日掃除されているのがわかった。
居間とキッチンの他に個別で使用するためであろう部屋が二部屋あり、ベッドも三台あった。
僕はここで気づいた。
彼女は独りぼっちになってしまったのだと。
そう考えると全てに合点がいく。彼女が初めて会って間もない僕に優しく接する理由。彼女がこの出会いを大切にしたいと言ったのはきっと嘘ではないのだろう。しかしそれ以上に孤独を紛らわす目的の方が強かっただろう。
僕には元々家族はいなかった。初めて家族というものを知ったのはやはりこれも本を読んでからで、強い憧れを抱いたのを覚えている。僕には家族というものを明確に理解することはできない。きっと凍えるような寒い暗い部屋の中毛布のように体を覆い温めて、暖炉の火のように辺りを明るくすることができるものなんだとそんな想像をすることしかできない。
元々持っていない方が持っていたものを失うよりはいいのだろう。こんなことしか僕には考えることができない。
だから僕はユカの痛みだって知ることができない。
「いいところだね」
気の利いた一言を必死に考えたが結局はこれしか出てこなかった。
「そうでしょ。ノクスも賑やかでいいけど暮らすにはこういう静かなところがいいの」
ユカはお酒を多く飲んでいたせいか足元がふらふらしていた。
ユカの身に着けていたローブが塵となって宙を舞い、また集まると箒に戻った。
相当疲れていたのだろう。おぼつかない足取りで居間のソファーまで行くとそのまま横になってしまった。
「ごめんよ。今日は……もう……限界」
そう言うとユカは眠りに落ちてしまった。
その寝顔は幼い少女そのもので普段は相当気を張っているのだと感じた。
寝室にあった掛布団を持ってきてユカにかけてやると、自分も又思い出したかのように疲労が全身を襲った。それもそうだ。今日は多くの事が起こりすぎて自分でも処理しきれていないのだから。
勝手にベッドを使うのは悪いと思ったのでもう一つのソファーを使わせてもらうことにした。
このまま寝て、もし朝目が覚めて何もかもが夢だったとしたら。
僕は今日起こったことが夢でないことを願った。
この世界に来た事、ユカにあったこと全てが現実であってほしいと、そう思ったのだ。
意識はどんどん深い海底へと沈んでゆく。
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